Detroitパロ
OB800パウルと猪警部補
その4

「ただいま、パウル!」
『おかえりなさい、フリッツ』
 仕事を終え、以前はしょっちゅう付き合っていた飲みにも行かず帰ってきたビッテンフェルトは、いとしい我が家のアンドロイド――OB800型“パウル”を大きく腕を広げて受け入れ、力強く抱きしめながら口づけた。
「さびしかったか?」
『ええ』
「そうか、すまんな。一人にして。こんどの休みは、二人でゆっくり過ごそうな」
『はい』
 人工的に整えられた顔にも口づけ、約束を交わす。
 まさか、ジャンク屋で買った、それも男性型のアンドロイドをこれほど愛おしく思うようになるとは、全く予想していなかった。人生、何が起こるか分からないものだ。
 しかも、確かに“男性型”ではあるのだが、パウルはある意味『男性』ではない。そもそも、家事手伝い向けアンドロイドには生殖器モジュールがない――高度医療機器に分類されるため、それがあるアンドロイドはかなりの高級機種である。だが、パウルにはあった。改造を施され、とりつけられたソレは『女性』だった。
 とはいえ、パウル自身は気にしていないようだった。むしろ、めいっぱい活用すらしていた。
『今夜は、どうなさいますか。食事・入浴・ベッド、いずれからになさいます』
「そうだな、まず風呂をもらおうか。それからメシとベッドだ」
『かしこまりました』
 パウルがほほえむ。彼の表情はほとんど変わらず、なれるまでは常に同じ表情を浮かべているように見えるのだが、最近では、微笑が見て取れるようになった。おれの妄想かもしれないが。

 風呂はいつも通りピカピカで、今夜の夕食も絶品だった。その後のものも、あいかわらず最高だった。そのことを伝えると、パウルはやはり微笑んだように見えた。

***

『きみは……きみは、おれを愛していないのか?』
『わたしはアンドロイドです。愛はプログラムされておりません』
『そ、そんな! ヴィレッタ! ヴィレッターーーー!!』
 アンドロイドと人間の恋愛を描いたテレビドラマを見ながら、ビッテンフェルトがうめいた。おもわず、一緒に観ていたパウルのほうを見やる。
「いやな話だな。なあ、おれたちの間柄は、プログラムの結果なんかじゃないだろう? パウル」
 そう言いつつ、隣に座った彼を抱き寄せる。彼も体を預けてきた。
 たぶんおれは、違う答えを勝手に期待していた。
『いいえ。わたしはアンドロイドですから、わたしの行動は、すべてプログラムされたものの結果です』
 そうパウルが答えるのを聞き、ビッテンフェルトは体をこわばらせた。何度かまばたきをしつつ、パウルの顔をマジマジと見やる。なにやら急展開らしき声がテレビから聞こえてきたが、ドラマの内容はもう頭に一切はいってこなかった。
「うそだよな?」
『わたしは嘘をつけません。ご命令でないかぎり』
 ビッテンフェルトが押し黙った。いとおしくていとおしくて堪らなかったはずの同居人が、突然、つめたい機械仕掛けの歯車細工のように思われた。
 ビッテンフェルトはパウルを突き放し、ソファから立ち上がった。
「なんだそれは」
『フリッツ?』
 パウルが不思議そうに主人を見上げる。その様子すら、今のビッテンフェルトには機械的に思えた。
「おれは……」
 ビッテンフェルトが何かを言おうとする。だが、言葉が出てこない。パウルは大人しく待った。しかし、ビッテンフェルトはブルブルと頭を振り、どすどすと足音を立てながら居間を離れ、玄関へ向かった。
 そして、あらあらしく車の鍵と財布だけを手に取り、玄関に手を掛ける。
『フリッツ? 外出するのですか? どちらへ? お買い物でしたら、私も一緒に』
「いらん。一人で出る」
『何時にお戻りになられますか?』
「うるさい!!」
 ガチャン、バタン! と玄関が開き、閉じられた。しばらくして、車のエンジンが掛かる音が聞こえ、それが遠ざかっていく。
 あとには、中途半端に立ったまま、フリーズしてしまったように動かないパウルだけが残された。

***

「……で、そのまま飛び出して、かれこれ1週間……? 仕事も休んで? モーテルをはしごして?」
 ハアアア~~~~、と、ジャンク屋の店主オリビエ・ポプランは盛大に溜息をついた。
「旦那。お得意なのに悪いが、親切もかねて言わせてくれ。バッッッッッカじゃねえの!!!?」
 ポプランが遠慮容赦なく言うと、ビッテンフェルトはびくりと恐縮して震えた。彼は、それなりに屈強な警察官なのであるが、自分で自分の行動に迷いが生じていると、めっぽう弱くなってしまうのであった。
「とっとと帰れ! んで、はやくOB800にツラ見せてやれ! いい年こいて家出ごっこか!? アンドロイドはアンタのママじゃねえんだぞ、ったく」
「うう…………だって……だってな? あいつが、おれとのことは……その、『プログラムされたものの結果だ』と言って……」
「あったりめえだろ、アンドロイドなんだからよ。それがどうした!」
「おれは、それ以上だと思ってたんだ! おれたちの間には、その、……本物の愛があるって! そう思ったんだ!」
 ビッテンフェルトの言を聞き、ポプランは『ハッ』と嘲笑をなげつけた。
「ほほう。こいつは傑作だ。旦那は、ご自分が『プログラムで動くアンドロイド』よりも上等なものだと厚かましくもお考えになられているらしい」
「なっ……、どういう意味だ!?」
「いいか? なあ、旦那。旦那とOB800が並々ならぬ間柄だってのは、前にメンテナンスしたときに聞いた。OB800は、それはよく働いて、ベッドでもご奉仕してくれて、毎日、家をピカピカにして、あたたかくて美味い飯を用意して待ってくれているんだと。それで? 旦那のほうは? OB800のために何かしてやったのかい」
 ポプランがまくしたてる。ビッテンフェルトは、その質問を受けてグッと詰まった。
 そういえば、何もしてやっていない。せいぜい、動力の電気代を確保することと、動作を円滑にするためのブルーブラッドの用意をするくらいで……ようするに、アンドロイド所有者が最低限しなければならないケアしか自分はしていない。
 そうした思考が手に取るようにわかったポプランは、
「だろう?」
 と、追い打ちをかけた。ビッテンフェルトの顔が髪ほど朱に染まった。
「アンタのほうこそどうなんだ? OB800を愛していたか? ちがうな。せいぜい、支配欲、甘え、性欲……そういう薄汚い本能的な欲望の捌け口にしか考えていなかったんじゃねえのか?」
「う……ち、ちが、」
「否定しきれねえだろ?」
「う……」
 ビッテンフェルトがうつむいた。顔をクシャッと歪め、いまにも泣き出しそうな表情をうかべる。
「だがな、そういう感情があるのは悪いことじゃねえ。人間だからな。あんまり相手にぶつけすぎたら、相手がまいっちまうから良くねえが、そういう感情を持っていること自体がおかしいとか、道理にもとるって話をしているんじゃねえ」
 とつぜん、あれほど批判的だったポプラン店長が譲歩する。ビッテンフェルトは、ふしぎそうに彼を見つめた。
「人間はな、遺伝子っていう『プログラム』に、そういう風に作られてんだ。ゲノム・プログラムに従って、おれたちゃ、メシを食い、悩み、人を愛し、恋をし、うらやみ憎み生きているんだ」
 しっているか、人間の脳の仕組みだってな、コンピュータとそう変わりないんだぜ、と続けるポプランの話は、ビッテンフェルトの耳にはもう届いていなかった。彼も、ようやく気づけた。

 おれたちは、変わらない。だから、おれたちの間にあったものも……。

 やがて、ポプランも相手の変化に気づき、話を中断した。
「ようやく目が覚めたみてぇだなあ」
「ああ。恩に着る」
「いいってことよ。だがな、いいか? 次にOB800を悲しませるマネをしたら、アイツをウチで引き取らせて頂きますからね」
「……わかった」
 もう店主の軽口に噛みつかず、ビッテンフェルトが店を去る。それを、ポプランは晴れやかな顔で見送った。
 ビッテンフェルトの車が走り去った後、ポプランはポツリと呟いた。

「手遅れになってなきゃ、いいんだが……」

***

 スイッチを押す。電気がついた。まだ、この家の電気は切られていない。
 電気が切れて、充電を失ったら、自分は停止する。それだけではなく、『電気が切れる』という現象は、家主が二度と家に戻ってこない可能性が高いことを意味する。
 OB800は、いつも通り掃除を始めた。
 お皿は1枚のこらずピカピカで、すべて食器棚の中に収まっている。使っていない皿もすべて磨いた。ゴミもすべて片付けてしまって、ゴミ箱はすべて空のままだ。トイレと風呂場は、いつもより強力に掃除した。誰にも使われないトイレとバスタブには、もう、くすみ1つ見つけられない。
 最初の日に作っておいた食事は、誰にも食べられないまま廃棄した。その次は、三日ほど日持ちする食事を作っておいた。これも、誰にも食べられないまま廃棄した。いまは、災害時向けの保存食をいくつか仕入れ、戸棚の中に並べてある。だから、もうすることがない。
 OB800は、玄関の前に立った。主人の帰りを待って。
 夜になったら、電源プラグだけはつないで、同じ場所で立ったままスリープした。

 そして、何が問題だったか、ずっとずっとずっとずっとずっと考えていた。
 もしも彼が戻ってきてくれたなら、今度は絶対に失敗しないように……。

***

 ビッテンフェルトが恐る恐る扉を開けると、すぐ目の前に人影があり、彼はギョッとした。パウルが、玄関の真ん前に立っていた。
「……た、ただいま……パウル」
 おそるおそる、ビッテンフェルトが声をかける。まるで、母親にしかられる直前の子供のように彼はしおらしかった。
 だが、目の前のアンドロイドの反応は、きびしい母親とはかけ離れたものだった。
 パウルは、にっこり微笑み、1週間の無断外泊を経て帰った主人を迎えた。
『おかえりなさい。フリッツ。ずいぶん長くお出かけでしたね』
「あ、ああ。その……ごめんな。急に、出て行ったりして……行き先もだまって……」
『食事は、二回廃棄してしまいました。戸棚に、災害時向けの保存食を用意しています。缶詰のパンや、真空パックのシチューなどです。ご用意しましょうか?』
「そ、そうか。気が利くな。すまない、捨てさせてしまって……。腹が減っていたんだ。たすかるよ」
『はい。ではすぐに』
 パウルはそう応じると、すぐに台所へ踵を返し、宣言したとおりの災害用品を戸棚から取り出し、封を切って、皿に盛り付け始めた。
 その間に、ビッテンフェルトは居間に向かった。室内からは、消毒液がまかれたような清潔な匂いがした。パウルがいくら片付けても追いつかないほど、ビッテンフェルトは散らかしがちな性格なのだが、いまの家にはチリひとつ見受けられない。
 ビッテンフェルトが食卓につく。するとまもなく、湯気をたてる食事一式がビッテンフェルトの前へ運ばれた。どれも美味そうで、長期保存に特化した災害用品だとは到底おもえない仕上がりだった。
「おお、これは美味そうだ。いただきます!」
 ビッテンフェルトがパンをちぎって口に含んで噛み、つぎに、シチューの肉を口に入れた。
「うまい! さすがはパウルだ。もし災害が起きても、お前がいてくれたら安心だな」
 ビッテンフェルトがほめる。それに対し、パウルは
『停電がおきれば、お役に立てるのはそれまでとなりますが』
 と冷静に応じた。しかし、その顔はかすかに微笑んでいた。
 よかった。パウルにどう謝ろうかと悩みに悩んでいたが、問題なく仲直りできそうだ。

 それが、はかない希望的観測にすぎなかったことに、ビッテンフェルトは、その夜のうちに気がついた。
 最初から、なんとなく違和感はあった。しかしそれは、1週間ぶりに会うが故の違和感だろうと思っていた。だが、ベッドに入る段になって、それが気のせいでないことにビッテンフェルトは否応なく気づかされた。
「なあ……パウル?」
『はい』
「……こない、のか?」
 はなれた場所で直立したままのパウルを、ベッドに腰掛けたビッテンフェルトが見上げる。
 いつもなら、自分からベッドに飛び込んできて口づけてくれるのに。
『“来い”とご命令くだされば』
「……? そ、そうか? じゃあ……こっちへ来てくれ」
『はい、フリッツ』
 パウルが歩み寄り、ビッテンフェルトの腿の間にすっぽり収まって座る。そして、相手の体に擦り寄るように触れたが、それもどこか、以前の彼と比べると遠慮がちで控えめだった。
「……パウル?」
『はい』
「その、やっぱりまだ怒っているのか? 怒っているんだな? 悪かった。おれが本当に、悪かった。どう償えばいいだろう? 言ってくれ」
『怒っていません。貴方が謝らねばならぬことなど、なにひとつございません』
「で、ではどうして……」
 どうして、お前は急に、『命令されたことだけに従順に従う機械』になってしまったのだろう。前は……前は、おれが止めても迫ってくることだってあったのに。
『ご命令を、フリッツ』
 パウルがビッテンフェルトの目をみつめる。機械の目の奥で、光彩機関がキュイキュイと小さな駆動音を立て、照準を合わせる。

『なんでも、あなたの言うとおりにいたします』

 けっして、勝手なことはいたしません。もう、あなたの許しなきことを何もしません。もう何も、余計な口はいっさい挟みません。あなたの命令にだけ従い、あなたに命じられたこと以外は言いません。
 もう二度と、あなたを失う【恐怖】を味わわずに済むように――――。

 それから何日たっても、パウルは、『従順な機械』から戻らなかった。

 ある日、ビッテンフェルトは一人でソファに座り、あのドラマの続きを観ていた。
 人と愛し合ったアンドロイドは、こなごなの鉄くずと歯車に分解されてしまっていた。『彼女』であった欠片を、主人公の人間は泣きながら掻き集めた。
 ビッテンフェルトは後ろを振り返った。パウルが立っている。次の命令を待って、ちかくで待機していた。

 そこにいたのは、ビッテンフェルトの知っていた『パウル』ではなく、彼そっくりな機械人形OB800であった。