おいでませ悪魔様

『ホクスポクス・フィジブス、ホクスポクス・フィジブス、我が呼び声に答えよ、きたれよ悪魔』
 魔術師が呪文をとなえると、彼の目の前にある魔方陣が光り輝いた。召喚儀式に用いている部屋に突風が巻き起こり、魔力が空間に満ちあふれる。やがて、陣の中心になにかが形を成し始めた。
 部屋がまばゆい光につつまれる。そして、陣の中心に、虎と人間の合いの子めいた半獣が姿を現わした。
「うおおおーーっ! よくぞこのおれを呼び出したな、ほめてやるぞ人間! この≪暴虐のビッテンフェルト≫が来たからには、全てを破壊する力を好きなだけくれてやろう!」
 上級悪魔・暴虐のビッテンフェルトがそう雄叫びをあげる。――実は、最近なぜか人気がなく、あまり呼んで貰えないので張り切っていた。
「そういうのはいい」
「あぁ!?」
 あっさり応じられ、ビッテンフェルトは呻いた。
『そういうのはいい』!? では、自分は何のために呼ばれたのだ。
 やがて、召喚呪文の霧が晴れ、召喚者の姿がビッテンフェルトにもよくわかるようになった。彼が、あからさまにガッカリした表情を浮かべる。
「なんだ、子供か……。おう、坊主。ガキが悪魔なんか呼ぶんじゃねえ。悪魔というものはだな、成人した人間が、自らの意志で神に唾吐き堕落すると決めた場合にだけ呼んでいいものなのだ。自分でものを決められないオコチャマが、お遊びで呼んではいかん」
「だれが子供だ」
 いらだった少年声がそう応じる。そして、彼が何事か呪文を唱えた。
 すると突然、閃光が走り、ビッテンフェルトに『おしおき電撃呪文』が襲いかかった。
「いでええええーーーー!!!!」
 バチバチと鳴る電撃に攻撃され、ビッテンフェルトが悲鳴を上げる。飛び上がった彼の尻から煙があがっていた。
「我こそは、齢五百年を超える大魔法使い、パウル・フォン・オーベルシュタインである。この姿は、不老不死の術をつかった結果だ。魔力の量でそれと分からんとは、きさま、上級悪魔のくせに、さては無能か?」
「ち、……ちがうっ! さっきのは、そう! 冗談だ! デモニック・ジョークだ! せっかちな人間めが、力に見合う余裕をもつがよい!」
 本当はまったく気づいていなかったが、ビッテンフェルトはそう言い張った。
「そうか」
 信じたのか信じていないのか不明だが、オーベルシュタインはそう応じた。彼の見た目も声も、せいぜい8歳くらいの少年であった。
「で、おれに何をさせたい、オーベルシュタインとやら」
「お前に『冗談』をふっかけられた通り、私は子供の姿だ。これがしっくりきていない。これを、見合ったものに変えて欲しいのだ」
 ビッテンフェルトがドンと胸をたたいた。あんまり難しいことを言われたら大変だと思っていたが、それくらいなら出来そうである。
「よしきた! 任せておくがいい」
「なにかできるのか」
「おう! 見ていろ。お前の実年齢にふさわしい、老獪な爺さんの姿にしてやろう」
 また、おしおき電撃がとんだ。
「いでええーーーー!! なにをする!!」
「ちがう」
「なんだ!? 何が違うのだ!?」
「大人になりたい。爺さんはいやだ」
「くそっ、わがままな奴め! ならば最初からそう言わぬか」
「頼むぞ。報酬には、とびきり貴重な宝石をくれてやる」
「よしきた!」
 ビッテンフェルトがむむむむと力に集中しつつ、オーベルシュタイン少年魔術師にむかって手を向ける。だが、ゼハーッゼハーッと息を荒げ始め、彼は魔方陣にベタンと座り込んでしまった。
「どうした」
「だめだぁーー!! なんだこれは!? なにか、強力な魔術で、執拗に姿が留め置かれているぞ……!?」
「だろうな。他の悪魔の呪いで、私がどんな呪文を使っても、少年の姿を変えられなかったから」
「なんだそれは!? だから、先に言わぬか! そういうこと!」
「言わずとも分かるだろうに……」
 そう指摘されたが、ビッテンフェルトは聞かなかったことにした。
「そういうことなら、その悪魔を呼んでこい。契約の見直しを頼むとか、おれがのして説得するとか……とにかく、そいつがいないと話にならん」
「ふむ。わかった」
 そして、呪いの元となった悪魔が呼び出された。≪異心のフェルナー≫という、翡翠色の瞳と銀色の髪が特徴的な、半分羊のような姿の美しい悪魔である。呼ばれた彼は、オーベルシュタインに対し、恭しく一礼した。
「これはこれは、我が愛し麗しの契約者、大魔法使いパウル・フォン・オーベルシュタイン殿。本日は、どのような用向きでしょう?」
「このビッテンフェルトがお前を呼べと」
「ほう? して、何用です」
「このオーベルシュタインとやら、お前の呪いで少年の姿であることが嫌だそうだ。なので、大人の姿にしてやれ。従えないならば、強硬手段をとるぞ」
 ビッテンフェルトが脅すように唸ると、フェルナーはふふんと鼻で笑い、相手を見下した。
「いーいでしょう。貴殿の尻尾に私の姿を幻視させ、自分の尻尾を永遠においかける滑稽な姿を、このパウルに見せてやりますよ。『こんなやつは呼ぶだけ無駄だった』と、彼に分かるまでね」
 フェルナーがそう言うと、ビッテンフェルトはぎりりと歯ぎしりした。幻覚系魔法と彼は相性が悪いのだ。
「だいたい、どうしてオーベルシュタインは少年の姿なのだ」
 そう問われると、フェルナーは目を輝かせて語り始めた。
「どうして? どうしてですって? おや、この彼の麗しさを見てまだ分からない? この未成熟な手足、少年とも少女ともつかぬ中性的な顔立ち! 彼は永遠に少年であるべきです。これこそ、天使どもも恥じ入り顔を背ける尊さというもの」
 熱っぽく語られ、ビッテンフェルトは目に見えて引いた。
「お前、もしや変態か」
「ほめ言葉と受け取っておきましょう」
「どうしてこれと契約したのだ」
「破格の対価で、膨大な魔力と、不老不死の体をくれるというので……」
「いやあ、私としたことが、出血大サービスしてしまいました。でも、後悔はしておりません。麗しの愛しいパウルが、ずうっとこの私の契約者として、私のものでありつづけるのですからな」
 こんなにヤバい悪魔がいたんだな、という顔でビッテンフェルトは見やった。
「どうにかならんか」
「契約を解除してはどうだ」
「それはいかん。魔力をなくしてしまうし、何より、私は既に五百歳を超えている。不老不死をとられてしまったら、その時点で死んでしまうのだ。死にたくはない」
「わがままな奴だな」
「わかっている。だが、どうにかならんか。大人になりたい」
「そのままで最高じゃないですか、パウル」
「うるさい」
 フェルナーとのコントを横目に、ビッテンフェルトは対策を思案していた。久々の呼び出しだ、どうにか解決して、できれば貴重な宝石とやらを無事に手に入れて地獄で自慢したい。
「……より、上位の悪魔に頼ってはどうだ?」
 ビッテンフェルトがそう言った。フェルナーが眉間に皺を寄せ、オーベルシュタインはにわかに興味を引かれた様子をみせる。
「誰を?」
「……ラインハルトさま、という悪魔がおられる。おれたち上級悪魔も畏れ敬う存在だ。彼の力を借りられれば、そいつの契約に上書きする形で、大人の姿になることくらい、造作もなかろう」
「はぁ? こんなことで陛下をおよび奉るだなどと、無礼だと思わないので? 私のかわいいパウルが怒りをかったらどうしてくれる」
 そう言いつつも、フェルナーは目に見えて狼狽していた。その様子を見て、『この手は使えるらしいな』とオーベルシュタインは判断した。
「その者を呼ぶ」
「ええぇ!? やめておきましょうよぉ」
「お前達は帰れ」
「ええぇーーーー!!」
 オーベルシュタインが送還呪文を唱える。悪魔たちが地獄へ送還されはじめた。
「おい、報酬! 上手くいったら、忘れるなよ!?」
 光に包まれながら、ビッテンフェルトはそう言い残すのを忘れなかった。
***
 ラインハルトの召喚は、普通の悪魔の5倍10倍の手順を要した。でてくるときの演出効果も派手だった。
 きらきらと黄金の輝きをこれでもかというくらい放ち、派手なエフェクトとともにやってきた超上級悪魔≪明星のラインハルト≫は、金色の髪をゆらす絶世の美貌の悪魔であった。
「は、は、は……。よくぞ。よくぞ予を呼び出したな、人間よ。我こそは、地獄の帝王、幾千幾万の悪魔たちを統べる者、最強にして常勝の大悪魔、明星のラインハルトである。ちょうど退屈していたところだ。今の予は機嫌がよいのでな、多少サービスしてやっても構わんぞ? 望みはなんだ? 世界か、宇宙か? 予の強大なる圧倒的な力をもって、世界征服とか世界征服とか世界征服を好きなだけ叶えてやるぞ!」
「すみません。せっかくですが、私は、大人の姿にさえしていただければ結構です」
 オーベルシュタインがそう言うと、ラインハルトは目に見えてガッカリした。ゆらめいていた金髪でさえ、しゅんと落ち込んだように急に地面に向かって垂れた。
「なんだ……。ものすごい魔力の波動だったから、きっと、強力なる悪の魔術師が世界征服をたくらみ、いくつもの国を滅ぼし支配するため、予を呼び出したのだろうと、わくわくして来たというのに……」
「なんか……期待させてしまい、申し訳ない……」
 彼があやまると、ラインハルトは手を振った。
「よい。このシステムがよくない。行くまで用件がわからんとは、考えてみれば非常識だ。今度、悪魔の契約機関とかけあい、『召喚の際には用件を簡潔に述べなければならない』を条項に盛り込むよう提案する」
 そういう仕組みになっているのか、と、オーベルシュタインは思った。
「で。なんだ。大人の姿か?」
「はい、陛下」
「うむ。お前は、魔力強化と、不老不死の契約を既に結んでいて……ほう、五百年以上生きているのか。なるほどなるほど」
 言い当てられ、オーベルシュタインはにわかに期待を高めた。とはいえ、期待しすぎないようにした。
 ラインハルトが指先を振る。光の粉がそこから生じ、オーベルシュタインを包んだ。
『ぴぴる☆ぴるぴる☆ぴぴるぴー』
 それは呪文ですか? と、問いかける間もなく、オーベルシュタインの体が光に包まれる。
 次の瞬間、彼は、大人の男性の姿に変わっていた。
「服もサービスでサイズアップしてやったぞ。これでよいか」
「……最高です。我が君」
「ははっ。お安いご用だ」
「どうぞ、対価をご査収下さい」
「ふむ。予を満足させる生け贄があるのだろうな?」
 これは、悪魔召喚において重要なことであった。召喚者は、悪魔が願いを叶えてくれたら、必ず、相手の欲しがる何かを生け贄として捧げなければならない。
 これに失敗すると、なんらかの恐るべきペナルティが術者に訪れるという。
「こちらでいかがでしょう」
 オーベルシュタインが示したものは、大きなテーブルいっぱいに積み上げられた、アプフェル・シュトゥルーデル、フランクフルター・クランツなどなど――手作り系スイーツの美味しいお店の評判アイテムである。
 過去の文献によると、こういったものが、悪魔の皇帝ラインハルトの好物だという。
 ラインハルトが、冷たい蒼氷色の瞳を細めた。
 彼が光に包まれた。スイーツの山たちも、彼と一緒に光に包まれた。そして、彼とスイーツがみんな消え去った。無事に送還されたようである。

 後日、ビッテンフェルトにも報酬が送られた。それは、天然では滅多に出土しない貴重な宝石――と、まったく同じ構成である、安価な人工宝石であった。
 人間の技術の進歩状況をよく知らないビッテンフェルトは、天然石としての希少さの情報から価値を誤認し、大喜びで周囲の悪魔に自慢して回ったという。喜びは、お気に入りの少年を成人にされてしまったフェルナーが、嫌がらせで真実をほのめかして回り、それがビッテンフェルト本人に伝わるまでは続いた。
 だが、成人になったらこれはこれで、フェルナーの性癖にオーベルシュタインは合う様子であった。

Ende