オーベルシュタインの娘:外伝
フェリックスとアレクの話

 華麗にして秀麗、神の最高傑作の如き比類なき美貌を備え、戦争の天才でもあった獅子帝ラインハルトの崩御より、10年。新帝国暦13年を迎えた銀河帝国、大都市惑星オーディンの中心部にある獅子幼年学校の中庭を、1人の男子学生が歩いていた。
 日の光を浴び、太陽そのものであるかのように輝く金髪。白皙の肌。美の女神の寵愛を一身に受けたかのような、麗しい顔立ち。少しだけ、暗い様子の蒼氷色アイス・ブルーの瞳。
 幼年学校1年生10歳の皇帝──アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムが中庭の銅像の前に止まった。他の学生ならば有り得ないことに、少し恨みがましそうな目をして銅像を見上げている。
 彼の父親を象ったその銅像は、右腕を真っ直ぐ前に突き出し、何か叫んでいるかのように口を大きく開いている。多分、総旗艦ブリュンヒルトの艦橋で「撃てファイエル!」の大号令を発した瞬間をとらえたものだろう。もっとも、それを直接聞く機会も、見る機会も自分にはなかったが。
 だが、彼の父親がどれほど天才的で、いかにその戦略戦術とカリスマが優れていたかなら、かれこれ百万回は聞いている。……自分にそうあってほしい、と、時には明言され、時には暗に要求されながら。

「学校では…貴方の銅像を見て過ごさねばならぬのか、父上ファーター

 誰にも聞こえないよう小さな声でアレクは呟いた。彼は一見、見通しのいい庭に1人で居るように見える。だが実際には、唯一の皇位継承者である彼を護るため、数多くの監視と護衛が彼を見守っていた。

 初夏の日差しが芝生の緑を照らし、きらめかせる季節の都市惑星オーディン。その中心部を外れた郊外。気温は高くなってきたが、暑いという程でもなく、快適な初夏の気候の中で雑踏に混ざり、昼日中ひるひなかの街を2人の少年が歩いていた。
 先導する少年は短く整えられた黒髪と、サファイアのような深い青の瞳を持っている。彼の後に続く少年のほうは、ベレー帽の隙間から僅かに輝きを見せる金髪と、透き通るような白皙の肌と、文学少年めいた厚い額縁のメガネフレームの奥に、蒼氷色の瞳とを持っていた。

「良い天気だ。こんな日に教室に引きこもって授業を受けるなど、まったく馬鹿げている。そうだよな?アレク」

 黒髪の少年がベレー帽の少年の呼び名を口にすると、彼はビクリと身を震わせ、キョロキョロと辺りを見回した。

「…名前はよせ、誰かに聞かれたらどうする」
「心配するな。珍しい名前じゃあないよ。なにせ、有名人の名前は、どこの親もこぞってつける。この街にも同じ名前の子がいるに違いない」

 彼の言い分を聞き、アレクは少し緊張を緩めた。確かに“ラインハルトくん”や“ヒルデガルドちゃん”が帝国に何人生まれているかを考えれば、自分の名前はそう珍しくもないかもしれない。

「見ろ、美味そうなジェラートが売っている。一緒に食べよう、友よ」
「…本当だ。そうしよう」

 2人はアイスクリーム・パーラーに近づき、店員の男性に注文を伝えた。アレクは「正体がばれるかも」という不安を無理矢理にでも頭から追い出し、ベレー帽と伊達メガネだけで変装したに過ぎない自分の顔を堂々と上げて話した。下手にマスクまで着けたり、オドオドと目を伏せたりすると、かえって正体を勘ぐられることになる。そう、彼の黒髪の親友・フェリックスにアドバイスを受けていた為だ。
 彼のアドバイスの甲斐あってか、店員は些かも不信に思った様子を見せず、2人にジェラートを差し出して代金を受け取った。2人はジェラートに口をつけ、冷たい甘さに顔をほころばせながら歩みを進めていった。
 しばらくして、人気のない公園のベンチを見つけた2人は、そこへ座ってジェラートを楽しむことにした。

「……それにしても、昼間っからあの幼年学校の警備を抜けて、誰に咎められるでもなく出歩けるとは。お前は警備の穴を突く天才だな」

 黒髪の少年が、彼の金髪の親友をそう評した。金髪の少年は、その言葉にニヤリとしてみせた。

「あの程度、王宮に比べればザルみたいなものだ。もっとも、これがバレれば強化されることになるだろう。しかし、そこで更に抜け出してみせるのが、また面白い。……オーベルシュタインが見ていても逃げられれば完璧なのだが。奴がいるときは、きまって抜け出す先に奴の部下が待っている。どうなっておるのだ。奴の義眼には、私の選ぶ逃げ道が見えるのか」
「ははは!お前は警備の隙を突く『常勝の天才』を狙うわけか?」
「『魔術師』と呼んでくれてもかまわないぞ。ヤン・ウェンリーとおそろいだ」

 それを聞いて、フェリックスは更に笑い声をあげた。アレクも少年らしい笑い声をあげる。アレクにとって、フェリックスの隣は自分らしく笑える数少ない場所だった。
 ふいに、天空から空を切るような断続的な音が響き、2人は目をあげた。見ると、警備から戻ったのか、数隻の艦艇が地上基地へと降り立っているところであった。側面に大きく描かれた、ローエングラム王朝の紋章。
 アレクの顔から笑顔が消えた。

「……もしも突然、戦争が始まることになって、私が父上ファーターのご遺言を守るならば、ブリュンヒルトに乗って戦場に出ていかねばならぬのか?……幼年学校1年生の、10歳の幼い子どもを総司令官席に座らせて、歴戦の帝国元帥たちが従うのか?そんな“がき”の命令で、一隻でも艦が落とされたら、そのたび大勢の人が死ぬのか?……そんなことになったら、みなは納得できるのか」

 そんなことを青ざめた様子で語り始めた親友を見て、フェリックスは崩れ落ちそうな彼を支えるかのように、力強く肩を抱いた。

「まさか。ラインハルトさまとて、完璧ではない。子どものうちのことは考えていなかったとか、ご病気のせいとか言って、元帥たちも見逃してくれるさ。それか、いちおう乗せても、本当に指揮までさせないだろう。そこまではご遺言に入っていなかったし、だいいち、無茶苦茶だ。ヒルデガルドさまだって、おれの父上ファーターだって、そんなばかな真似は絶対に止める。…それに、いけ好かないが、あのオーベルシュタイン元帥も」
「そうか…そうだな。そうだよな。…すまぬ。くだらぬことをゆった」
「気にするな、友よ。おれとお前の仲じゃないか。何でも話してくれ。空をみるのがいやなら、芝生でもみているといい。音が気になるなら、おれが耳を塞いでいてやろうか」
「…ジェラートが食べづらくなるから、耳はいらぬ」

 フェリックスの冗談に苦笑しながら、アレクは答えた。少しは親友の気が晴れたようで、フェリックスはほっとした。まったく、ラインハルトさまときたら、とんでもない遺言を残してくれたものだ。
 ほっとした拍子に、フェリックスは先程の自分の言葉を反芻した。おれの父上ファーター。ズキリ、と頭の奥が痛んだ気がした。おれの大好きな、世界で一番尊敬している……はちみつ色の髪をした、元気なおれの父親。

「どうした、フェリックス」

 アレクの言葉に、フェリックスはハッと我に返り、現実に戻ってきた。見ると、彼の金髪の親友が気遣わしげに自分を見ていた。

「…なんでもない。少し、ぼんやりしていただけだ」
「何か悩んでいるのか」
「そんなこと、」
「話してくれ」
「…アレク…」
「私に話せないことなのか?」
「…いや、お前に話せないことなんてないよ。……わかった…」

 しばらく、フェリックスは深い青の瞳を彷徨わせたのち、ためらいがちに話し始めた。

「…アレク、おれの…おれの父上は、本当はおれの父上ではないのだ…母上も、本当の母上じゃない。ハインリッヒ兄さんと同じで、おれも義理の子どもだ。……だが……」

 また、しばらく沈黙が続いた。アレクは、彼の親友を急かすことなく、辛抱強く続きを待った。少し経って、フェリックスが再び口を開いた。

「……おれは、叛逆者の子どもだ。ラインハルトさまに刃向かい、宇宙を自分のものにしようとした、最初の三元帥の1人…オスカー・フォン・ロイエンタールの息子なんだ。ぐうぜん、王宮にいたときに、大きな商社の奥さんたちが話しているのをきいた…。彼は、独身だったし、子どももいなかったことになっている。でも…でも、肖像が…残っていた肖像を、みたら…おれと、おれとそっくりだった。よく似ていた。ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥よりも、よっぽど……気になっていたんだ。おれは、父上にも母上にも、ちっとも似ていなかったから…」

 そう言うと、常は気丈で、不敵な様子のフェリックスの目から、涙が溢れてきた。アレクは、ポケットからハンカチをだして、彼の整った顔から雫を拭いてやった。拭われながら、嗚咽を洩らし、彼は続けた。

「……教えてくれなかった。今も、そうだ…教えてくれない。ハインリッヒ兄さんも、誰も……なぜ?知っているはずなのに。…皆、影でああやってわらっているのか。叛逆者の子どものくせに、なんにも知らず、帝国一番の忠臣の息子だというツラをしていると…言っているのかな…」

 いつになく弱々しいフェリックスの様子をみて、アレクは心を痛めた。彼は、彼の黒髪の親友が、養子の兄と、両親をとても大事に想っていることを知っていた。表裏のない快活な為人ひととなりの彼の父親のことも、穏やかで優しい彼の母親のことも、アレクとて好意的に思っている。彼らが本当の両親ではないと、突然、赤の他人の噂話から知ることになるとは、どれ程つらいことだろう。
 彼とは別の意味で、ある種同じように、父親を強く意識しなければならないアレクには、フェリックスの境遇がよくわかるように思われた。

「……フェリックス。お前の親が誰かは分からなくても、私はお前が誰かを知っている。お前は、私の大切な親友だ。それは、誰が本当の親だったとしても、変わることはない。そのことは、覚えていておいてほしい」

 そう告げると、アレクはフェリックスの首に腕を回して、ギュッと抱きしめた。慰めるように、彼の背中を優しく撫でる。すると、彼がフッと緊張を緩めたように感じた。
「…ありがとう、アレク…」

 フェリックスは、それだけをやっと口にした。
 アレクサンデルは、フェリックスにとって唯一心を許せる半身同然のフロイントである。
 フェリックスは、アレクサンデルにとって最も心を許せる一番のフロイントである。
 細い1本の糸をピンと張り、その上を綱渡りするかのように、それぞれが不安なきもちを抱えた2人の少年。彼らは、まだ辛うじて支え合って立っていた。だが、もしどちらかの糸が切れてしまったら。もし、どちらかが倒れ込んでしまったら。
 もろく壊れやすそうで、それでいて何処までも深い、彼らの友誼ゆうぎの絆がこの先どうなるかは、誰にも分からなかった。