Eternal Another After
嫉妬色の緑
その3

「あー……その。悪かった。『嫌だ』というのに続けてしまって」
 そっぽを向いてしまったフェルナーにビッテンフェルトが頭を下げる。素っ裸で自分ちのベッドに座って、あれだけ露骨に挑発してきた相手に謝罪しているとは、とんだお笑いぐさだ。
 だが、フェルナーは反応しなかった。
「痛かったか?」
 反応しない。
「急にやりたくなくなったのか?」
 反応しない。
「『つづけたい』という訳ではない、これっきりでいい。だが、理由は教えろ」
 そう言ってみるも、やはり反応がない。
 はあ、と、ビッテンフェルトは溜め息をついた。
(まあよい。何かが気にくわなかったのだろう)
「シャワーつかうか?」
「…………」
「先に浴びるぞ」
「…………」
「居たければここに居て良いし、出て行きたければ帰ってくれても構わん。帰るなら一声くらいはかけてくれよ」
 そう言い残し、ビッテンフェルトはベッドから離れた。
 フェルナーは、やはり、そっぽを向いて寝転んだまま反応しなかった。
***
 シャワーを浴びて戻ると、フェルナーはまだベッドに残っていた。軍服のスラックスとシャツだけ身につけ、ベッド脇に腰掛けている。ビッテンフェルトが近づくと、彼がうつろな目を向けた。
「おれは、オーベルシュタイン閣下の『特別』になりたかった」
『不敬を問わない』という許可を待たず、フェルナーはそう説明を始めた。もしも説明してくれるなら許可するつもりであったので、ビッテンフェルトは無視した。そもそも、今は職務中というわけでもない。
「ん」
 相づちを返し、ガウンを着たビッテンフェルトは、ベッドちかくのソファに腰掛けた。ぬれたオレンジの頭にタオルをかぶせ、話に耳を傾けつつ拭く。あまり注視されるより、このくらいの方が話しやすいためである。
「でも、なれなかった」
「ん? ……おう」
「『特別』なのは、あなただった」
「……うーん? おう」
 疑問符を呈しつつ、ビッテンフェルトはとりあえず話を続けさせた。ぜんぶ聞けば、相手の意図がわかるかもしれない。
「だから嫌だった」
 ガシガシガシガシ、とビッテンフェルトが髪を拭く。話のつづきを待っていた。
 だが、フェルナーの話はそこで終わったらしかった。ビッテンフェルトが眉をあげ、ぐるっとフェルナーの方を向く。
「おい。話はそれで終わりか?」
「ええ」
「ぜんぜん意味がわからんぞ。まず、なぜ卿がオーベルシュタインの『特別』ではないのだ。卿にとって『特別』とはなんだ?」
 そう尋ね返され、フェルナーは答えに詰まった。自分は、何をもって『特別』と思っているのか?
「『特別』……とは……他と、替えがきかない……」
「きかんかっただろう、卿は! 何をいっている」
 当然、とばかりに言い放たれ、フェルナーが目を白黒させた。
「仕事上の話でしょう」
「おうとも。オーベルシュタインにとって命よりも大事な『仕事』において、卿は替えがきかない。これを特別と言わずして何を言う? 仕事上の話でいうなら、おれなんぞ、奴にとっては何人もいる提督の一人にすぎず、それこそ『替えがきく』人材だったろうよ。意味がわからん。卿は何が言いたい?」
「それはっ、……だって、プライベートは、」
「オーベルシュタインの話をしているのだろう? プライベート? はっ。奴にとって『プライベート』がどれほどの価値を持っていたことやら。『仕事』との間に別のものを5つか6つ挟んで、ようやくランクインしている程度の重要性しかなかったろうよ」
 そう言った後、ビッテンフェルトは突然「あ゛ーーーー!!!!」と雄叫びをあげた。グシャグシャグシャ、と、せっかく整えたオレンジ髪を掻き回す。
 驚いたフェルナーが、ビクリと体を震わせた。
「思い出したら腹が立ってきた!! そうだ! あいつはな! 人間らしい優先順位というものを持たぬのだ! あいつは天才だが大馬鹿野郎だ! いいか、『自分よりも仕事を優先』というのはな、そんなことが絶対にできないという前提でのみ目指していい目標なのだ! 本当にやっちゃいかん! 本当は誰もが自分を最優先に生きていなくてはならん! 自分の面倒は自分でみなくてはならんのだからな! あいつはそれが分かっていなかった! まったくあの野郎は、人の気も知らないでだな!!」
 突然怒りだし、滔々とライムを刻み始める。『彼が自分に対し、軍務尚書嫌いの演技をはじめたのだろうか』とフェルナーは最初うたがった。だが、その疑いはすぐに霧散した。
(これは、本気の振る舞いだ)
 それに、彼にそのような器用な真似ができないことくらい、フェルナーはこれまでの経験でよく理解していた。そんな真似ができるなら、ハイネセンで謹慎させられていない。
 パッ、と、唐突にビッテンフェルトの表情は怒りから笑いに変わった。なにやら、おかしなことを思い出したらしかった。
「そうだ! 少将、卿は知らんだろうがな。卿が来る前のことで、皇帝はいまだ侯爵であらせられた時の話だ。当時の元帥府ではな、とある人事問題があった。何だと思う? オーベルシュタインだ。総参謀長オーベルシュタインの副官がまったく決まらなかった! 当時のローエングラム候はよく、キルヒアイスと一緒に頭を抱えていたという。無しにする訳にはいかん。だが、『これなら』という人材を次から次へと参謀長にあてがってみても、誰も彼も胃痛を発症して、長く保たなかった」
「初めの頃こそ、『何人目の副官がオーベルシュタインと上手くやっていけるようになるか』と提督達で賭けをしていた。だが、五人目が倒れ、七人目が入院し、九人目が行方をくらます頃になると、『こんどの副官はどれだけ保つか』に賭けは変わった」
「卿で、たしか十二人目だった。一番長くに賭けた者――ロイエンタールだったか? でも、三ヶ月でダメになると踏んでいた。だが結局、卿は最期までオーベルシュタインに付き添った。奴よりも長生きした。だから、この賭けも全員負けだな! はっはっは!」
 そう一息にまくし立て、太股を勢いよくパアンと叩く。
 フェルナーが、フフッと笑い声をあげた。自分が笑ったということに、彼自身が驚いた様子だった。
「やっと笑ったか」
 ビッテンフェルトが嬉しそうに言う。その表情は柔らかかった。
 自分を笑わせようとして――? そう思い至ると、フェルナーは不意に羞恥をおぼえ、顔がカアッと熱くなる感覚をおぼえた。
 子供のようにダダをこねていた自分が、突然恥ずかしくなってきた。
「少将、おれはわかったぞ」
 フェルナーの気持ちを知ってか知らずか、ビッテンフェルトはそう言い出した。頬をほんのり赤く染めたフェルナーが、彼に目を向ける。
「卿は、『特別』になりたかったのではない。オーベルシュタインの『恋人』になりたかったのだ。だが卿は、『特別』な、オーベルシュタインの手足だった。奴の手、奴の足、奴の一部そのものだった。同化していたのだ。自分の手足は大事だし、切り落とされる痛みは恋人と別れる程度のレベルではなく、それなりに愛着もあろうが、常日頃から愛でるものではないだろう?」
 ビッテンフェルトにそう説明されると、フェルナーは目から鱗が落ちたように感じた。その説明が、意外にもストンと入ってきたのである。
「そうだ。おれは、卿のしたことを奴に謝られたことがある。『許してやってくれ』とな。身に覚えがあるだろう? そう言われて、おれは許すことにした。考えてみれば妙な話だ。卿は大の大人で、奴の息子ではない。だが、今わかった。卿は、奴の一部だった。自分の手が不意にぶつかってしまったことを謝るように、卿のしたことを奴は謝ったのだ」
「そして、一部だと思っていたのは、奴だけではない。卿もだ。卿も、奴の一部に徹していた。だから、卿は奴の死を耐えがたく感じる。そのうえ、棺の前であんな風に騒いでしまう!」
 また、ビッテンフェルトが怒り始めた。フェルナーがビクリと後ずさる。
「おまえな! あそこに、オーベルシュタインの奴の死霊か何かがいて、別れの挨拶にきていたら、卿の姿を見てどう感じると思う!? あれでは安心して逝けんだろうが、馬鹿者め!」
 そう言われ、フェルナーは身をすくめた。何も言い返せなかった。
 さいわい、ビッテンフェルトはすぐに怒りをおさめた。
「まあ、奴の在り方が卿にそうあることを強いたのだったな。そう考えれば自業自得だ。あいつめ、少しは反省するがよいわ」
 一転し、今度はオーベルシュタインを責め始める。フェルナーは、『この人は何が言いたいのだろう』と考え始めていた。
 誰に味方しているのか、何が言いたいのか、よくわからない。ただ、なぜか、彼の言うことを聞くのは、心地よい気がしてきていた。
「……その、つまりだな」
 ビッテンフェルトが、ふいに思案を始める。おそらく彼も、この一連の話の終着点を模索し始めたのだ。
(噂に違わぬ猪突ぶりだな)
 フェルナーは、あらためて思った。だが、その進む方向がさほど間違っていないという噂も、確かに本当であるらしかった。
「『恋人』でなかったことなど気にするな! 手足に恋ができないのは当たり前のことだし、賭けてもいいが、オーベルシュタインという男は、『恋人』なんぞより自分の手足を大事にする。その『恋人』が特別、自分の手足に匹敵する数の人間を救えるのでなければ、奴は『恋人』を先に切り捨てる。そういう男だ。な?」
「でだ、オーベルシュタインが生きている間、卿は奴の手足だった。奴が死んだ今、卿からすれば、胴体と頭をなくした手足の気分だろう。これは、とんでもない事態だ。普通なら腐るしかないからな」
「だがな、いいか? 卿には、自分の頭がある」
 ビッテンフェルトが、フェルナーの頭を指さした。
「そして、自分の胴体もある」
 フェルナーの胴を指さす。フェルナーがブフォッ、と吹き出して笑った。「おれは真面目だぞ」とビッテンフェルトが咎めた。
「卿には、自分の手足もついている。自分が全部そろっている。オーベルシュタインは死んだが、卿の一部が死んだわけではない。卿には卿がすべて揃っていて、生きている。だから、これからは、一人の卿として生きる道を模索しろ」
 そこで、ビッテンフェルトの話は終わった。フェルナーは、ぼんやりとベッド脇にかけたまま、しばらく何も答えなかった。
 ようやく出てきたのは、次のような台詞だった。
「さっき、『嫌だ』って言った意味ですけれど」
「おう。なんだ」
 フェルナーがニヤリとニヒルな笑みを浮かべ、いたずらっぽく首をかしげる。
「てっきり、巨根だけが強みで、技術は全然だと思っていましたのに、意外にうまくて感じてしまったのが悔しくて嫌でした」
「てめえこのやろう」
 あんまりな言いようにビッテンフェルトが言い返したが、フェルナーの表情が随分あかるくなったのを見て、怒りがそれほど起きないことを自覚していた。
「元帥閣下のご命令とあれば、仕方がありませんね。軍規に則り、少将にすぎない小官は、精進することといたしましょう。……『生きる道の模索』というやつを」
 もったいぶった口調でそう言いつつ、フェルナーが立ち上がった。彼もシャワーを浴びに行くようだ。
 その前に、ソファに座ったビッテンフェルトにくるりと絡みつき、顎を意味深になでながら顔を寄せて囁いた。
「ね。またシてくれます?」
 蠱惑的な言い方で囁かれ、ビッテンフェルトの顔が赤く染まった。
「お、お、おう。いいぞ、その。嫌じゃないんだったら」
「さあて、それはどうでしょう」
 ふいに冷たくあしらい、するりと離れて去って行く。ぽかん、としたビッテンフェルトが後に残された。
「どっちなんだよ!!」
 彼が怒りに叫ぶ。
 フェルナーはそれを聞き、ふふふふと笑いながら湯浴みに去った。