もしも芸術の秋が続いていたら

 ラインハルトは寝室で首をひねっていた。彼の手には、今度行こうと思っている舞台作品の広報が握られている。これには誰を連れて行こうか。
 ここまでに乗馬、古典バレエ、詩の朗読会、絵画の鑑賞、前衛音楽など……さまざまな、自分が食指を動かすかもしれない娯楽に片っ端からラインハルトは触れてきていた。大好きな戦はしばし期待できず、結婚を申し込んだヒルダは沈黙をまもっており、何かで気をそらさねば休みを過ごせそうにない日々が続いている。
 とはいえ、それに巻き込まれる提督達の苦労も察していた。作り笑いと見てわかるし、何より自分自身も面白くなかったものばかりなので無理からぬことである。だが、独りで行った挙句たのしめなければあまりに辛い。そのため、せめて順番に声をかけていた。
 しかし、同伴候補の残機もとうとう尽き果てた。艦隊指揮で忙しいミッターマイヤーまで、奥方ともども前回呼びつけた。次は誰に声をかけるべきか、とラインハルトは悩んでいた。
 実は、彼には選択肢が一人だけ浮かんでいた。提督たちに劣らず長い付き合いであり、裕福な貴族の生まれで芸術の教養を期待でき、かつ、他の者と余暇の約束を持たぬだろう人間が一人いる。オーベルシュタインだ。
 オーベルシュタインを余暇の遊びに誘う! そんな光景を頭に浮かべただけで、ラインハルトは熱を出しそうだった。あの冷徹なワーカホリックを、ついでに言えば激務を理由に避けていたミッターマイヤー以上に忙しい彼に、自分でも面白いかどうか分からないような娯楽に付き合えと誘う! いっそ、何もしないで一人で居るほうがよいのでは? そう、「何にもしないをする」という余暇の過ごし方もあるそうではないか。エミールが言っていた。
 いや。ラインハルトは首を振った。暇になると余計なことばかり考える。休むことは必要だが、何にもしないのは自分の性に合わない。一度だけだ。一度だけ誘ってみよう。これだけ総当りで呼んでいるのに彼だけ声をかけなかったら、むしろ仲間外れにしているようでよくない。
 一体どんな顔をされるだろうと思いつつ、政務で顔を合わせたついでに、ラインハルトは思い切ってオーベルシュタインを舞台鑑賞に誘ってみた。
「伺います」
 驚いたことに、オーベルシュタインは二つ返事で承諾した。誘われて喜んでいるのか、『ついに自分か』と嫌々請け負ったのか、いかなる感情を抱いていたのだとしても、オーベルシュタインの顔からは何一つ読み取れなかった。
***
 貸切ラウンジにラインハルトが随行員と共に着くと、オーベルシュタインと随行の軍務省員は既に着いて待っていた。共にボックス席へ並んで座り、幕が上がると、ラインハルトは舞台ではなくオーベルシュタインをちらと観察した。
 すると、何故か席を一つ挟んだ向こう側にいるフェルナー准将と目が合った。見れば、周りの軍務省員らまで熱心に軍務尚書を盗み見ている。当のオーベルシュタインはといえば、真正面――舞台をきちんと見つめていた。
 オーベルシュタイン以外の者たちは期せずして一瞬、互いに目を合わせたのち、すぐに互いに目をそらして舞台へ顔を向けた。舞台では、壮大な音楽と共に劇が開始され、広報にいの一番に写っていた美女のヒロインがスポットライトを浴びている。ブロック席のメンバーは全員が舞台を見始めていたが、軍務尚書以外の全員の心は軍務尚書に向いたままだった。
 あの軍務尚書が舞台観劇? 順番が回ってきたから潔く来たのか? それとも偶然、観劇を好む質だったのか?
 ラインハルトを含め、キスリングら随行員たちも、突然かり出された軍務省員たちも同じ疑問を胸中に巡らせており、皇帝らの為に特別用意された2階正面ボックス席から観る舞台は、その席に居る殆どの人間の心に届いていなかった。後のマニアックな歴史研究家によると、この観劇の後、当時は端役を演じていた後日の演技派大女優が『P.O.』なる後援者から長々しい感想文と多額の支援金を得たという記録があり、彼女が後生大事に持っていた手紙はオーベルシュタインの筆跡と推定されている。
「どうであった」
 観劇のあと、所々にしか追えなかった場面を思い起こしつつラインハルトが尋ねてみると、「面白かったです」と一言感想を寄越した。古典バレエに連れて行かれたビッテンフェルト上級大将と異なり、いかなるときも作り笑いを浮かべる必要性を感じないらしい彼は、この時も「面白い」と感じている顔を少しもしてはいなかった。
 しかし、世辞で言っている印象でもなかったため、ラインハルトには結局彼の真意が分からなかった。また、相手もそれを伝える必要性を感じていなかった。
 別れの挨拶を交わし、軍務尚書らと別れて送迎車に乗り込んだラインハルトは、『少なくとも、他の提督とちがって、はっきり不満と分かる様子ではなかった』と考えた。いっそ試しに、不満を引き出すまで誘い続け、今日の様子と比較してみるのも良かろう。嫌と言われたら無理に食い下がるつもりもなし。
 そのような顛末で、この後、ラインハルトは軍務尚書を芸術鑑賞に呼びつけるようになったが、ラインハルト自身も驚いたことに、オーベルシュタインは一度たりとも同行をことわらなかったし、(少なくとも表面上は)嫌そうな素振りを見せなかった。
***
「聞きましたか。例のカイザーの『芸術鑑賞』、ここ最近はずっと軍務尚書ばかりを伴っているそうです」
 ミュラーの話を聞くと、その場に集まっていた提督たちは流石に笑えず、一様に動揺して青ざめた様子を見せた。
「どういうことだそれは」
「卿ら、カイザーに対して嫌な顔をしすぎたのではあるまいか?」
「卿にも人のことは言えぬだろう」
「おかげで順番が回ってこなくなったのは僥倖ではあるが……」
「僥倖なものか。我らが不甲斐ないために、カイザーはあのオーベルシュタインばかり誘わねばならなくなっているのかもしれんぞ」
「お可哀想に……。あの陰気なツラが横にあっては、どんな素晴らしいものも色あせてしまうだろう」
「いっそ、次の鑑賞をこちらから提案してお誘いしてはどうか」
「しかし、カイザーのお好きなものなど、我らとて戦以外に思いつかんだろう」
 提督たちの会話は、軍務尚書への悪口と、彼を誘うしかなくなってしまったカイザーへの憐れみと、どうすればよいかの対策案の出し合いで弾んだが、結局、誰が何をやるでもないまま終わってしまう。リップシュタット戦役から何も変わっていないのであった。
***
 ラインハルトの『芸術鑑賞』に際し、オーベルシュタインが不満そうな素振りをすることは一度もなかったが、ある日の鑑賞の合間に茶を飲んでいるとき、しびれを切らしたようにこう言い出した。
「陛下。こういった余暇の外出こそ、フロイライン・マリーンドルフをお誘いなさってはいかがか」
 ラインハルトが紅茶にむせた。
「ゲホッ、ゲホッ。……け、卿、けい、は」
「委細存じております」
「んぐっ。……フロイラインと予が懇意にすることに卿は反対なのでは?」
「いえ、反対はしておりません。ただ、姻戚が権威を牛耳る例は歴史に数多くございます故、よくよくご注意なさいますよう願ったまでで」
「では、フロイラインであることは構わないと?」
「どのみち他に候補者はおりませんし、マリーンドルフ伯は稀に見る無欲な方であるようにお見受けします故、反対するほど悪い選択肢ではないと臣は考えます。警戒は怠れませんが」
「そうか。だが、その……フロイラインには……すでに、求婚した。マリーンドルフ伯にも伝えてある。今は返事を待っている状態だ。その状態で、その、追い込むような真似をするのは……」
「ほぼ初対面の状態で結婚し、それから共に過ごす時間を重ねる夫婦もございます。生まれついて許嫁の決まっている貴族にはよくあった話です。時には、世に出回る物語のように、決まった相手ではない者と恋に落ちる悲劇などもあるでしょうが、自分たちと良く似た性質を持つ親同士が公認で結婚するのでございますから、そうそう失敗いたしません。私自身は、先天性の障碍があると知れた時点で破談になりましたが、私の両親は上手くいっておりました。結婚後、陛下にお誘い頂いたような舞台観劇や絵画の鑑賞、その他ですと森の散策やボート遊びなどを経て親睦を深めたそうです」
 ラインハルトがテーブルに手をついて身を乗り出し、蒼氷色の瞳をギラリと光らせた。
「くわしく聞かせて貰おう」
 後日、ラインハルトがフロイラインをデートに誘うようになり、二人の親睦が深まったとか深まっていないとか。

Ende