獣人ビッテン
獣人に拾われた少年の話

 あるところに、ビッテンフェルトという名の獣人がいた。彼は半虎の獣人で、明るいオレンジ色をした体毛をもち、二足でも四足でも自在に歩き、鋭い爪と牙で獲物をあっという間に引き裂く恐ろしい獣人であった。
 ビッテンフェルトはある日、人間の子供を見つけた。子供は、無防備にも一人で森に座り込んでいた。
 しめしめ、うまそうな子供だ。今日の夕食は豪勢にできる。
 しかしその時、ビッテンフェルトの脳裏に名案が浮かんだ。見たところ、知恵をつけるよりずっと前のとても幼い子供だ。それにひどく痩せている。柔らかい肉を細い骨ごとバリバリと食ってしまえばいいだけだが、せっかくの貴重な子供の肉、どうせなら美味く食いたい。
 よし。うまく騙して連れて帰り、おれには食えない野菜や果物を人間の畑から盗んで食わせて、太らせてから頂くとしよう。騙せなければ、今食ってしまえばいい。
 そうと決めると、ビッテンフェルトは爪を隠し、警戒させないようゆったりと近づいた。
「やあ、ぼうや。迷子かい?」
 子供がビクリと振り返った。ビッテンフェルトはニッと笑いかけた。
「おれは、虎の獣人ビッテンフェルトだ。きみは?」
「…………パウル」
「はじめまして、パウル。ひとりぼっちでどうしたの? 迷子になったのかい?」
「ううん。お父さんとお母さんに、ここでまっているようにいわれたの」
「近くにいるの?」
 ビッテンフェルトが警戒する。銃を持った大人がいたら厄介だ。
 だが、パウルは首を横に振った。ビッテンフェルトは安心した。
「どこかにいっちゃった。『あとでむかえにくる』っていっていたけれど、――たぶん、もうきてくれないんだ」
 パウルは悲しげに言った。ははあ、捨て子か。こいつは丁度いい。
 親のいる子供を下手に襲うと、執念深く大勢の大人が追ってくることもあり、体の一部をどこかに残して『死んだ』と知らせ、諦めさせなければ危険なことがある。だが、こいつは残さず食ってもいいわけだ。
「それは可哀想に」
 内心をおくびにも出さずビッテンフェルトは応じた。
「もう夜も遅い。よければ、うちにおいで」
「え?」
 パウルが目を丸くする。さて、なんといって連れて行こうか。子供の好きなものは『おかし』だが、『おかし』は人間の村の真ん中まで行かなければ盗めないしな……。
「いいの?」
 子供が嬉しそうにいった。なんだ、乗り気だな。
「いいともさ。人間が食べるものも、すこーしだけ待ってもらえれば用意できるし、あたたかい寝床もあるぞ」
「いく。つれていって」
 ふむ、聞き分けのよいことだ。
 パウルが手を伸ばす。ビッテンフェルトは小さな手をふわりと掴んだ。それを引いてみると、さしたる抵抗もなくパウルはとことことついてきた。
「こっちだ」
 自身のねぐらを目指しつつ、パウルに顔を見られなくなった角度でビッテンフェルトはニヤリと笑みを浮かべた。なんだかすごく上手くいった。こいつを太らせて食うのが楽しみだ。

 ちいさなパウルに合わせてゆっくり歩き、ビッテンフェルトの家に2人が着いた。獣人の家は存外に文明的であり、あちこちコケむしてはいるが、窓も扉もベッドも暖炉もある家であった。
 扉をあけ、2人は中に入った。ビッテンフェルトが古い火打ち石で暖炉に火をいれると、家の中は暖かい光に満たされた。
「飲み水はそこ、寝床はそっちだ。ひとつしかないから、悪いが今夜はおれと一緒に寝てくれ。あと、お前のメシだが、今は干し肉くらいしかない。すまんな。おれは肉しか食わないのだ。明日になったら、野菜とか果物とかも持ってきてやる」
「だいじょうぶ。ぼくはいいこだから、おなかがすいてもがまんできる」
「そうか。偉いな」
「うん。お水のんでもいい?」
「いいぞ」
 何も考えずに答えたあと、ビッテンフェルトはパウルの奇妙な言い分が頭に引っかかったことに気づいた。『いいこだから、おなかがすいてもがまんできる』?
 水瓶から水を飲んでいるパウルを火の明かりに照らして見ると、彼は思ったよりも痩せていた。今のままじゃ、ほとんど骨を食っているのと変わらなさそうだ。
 ビッテンフェルトは歯ぎしりした。くそ。思ったより時間がかかりそうだな。
「ねてもいい?」
「いいぞ」
 パウルがおずおずとベッドに横たわった。ベッドには、乾いた草をたっぷり敷き詰めてある。ビッテンフェルトもパウルと一緒にベッドに入った。彼の体毛がパウルに触れ、パウルはくすぐったそうに笑った。
「あったかい。ふかふかする」
「おれの自慢の毛皮だからな。おやすみ、パウル」
「おやすみ、ビッテンフェルト」
 2人は眠りについた。

***

 ビッテンフェルトが近くの村の畑に行ってみると、あまり作物がないことが分かった。人間がいないところでこっそり盗まなければならないのだが、なかなか見当たらない。かろうじてしなびた小さな野菜を掘り出すことができ、ビッテンフェルトは音もなくそこを立ち去った。
 帰ってきた彼は、肉の腑分けに使っている鋭い石のナイフで野菜を小さく切り、人間がやるように煮込んでみた。味付けはよく分からない。干し肉も切って入れてやり、シチューのように見える何かを作ったあと、ビッテンフェルトはパウルを呼んだ。
「あんまり美味しくないかもしれないんだが……」
 自信なさげにビッテンフェルトは言い、木で作った皿にシチューっぽいものを入れて出した。木のスプーンでそれをすくい、パウルが一口ほおばる。ビッテンフェルトが心配そうに見守った。
「とってもおいしい」
 彼が嬉しそうにそう言ったので、ビッテンフェルトはほっと一安心した。
 パウルがシチューっぽいものを食むと、生煮えの野菜がシャリシャリと音を立てた。ろくに味付けされていないスープは何の味もしなかった。しかし、パウルは嘘をついたわけではなく、久方ぶりの具だくさんのスープを本当に美味しいと思っていた。それに、自分のために温かい料理を振る舞って貰えるということが、この上なく嬉しかった。
「……もうお腹いっぱい」
 長いこと飢餓に耐えていたパウルの胃は、皿に一杯のシチューが入ると、もういっぱいになってしまった。ふああ、と、彼があくびする。
「もう一眠りするといい。おれは食い物を探しにでかけてくるからな」
「ふぁあ……ねてて……いいの?」
「おお。いいぞ」
 そのほうが早く太るからな。あまり動かないでくれると助かる。
「ぼく、どれくらい……ここにいて、いいの……?」
「うん? ずっと居ていいぞ。なるべく長くな」
 おれの晩飯になるまで逃げられちゃ困る。
「……そっか……」
 パウルは微笑んだ。その間にもうつらうつらとして、寝入ってしまいそうである。
 ビッテンフェルトは彼を抱き上げ、ベッドに戻してやった。
「おやすみ」
「うん、おやすみ……」
 パウルが寝入ったあと、ビッテンフェルトは、当面の食料、プラス、パウルに食べさせる食料を探して森に入った。

***

 こまったことになった。
 パウルが中々太らない。それ以上に、パウルを死なせることに気が進まなくなってきてしまったのである。
 パウルは、ビッテンフェルトに食われるなどとは微塵も考えていないのか、水瓶に水をくんできたり、ベッドの草を集めたり、鍋や食器を洗ったり、家の掃除をしたりと、それは献身的に働いていた。ビッテンフェルトによく懐き、彼が戻るたび嬉しそうに笑いかけた。
 だんだん、彼が可愛く見えるようになってきてしまったのだ。

 また、何度も野菜を盗みに下りているうちに、彼の出身と思われる村の様子がだんだん見えてきた。
 畑には相変わらず野菜がほとんどない。それに、巡回が強化されてきた。人間たちはまだ、夜目のきくビッテンフェルトを見つけられていない。村からは時折、言い争うような叫び声が聞こえる。どうやら人間たちは、森に住む悪名高き肉食獣人であるビッテンフェルトが野菜を盗んでいるとは思っていないらしく、お互いを疑い合っているらしかった。
 自分の家に連れてくる前のパウルの状況についても予想がついた。おそらく『口減らし』されたのだ。パウルはあの日、親に捨てられていたのだ。肉食の獣人が暮らす森に。

 パウルを食わないとしても、パウルは弱ってきていた。自分が食べる肉も分け与えてみたが、彼の歯では硬い肉を上手く噛み切れないらしい。人間の真似をして作ったシチュー(のようなもの)にしろ、彼の滋養にはほとんどなっていないようだった。
 人間に彼を世話して貰わねばなるまい。しかし、同じ村に返してはだめだ。別の、もっと豊かな群れに彼を預けてみてはどうだろうか?
 森の反対側には、別の人間の里――大きく豊かな街があった。そこには屈強な衛兵や強力な銃が数多くあり、ビッテンフェルトは近づかないようにしていた。村と街の最短ルートには、ビッテンフェルトの居る森があり、ここを少数で横切る愚かな人間たちがよく彼の晩餐となっていた。最近は、ほとんど人間が通らない。
 あっちにパウルを連れて行ってやれれば、あるいは、街の人間たちは幼いパウルの面倒をみてくれるかもしれない。
 思い立ってすぐ、ビッテンフェルトはパウルに呼びかけた。掃除していたパウルが不思議そうにやってくる。
「パウル。森の向こうの街へ行こう。『おかし』が食べられるぞ」
 ビッテンフェルトは、初めて彼を連れて帰ったときのように手を引き、森の向こうにある人間の街へ向かって歩き始めた。

***

 よく整備された広い道が見えてくる。ビッテンフェルトは身震いした。火薬のニオイがぷんぷんする。だが、ここまで来れば街は目の前だ。
「パウル。あの道がわかるか」
「うん。すごく広いね。村のひろばみたい」
「あの道に沿って、あっちの方にまっすぐ行け」
 パウルは目をぱちくりさせた。
「ビッテンフェルトはいかないの?」
「ああ。おれは行かない。ひとりで行くんだ」
「どうして? いやだ」
「わがままを言うんじゃない! 言うことを聞かないと食っちまうぞ」
 ビッテンフェルトがグルルルと唸り、両手の爪を脅すように出した。パウルがびくりと後ずさる。だが、彼は引かなかった。
「いやだ。どうして? ずっといていいっていったのに」
「気が変わった! 出て行け。道を歩いてあっちに行ってしまえ!」
「やだ。やだよ。ビッテンフェルトといっしょにいたい」
 パウルが涙を流して訴える。ビッテンフェルトの胸がズキリと痛んだ。だが、引くわけにはいかない。彼のためだ。
「うるさい! 早く行け、はやく!」
「やだあ! やだあ!」
『獣人だ!!』
 遠くから大人の叫び声がした。ビッテンフェルトは青ざめ、声のするほうをバッと振り返った。まずい、街の衛兵たちだ!
『いそげ、子供がいる!!』
 パアンパアン、と銃声が響く。近くにいた小鳥たちが驚いて飛び立っていく。ビッテンフェルトは弾かれたように駆け出し、一目散に森の中へ逃げ帰った。
「まってえ! まってよお!」
 パウルが泣き叫ぶ。街の奴らがパウルを撃ってしまわないか心配になる。あいつらがパウルを避けて撃ってくれていることを祈るしかない。
 パアンと銃声がまた響く。放たれた銃弾はビッテンフェルトの脚を貫通し、近くの木にキュウンと音を立てて埋まった。
「ぎゃあ!」
 ビッテンフェルトが倒れ伏す。足が焼けるように熱くて痛い。見ると、大口径の銃弾で大穴をあけられたふくらはぎから血がどくどくと溢れ、森の地面に赤い水たまりを作りつつあった。
 もう二度と走れない。そう、ビッテンフェルトは悟った。
 道の方を振り返った。衛兵たちが銃を持って迫っている。その向こうで、小さな子供が衛兵の腕から逃れようとしている。おれのもとへパウルが来ようとしている。しかし、危険な獣人に近づけぬよう、衛兵のひとりが彼をなだめ制止しているようだ。
 銃声がまた響いた。いくつも響いた。ビッテンフェルトの身体が奇妙に踊る。やがて、森の周囲に暮らす人間達の畏怖を受けて暮らしていた半虎の獣人は倒れ伏した。

 パウルが泣き叫ぶ声がする。どんどん遠のいているようだ。変だな、遠ざかるはずはないのに。
 ビッテンフェルトの視界が暗闇に包まれていく。死にゆく彼には、不思議と後悔の念がなかった。

***

 その森には、隠者が住んでいた。
 隠者はもともと街に住んでいたが、人嫌いの彼は人里を離れ、森でとれる収穫物を売るか、生活物資を購入するとき以外には他の人間と関わろうとしなかった。

 彼の住まいには、ひとつの墓が建てられている。彼は生涯、その墓の手入れを怠らなかったという。

Ende