あこがれの先生

 おれの先生は美人だ。男だが。
 すぐ横で分からないところの説明をしてくれる家庭教師――大学生のオーベルシュタインさんの横顔に目をうばわれつつ、現在高校生のビッテンフェルトは思っていた。見とれて説明を聞き逃してしまい、むっとした顔をされるのはいつものことだ。
「ねえ、先生には……恋人はいますか?」
 授業おわりにビッテンフェルトが問いかけると、オーベルシュタインは無表情のまま「いないよ」と応じた。嬉しくて舞い上がってしまいそうになるのをビッテンフェルトは抑えた。しかし、バレバレだった。
「なんだね。私に恋人がいなかったら嬉しいのか?」
「べ、べべべ別にそういう訳じゃ、その」
「仲間意識か? そういう安心の得方はよくない。恋愛がすべてではないと思うが、もし恋人が欲しいなら」
「は、はい。すいません……」
「いや、偉そうなことを言った。気持ちは分からなくもない」
 実は分かられていなかったが、この時は好都合だった。オーベルシュタイン先生は基本的に察しがいいのだが、ことこの気持ちについては全く気づいていないようだった。
 教科書をトントンとそろえ、オーベルシュタインが帰り支度を始める。彼が席を立つと、ビッテンフェルトはパッと立ち上がった。
「あの!」
「うん?」
 オーベルシュタインが聞き返したあと、ビッテンフェルトはもじもじと躊躇った。オーベルシュタインが首をかしげる。この子はよくこういう振る舞いをするのだが、いつも何を躊躇っているのだろう。
「先生の……好きなタイプって、どんなひとですか」
「私の? そうだね、頭のいい人かな」
「頭のいい人……そうですか……」
「ビッテンフェルトくんはどんな人がタイプなんだ?」
「お、おれはその」
 カアッとビッテンフェルトの顔が髪ほど赤く染まった。
「……静かで……読書するのが好きな、そんな人、とか」
「へえ、意外だな。君はもっと元気なタイプが好きかと思っていた」
「へへ……」
「もういいかな?」
「あ、はい。その、引き留めてごめんなさい」
「いいよ。しっかり復習してくれ。それじゃ、またね」
「はい。また」
 オーベルシュタインが去って行く。玄関口で母が見送りする声が聞こえた。
 ビッテンフェルトがほうっと座る。部屋にまだ先生の残り香があった。
「頭のいい人か……」
 ビッテンフェルトは、今日やったテストを見下ろした。オーベルシュタインがつけたバツが沢山あり、点数は良いといえない。ビッテンフェルトが溜め息をついた。
「勉強する」
 ビッテンフェルトが決意を新たにした。
「良い点をとる。そしたら、先生に告白するんだ」
 ビッテンフェルトはグッと力こぶを作った。それから彼は、猛然と勉強に取り組んだ。
***
「すごいじゃないか」
 オーベルシュタインが嬉しそうに褒めた。ビッテンフェルトは「でへへへ」と照れ笑いした。あれから彼の成績はメキメキと上昇し、今では学年上位に食い込むほどに点数をあげていた。勉強にあまりやる気を見いだせなかっただけで、彼には潜在的な実力が備わっていたのである。
「これなら、もっと上を目指すこともできる」
「先生と同じ学校、いきたいです」
「ほう。それならもう少し頑張る必要があるな」
「うわっ、もっとか。さすが先生」
 しゅん、とビッテンフェルトが俯く。オーベルシュタインは彼の肩をぽんぽんと叩いて慰めた。
「君には体力があるし、この調子でいければ十分圏内だろう。やるなら付き合うぞ」
「ど、どうしよーかなー」
「ふふ。ま、私の所より、最初の志望校の方が君に合っていると思うよ。人間のカラーがね。合っている学校が一番だ」
「先生が言うなら」
 ビッテンフェルトがあっさりそう言うと、オーベルシュタインは微笑んだ。きれいな笑顔で、ビッテンフェルトはどきりとした。
 よし。言うぞ。言うんだ。今日こそ言うんだ。
「あのっ……!」
「うん?」
 オーベルシュタインが聞き返す。彼は、答えをせっついたりせず、どれだけ言いよどまれても答えを待ってくれる方だった。しかし、ビッテンフェルトは言い出せなかった。
「なんでも、ないです」
「? そうか」
 オーベルシュタインが帰ったあと、ビッテンフェルトは机にゴンと頭をぶつけた。
 おれのバカ! 臆病者!
 ポカポカポカ、と自分の頭を殴っていると、「何してんのアンタ、バカになるわよ!」と、おやつを持ってきてくれた母親に止められた。
***
 今日こそ言う! もうチャンスがない! 今日こそ言うぞ、おれ!
 ビッテンフェルトは自分を奮い立たせた。無事に志望校へ合格し、ビッテンフェルトは、大恩ある家庭教師のオーベルシュタインとお祝いの食事会に待ち合わせていた。
 ビッテンフェルトは、予定より30分も早く来ていた。この日のためにめいっぱいオシャレな服を店員に選んでもらい、お年玉を使って赤い薔薇の花束も用意した。ここまで準備すれば、もう後には引けない。この花束の意味をちゃんと説明する必要がでてくる。今日こそ絶対だ。絶対に、先生に告白するぞ!
 高鳴る鼓動をおさえつつ待っていると、オーベルシュタインは約束の10分前くらいにやってきた。
「ビッテンフェルトくん」
「! 先生っ……!」
 オーベルシュタインは一人ではなかった。彼の上腕に、銀髪の美形が親しげに抱きついている。付け焼き刃のオシャレをしたビッテンフェルトとも、落ち着いた地味な服装を好むオーベルシュタインとも異なり、彼はモデルのようにキマッていて格好良かった。
「ちょりーっす。パウルのカテキョ生徒さん? かんわいー」
「そうだ。満足したか? もう帰ってくれ。これから彼のお祝いなんだ」
「えー冷たい~」
 ビッテンフェルトが凍り付く。いや、すごく親しい友達かもしれない、という一縷の望みにすがりつつ、ビッテンフェルトはやっと質問した。
「先生、その……その人は?」
「ああ、彼は私の恋人だ」
 ガラガラと何かが崩れ去る音をビッテンフェルトは聞いた気がした。
「なんかショック受けてんね」
「同性だからだろう。おどろかせてしまったか」
「えー。違うんじゃない? 告白しようとしてたんじゃない?」
「まさか」
 そのまさかだったが、もうビッテンフェルトには何も言えなかった。
「ほら、帰れ」
「ぶー」
「そんなに暇なら食器でも洗っておいてくれ」
「パウル冷たーい」
 どうやら一緒に暮らしているらしい。ビッテンフェルトも帰りたくなってきた。
 恋人(アントンというらしい)がやっと立ち去ったあと、オーベルシュタインに促され、硬直していたビッテンフェルトは動き出した。
 無言のまま薔薇の花束を差し出す。
「これ……」
「うん? くれるのかい?」
「ハイ。先生に……その……感謝の気持ちです」
 オーベルシュタインは、花言葉や意味に少しも気づいていない様子で笑顔で花束を受け取った。
「ありがとう、とても綺麗だ。大事に飾るよ。じゃ、行こうか」
「……ハイ」
 二人は、食事にでかけていった。

Ende