B軍曹麾下、艦艇ヨーツンハイムにて

 出撃に備え、慌ただしく乗組員、将兵たちが艦橋を往来する、艦艇ヨーツンハイム。そこへ、司令官と副官、そして彼らの各々の側近たちが入ってきた。
 司令官はオーベルシュタイン元帥、副官はビッテンフェルト中将である。その後ろを、フェルナー准将、オイゲン大佐がついていく。……そして、コウモリ羽根の飾りをつけた老犬のダルマチアンが、てちてちと肉球で金属製の床を叩きながらついてきていた。
 司令官オーベルシュタイン元帥が、裏地が赤、表地が黒の外套を、バサリ、と広げ、司令官席に腰掛けた。両腕をそれぞれ肘掛けに預け、ゆったりと脚を組む。そして、空いている方の手の甲に自身の顎を乗せ、その手で自身の頭の重量を支えた。赤い液体の入ったワイングラスを持った、もう一方の片手は、肘掛けの上でゆらゆら、と揺らし、弄ぶように液体の表面を揺らす。その足元に彼の愛犬が侍り、腰を下ろした。
 副官ビッテンフェルト中将は、司令官席の横に立ち、真っ直ぐに姿勢を正した。

「……ビッテンフェルト中将、Bベー軍曹閣下から司令を受けた次の作戦の目的地と、作戦目標を」
「はっ。作戦の目的地はイゼルローン要塞、作戦目標は時間内の目的エリアへの到達です」
「そうか。了解した。…Bベー閣下の指示を待つ」
「はっ。……司令官閣下」
「なにか」
「出撃までには、まだ他の艦の準備に時間がかかるかと存じます。小官はその間に、オイゲン大佐と共に艦内の状況の確認と、作戦行動の最終確認をして参りたいと考えます。許可を頂けますでしょうか」
「構わぬ」
「はっ。それでは、また後ほど」
「うむ」

 ビッテンフェルト中将は、司令官に向かって敬礼すると、踵を返して艦橋の出口へ向かった。その後を、同様に敬礼を済ませたオイゲン大佐がついていった。
 2人の退出を見届けたフェルナー准将が司令官席に近づき、顔を彼の上官の耳元に近づけた。

「…閣下」
「なんだ」
「…いつまでハロウィンなのです?」
「考えても無駄なことを考えるのは、労力の浪費だ」
「それ、ワインですか?」
「知らぬ」
「ご存じない」
「知る必要もない」
「左様でございますか」

 オーベルシュタインの足元で、彼の犬が、ゴロゴロ、と喉を鳴らし、彼の愛する主人に頭をこすりつけた。オーベルシュタインは自身の頭を支えていた手を顎から外し、彼の犬の頭を掻いてやった。
 
 艦橋を離れ、通路を決然と歩むビッテンフェルトの後を、オイゲンがやや小走りについていく。早足で歩いていたビッテンフェルトの歩みは、段々と速度を落としてゆき、やがて止まった。それを見たオイゲンは、彼の上官と一緒に歩く速度を落とし、彼の後ろで足を止めた。先程まで平静に見えたビッテンフェルトの肩が、ぶるぶるぶる、と震え始めた。

「だから、なんだ、あの格好はァ―――――!!」

 雄叫びをあげるビッテンフェルト中将の声に、驚いた乗組員たちが振り返って彼を見た。オイゲンは、『艦橋に聞こえるのではないか』と心配すると同時に、とりあえず彼の上官が、艦橋から十分離れるまで我慢するようになってくれたことを少しだけ嬉しく思い、まあ直接聞こえていようがいまいが司令官閣下には筒抜けなのだろうし、伝わったところであのオーベルシュタイン元帥閣下のこちらへの対応が大して変わるわけでもないか、と思い直した。そう、張り倒しでもしない限りは。
 ビッテンフェルトは肩を怒らせながら、バッと振り返ってオイゲンに怒りに満ちた顔を向けた。

「…なぜ、おれはまた奴の副官なのだ!?」
Bベー軍曹閣下がお決めになったからです」
「なぜ、奴はあの奇妙な仮装をしたまま艦隊指揮を続けている!?」
Bベー軍曹閣下よりも上位に居る方々がお決めになったからです」
「どうして奴は犬を連れて指揮をとっている!?」
「それも上位の方々がお決めになったからです」
「…どうしておれが、黒色槍騎兵艦隊シュワルツ・ランツェンレイターの艦艇に乗れんのだ!?」
Bベー軍曹閣下がお決めになったからです。少なくとも、ヨーツンハイムは黒色槍騎兵艦隊シュワルツ・ランツェンレイターの一般艦艇よりは強力ですよ。我らが全艦隊の所有する艦の中でも、特に良い艦艇をBベー軍曹閣下はあてがって下さっておいでです」

 やがて、ビッテンフェルトの震えが徐々に収まってゆき、フーーッ、と息を吐いて彼は目をつむった。彼とて、彼の部下に当たり散らすことの無益を弁えていた。

「…すまないな、オイゲン大佐。卿に言っても詮無きことであるのは、おれもわかっているのだが…」
「いえ、いえ。少しでも閣下のお役に立てますれば、これに勝る喜びはございません」
「……恩に着る」

 ビッテンフェルトは、怒りを吐き出すかのように今一度深呼吸すると、進行方向へと身体を向き直し、通路をふたたび歩んでいった。その後を、オイゲンはついてゆく。

 Bベー軍曹閣下に逆らおう、意見を具申しよう、という考えは誰の頭にも浮かばない。そういう世界だからだ。Bベー軍曹閣下より上位の人間に対して不満を抱いたり、反抗しよう、という考えが起こったりもしない。そういう世界だからだ。軍曹なのに閣下と呼んでいることにも誰も疑問を持たない。そういう世界だからだ。討論に参加した将兵が、議長を残し、雲消霧散するように消えてしまうことにも、誰も疑問を持たず、恐怖することもない。そういう世界だからだ。

 しばしの間、対イゼルローン要塞作戦が進んだ後、艦艇ヨーツンハイムは待機を命ぜられた。その間、乗組員たちはタンク・ベッドでの休憩や、交代、食事などを許され、フェルナー准将、およびオイゲン大佐も休憩を許された。
 2人は、それぞれ別々に艦内バー・ラウンジに向かい、そこでばったりと出会った。

「オイゲン大佐」
「フェルナー准将」

 お互いに敬礼を交わす。その後、お互いに目と目で会話し、バーの席に並んで座った。各々の注文をバーテンダーに告げ、それぞれ飲み物を受け取って手に取り、無言で乾杯を交わす。グーッ、と同時に杯を体に流し込んだ後、ぷはあ、とこれまた同時に息を吐く。
 
「…お疲れ様です」
「お疲れ様です」

 顔を見合わせ、2人とも同じ台詞を掛け合った。

「ビッテンフェルト中将閣下のご様子は如何ですか」
「ご不満が絶えませんね。オーベルシュタイン元帥閣下のご様子はどうですか」
「卿の上官ほど正直に不満を漏らされませんが、ストレスを溜めておいでなのは感じますね。愛犬と一緒に居られることについては、満更でもないご様子ですが。いつも愚痴をこぼされていて、貴官はご苦労なさっておいででしょう」
「いえいえ。小官にそれだけ、心を許してくださっていると思えば、お仕えする甲斐も感じられるというものです。准将閣下は、元帥閣下にあまり心を開いて頂けぬことが、ご不満ではございませんか」
「表に出して不満を漏らされずとも、私は元帥閣下のご心境をおおよそ伺えますので、それほど問題には感じていません」
「左様ですか」
「ええ」

 そこで会話は途切れ、2人は2杯目の飲み物をバーテンダーに注文し、空になった2個のグラスが片付けられるのを見届けた。2人それぞれに2杯めの飲み物が渡されると、2人は一口ばかり各々の飲み物を啜り、上官以外の話題で会話を再開した。今回の作戦の状況について、敵に対する考えについて、最近ハマッている趣味について、近頃流れたニュースについて。

 軽食なども頼んでつまみつつ、ひとしきり会話を楽しんだ後、2人はほぼ同時に時刻を確認した。そろそろ、Bベー軍曹閣下から次の作戦行動の司令が下る頃かもしれない。

「行きましょうか」
「ええ」

 2人はバーを後にし、艦橋へと向かっていった。

 やはり、自分の上官が一番の上官だ。自分はまったく、運がいい。2人はそれぞれ、心の内でそう考えながら、彼らの上官たちが待つ艦橋への歩みを進めていった。


Ende