食事を奢る理由

 ビッテンフェルトは、とあるレストランの前で呻いていた。
 彼の前には、新装開店したばかりの、やや高級な食べ放題ビュッフェ・レストランがある。そこでは、料金を支払えば規定の時間、キャビアやフォアグラ、シェフが目の前で焼いてくれるローストビーフなども好きなだけ食べられるという。
 彼は、今晩ぜひここで食事したかった。人と食事する方が好きだが、この店に入れるなら一人だって構わない。とびきりのごちそうを、思う存分味わってみたい。ビッテンフェルトは、メニューを前に涎をこぼしそうだった。
 だが、猪突猛進の艦隊ポリシーを掲げるのにもよらず、彼は逡巡していた。というのも、つい先日、部下の祝いに大盤振る舞いをしたばかりで、ローエングラム元帥府において能力に見合った十分な給与を貰っているにも関わらず、懐が少々寒い状況におかれていた。
「うう……むぐぐ……」
 店の窓越しに、料理に舌鼓をうつ客たちが見える。パルテノンを模した玄関から、なんともいえない良い香りが漂ってくる。ビッテンフェルトの腹が鳴る。
 あああ。ここのご馳走が、食いたい……。
「ビッテンフェルト提督」
 穴の空くほど店の入り口を見つめていると、生気のない声が不意に自分を呼んだ。ビクリと大きく飛び上がり、ビッテンフェルトが振り返ると、そこには、青白い総参謀長オーベルシュタインが立っていた。
「ぬ。む、総参謀長殿……どうしてこんなところに」
「今日は、家の使用人に暇をとらせておりまして。外で夕食をとろうと思い、良い店がないか探していたところです」
「そ、そうなのか。それは奇遇だな」
「はい。ところで、提督はそちらの店に、並々ならぬ関心を持っておられる様にお見受けしますが、なぜ入店されないのでしょう」
 淡々と指摘をうけ、ビッテンフェルトがグッと呻いた。総参謀長の言うことには、相変わらず反論の余地がない。
「……恥ずかしい話だが、つい先日、部下たちに大盤振る舞いしてしまったばかりでな。この店に興味はあるのだが、懐が少々寒いのだ。卿の言うとおり、入る気も無いのに興味を示しても仕方ない。ここは、引くことに……」
「では、よろしければ、小官が費用を持ちますゆえ、ご一緒いたしませんか」
「なに!?」
 ビッテンフェルトは目を剥いた。まさか、そんな申し出を受けるとは思っていなかった。オーベルシュタインは、ゆっくりと頷いた。
「小官は、いまだ新参者に過ぎぬ身。これを期に、名将と名高い提督のお話を伺えるのであれば、ここの支払いなど安いものです」
「そ、そうか。……まあ、そういうのであれば……」
 彼が元帥府に必要な人材であることは頭ではわかっていたが、戦果をもたない、陰気で気味悪い参謀長に、ビッテンフェルトは良い印象をもっていなかった。しかし、食事をする間の短い時間、対面して会話するだけの話であるし、何より、食欲がひとりでに暴れ出しそうだった。
「では、参りましょう」
 オーベルシュタインに先導され、ビッテンフェルトは、入りたくて堪らなかった店にようやく入った。
 そして、彼は思う存分、たらふく食べた。

      ***

 それは、黒色槍騎兵艦隊の詰め所で漏れ聞いた内容であった。どうやら、部下の一人が、狙っていた美女にこっぴどく振られたらしく、他のメンバーが愚痴を聞いてやっていたらしい。
 その内の発言のひとつが、ビッテンフェルトの脳裏に引っかかった。
「男が奢る理由なんて、身体目当てに決まっているだろう!」
 彼の頭に、先日、オーベルシュタインに食事を奢られたときの記憶が蘇る。
 まさか。いや、そんなはずは。だが、あれだって男であるし……。おれだったら? 部下相手なら、もちろん身体目当てなんかじゃない、『これからよろしく頼むぞ』という意味だ。だが、部下でも上官でも何でも無い相手だとしたら……?
 ビッテンフェルトは、身震いした。だが、もしそうだったとしたら、ひどい不義理をしてしまったのかもしれない。
 そう思うと、彼はひどく悩み、考え込んでしまうのであった。

      ***

 自分は、ほとんど量を食べられない。そのせいか、胃腸の丈夫な他人が、多く食べるのを見るのが好きだ。美味しいものを喜んで食べる相手であれば、自分もそれを食べたような気になれる。
 ラインハルトも、なかなか良かった。若く元気な主君は、美しく見目麗しいだけでなく、胃袋の容量も年相応で、酒も食事もたっぷり入る。だが、あまり自分と一緒に食事はしてくれない。キルヒアイスと喧嘩したときぐらいだ。
 ビッテンフェルト提督はおそらく、たくさん食べる類いの人間と期待していた。期待は裏切られなかった。『高品質で絶品、満足感も絶大』と評判のビュッフェは、自分ひとりならば支払い損でしかなかったが、提督と一緒であれば、二人分の料金でも元がとれる。
 そのようにオーベルシュタインは考え、ビッテンフェルトとの食事に満足していた。一応、言い訳として『新参者なので話を聞かせて欲しい』とは言ったが、ほとんど話は聞いていない。元気に盛り付け、どんどん食べる姿を見るのが楽しく、それで満足してしまっていた。
 ビッテンフェルトに怪しまれるやも、とも考えたが、杞憂だった。たっぷり食べたビッテンフェルトは、なんら怪しむことなく笑顔で礼を言い、ゴキゲンで店の前から去った。オーベルシュタインも、満足して帰宅の途についた。
 また、彼を誘おう。そして、また楽しませて貰おう。彼は、そのように思っていた。

      ***

「…………なあ」
「はい?」
 ある日の食事の後、ビッテンフェルトが、思い詰めた顔でオーベルシュタインに声を掛けた。あれから、オーベルシュタインの方から何度かまた「食事に参りませんか。私が代金を持ちます」と誘われ、食事を共にしていた。
「どうしておれに奢ってくれるんだ?」
 さすがに怪しまれたか、と、オーベルシュタインは感じた。彼は、正直に理由を伝えることにした。
「妙な趣味だと思われるでしょうが、小官は、たくさんお召し上がりになる人が、たくさん食べる所を見るのが好きでして。自分があまり、食の進まない体質ゆえでしょう。自分でも食べた気分になれますので、食べ放題のビュッフェのような店では、そういった方とご一緒できるほうが良い気分なのです」
 すると、ビッテンフェルトはンンと呻き、顔を伏せた。納得していないようだった。
(理解できないか。彼のような人なら、そうだろうな……)
 どう言えば良いか、と、思案していると、ビッテンフェルトが再び口を開いた。
「別の目的があったのではないか?」
「別の、といいますと」
「その……か、かか、身体目当て、では、ないのか?」
 言葉に詰まりながら、ビッテンフェルトがそう言う。しかし、オーベルシュタインは首をかしげた。
「からだめあて……?」
「そ、そうだ」
「…………提督の髪色は、赤系統の色の中でも、毛艶よく綺麗だと思います」
「……お、おう」
「……骨格もしっかりとしていて、筋肉が鍛え上げられていて……美しくあられますね」
「……うむ」
「…………」
「…………」
 その後、双方無言となった。しばらくして、ビッテンフェルトがじれたように口を開いた。
「そ、それで?」
「それで? ……すみません。その位なのですが」
「なんだそれは」
「なんだと申されましても」
「その……なにか、したいのではないのか?」
「……申し訳ありません。小官には、なんのことやら……もう少し、具体的にお願いいたします」
「だから、その……!」

「せせせせ、セッ、クスがしたいのではないのか!?」

 ビッテンフェルトがやっとで口にする。オーベルシュタインは首をかしげた。
「……提督は、それほどまでに相手にお困りではないと愚考いたしますが」
「おれがしたいのではなく! 卿が! おれと! したがっているのではないのか!?」
「いいえ」
 さらりと応じられ、ビッテンフェルトはポカンと口をあけた。
「では、どうしておれに食事を奢る?」
「食事を奢ることが、どうしてそのような話題につながるのでしょうか?」
 常のように抑揚なく、しかし、心底ふしぎそうな様子でオーベルシュタインが尋ね返す。
 ビッテンフェルトの顔は、彼の髪ほど紅潮して赤く染まった。

「……つまり、『食事を奢る』ということが、『セックスに誘う』という世間の習慣があるのですね。小官には、そのようなつもりはありませんでした。誤解を与えてしまい、申し訳ございません」
「いや、おれも先走りすぎた。悪かったな」
 頭をかきつつ、ビッテンフェルトは苦笑いしながら応じた。まったく、人騒がせな部下だ。おかげで、とんだ混乱を総参謀長に与えてしまった。
「わびといってはなんだが、次回はおれに奢らせてくれ」
「ええ。ありがとうございます。……しかし」
「しかし、なんだ?」
 ビッテンフェルトが首をかしげる。オーベルシュタインは、しかめつらしく顎に指をあて、何やら考えた様子をみせたあと、ふたたび口を開いた。
「それは、提督が私とセックスしたい、というサインでしょうか?」
「~~~~違う!!」
「さようですか」
 顔を真っ赤にして否定する様子は、かえって、肯定しているような様子を周囲に与えた。

 と、いうことを、海鷲にてミュラーから他提督たちは聞かされたのであった。

Ende