泥酔

「閣下は酒にお強いのですな」
 オーベルシュタインが何杯か目のウイスキーを口に運ぶのを眺めつつ、フェルナーが言った。彼自身もいくらか杯を空けてはいたが、部下にやたら飲ませたがる相手ではないので、気楽に自分のペースで飲んでいる。
 総参謀長の側近めいた役所を得、今後、長く付き合うのであれば――あるいは短かったとしても、彼の為人を知っておくほうが良いだろうとフェルナーは考え、『親睦を深めませんか』と飲みに誘った。
 酒が入れば少しは鉄面皮の内側も見えるかと期待していたのだが、結構な量の酒を(特に勧められるでもなく自発的に)総参謀長が飲み下した後も、彼の表情はやはり仮面のごとく動かず、声のトーンには抑揚がなく、話す内容は正論と事実、真面目な意見のみで構成されていた。
(総参謀長だけ紅茶を飲んでいる訳ではないよな)
 おもわずそう疑うほど、オーベルシュタインにはアルコールの気配がなかった。青白い顔色は少しも明るくならず、表情は涼しいというより氷を思わせる。油断や隙というものは、この総参謀長を自ら避けて通るのかもしれない、とすら感じられた。
 オーベルシュタインは杯をまたひとつ空け、グラスをカウンターにコトンと置いた。中の氷がカラン、と澄んだ音を立てる。
「そう思うか」
「ええ」
 ほとんど空になったボトルにちらりと視線をなげつつ、フェルナーが同意する。入店時に開栓されたそのウイスキーは、総参謀長が注文し、そして、彼がひとりでずっと飲んでいたものである。ボトルやグラスからは、蒸留酒の芳醇な香りが確かに漂っていた。
「水がわりに飲める度数ではなさそうですのに」
「人と飲まぬから、わからんな……。確かに、酒で『酔った』という覚えがない」
 あやうく舌打ちをしかけたが、フェルナーはどうにか抑えた。
(とんでもないザルだな。これでは、酒で本性を引き出す作戦は無謀……むしろ、おれが潰れる方が早そうだ)
「うらやましいですな。飲んだ後に上官に呼び出されても平気でしょう」
「臭いはつく。アルコール臭をさせてまみえるなど、無礼きわまりない」
 総参謀長に呼び出されるかもしれないときは、酒を飲まないようにしよう、と、フェルナーは密かに心中へ書き留めた。
「しかし、閣下が泥酔なさることはない……ということですな。周囲にとっては良いことですが、少々退屈ではございませんか? 決して『酔う』ことがない、とは」
「さあな。あるいは、常に『酔って』いるのかもしれぬ」
 オーベルシュタインの答えを理解できず、フェルナーは首をかしげた。
 そうした部下の様子を気に留めることなく、総参謀長は、ボトルの底に残った液体をすべてグラスに注ぎ込んだ。小さくなった氷の上に琥珀色の液がたぱたぱとかかり、グラスの底にたまっていく。
 ボトルを置いた後、グラスを片手で持ち上げ、カラカラと音を立てて揺らす。琥珀色をした表面に、相変わらず鉄面皮のままの彼の顔が映し出されていた。
「深く深く、決して醒めることなく。……正気の沙汰とは思えぬことばかりして」
 彼がグラスの縁に口を付け、薄い唇の隙間に琥珀を注ぎ込む。液体が静かに彼の中へ入っていき、そしてまた杯は空になった。とうとう、ウイスキーを丸ひと瓶、飲み干してしまったのである。
 それでもなお、オーベルシュタインの顔色は変わらなかった。
「それで、『これ』はあとどれくらい続けるのか」
「……では、本日はお開きにいたしましょう」
 フェルナーが『降参』とばかりに応じる。青白いままの上官とは異なり、彼の顔色はほのかに朱が差し始めていた。一晩でボトルを空けるつもりは、彼にはない。
「うむ」
「もっと、閣下の本音を伺いたかったのですが、いたしかたございません。またの機会に期待いたしましょう」
「『本音』だと?」
 総参謀長が片眉をあげて聞き返すと、フェルナーは頷いた。
「ええ。普段、私欲など何処吹く風といった様子で、ストイックに働いておられる総参謀長閣下は、一体、どのような本性を内に抱いているのかと」
「私はいつも私欲でしか動かないし、本心を隠してもいないが」
 オーベルシュタインの衝撃的な告白を聞き、フェルナーは固まった。
「え……」
 フェルナーに構うことなく、(上官たる義務と考えてか)さっさと二人分の支払いを彼が済ませる。少し遅れて、フェルナーは「ありがとうございます」と礼を述べた。
「そのせいか、誰かと飲む機会もこれまで無かった」
 帰り際、彼はそう言い残した。その後、それぞれ自動運転車を呼び、各々の帰路に別れた。

「……あれはもしや、『誘ってくれて有難う』という意味か!?」
 帰路を半分ほど一人で走ったあと、フェルナーは唐突に気づいた。

      ***

「昨日は、お付き合いありがとうございました」
 翌朝、元帥府にてフェルナーがそう挨拶すると、総参謀長は何故か、ふしぎそうに首をかしげた。
「昨日?」
「ええ。昨日、飲みにお付き合い頂いて」
「ああ……」
 オーベルシュタインが何やら考えにふける。それを見て、フェルナーも首をかしげた。
「なにか?」
「いや。少し、飲み過ぎたらしいな。店に行った所までは思い出せるが、その後を覚えていない。……卿に、何か粗相をしたか?」
「えっ!? あ、いえ。なにも問題ございませんでした」
「私は、どう帰ったのだったか……」
「それぞれ自動運転車に乗り、問題なく帰宅したかと」
「そうか」

「……どっちなんだ!!」
 総参謀長と離れたあと、フェルナーは一人でツッコんでいた。

Ende