至高の宝石
その3

 金色のきらめきが目に入ったのは、ほんの一瞬のことであった。それは、夜ふけゆく街の雑踏の中にあって、異様にも強くビッテンフェルトの目を引くものであった。
 ビッテンフェルトはまず、そのことを不思議に思った。長い金髪は、彼の敬愛する皇帝陛下を連想させる。しかし、金髪それ自体は何も珍しいものではない。なぜ、こんなにも目を引かれたのだろう。
 彼は無意識に、その金色の姿を目で追った。その人物は、白のフリルシャツの上に黒いファーをまとい、下には足首まで隠れる黒のフルレングス・パンツを着ていて、低めのヒールがついたパンプスを履いている。一見女性に見えたが、それにしては背丈があり、骨格は男らしい。身体つきが整っていて姿勢もよく、カツコツと靴を響かせ歩く様には威厳すら感じられた。
 金髪の男性が雑踏を進んでいき、角を曲がって消えてしまう。ビッテンフェルトは、何に自分が駆り立てられているのかも分からぬまま、その麗人を追った。戦闘においても前進と敢闘を旨とする彼は、しばしばこうした衝動に身を任せてきていた。
 見失いそうになる麗人を必死に追いかけ辿り着いた先は、『近づいてはいけない』雰囲気の屋敷であった。いわゆるギャングだとかマフィアだとか言われる輩のアジトである。周囲を厳重に囲われ、門扉にはいかつい護衛が立ち並んでいた。
 しかし麗人は微塵も臆した様子を見せず、カツコツと門に近づいた。すると、護衛たちは彼の進路を妨げぬよう、即座に門を両開きにして道をあけた。みずから開け放たれた敷地の中に、麗人が颯爽と歩いて行く。
 そして、彼の後ろで門扉がガシャンと閉じられた。
(さすがに、一人でここへ入っていくことはできなさそうだな……)
 ビッテンフェルトは物陰に隠れ、ううんと呻いて考え込んだ。
 ローエングラム王朝が政権をとって尚、もとは旧貴族に媚びへつらっていただろうゴロツキが堂々と居を構えているとは意外である。しかし、『一光年より狭い範囲に関心がない』と噂される銀河の支配者――うるわしき皇帝陛下のことだ。この程度の砂粒に目をかけられるほど、時間的余裕がまだないのかもしれない。
 いずれにしろ、『ちょっと気になったから』で自分が今押し入ることは難しいだろう。ビッテンフェルトはそう考えた。
 しかし、彼はどうしてもあの麗人が気に掛かった。どこかからせめて顔を覗き見ることだけでも出来ぬだろうか、と彼は考え、屋敷の周囲をぐるりと回ってみることにした。
 護衛に見つからぬよう注意しつつ、隠密作戦と同じように静かに周囲をまわる。さわがしいイメージがつきものの彼だが、いちおうは実力で上り詰めた軍人だ。やがて、彼の実力と少々の運気は効を奏し、鉄柵の隙間に見える窓を通して麗人を彼が見つけた。
「…………!!」
 それは、ラインハルト――彼の皇帝であった。銀河一うつくしいあの美貌を、見間違いようがない。彼は、下唇に真っ赤な目立つ紅を引いていた。……まるで、男娼のように。
(どういうことだ……?)
 誰かに強制されているのか。何者かに辱められているのか。なんらかの弱みを握られて? そう考えると、ビッテンフェルトは腹の底から怒りが燃え上がり、歯を食いしばって拳を握りしめていた。
(おのれ! 陛下を侮辱するものは、このおれが悉く滅ぼしてくれよう)
 しかし、そう思ったのも束の間、ラインハルトが柔和で幸福そうな笑みを浮かべたため、ビッテンフェルトは度肝を抜かれた。
(あれは……かつての閣下のような……まるで……)
 キルヒアイスが居た頃のような?
 彼の直感は正鵠をついていた。ラインハルトの笑顔が向けられた先の人物が窓枠の範囲に入り、ビッテンフェルトの視界にうつる。
 それは、赤毛の大男であった。スリーピースの高価そうなスーツを着ている。顔は、さほどキルヒアイスに似てはおらず、とはいえまぁまぁ整っている。しかし、目つきがキルヒアイスによく似ていた。正確には、『ラインハルトを見ているときのキルヒアイス』とよく似ていた。
 目の前の人物がいとおしい。大好きでいとおしくて、たまらない。相手のためならば何を捧げても構わない。そんな目である。
 やがて、ビッテンフェルトの見ている前で彼らは抱き合い、深く口づけはじめた。ラインハルトは嫌そうな素振りを一切みせない。美しい蒼氷色の瞳を細め、いとおしそうに赤毛の大男を見つめかえしている。
 その瞳が一瞬、こちらを見たような気がした。だが、気のせいだったのかもしれない。ラインハルトは心地よさそうに目をつむり、赤毛の男と愛を交わすことに夢中であったから。
 ビッテンフェルトはよろり、と後ずさった。ショック? 幻滅? 驚愕? どれもしっくりこない。とにかく彼は、これ以上ここにいるべきではないと悟った。

 ビッテンフェルトは持ち前の運気をまたもや発揮し、誰にも見つかることなくマフィアの屋敷から離れていった。
      *
「……どうした、ビッテンフェルト。予の顔に何かついているか?」
 ラインハルトが悪戯っぽく笑いながら頬杖をつき、ゆったりと腰掛けたまま尋ねると、ビッテンフェルトはハッとして目を見開き、あわててオレンジの頭をさげた。
「いいえ。むしろ……」
 きゅ、と彼が唇を噛む。今はむしろ赤い口紅が『ついておらず』、いつもの皇帝陛下である。だがやはり、あのとき見た麗人と皇帝は同一人物だ。
「……いえ。失礼しました」
「なんだ、おまえらしくもない。気になるではないか。はっきり申せ」
「いえ、いえ。お美しい我が皇帝陛下(マイン・カイザー)のご尊顔に、目を奪われていただけにございます」
 ビッテンフェルトが言うと、会議に参列していた提督たちがクスクスと笑った。これが皮肉でもなんでもないということに、提督たちは無論おおいに賛同していた。
「ほう。ビッテンフェルト提督も、話をはぐらかすのが上手くなったか」
「めっそうもございません」
「ふん。まあよい……」
 それ以上、ラインハルトはビッテンフェルトを追求しなかった。それから、会議は滞りなく続いた。

 ただ、少しも笑うことのない軍務尚書オーベルシュタインの義眼が、ビッテンフェルトを映してギラついていた。
      *
 それは、ある晩おそくにビッテンフェルトが帰宅する途中であった。タクシーを使って帰ろうとしていたものの、どういうわけか出払っており、それならば鍛錬がてらにと彼は歩いて帰っていた。
「ビッテンフェルト」
 聞き慣れた声が自分の名を呼ぶのを聞き、彼はビクリと跳ねた。
 振り返ると、声の主――『麗人』の姿をしたラインハルトが裏路地に立っている。影の中に立っていても、その髪は金色に光り輝くようだった。
「こちらへ」
 彼が、繊細な人差し指を手前に折り曲げ、ビッテンフェルトを呼び寄せる。オレンジ髪の猛将は、なかば吸い寄せられるようにして裏路地に入っていった。
「……陛下」
 うるわしい男娼に身をやつした皇帝に、ビッテンフェルトは恭しく膝をつこうとした。しかし、ラインハルトに肩を押さえられ「よい」と遮られる。その唇には、まだあの赤い色がない。
「用件はわかっているな?」
 ラインハルトに尋ねられると、ビッテンフェルトは観念したように顔を小さく俯かせた。
「……はい」
 なにか悪いことをしたでもないが、言い知れぬ罪悪感が彼の胸に湧き上がる。
(ああ。おれはどうして跡を追ってしまったのだ)
 見てはならぬものを見てしまった。せめて、他の提督たちくらいに隠し事がうまければまだしも、よりにもよって自分が。
 すると、カラカラと鈴の鳴るような笑い声がふってくる。
「そうしょげた顔をするな。なにも叱ろうというのではない。卿は何も、悪いことなどしていないのだからな」
「しかし、陛下。小官は……みては、ならぬものを」
「なに、露見のリスクも承知のうえだ。して、卿はどうしたい?」
「どう、とは」
 ビッテンフェルトが目をあげ、おそるおそる尋ね返す。すると、ラインハルトは自嘲的な笑みを湛えて応じた。
「予は、マフィアのボスと自ら関係をもっている。赤毛で大柄な……そう、キルヒアイスに似た男と、な」
 それを聞いていると、ビッテンフェルトの目に涙がにじんできた。
 彼の声は、戦場で指揮をとるときの張りのある自信にみちた声とは違っていた。それは痛みと皮肉、自己嫌悪、自虐に満ちた、悲しい声であった。
「失望したか?」
「それとも、興奮したか?」
「皆に明かすか? 『皇帝は、いやしい男娼に成り下がっている』と」
「それとも、お前も相伴にあずかりたいか? 予に相手をさせたいか?」
「いっそ殺すか? こんな皇帝は」
 ラインハルトが力なく微笑みながら尋ねる。顔は笑っているが、瞳には痛みが宿っている。
 ビッテンフェルトの鳶色の瞳からも、鼻からも、ボロボロと滴があふれて滴り始めていた。
「……どうして泣く。泣くほど、おれの姿は汚らしいか」
「いいえ、いいえ、我が皇帝(マイン・カイザー)。陛下はいつだってお美しい」
 ビッテンフェルトはブンブンと頭を大きく振った。
「小官は、己に陛下のお苦しみを除く術がないこと、ただそのことが悔しくてたまらないのでございます」
 震える涙声で彼はそう言うと、「失礼」といってハンカチをとりだし、ぢんっと噴いて顔の余分な水分をぬぐった。
「そうか」
 ラインハルトが応じる。彼の瞳のうちにある、苦痛の光がわずかに和らいでいた。
「ああいった輩が、おそれおおくも陛下の御身に手を触れていることは、喜ばしくないことではございます。……が、それが僅かにでも陛下の御心を癒やしているのなら、小官に言うことはございませぬ。お望みとあらば、このことは誓って明かさず、秘密のまま天上(ヴァルハラ)へ持って行きます」
 ビッテンフェルトがそう言い、ビシッと背筋を伸ばして敬礼の姿勢をとる。ラインハルトは柔和に微笑んだ。
「そうか。……卿の忠誠に感謝する。そのようにしてくれ」
「はっ!」

 彼らのやり取りを、軍務尚書オーベルシュタインは監視カメラ越しに観察していた。彼は瞬きをひとつ・ふたつしたのち、心の中でこの案件を『おおむね処理済み』として片付け、次の仕事にかかるべくモニター室を出て行った。