ビターチョコオーベルシュタイン

 その新人、オーベルシュタインという男は、見るからに気味の悪い陰気な人間であった。
 士官学校を卒業したての若者でありながら、その頭髪には白髪が目立つ。貴族の端くれらしき帝国語づかいと身綺麗さはあるが、青白く痩せ細り、ずっと栄養が足りていない印象を見る者に与えた。声も小さく張りがなく、それがまた上官たちの憂さ晴らしの種にされがちな要素であった。
 とはいえ、性格は生真面目で、仕事は丁寧かつ正確だった。それは、役立たずの貴族ばかりが掻き集められた後方部において、非常に希少な要素である。
 同僚たちは、見た目のさえないオーベルシュタインをバカにしつつ、仕事においては彼に頼り切った。彼のいるチームだけが業績をあげており、そのお陰で、役立たずしかいない他のチームと違って、彼らも上官の叱責を免れていた。
 しかしもちろん、だからといって、同僚たちがオーベルシュタインを大事にすることはなかった。彼との約束を平気で破り、謝罪らしい謝罪もせず、どれほど迷惑をかけているかなど想像もしなかった。
「あぁ、わりぃ。あの件か。すっかり忘れちまってたよ」
「……そうですか」
「ごーめん。今日約束があってさ、どうしても行かないとなんだよ。わりぃけど、やっといてくんね?」
「わかりました」
 オーベルシュタインが、抑揚のない小さな声で淡々と応じる。ヘラヘラとそう言って去って行く同僚を、彼は引き留めなかった。
 別に急ぎではないし、何より、そいつにやらせるより自分がやった方が数倍早い。珍しく『仕事をしたい』と云うから、特別にお膳立てしてやっただけのことである。
「はじめから期待などしていない」
 誰もいなくなった職場に一人残り、オーベルシュタインは低くそう呟いた。
  *
 幸い、上官たちはもう少しだけ賢かった。彼らは、誰が仕事をしているのかに間もなく気づき、オーベルシュタインの階級を引き上げ、自分たちの都合のよい場所へ配置転換した。
 そうなってようやく、彼の元同僚たちは、オーベルシュタインなしではチームの業績をあげられず、上官の叱責が飛んでくることに気づいた。そして初めて、時折すれ違うオーベルシュタインに猫なで声で話しかけるようになった。
「元気か? なあ、お前がいなくなって大変なんだ。その、おれたち、確かにお前に気を遣えてなかったと思う。これからは、お前のことも誘うから。な? だから、もう一度……」
 オーベルシュタインは、貼り付けたような笑みをにっこり浮かべた。これがまた、『気持ちの悪い笑顔』と評判の、明らかなる愛想笑いであった。
「上官の命令ですから。大丈夫、貴官らが真面目に取り組みさえすれば、私一人の働きなど簡単に超えられますよ」
『真面目に取り組む』、それこそが、彼らには絶対になしえないことである。しかし、オーベルシュタインは言及しなかった。彼にとっては、全くどうでもいいことである。
 また、不思議なことに、真面目のマの字も知らぬ輩ほど、自分にそれができると勘違いしているものだ。相手は、それで二の句を継げなくなった。
 くるりと身を返し、新しい職場へ向かうオーベルシュタインの顔からは、とうに笑顔の仮面が外れていた。
  *
『オーベルシュタインさえ戻ってくれれば、こんな苦労はなくなるのに』
 そう言い続け、10年が経過した。人が変わっても、自分たち同様の無能な新人ばかりやってくる。オーベルシュタインの最初の同僚たちは、無能なまま歳をとり、『最近の若い奴らは』とこぼし、その次に、お決まりのその台詞を吐いた。
 おかげで、オーベルシュタインという男への興味関心は、彼がいなくなった後に高まっていた。当のオーベルシュタインはというと、戻る気配は微塵も見せず、数年働いては別の場所に取り上げられ、転換のたび、より指示系統の高い場所へと向かっているようであった。
 ある日、同僚の一人がオーベルシュタインを見かけた。彼は、大佐になっていた。下級貴族にしては異例の高い地位、といえなくもない。
「オーベルシュタイン大佐!」
 声をかけられ、彼が振り向いた。そこには、あの愛想笑いがもうない。
「元気だったか?」
「……ええ。まあ」
「そうか! よかった。なあ、今はどこに所属している?」
「……今まで統帥本部の情報処理課におりましたが、今度、イゼルローン要塞に転属となりました」
「えっ!? 最前線じゃないか。何かやったのか?」
「いえ。最前線を志願しました」
「そ、そうか。危なくないか?」
「……軍人になった時点で、危険は承知しております。ところで一つ、伺いますが」
「ん? なんだ?」
 その時、暴走車が彼らの横を通過した。ブゥゥン! という駆動音が、オーベルシュタインの小さな声をかき消す。
「…日……で?」
「うん? すまん。聞こえなかった」
「……いえ、なんでもありません。では、仕事がおしておりますゆえ」
「あ、ああ。わかった」
 軽く会釈し、オーベルシュタインが去って行く。
「いつでも戻ってこいよ!」
 その背中に、一番の本題を投げかけておく。
 これでよし。前線勤務のつらさに耐えかねたとき、おれの優しさを思い出すだろう。

 その時、先程何を問われていたか、ようやく音と口の形の情報が結びついた。

『先日何処かで? ……いえ、なんでもありません』

Ende