思い出せない友人

 オーベルシュタイン家の幼い令息パウルは、ある時期、首都オーディンの実家を離れ、病気の母親とともに療養先の辺境惑星へ滞在していた。惑星にある村の片隅に空き屋敷があったので、それを買い取り、使用人ともども暮らしたのである。
 その惑星は、豊かな美しい森で表面積のほとんどを覆われており、わずかな人工地域も古き良き農村となっている。首都星オーディンより遙か遠くに位置するその星では、保養先としての事業収入のほか、自給自足のための酪農と畑作によって僅かな村人達の生活が支えられていた。
 オーベルシュタインの母親は、床に伏せったきりで屋敷を出ることがなかった。村に来るのは、世話をする使用人たちである。同じ平民であり、貴重な収入源となる買い出しをしてくれる彼らに対し、村人たちは好意的な態度をとった。
 しかし、貴族の息子である幼いパウルに対し、同じだけ好意的とはいえなかった。
 オーベルシュタイン家の子供は、横暴な育てられ方をされた訳ではないらしく、突然かんしゃくを起こすような困った令息ではない。だが、あまりにも静かで陰気で、目鼻立ちこそ整っているが、可愛がりたい印象を持たせなかった。
 ろうのように白い肌をして、きれいな服をきた人形のようなパウルは、村人に挨拶されれば会釈くらいは返した。しかし、無言のままジッと見つめてくる姿が、悪魔の取り憑いた子供のような、気味の悪い印象を村人たちに与えていた。
 大人である村人たちはまだ良かったものの、子供たちの態度はそう無害ではなかった。誰よりもよい服を着て、しかも、村人の生涯年収の半分ほどする義眼を普段使いする彼は、安物のケーキすら滅多に食べられない子供たちの羨望の的だった。もちろん、子供たちにそんな知識があるはずもなく、義眼の値段については大人が噂していたことだ。彼らは、大人たちが抱く反感を代理発散していたのである。
 混ざりたさそうに遠目から見つめる彼を、村の子供達は冷ややかに無視した。そのうえ、泥だんごがひとつ彼に投げつけられ、足元にぶつかって飛散し、どろの欠片が彼の靴下を汚した。
 村の大人はとっさに子供をしかりつけ、貴族様の子であるパウルに謝罪した。パウルは「かまいません」と大人びた口調で一言おうじ、それから、陰気な無表情のまま屋敷に戻っていった。
***
「パウル、パウル。村でお友達はできて?」
 ベッドに横になったままの母がたずねてくる。パウルは、弱々しく白い母の手をにぎり、陰気な笑みを貼り付けて応じた。
「はい、母上。ごあいさつにうかがって、遊んでまいりました。村の子供は、泥で遊んでおりました。一緒に遊んだら、ボクの靴下にも泥をつけてしまいました」
 母は力なく微笑んだ。
「まあ、そうなの。わたくしが元気なら、村の皆さんにケーキでも焼いて差し上げるのだけれど」
「はい。元気になられたら、きっとやいてください。母上」
「ええ、パウル。きっと、ほんの少し休めば、すぐ作ってあげられるわ」
 彼らは互いに嘘をついていた。そして、互いにそのことに気づいていた。嘘をつく理由も互いに知っており、嘘をつかれたことを互いに許していた。
***
 ある日、パウルは屋敷のちかくの森へ入っていった。
 使用人は、皆出払ってしまっていた。母は寝かせておく必要があるため、母に遊んで貰うことはできない。そして、村の子供たちとの仲は、進展させるのは難しそうだった。
 この森を抜けたら、他の村でもないだろうか。山小屋のひとつもあって、そこに同じ年頃の子供がいないだろうか。
 子供特有の楽観的な希望を胸に、パウルは鬱蒼とした森の中を歩き進んでいった。
 すると彼は、奇妙な建物をみつけた。目の前に、赤く塗られた木製の不思議な門が立っている。その門を通り、石畳の通路がまっすぐに敷かれていた。
 通路の先には、木でできた家屋のようなものがある。見慣れない形の家だった。正面に、木の格子戸の入口があり、バルコニーのように一段たかい場所がその前にある。入口の前には、大きな鈴のついた太い縄が垂れていた。その下には、何やら木の箱が置かれている。
 それは『神社』であった。神社の境内だった。読書好きだったパウルは、古代の宗教的施設のことを読んで知っていた。神社には、人気がなかったが、荒れ果ててはおらず、神秘的な空気がただよっている。
 そこで彼は、儀礼にのっとり、神の住む家とされるそこを参拝することにした。
 まずは、鳥居の前で一礼する。次に、神の通り道である参道の中心はさけ、石畳の端を通っていく。入手水舎へ行き、両手を清め口をすすぐ。そして、拝殿の前へ進んで一度会釈する。「おこづかいに」と持たされていたマルク硬貨を賽銭箱に数枚いれ、縄を揺らして鈴を鳴らす。神に呼びかける呼び鈴の音は、静かな森の境内でおごそかに響き渡った。縄を離し、二拝、二柏手する。
 ここで、神様への願い事を考える。彼に一番に思いついたのは、目下の課題のことであった。
『ボクに友だちができますように』
 そうすれば、母が安心して喜び、元気になるかもしれない。
 願った後、最後に深く一礼する。
 そのとき、背後から子供たちの笑い声がきこえてきた。パウルが振り向くと、同じ年頃の男女の子供達が十名ばかり集まり、神社の境内を自由にかけまわって歓声をあげている。
 子供達はパウルに気づいた。彼らは、村の子供たちと全く違う表情でパウルを迎えた。
「いっしょに遊びましょう!」
 彼らが口々に誘いかける。
 同じ年頃の親切な子供たちに快く迎え入れられ、パウルは嬉しくなり、久方ぶりに笑顔を浮かべた。見知らぬ子供達の輪にまざり、遠目にしか見たことのなかった童遊びを一緒に楽しむ。
 手をつないで「かごめかごめ」をして遊んだ。境内をかけまわり、鬼ごっこを楽しんだ。かくれんぼをした。缶けりをした。「だるまさんが転んだ」をした。
 一日はあっと言う間に過ぎ、日がくれ、空はオレンジ色に染まった。
「お腹がすいたな」
 パウルが言った。普段、食欲はあまりないのだが、今日はめいいっぱい動いたせいか、お腹がキュルキュルと音を立てていた。
「おかし食べる?」
 子供のひとりがそう言い、ラップに包んだケーキを取り出した。木の実を混ぜて綺麗に焼かれた、美味しそうなケーキだった。
 パウルはそれを食べたく思ったが、申し訳なさそうに首をふった。
「ごめん。ボク、この星の水や食べものが、体に合わなくて。何を食べてもお腹がいたくなるから、ここのものは何も食べられないんだ。でも、ありがとう」
 断ったものの、パウルは礼をいった。大切なお菓子を彼にわけてくれようとする子供など、あの村には一人もいないだろう。
「でも、これを食べたら、ずっと遊んでいられるよ」
「うん。でも、ごめん。お腹がいたくなったら遊べなくなる。それに、もううちへ帰らないと」
「帰るの? どうして? ここならずっと楽しいのに」
「みんなと遊ぶのはすごく楽しい。けど、日がくれるまえにうちへ帰らなきゃ、母上がしんぱいする」
「ははうえ?」
「そう、母上。ボクの母上は、ごびょうきで寝ていらっしゃる。母上は、ボクがいなくなったら、生きてはいけないというんだ。だから、夕食までにちゃんと帰らなきゃいけない」
 もちろん、『門限までに帰れ』という意味で母は言ったわけではなかった。しかし、当時の幼いパウルは、『門限までの帰宅』と『自分がいなければ母親が死んでしまうかもしれないこと』を結びつけて考え、若干の強迫観念をかかえていた。
 パウルがそう説明すると、神社の子供たちは諦めたようだった。
「わかった」「気をつけて帰ってね、パウル」
「うん。ありがとう。またボクと遊んでくれる?」
 パウルが心配そうに尋ねると、子供達は口々に肯定した。
「うん」「もちろん」「また来て、パウル」
 子供達の温かい反応をみて、パウルは安心して笑った。
「うん。また明日、遊びにくる。お弁当とお茶の水筒も持って、また遊びにくるから」
 そう言い残し、パウルは手をふって別れをつげる。
 子供達に手をふられ、「またねー!」「明日もきてねー!」と声をかけられ、何度も後ろを振り返っては手をふりかえし、やっと、鳥居をくぐって境内をあとにした。
(きっと、となりの村があるんだな。こっちの村の子は、みんないじわるだし。あっちに家があったらよかったのに)
 何も知らない当時のパウルは、そう解釈していた。
***
 記憶力のいいパウルは、森の木々を完璧に記憶しており、寸分たりとも迷うことなく森を抜けて、屋敷まで戻ってきた。日が落ち、周囲は暗くなっていた。
「おかえりなさい、パウルさま。どちらで遊んでおいでだったのですか?」
 帰ってきた坊ちゃんにラーベナルト夫人が尋ねる。村へ買い出しに行っていたが、子供たちの間に、彼の姿はなかった。しかし、今の今まで彼は出かけていたらしい。
「森で遊んでいた。友だちができたよ、フラウ」
「まあ。森の友だち……動物ですか?」
「ちがうよ、人間の友だちだよ。となり村の子だと思う。みんな、やさしかった」
「まあ、それはようございましたわね」
 頬にかすかな朱をささせ、血色よく微笑んでいる彼の顔を見て、『どうやら嘘ではないらしい』と夫人は察した。
 彼が、村の子供たちと上手くやれていないことには、夫人も気づいていた。とはいえ、『無理もない』と思っていた。身分違いの友人関係は、双方にかなりの人間的成熟を要する。生活にどれだけ違いがあっても、おごらず嫉妬せずを保つということは、大人であっても至難の業である。それを子供達に強要するなど、そもそも無茶な話なのだ。
 しかし、近くに他の村などあっただろうか?
 不審に思ったが、当の坊ちゃん本人が楽しそうなので、夫人は深く考えなかった。
 夜の報告で、パウルの話を聞かされた母親は笑顔をうかべた。
「あの子にやっと友達ができたのね」
 母子ともども、夫に捨てられるようにして保養先へやってきた彼女には、息子の幸せだけが救いだった。
***
 パウルは毎日森に入り、道を正確にたどり、あの神社へ向かった。神社では、いつでも楽しそうな子供たちが待っていた。パウルは毎日彼らと遊び、毎日「母上が待っているから」と言って日暮れには帰った。
 友人たちは、しばしばケーキなどのお菓子を勧めてきたが、パウルはどれも丁重に断った。この惑星に来たばかりのころ、この星のものを食べ、激しい嘔吐や腹痛に悩まされたパウルは、屋敷で使用人が用意したもの以外、頑として何も口にしなかった。
 彼は、森の友人たちを心から愛し、そこで遊ぶ時間を楽しんでいた。ずっとそこに居たいとすら思っていた。
「あっちには、私たちの村があるのよ」
 一人が、境内の向こう側を指さして言った。そこには鬱蒼と茂る森しか見えなかったが、『やっぱり他の村があるのか』とパウルは納得した。
「遊びにこない?」
 他の一人がそう誘った。しかし、パウルは首を横に振った。『許しなく他の家に訪ねてはいけない』と言われていた。
「ボクの家にこない?」
 逆にパウルも誘ってみたが、子供達は「だめなの」と皆、ことわった。『どこもそうなのか』とパウルは思った。
 とはいえ、神社にとどまり遊ぶ分には、不自由しなかった。
 しかしある日、そんな子供時代にも終わりが訪れた。
「ボクは明日、この星をでる。もうみんなと遊べないんだ」
 心底悲しい顔をして、パウルは友人たちに言った。
 彼は、十歳の誕生日をむかえる。そして、首都星オーディンの幼年学校に入り、父と同じ軍人となるべく、教育を受けることになっていた。
「ずっと皆と遊んでいたいけれど、しかたないんだ」
「そうしたらいいじゃない」「そうだよパウル」「いかないでよ」
 友人たちは口々に言い、彼を引き留めようとした。しかし、パウルは首を横に振った。
「だめだ。ボクがいかなかったら、父上が腹を立てて、母上をいじめるかもしれない。だから、帰らなきゃ」
 パウルが悲しそうに首を横に振って言うと、友人たちも彼を悲しそうにみつめた。
「でもいつか、大人になったら、……母上にボクが必要なくなったら、自由にどこへでも行けるようになったら、またここへ来る。それまでみんな、ボクを覚えていてくれる?」
 パウルが尋ねると、子供達はそれぞれ頷いた。
「もちろん」「早く帰ってきてね」「まってるよパウル」「ぜったい来て」
 親しみいっぱいに、温かく口々に言う。パウルは、嬉しさに微笑んだ。
「ありがとう、みんな。みんなの事、ボクも絶対忘れない」
 パウルは、鳥居をくぐり、神社の境内をあとにした。振り返ったら挫けてしまいそうなので、振り返らず、まっすぐに森の出口を目指して歩いて行った。
 屋敷に戻ると、すでに父親が待ち構えていた。
「遅かったな、パウル。さあ、空港へいくぞ」
「はい、父上」
 両親と共に自動車へ乗り、彼らと荷物が、シャトル発着場へと移動していく。
 パウルは振り返り、車の窓から森を見た。そこに友人達の姿はなかったが、木々のこすれあい鳴るさざめきが、まるで、パウルを惜しんで泣いているようだった。
***
「閣下には、ご友人はおいでですか?」
 フェルナーに尋ねられ、軍務尚書オーベルシュタインは目を上げた。
「あっ。……申し訳ありません。小官としたことが、あまりに酷な質問を」
「しておらん。意外だろうが、私にも友人はいる」
「おや、ようございました。ちっともお見かけしないものですから、てっきり……」
「まあ、無理もない。オーディンやフェザーンにおらぬのは事実だ」
「では、どちらに?」
「幼少の折、療養のため滞在していた辺境の惑星に、幼なじみの友人がいる。幼年学校に入るまでの短い間だったが、よく遊んだ者たちがいた。今頃どうしているだろうか」
 オーベルシュタインのペンがしばし止まり、彼の義眼が遠くをみる。普段、理想をかなえる上での障害になりうる、粛正の対象ばかりを見ているだろう彼の目が、めずらしく、古く懐かしいものを見ているようだった。
「最近お会いに?」
「いいや」
「お手紙は?」
「送ったことも来たこともない。連絡先をお互い知らん」
 それを聞くと、フェルナーが立ち上がった。
「閣下。長らく働きづめでもございますし、この機会にお休みをとられてはいかがでしょう? そして、そのご友人に会いに行かれては?」
 怪訝そうな顔をみやる軍務尚書に、フェルナーは更に言った。
「……ほら、いろいろ、溜まっておいででしょ? 畏れ多いことながら、皇帝陛下や、その他の、その……我々のやっているような書類仕事ですとか、閣下のなさってくださる根回しなんかを見下している提t……皆様との間に、ストレスがおありでは? そういうものをね、仲のよい友人相手に話すと、ずいぶん楽になるものですよ」
 そう勧めるフェルナーの笑みがわざとらしいことが引っかかったが、『友人たちと再会する』という考え自体は悪くない、と、オーベルシュタインは考えた。
「何が目的だ?」
 目を細めて尋ねると、案の定、フェルナーがにわかに狼狽の色をみせる。とはいえ、ワイヤーロープの神経と称されるだけあって、その反応は極小だった。
「まだ信用いただけないので?」
 すねたような調子でフェルナーが聞き返すも、上官の反応は乾いていた。
「卿を特別うたがっているわけではない」
「純粋に、閣下の心身のご健康を願っての進言ですって」
 彼の言を、オーベルシュタインは一単語たりとも信用しなかった。しかし、だからといって指摘するつもりも、容れないつもりもなかった。
「よかろう。何がしたいか知らんが、卿の策にのるとしよう」
「何もございませんて」
「何もなければ、卿にも何事もおこらない」
『何かあるなら覚悟せよ』という裏の言は、察しのよい部下に遅滞なく伝わった。
 それから1ヶ月後、ようやくまとまった休みをとり、オーベルシュタインは、かの星へと旅だった。
 フェルナー相手には消極的な態度をとっていたが、この旅じたいは楽しみだった。ありとあらゆる人間の嘘をみやぶり、偽善と欺瞞でできた世界をいやというほど見てきた彼にとっても、あの星の思い出だけは、いまでも純粋な幸せに輝いているように思えた。
 彼らは、なんという村に住んでいたのだろう? どういう暮らしをしていたのだろう? 今、どうしているのだろう?
『過酷な現実が思い出を壊すかも』という懸念以上に、知りたい、会いたいと思うことができた。
***
 惑星に着いた瞬間、オーベルシュタインは、重大な欠落に思い至った。
 あの友人たちの名前を、だれ一人のものとして、思い出せないのである。
 彼は、額に片手をあてた。いくら記憶をさぐっても、たった一文字ですら彼らの名前が浮かんでこない。こんなことは初めてだった。
 ともあれ、例の隣村を訪ねれば、一人くらいは自分にこころあたりがあるだろう、と、オーベルシュタインは期待した。あの不思議な神社には、1ダースほども大勢子供がいたのだから。いや、もっと多く居たかもしれない。
 だが、予想外の現象にぶつかることになった。
「この星にゃあ、村はいっこしかねぇよぉ」
 村人に尋ねると、意図的に軍人と分りにくい格好で来たオーベルシュタインに対し、なまりのある帝国語で彼らはそう応じた。
 てっきり意地悪されているのかと思い、チップをにぎらせたり、尋ねる相手を変えたり、最後には役場に身分を明かして情報照会を命じたりもしたが、答えは同じだった。
「あんの森にゃ、村のもんははいらね。建物なんが、だぁれも知らねえど」
 そう答えた村人には、いまいましいことに見覚えがあった。たしか、泥をなげてきた少年だ。フレッゲンだかフリーゲだかいう名前だったか。『ロボット野郎』などと悪態をつかれたことを覚えている。
 肝心な友人を思い出せず、こんなどうでも良い人間のことはしっかり覚えているとは。
『もしや、違う惑星に誤って訪れたか』とも疑ったが、村人にも村の道にも見覚えがあるし、何より、オーベルシュタイン家の滞在記録が役場にきちんと残っている。
 こうなればもう、自分で確かめるほかなかった。
 オーベルシュタインは、かつて滞在していた屋敷に向かった。屋敷は、彼ら一家が去ったあと、どこの家にも所有されず、さびれた空き家となって残っていた。
 その裏手には、あの神社があるはずの森が広がっている。
 手荷物には、ミネラル・ウォーターのボトルを少々、それと栄養ブロックを持ち、手帳、コンパス、道しるべ用のマーカーを持っていった。コンパスとマーカーは、この星の文具屋で買いそろえた。
 子供の頃の自分が行って帰れた距離なので、そう遠くも険しくもないとは思われた。だが、オーベルシュタインはいかなる場合も自分を過信しない。樹木にマーカーで印をつけつつ、幼い頃の記憶をたどり、あの神社を目指した。手帳にも、どういった進み方をしたか、簡易的な地図を書きつつ慎重に進む。
 しばらく進むと、オーベルシュタインの目の前に、あの懐かしい神社があらわれた。
 記憶が、どっと蘇る。みんなで毎日、童遊びをして、楽しかった記憶。
 オーベルシュタインは、吸い込まれるように鳥居をくぐり、境内へと入っていった。そこには、人っ子一人いなかった。
 せっかくここに辿り着いたが、この先は知らない。存在しないはずの『隣村』へは、一度も連れて行ってもらったことがなかった。
 社の前まで歩き、賽銭箱を挟んだ向こうにある格子戸を見つめる。あの中は確か『神の住む家』であるため、入ったことがない。
「ただいま」
 彼自身も驚いたことに、そんな台詞が口をついて出てきた。
「パウル」
 ふいに、背後から声がした。まったく気配を感じなかった。ぎょっと驚き、オーベルシュタインが振り返る。
 そこには、一人の男性が立っていた。柔和な笑みを浮かべている。彼を見た瞬間、オーベルシュタインは、友人の顔と名前を思い出した。
「●●●●」
「久しぶりだな」
「ああ。久しぶりだ、本当に」
 彼は、あのオーベルシュタインを相手に笑顔で近づき、親しげな抱擁すらかわした。オーベルシュタインのほうも、それを拒む気配を一切みせなかった。
「なあ、村にこないか? みんな、そこに居る」
 今度の彼は、それを拒む理由をもたなかった。
「ああ。案内してくれ」
 彼がうなずき、手を差し出す。その手をとると、彼が社の裏手に向かい、その奥の森を抜けていった。オーベルシュタインは、彼の案内におとなしくついていく。
『猜疑心の塊』と称されるオーベルシュタインをして、このとき、相手の思惑をまったく疑っていなかった。それが異常事態だということにも、彼自身が気づけていなかった。
 彼にはただ、『友人とふたたび会える喜び』だけがあった。
***
 存在しないはずの隣村は、それほど遠くなかった。
 森がひらけ、空が見渡せるその村には、清流の川が流れ、畑や家屋がいくつか存在していた。のどかな農村で、シャトル発着場から近い村より、道行く村人たちが仲良く和気あいあいとしていた。
「こっち、こっち」
 初めに再会した男性に連れられ、オーベルシュタインが村道を歩いて行く。排他的な最初の村に比べ、こちらの村人たちは友好的だった。
 そのことにも、オーベルシュタインは違和感を抱かなかった。
 彼が連れて行かれた先は、木で出来た素朴な建物で営業している、オリエンタルな酒場だった。そこのメニューの文字は、ミミズがのたくったように書かれていて、読み取れなかった。しかし、友人が「おごる」と申し出て、代わりに注文を済ませたので問題なかった。
 次々に、野菜を煮付けたもの、あえたもの、焼き魚や肉の煮込みなどがテーブルに配膳される。それと同時に、村中から、オーベルシュタインと同じ年頃の男女が集まってきた。
 彼らは、かつて遊んだ友人たちであった。顔も名前もまったく思い出せなかったのに、見た瞬間、オーベルシュタインには『彼らだ』とわかり、名前もすべて思い出せた。
「パウル、きたんだね」「久しぶり」「会いたかったよ」
「ああ、久しぶり。会えて良かった。ここに来る道がわからなくて、会えないのではないかと思っていた」
「よかった」「いらっしゃい」
 口々に歓迎をうけ、抱擁や握手を交わす。これほど他人から歓迎されたことは、オーベルシュタインの人生で一度しかなかった。その一回も、幼少期にこの星の神社で受けたものである。
「パウル。まずは一杯、どう?」
 オーベルシュタインにそう語りかけ、友人の一人が、小さな皿のような食器に透明な酒をそそいだ。それは、朱塗りの杯と、米から作られた清酒であった。
 彼は、それを飲みかけた。ほとんど口につけかけた。だが、やめた。杯は、唇の直前で停止し、テーブルに戻された。
「すまない。実は、この星の水の硬度が、体質にあわんようでね。飲み物も食べ物も、この星のものを口にすると、体調をくずしてしまうのだ。すまない」
『そう何度も言ったはずだが』と、わずかに疑念が彼の頭によぎった。しかし、幼少期はダメでも成人後に克服できる例があるので、それ以上は特に疑問に思わなかった。
 友人達から落胆の声があがる。オーベルシュタインは、この時点ではただ『せっかく用意してくれたのに申し訳ない』とだけ感じていた。
「なあ皆、今は何を?」
 オーベルシュタインが尋ねてみると、友人達の顔は明るく戻り、おのおの、家業を継いだり結婚したりしていると教えてくれた。彼らは皆、自分達の住む村を愛しているようだった。
「私は、軍人などという、罪作りな仕事をしているよ」
 うながされたからか、それとも自分で言い出したかは後で思い出せなくなったが、ともかく、オーベルシュタインも自分の近況を語った。元帥であることは伏せ、仕事の詳細も伏せ、『たんなる一般的な軍人』のように話した。
 話の流れで、彼は、同僚や部下、そして唯一の上司についても説明した。そこそこ裕福な帝国貴族の例外にもれず、彼には多少絵画の心得があったため、持ってきた手帳の空きページをつかい、『提督たち』『部下のF』『上司のL』の似顔絵を描いてみせた。
 友人達は、興味津々で身を乗り出し、それらを見ながら話を聞いていた。
 話が弾み、次から次へと話題が出てくる。いつのまにか、誰にも言ったことのない仕事の愚痴すら、オーベルシュタインは口に出していた。
 友人達との食事に合わせ、手持ちの水と栄養ブロックを食べる。何も無くなったあと、再び空腹を感じ、彼は時間の経過を知った。
「今、何時だ? そろそろ宿に戻らねばならんかもしれん。たしか、夕食の支度を頼んである」
 時計を見ようとしたオーベルシュタインは、手首に何も巻いていないことに気づいた。
(腕時計をつけ忘れた? 木々にひっかけて落としたのだろうか? あとで探さなくては)
 帰る気配をみせたオーベルシュタインに、友人の一人がこう言い放った。
「パウル。お仕事は楽しい?」
 その言葉は、オーベルシュタインをしばし硬直させた。
 彼の脳裏に、走馬灯のように様々な出来事が駆け巡っていた。あやうく不当に処刑されかけ、ローエングラム伯に助命を乞うたこと。300万の無辜の民が住んでいたヴェスターランドが、自分の進言によって、核に焼かれ火の海と化したこと。常勝無敗の彼と共にブリュンヒルトに乗り込み、そろって火球となりかけたこと。
 最後に、ヴェスターランドの生き残りが、皇帝を糾弾する光景が浮かんだ。ラインハルトの顔から自信が消え失せ、傷ついた少年の表情があらわれる。
「楽しくないことも多くあるが、投げ出す訳にはいかない。もしも投げ出してしまったら、私は、自分を許せなくなる。どんなに安楽な生活を送ったとしても、その後悔が魂に刻み込まれ、二度と幸福を感じられまい……」
 酒場が静まりかえった。はた、と、常のように周囲を凍らせてしまったと気づいたオーベルシュタインは、むりやりに多少の作り笑いをしてみせた。
「すまない、急にこんなことを。心配してくれたのだろうに」
「いいのよ」「いいよ」「大丈夫だ」
「ただ、パウルが辛そうだったから、『この村で暮らすのはどう?』って言いたくて」
 そのように言われたオーベルシュタインは、おどろいて両目を軽く見開いた。それから、くすり、と、今度は本当に笑った。
(『来てくれ』と申し出てくれるのは、後にも先にも、きっと彼らだけだろうな)
「ありがとう。とても良い考えだが――彼を、つらい状況に一人置いていくのは、しのびなくてね」
 そう言って、彼が書いた似顔絵の『上司のL』を指さした。
「十五歳も年下でな。関係としては上司だが、歳の離れた弟みたいに思っている。置いていけないよ」
「そっか」「そうなんだ」「今はそうなんだ」
 友人達は残念そうだったが、納得したらしい反応であった。
「そうだ。帰る前に、皆の似顔絵と名前を書かせてくれ。……実は、あんなに遊んだっていうのに、皆の顔も名前も思い出せなかったんだ。普段は、こんなことはないのに。なので、今度は忘れないよう、これに書いておきたい」
 似顔絵を描いた黒革の手帳を示しつつ、オーベルシュタインが言う。すると、友人達は、にわかに狼狽の色を見せ、全員が押し黙ってしまった。
「……なにか、問題が? 私の絵が嫌いか?」
 彼が尋ねると、友人達はそろって首を横にふった。
「ううん」「いいよ」「描いていいよ」
 不思議な反応をいぶかりつつ、許可が出たので、オーベルシュタインは、続く空きページに1ダース強の友人達をすべて描いた。それぞれの顔の下に、名前も書き添える。
「これでいい。これで、皆を二度と忘れずに済む」
 書き終えたオーベルシュタインが目を上げると、和気あいあいとしていた雰囲気が友人達から消え、彼らは、そろって無表情になっていた。
「……すまない。描き方が下手か? それとも何か、似顔絵を描かれてはいけない、村の決まりか何かあるのか?」
「ううん」「ちがうよ」「大丈夫」「上手だよ」
 尋ねられると、彼らはまた笑顔をうかべた。その反応の意味は、このときのオーベルシュタインには見当がつかなかった。
 帰るとき、友人達を代表して、一人が神社まで連れて行ってくれた。神社の境内まで同伴し、鳥居をくぐる手前で別れをつげられる。
「ボクは、ここで帰るね」
「ああ。送ってくれてありがとう」
「元気でね」
「君もな、●●●●」
 少年期のオーベルシュタインは内気で、握手を求めなかったが、大人になった彼は他の人間を真似し、一番親しい友人の一人である彼に手を差し出した。彼は、一瞬ためらったあと、握手に応じてくれた。
 その手の感触は、オーベルシュタインの予想と少しだけ違っていた。しかし、『自分が握手をほぼしないので、感触を忘れただけだろう』と彼は解釈し、気に留めなかった。
「パウル」
 鳥居をくぐる直前、背後から彼が声をかけてきた。オーベルシュタインが振り返る。
「気が変わったら、いつでもボクらの村にきてね」
 オーベルシュタインは、この惑星の外ではまず見せない微笑みをうかべて返した。
「ああ。ありがとう。またな」
 片手をあげて最後の挨拶をかわし、鳥居をくぐり、特に振り返ることもなく、オーベルシュタインはまっすぐに森を出て行った。
 このとき彼は、明日にでもまた水と食料を携え、友人達を訪ねるつもりでいた。ゆっくりできるよう、今度は宿に「夕食は要らない」と申しつけて。
 しかし、そうできなくなる事件が、宿で待っていた。
***
「ああーー!! 閣下! よかった! ご無事でしたか!」
 惑星上では最高級だが安っぽいホテルまで戻ると、ロビーに見慣れた男が待っていた。
「准将。なぜここに?」
「小官も偶然――いえ、すいません。閣下のご友人を拝見したくて、後をつけました。申し訳ございません」
 上官の義眼がギラリと光るのを見て、フェルナーが慌てて訂正する。
「ですが、本当に無事で何よりです。座標が動かなくなったので向かったら、閣下の腕時計が落ちていたものですから」
 そう言うと、フェルナーが時計をひとつ差し出してきた。それは、通信機や位置情報機能も兼ね備えた、オーベルシュタインの時計であった。
「私的な理由で私の座標を把握したことは感心しないが、見つけてくれたことには感謝する。どこに落ちていた?」
 彼から受け取り、ベルトが破損でもしているのか、と確認する。どこにも異常はみられない。首をかしげつつ、オーベルシュタインは元通り時計を左腕に巻いた。
「ええ、それが――何事もなく、本当にようございました。なにせ、ここの人が言うには、時計が落ちていた所のすぐそばの森は、『入らずの森』と呼ばれていて、地元の人間は決して近づかない危険な場所だそうで」
 それを聞き、オーベルシュタインの片眉がピクリとあがった。
「どう危険なのだ?」
「それがですね。怪奇譚めいた話なのですが――人をさらう、特に、子供をさらっていく化け物(ブッチャマン)が出るのだそうで」
 オーベルシュタインは、嫌な予感が脳をかけぬける感覚をおぼえた。
「それは、どういった化け物(ブッチャマン)だ?」
「姿は不定形のようです。『母親のような優しい女性』を見た例も、『親切な子供』を見た例もあり、狙った相手が一番求める姿になると考えられています」
 冷や汗が流れる感触を、オーベルシュタインは確かにおぼえた。
(いや、そんなはずはない)
 自分の中で否定する。幸い、フェルナーには悟られなかった。
「いやあ、小官も『まさか』とは思いましたが、実際、お住まいだった屋敷にも閣下のお姿はなく、森を探索しても何も見当たらず。閣下が宿をとっておられたここで、なす術なく、軽率に旅行をすすめたことを悔いていた次第で」
 頭をかくフェルナーに、オーベルシュタインはフッと笑って返した。
「後をつけたりするから、余計な心労を負う羽目になるのだ。『入らずの森』とは、随分からかわれたな。あの中には、ここと別の村、それと、古代の宗教施設を再現した建物があるだけだ」
「はあ、森の中においでだったのですか」
「ああ。その村に住む友人達に会っていたのだ。森を進むとき、念のため木々にマーカーで印をつけておいたのだが、見落とすとは卿らしくないな」
 そう言われ、フェルナーは肩をすくめた。そんな目立つ手がかりを見落としたなど、調査局長として恥ずかしかった。
「進言については、むしろ礼を言う。私も、隣村の場所を尋ねたら、この村の人間に『そんなものはない』と言われた。よほど、村と村の仲が悪いのだろう」
 はた、と、オーベルシュタインは思いついた。
「そうだ。気苦労をかけた報いに、私が描いた友人の似顔絵を見せてやる。明日、訪ねたければ紹介してもいい。ここと違い、気のいい人間が多いからな。きっと、卿にも……」
 オーベルシュタインは、黒革の手帳を取り出し、ページをパラパラとめくった。提督達や、フェルナーや、ラインハルトの似顔絵を描いたページを過ぎ、友人達を描いたページに辿り着く。
 それを目にして、オーベルシュタインは凍りついた。心臓が跳ね、時間が永遠にとまったような感覚をおぼえる。
 この上官には珍しく、すっかり血の気をひかせて狼狽している様子にフェルナーはまず驚愕し、相手の脇へまわって、手帳に書かれたものを覗き込んだ。
「……なんですか、これ」
 そこには、グチャグチャと黒い線が走らされ、ほとんど全てを塗りつぶされたページがあった。ただそれだけなのだが、いかんともしがたい不気味さをかもしだしている。
「……何に見える?」
「黒いグシャグシャです」
「そうか。私も同じだ。では、こちらは?」
 オーベルシュタインが、前のページをめくってみせる。そこには、フェルナーとラインハルトが描かれていた。
「これは……もしや、小官? こちらは皇帝陛下? 閣下が描かれたのですか! うわっ、お上手ですねえ!」
 あらたな上官の一面を発見し喜ぶフェルナーとは裏腹に、オーベルシュタインの声は、深く沈んで低いままだった。
「そう見えるか」
「見えますとも。いやー、閣下には、小官がこんなに男前に見えておられるのですね」
 フェルナーの上機嫌も、次の一言で消し飛ばされた。
「黒いグシャグシャのところにも、同じように、友人達を描いたはずだった」
 彼が言い放った後、二人は、しばらく無言でロビーに立ち尽くしていた。
 オーベルシュタインが、また元のページをめくる。やはり、黒いグシャグシャしか書かれていない。
「描いたときは、こうではなかった。同じように人間を描いたはずだ。名前も。なのに、」
 そのとき、もう一つ、衝撃的なことに思い至った。
「絵に描けるほど注視した彼らの顔も、わざわざ書き付けた名前も、どうして、もう思い出せないのだ……?」
 彼の手から、手帳がバサリと落ちる。
 数秒後、先に立ち直ったフェルナーがしゃがみ、それを拾い上げた。彼も中を確認してみたが、旅行以前のものと思われる仕事のメモ書き、提督らしき似顔絵、彼と皇帝の似顔絵とつづき、最後に書かれているのはやはり、黒いグシャグシャだった。
「……閣下。そちらの『村』では、何か食物を口にしましたか?」
 ドキリ、と、また心臓がはねた。
「いいや。この星の水が体質に合わなくてな。幼い頃に何度も腹を壊したので、今は、外から取り寄せた水と食品しか口にしない。……それが、どうかしたのか?」
「ええ。その……化け物(ブッチャマン)からの生還率はきわめて低いのですが、それでも、生還した者はおります。彼らの話をもとに、回避方法も口伝されているのですが、その方法というのが――」

化け物(ブッチャマン)から渡されたものを、けっして、何も口にしないこと』

「――だ、そうです。奴が渡す食物、または飲料を口にしてしまったら、帰ってくることはできなくなるのだと」
***
 伝承によると、二人兄弟が遭遇した例がある。
 母親を亡くしたばかりだった二人は、化け物(ブッチャマン)の森に肝試しに入り、母親のように優しげで親切な女性に出会った。彼女は、彼らを自宅に迎え入れてくれ、好物のシチューやケーキを出してもてなしてくれたという。
 兄は、お腹をすかせていたこともあり、ありがたくそれを口にした。弟は、見ず知らずの人間が出したものを警戒し、食べずに兄と女の様子をうかがっていた。
 兄との会話では、女に不審な点を見いだせなかった。強いて言えば、自分にも『食べろ』と妙にしつこく促してくることが、弟の気に掛かっていた。
 問題は、弟が帰ろうとしたときに起きた。兄が、どうしてもそこに泊めてもらうと言い、帰ろうとしないのである。最終的に、弟は兄と喧嘩し、弟だけが家に帰ってきた。
 その後、兄は、二度とみつからなかったという。
***
 オーベルシュタインは、それを聞いたきり、無言になった。ふらりとよろめいたため、フェルナーは慌てて彼をささえ、ロビーのソファに座らせた。
 その後も、上官の視線は中空にとどまり、彼は無言だった。夕食をことわったあとも、「やすみましょう」とフェルナーに部屋へ連れられたときも、オーベルシュタインは上の空だった。
 彼が正気をとりもどしたのは、翌朝のことである。彼はまず、義眼の記録を確認した。義眼は、彼の見聞きした物を常に録画しているためである。義眼を片方だけ外し、腕時計の再生機能を経由して、森の中での記録を確認しようとした。
 すると、森に入った瞬間、『ザーー』という音が響き、映像が砂嵐に変わった。その後、映像が戻ったのは、森を出た所からであった。
 義眼に不調をきたすほどの電磁波に巻き込まれたとき、こういった映像が残ることはある。だが、森でそのような異常を感じた記憶はない。
 次に彼は、元帥の権限を利用し、惑星を上空から確認した。神社はともかく、村の上空は開けていた。上空が見られるということは、空からも村を確認できるということである。
 だが、記録通り、村はひとつしかなかった。『あの村』はどこにもなかった。何事も徹底する性格の彼が、レーダー放射による地形把握を行い、惑星表面を丁寧にすべて走査までしたが、結果は目視と同じだった。
 自分の記憶以外に、『あの村』が存在する証拠はなかった。
***
「信じがたい話だが、私はどうやら、件の化け物(ブッチャマン)に出会っていたらしい」
 宿に戻ったオーベルシュタインは、同じく宿をそこにとったフェルナーと食卓をはさみ、調査の結果を簡潔に報告した。
「それも、昨日だけでなく、幼少の折には、毎日のように出会っていた。そして、毎日生還していたわけだな」
「さすがは閣下、常人にはできないことをなさる」
 フェルナーの応答に、フッと自嘲で応じる。
「人間の友人ができないわけだ。そのうえ、化け物(ブッチャマン)との別れを惜しみ、『必ずまた会いに来る』とまで言った。……卿にとっては、苦労に見合う成果をみた、というところか?」
「予想以上でございました。ある種、閣下らしいといいますか」
 フェルナーが面白そうにそう言うと、オーベルシュタインは小さく溜め息をついた。物憂げな様子をみると、さしもの、神経が太いフェルナーも、気まずそうな様子をしめした。
「あの。もし、閣下がお望みでしたら、恐れながら小官はいつでも『友人』に志願いたしますよ」
 それを聞いたオーベルシュタインは、義眼をまたたかせ、彼の翡翠の両目をみつめた。意外にも、その瞳には嘘が宿っていなかった。
 彼が、ようやく表情をやわらげる。『どう反応されるか』と恐る恐るであったフェルナーは、それを見て笑顔をうかべた。どうやら、満更でもなさそうである。
「先に、ひとつ確認しておきたい」
「はい、なんでしょう?」

「卿は、人間か?」

 フェルナーは盛大に吹き出した。
***
 その後、二度と森には近づかず、小旅行を終えてフェザーンへの帰路についた。
 帰りの船から星の海をながめ、遠ざかっていく森の惑星を見て、ふと、『帰れなくなった人間は、どこへ行ったのだろう』と、オーベルシュタインは考えた。

『気が変わったら、いつでもボクらの村にきてね』……。

 たとえば、捕食などをするための方便に過ぎないかもしれない。だがもし、『善意』から出た言葉であったとしたら?
 出された物を食べると戻れない、という話は、『黄泉戸喫(よもつへぐい)』という伝承に似ている。『黄泉の国』――死者の国の穢れた食べ物や酒を口にしてしまうと、その国の一部となってしまい、二度と生者の域には戻ってこれないという。
 だが、『黄泉の国』が悪い場所とはかぎらない。
 現に、帝国軍人は天上 > ヴァルハラ]]という単語を口にする。死んだ戦士の館とされるその場所は、戦死を肯定的にとらえる謳い文句にされている。『勝利か[[rb:天上(ヴァルハラ)か』という、『撤退は許可しない。戦って勝て、さもなくば死ね』の言い換えも存在する。
(楽園に住む者が、地獄で苦しむ私をあわれみ、救いの手をさしのべた――そういう可能性もある、か)
『ならば何故そう言わない』とも思うが、『こちらは楽園だから来い』と言われても、その方がむしろ信用しにくい。
 それに、孤独な幼少期にやっと友人ができ、毎日のように遊んでもらえ、自分は――確かに、幸せだった。再会できたとき、確かに幸福だった。
 ただ、例え楽園だったとしても、やはり、行く訳にはいかない。理由は、自分が言ったその通りである。

『もしも投げ出してしまったら、私は、自分を許せなくなる。どんなに安楽な生活を送ったとしても、その後悔が魂に刻み込まれ、二度と幸福を感じられまい』

(だから、すべてを終えたとき――戻らぬ覚悟を決めた、そのときは……)
 そのように思いを巡らすうち、彼は、元の生活圏へと帰ってきていた。

 結局、『そこ』へ行くことは、なかった。

Ende