さらば、遠き日 参謀長side

 最悪の事態はまぬがれた。だが、事態はその次に最悪といったところか。

 ガイエスブルク要塞・勝利の式典の場にして、最悪の次に最悪な悲劇の現場にもなった場所に引きこもったきりとなってしまった金髪の若者を思い描きつつ、オーベルシュタインは一人、対策を思考していた。
 これはなにも彼一人で考えねばならぬ問題ではなかったが、オーベルシュタインには、積極的に他者と思考を共有する習慣がなかった。
 自分は当然のこと、ここにいる誰にもラインハルト・フォン・ローエングラムの厚い心の壁を通ること叶わぬ。こうした役割をすべて担ってきた唯一の軍人は失われた。
 オーベルシュタインはかつて「キルヒアイスばかりを特別扱いしないよう」とラインハルトに進言したことがある。この進言は、「キルヒアイスばかりに依存するな」と言い換えることもできた。属人性は組織の動きを速めるが、同時に組織を脆くもする。結果はこの通り、キルヒアイスが失われると、彼が担った役割を誰にも代替できず、組織の動きは止まってしまった。
 武器を持っていようがいまいが人はいつか死ぬものだし、それが遅いか早いかは誰にも分からない。早めに彼の役割を他の提督達にも分散させておきたかったが、事ここに至っては致し方ない。
 ローエングラム侯を立ち直らせてくださる方は、この宇宙に一人しかいない。ならば、やるべきことは一つだけだ。それでも駄目なら……そうだな、怒らせてみるか。怒れば、冷えた身体に血も巡る。
 やるべきことの検討をつけ終わり、オーベルシュタインは早速行動に移ることにした。まずは、グリューネワルト伯爵夫人――ローエングラム候の姉君にキルヒアイス提督の死を伝え、そして候を立ち直らせて頂くことだ。
 これを誰がやるか? 人好きのしない私が適任だとは思えない。[[rb:高級士官クラブ > ガンルーム]]に集まって話し合っている他の提督たちにも同じ人物に思い至ることはできるだろう。いずれかの提督が代表するなら、それに便乗するか。
 しかし、提督たちは何もする気がないようだった。まず監視カメラ映像を早回しで確認し、彼らの会議の行方を見守っていたオーベルシュタインは少なからず落胆した。
 伯爵夫人の名は挙がった。だが『それだけでらちがあかないかもしれない』などと渋り、結局誰も行動を起こさぬらしい。
 そうこうしている内にロイエンタール提督の名指しを受けたため、オーベルシュタインは諦めて姿を現わすことにした。移動まぎわに「奴の知恵を借りねばならんのか」とミッターマイヤー提督が応じる声を耳にし、『嫌なら今の案を実行すればよかろう』とオーベルシュタインは内心で皮肉った。
 だが、面倒事を押しつけ合ってばかりいては永遠に進まない。ここは自分が動き、突破口を開くとしよう。幸い、それでも動かぬ無能ぞろいではあるまい。
 オーベルシュタインは「卿らの討議も長いわりになかなか結論がでない」と皮肉をひとつぶつけるのみに留め、一番彼らがいやがる仕事を引き受ける代わりに、提督たちへリヒテンラーデ公の確保を任せた。ミッターマイヤー提督の苦言にすべて答え、『権力はそれを獲得した手段によってではなく、それをいかに行使したかによって正当化される』と述べると、提督たちはオーベルシュタインの策をもちいる決断をくだした。
 彼らを見送ったのち、オーベルシュタインは次の仕事にとりかかった。

***

 カメラを通じて確認すると、ラインハルトは最後に見た場所でそのままうずくまっていた。あのまま浅い眠りと覚醒を行き来しているらしい。さぞ夢見が悪いだろう、とオーベルシュタインは想像した。
 あそこから立ち上がり、ふたたび前へ進んで頂かねばならない。帝国すべての民のため、私自身の願いのため、候ご自身のため、そして、亡くなったキルヒアイス提督のためにも。
 オーベルシュタインは内部に立ち入り、ラインハルトの背後に立った。まだ眠りから覚めないのか、金髪の若者は反応しない。
「閣下、オーベルシュタインです。帝都オーディンよりの超光速通信がはいっておりますが……」
 ラインハルトはピクリとも動かず、彼らしくない、感情と生気にかける声で応じた。
「誰からだ」
「姉君グリューネワルト伯爵夫人からでございます」
 何日も身じろぎしなかったラインハルトが、それを聞いて突如動き出した。怒りが彼に血を巡らせ、情動が彼を突き動かしたらしい。彼に蹴飛ばされた椅子がガシャンと音を立てて倒れる。蒼い眼に業火が燃え上がる。
「きさま、しゃべったな。キルヒアイスのことを姉上にしゃべったな!」
 猛将ビッテンフェルトをすっかり震え上がらせるより遙かに激しい怒号が参謀長へまっすぐぶつかったが、オーベルシュタインは露ほども恐れを見せなかった。ビッテンフェルトと異なり、彼にはキルヒアイスに劣らぬ洞察力が備わっている。相手の怒りが本当のところ彼自身に向いているということに、オーベルシュタインは気づいていた。本当のところ、『キルヒアイスのことを姉上にしゃべれない自分自身のこと』をこそ怒っているのだ。
 彼にはそれをいちいち指摘するつもりもなかった。
「申しあげました、先刻の超光速通信で」
「よくも、よけいなことを」
「ですが、まさか、一生お隠しになることもかないますまい」
「うるさい!」
 子供のようにラインハルトがわめく。とはいえ、オーベルシュタインの側に怒りはなかった。彼が仕えた他の誰よりラインハルトはすぐれた上官であるし、二回り以上年上のくせに同じようなわめき方をした者も珍しくない。それに、十五も下の若者が幼く見えることを許容できぬなら、年甲斐がないのはこちらのほうだ。
 しかし、彼にはここから動いて貰わねばならない。
「こわいのですか、姉君が」
「なんだと……」
 ラインハルトが怒りに震えたが、眼の炎は怯えに震えた。子供あつかいされて怒らぬ成人はそういない。だが、彼にとって姉は『神聖不可侵』なのだ。しばしば皇帝に冠されラインハルト自身が蔑んできたその形容は、彼にとって姉に冠されるものなのだ。
 それでも立ち向かって頂かねばならない。彼が何よりも恐れ愛するものに。
「でないのなら、お会いください」
『まったくその通りである』ことを無視し、オーベルシュタインは煽った。
「閣下、私はあなたをまだ見放してはいません。ご自分をお責めになるだけで、私に責任をおしつけようとなさらないのはごりっぱです」
 気休めにもならないのは承知の上で、皮肉を言う機会のほうがずっと多い自分の脳から捻り出せる限りの励ましも言ってみる。
 せめて、この部分だけでも提督のだれかが担ってくれれば良かったのだが。これもキルヒアイスがナンバー2であった弊害なのか、存外に彼らは候に冷たい。
「ですが、これ以上過去ばかりをごらんになって、未来にたちむかおうとなさらないなら、あなたもそれまでのかただ。宇宙は他人の手に落ちるでしょう。キルヒアイス提督が天上で情けなく思うことでしょうな」
 さらに煽る。誇張ではない。このままラインハルトが動けなければ、先手を打たれたリヒテンラーデ公らは無いとしても、提督のだれかが痺れをきらし、覇道の続きを代わりに担うことを考え始める。オーベルシュタインはああ言ったが、提督たちの能力が均等であるはずもなし、より優れた誰かが他を率いて先頭に立つことは十分考えられる。そうしてラインハルトが排除されたなら、庇って死んだキルヒアイスはさぞ浮かばれぬことだろう。
 新しいナンバー1も、低頭し従うならばオーベルシュタインを用いるかもしれない。だが、もしラインハルトが失脚するのであれば、オーベルシュタインも生き長らえるつもりはなかった。
 自分は人生を賭けた。ラインハルトこそが次の皇帝である。それが誤りであったなら、そのような不見識を抱えてむざむざ生きるつもりはない。殺されるならばそれで良し、そうでなければ自ら死ぬ。
 なんのことはない。劣悪遺伝子排除法にもとづく安楽死、ゼークト提督らと共に受けるはずだったトゥール・ハンマー、生き長らえた先に待っていた処刑ありきの軍法会議――逃れても逃れても私を嘲笑うようについてまわった死の運命が改めて追いかけてくるだけだ。あがいたところで、後ろから捕まるか正面きって受け入れるかが異なるのみ。どうせ結果が同じなら、せめて後者を選ぶ。
 オーベルシュタインはラインハルトの影となることを申し出たが、ラインハルトの輝きは、あらゆる闇を消し去りそうなほど強かった。少なくとも、オーベルシュタインを追う死神は、その光を恐れて追ってこなくなったらしい。
 無論、そのような世迷い言を彼は死んでも口にしたくなかった。しかし、ラインハルトがまだ動かなければ……考えただけでも羞恥で死にそうだが言うだけ言ってみるかと考えていた。あとで後悔しながら死ぬよりは、全てやり切ってから死ぬ方がいい。
 幸い、金髪の若者は激しい怒気を発しながら荒々しい足取りで歩き出し、姉が待つ通信室へ向かっていった。表情を微動だにせずそれを見送ったオーベルシュタインは、実のところホッとした。

 このときのオーベルシュタインの行動は、まさに歴史の分岐点を新王朝へ向かって曲がらせたわけだが、彼の行動を讃えた者は後世になるまで無く、また、彼自身も存命の間いちども求めなかったとされる。
 しかし、殉職した親友ジークフリート・キルヒアイスに次ぐ異例の速度で特進され、新王朝成立の折には元帥の地位を与えられたという事実には、オーベルシュタインに対して直接いいあらわせなかった(言ったところで「不要」だの「適切でない」だのと批判されたかもしれない)ラインハルトの感謝の意が含まれていたのかもしれない。

Ende