鏡の国のイノシシ

「……なんだここは」
 ビッテンフェルトは呟いた。
 彼の目の前には、果てしない草原が広がっていた。透き通る青空はどこまでも広く、抜ける風は何にも遮られることなく地面の草を揺らす。立っているのは、オレンジ髪の提督ただひとりであった。
 彼はついさっきまで、フェザーンの大都会にいた。いたはずだった。何の乗り物にも乗っておらず、徒歩で歩いていた。勝手知ったるコンクリート・ジャングルをゆるりと歩き、近くのタクシー乗り場に向かっていたはずであった。
 だが、目の前には草原が広がっている。周りをいくら見渡しても、ビルどころか建築物のひとつもない。彼は、このような広い草原に心当たりがなかった。いや、似たような場所を見たことはあるのだが、それは他の惑星にすぎないし、だいいち、都市以外が荒野であるフェザーンに、こんな場所はないはずであった。
(白昼夢でも見ているのだろうか)
 何度か瞬きをしてみたが、草原は草原のままであった。いつまでも立ち尽くしていても仕方がないので、ビッテンフェルトは歩き出した。
 草原の丘をいくつか超えて、地平線の変化を期待する。だが、大した変化はない。かろうじて、一本の大きな木を見かけたので、ためしにそれを目指してみる。
 1,2時間歩き、ビッテンフェルトはやっとその木の下に着いた。だが、木は只の木であり、せいぜい木陰があるという程度で、家に戻る手がかりにはならなかった。
「……ここはいったいどこなのだ! どうやって帰ればいい」
 ビッテンフェルトは大声で呻いた。周りに何も障害物がないので、大声は何にも跳ね返されず、空虚に響く。いつもよりも自分の声が頼りなく聞こえた。
 ビッテンフェルトは、とりあえず木の根元に座り、休息をとることにした。ふう、と溜め息をひとつつき、顔を上にむけて木に背を預け、目をつむる。
(誰かがここを通るだろうか?)
 望みは薄かった。木に向かう道中にも、絶え間なく辺りを観察していたのだが、人っ子ひとり見当たらなかった。
 ビッテンフェルトはそのまま、しばし休息をとることにした。どうするかは、休憩を終えた後に考えればいい。

 かすかに音がした。ビッテンフェルトの耳がピクリと動く。彼の鳶色の瞳がカッと見開かれた。
 耳を澄ませる。草を踏む音だ。それは小さいが、徐々に近づいてくる。木を挟んで反対側から、それはやってきている。
 ビッテンフェルトは立ち上がった。木に身体を隠しつつ、彼は向こう側を覗き見た。
 人影があった。成人の男だ。……しかも、よくよく知っている人物であった。
「……よりにもよって、卿か!」
 ビッテンフェルトは思わず失望をにじませ言った。
 やってきた人物は、軍務尚書オーベルシュタインであった。いつもの灰色の外套をなびかせ、いつものように背で両手を組み、ゆったりとした足取りで歩いている。
「ビッテンフェルト提督か?」
 彼が尋ねた。それは憎らしいほどに、いつも通りの陰気で平坦な声であった。
「他に誰に見えるというのだ」
 ビッテンフェルトは唸るように応じた。
「一応、確認したまで。どうやってここへ?」
「どうって……どうもこうも……しらん! おれはフェザーンの街を歩いていたはずなのだが、……くそっ。何がなんだかさっぱり分からん! 何なのだここは!」
 ビッテンフェルトは、とりとめなくそう応じた。彼は、『オーベルシュタインなんぞに借りをつくりたくない』と思うのと同時に、『この訳の分からない場所に放り出されて不安でたまらず、オーベルシュタインでもいいから助けが欲しい』という気持ちも持っていた。矜持はあるが、戦死でもないのにこんな場所で一人死にたくはない。
「なるほど」
 ほとんど説明など無かったにも関わらず、オーベルシュタインは合点したように頷いた。それを見て、ビッテンフェルトがキョトンとした表情を浮かべる。
「……まて。卿はどうやって来た? ここが何処か分かるのか?」
 期待を込めて尋ねた。
「私は、我が家の鏡を使って来た。ここの正式名称は知らんが、我が家では『鏡の国』と呼んでいる」
「は? 鏡の、国……? 鏡を使って?」
『鏡の国』? 鏡の国、だと? なんだったか、それは。たしか、『不思議の国のアリス』とかいうファンタジーの続編か何かで出てくるものではなかったか。
「ふざけているのか?」
「ふざけているように見えるか」
 オーベルシュタインが厳かに聞き返す。彼は、いつものように、ユーモアも冗談もない態度で大まじめに話している様子だった。
 ビッテンフェルトが応答に悩んでいると、オーベルシュタインがスッと右手を差し出してきた。手を取るにはやや離れた場所に差し出された手を、ビッテンフェルトは不思議そうに見つめる。
「出口までご案内する。ついてきたまえ」
「は……。……だ、だれが、お前の……」
 ビッテンフェルトの残った矜持が、願ってもない申し出を断ろうとした。声は弱々しいものであったが、それはオーベルシュタインによって遮られた。
「保証する。もし、卿がここに留まるのであれば、知ることになるだろう。『ここで出会った生き物の中で、私は最も善良であった』――とね」
 脅すように低く発せられた声は、既に参っているビッテンフェルトを後押しするのに十分以上の効果をもたらした。しかし腹いせに、痩せた白い手をとる代わりに、彼はその手と自分の右手をパシンと軽く打ち合わせた。
「わかった! 行けばいいのだろう!?」
「よろしい。私も、仕事を増やしたくはない」
「……仕事? なんのだ」
 オーベルシュタインがある方角へと向かって歩き始め、ビッテンフェルトがその後を追う。背を向けたまま、オーベルシュタインは淡々と応じた。

「葬式のだ」


「私の後ろに続け」
 オーベルシュタインが先導し、ビッテンフェルトが後に続いて歩く。彼らが歩いて行っても、草原は無限に続くようであった。
 オーベルシュタインは時折、進路を奇妙にくねらせて進んだ。それを見てビッテンフェルトは不思議に思ったが、言われたとおりオーベルシュタインの影を踏むように続いて歩いた。
「……なぜ、このような歩き方をする?」
 何度かそれが続き、ビッテンフェルトは尋ねた。
「ベアトラップのようなものが無数にあるのだ」
 オーベルシュタインが応じた。
「ベアトラップ? 何もないように見えるが……」
 ビッテンフェルトがそう言うと、オーベルシュタインはピタリと足を止めた。ビッテンフェルトも足を止める。
 オーベルシュタインはその場に屈み、足元の小石をひとつ拾い上げた。そして、それを持ち上げ、おもむろに空中へ放り投げる。
 瞬間、バシリと火柱のようなものが草からあがった。
「うわっ!」
 ビッテンフェルトが驚き、尻餅をつく。
 小石は、火柱の中に捕らえられたかのように空中に留まり、火に焼かれた。やがて小石は形をなくし、どろどろに溶けて無くなってしまった。
「……このように。種類は様々だが、高確率で致死性と考えていい。私にはこれが見えるので、避けて進むことができる。私の踏む場所を続いて進めば安全だ」
「……な、なぜ、このようなものが?」
「さあな」
「さ、さあって、お前」
「分からんよ」
 オーベルシュタインがまた進み始める。ビッテンフェルトは慌てて立ち上がり、この恐ろしい場所から唯一出られる希望から離れないように追った。

 道のりはまだまだ続いた。変わらぬ草原の景色に慣れ、飽きてきたビッテンフェルトは、あれこれとオーベルシュタインに質問を投げかけた。オーベルシュタインは、意外にもそれらに丁寧に回答した。
「なぜ卿にはベアトラップが見える」
「母方の先祖がここに迷い込み、なにかの影響を受けた。それから、彼の者の血に連なる人間は、ここと出入りすることや、罠を見破ることが容易にできるようになった」
「義眼でもか?」
「そうらしいな。故に、母の言いつけで、時折ここで迷い人を探して救助している」
「……ここは、なんだ?」
「さあな。元の世界と異なる場所、物理法則の異なる世界……意図せず迷い込むことも、決まった手順を踏むことで意図的に出入りできることもある……。我が家では、古い鏡を使って出入りするので『鏡の国』と呼んでいるが、鏡でしか出入りできない訳でもない」
「先ほどのベアトラップなどはまだ易しい方で、この世界で動くものは、大概が悪意に満ちている。出口を知らぬ人間は、高確率で……」
 背で話していたオーベルシュタインが、ちらりと振り返った。
「死ぬ」
 そう言うと、また進路に向き直った。ビッテンフェルトがゴクリと唾を飲む。
「……私は、母と違って、人と縁を持たぬせいかな。卿のような迷い人を見つけたのは、実に十数年ぶりだ」
「迷い込むことは稀なのか?」
「さあ、そうは思えんね。行方不明者の数から察するに、少なくとも年に数万人ほどは、おそらく……。卿は運が良い」
「こんな所に迷い込んでいるのにか?」
「それもそうか。ところで、少々寄り道をしていく。巡回の途中でな。卿のように不運な人間がまた見つかるかもしれん」
 ビッテンフェルトは「わかった」と素直に応じて頷いた。この世界の危険さを、彼も理解してきていた。


 彼らが歩いてゆくと、白い人影が視界に現れた。それは、蜃気楼のようにゆらりと出現したように思われた。おまけに、手足がぐねぐねとうねり、人間ならば有り得ない曲がり方をしている。
 オーベルシュタインがピタリと足を止め、ビッテンフェルトもそれに倣う。軍務尚書に教えられるまでもなく、目の前の生き物は『無力な要救助者』ではないとわかった。
「あれは……?」
 ビッテンフェルトが呟き、それをよく視認しようとした。すると、彼は激しい吐き気をおぼえた。見つめれば見つめるほど、はげしい嫌悪感が胸から込み上げる。これまでに感じたことのない、おぞましい感覚であった。
 だが、目を離すことができない。それを、自分は理解しなければならない。もっと見つめれば理解できる気がする。何かが、もう少しで、わかる気がする……。だが、理解したらどうなるのだろう?
「なんだ、あれは……!」
 ビッテンフェルトが視線を外すことのできぬまま、オーベルシュタインに問いかけた。何なのかは分からないが、目を離すことができない。目を離さなければならない気がするのに、そうできない。何もかもすべてを知っている風な、いけ好かないこの陰気な男は、なにか対処法を知っているのではないか?
「そのまま、見つめていろ」
 オーベルシュタインは淡々と指示を出した。彼は銃を取り出し、白い人影に照準を合わせているらしい。カチリという音がビッテンフェルトの耳に届く。だが、視線をそちらに向けて確認することもできない。
「見つめていて、平気なのか?」不安げに彼が問う。
「平気ではないが」
「おいっ!」ビッテンフェルトが腹を立てて言った。
「今終わらせる」
 オーベルシュタインはそう一言応じた。そして、銃の発射音が草原に響き渡る。
 ぱりん、と、白い人影の周囲が、ガラスのようにひび割れた。そして、人影がぎゅるりと何かに吸い込まれたように渦をまいて消え失せ、何もいなくなった。瞬間、ビッテンフェルトは奇妙な吐き気から解放された。
「ぶへぇ!!」
 ビッテンフェルトが詰めていた息を吐き出し、その場にドサリと座り込む。一方、オーベルシュタインはさくさくと草を踏み分け、先ほどまで白いものが居た場所に向かった。
「お、おい」
 危険を感じ、ビッテンフェルトが呼び止める。だが、オーベルシュタインは気にせず敵のいた場所に向かってしまった。
 しばらくすると、何事もなかったようで、オーベルシュタインは平然と戻ってきた。手には、なにか銀色に光る立方体を握っている。
「……なんだ、それは」
 ビッテンフェルトが問いかける。オーベルシュタインはそれを掲げ、相手に見えるようにした。
 それは、手のひら大の金属質の立方体で、六面が鏡のように周囲を反射していた。
「さあ。『ぐねぐね』を倒すと出てくる。あれの死骸なのかもしれん」
「あれは『ぐねぐね』というのか?」
「知らん。母がそう呼んでいただけだ。ぐねぐねしているからな」
 今しがた恐ろしい遭遇戦があったにも関わらず、このしかめつらしい軍務尚書の口から『ぐねぐね』などと可愛らしい擬音がでてくるのを聞いて、ビッテンフェルトは思わず笑った。
 軍務尚書は気にした様子もなく、立方体を懐におさめた。
「どうするのだ、そんなもの」
「物好きな人間が、これを高値で買うのでな。特に、フェザーンの商人は欲しがる。よい寄付金になるので、拾うようにしているのだ」
「そんなものに価値があるのか? 鏡の立方体くらい、いくらでも作れるだろうに」
 ビッテンフェルトがそう言うのを聞くと、オーベルシュタインは懐から立方体を取り出し、「ん」と言って渡してきた。ビッテンフェルトが困惑していると、「よく見てみろ」と促される。
 ビッテンフェルトは立方体を受け取り、それをよく観察してみた。特筆すべき点はなく、立方体は、ごく普通に周りの景色――青空や草原を映し出しているように見える。
「特に変なところはなさそうだが?」
「周囲の景色は映っているのに、我々の姿が映っていないだろう」
 指摘され、ビッテンフェルトはぎょっとした。言われてみれば、手のひらに載せているというのに、鏡の立方体には彼の手が映っていない。
 ビッテンフェルトは思わず立方体を取り落とした。それを、オーベルシュタインは気にした様子もなく取り上げ、軽く土を払って懐に戻す。
「これが、もしかすると、あの『ぐねぐね』の見ている世界なのかもしれんな」
 そう言い残したのち、オーベルシュタインはまた歩き出した。ビッテンフェルトはしばらく座ったままでいたが、慌てて立ち上がり、彼の跡を追った。
「あのまま見つめ続けていたら、どうなっていたのだ?」
 ビッテンフェルトが問いかける。
「さあ、」オーベルシュタインはまた、気のない返事をよこした。
「死ぬか、あるいは、死ぬよりも恐ろしい状態に陥るか――その、どちらかだろうな」

 ビッテンフェルトは、認めたくないが、軍務尚書にここで遭遇したことを心から感謝するようになっていた。


 それからまた暫く、ビッテンフェルトとオーベルシュタインは歩き続けた。草原には、どこまでいっても果てがなく、道らしいものも建築物もない。
 標識のひとつも有りはしないのだが、オーベルシュタインには地理がわかっているらしく、彼の足取りに迷いが生じることはなかった。その忌々しい尊大さが、このときに限ってはビッテンフェルトにも有難く感じられた。

 歩いて行くと、小さな岩に黒い人影が座っているのが見えた。それは、若い帝国軍人の男であるらしかった。彼はこちらの姿を見て、大きく手を振って何やら叫んだ。
 お互いが互いに近づくと、若い下級士官は相手の階級に気づき、びしっとその場で敬礼の姿勢をとった。
「ビッテンフェルト元帥! ……それに、軍務尚書閣下! ですね!」
「貴官は?」
「はっ! 小官はギルマン軍曹であります!」
 聞くと、なんと黒色槍騎兵艦隊所属の士官だとのことであった。
「お会いできて光栄です!」
 ビッテンフェルトを熱っぽい目で見つめ、ギルマンは嬉しそうにそう言った。
 ビッテンフェルトも笑顔を浮かべ、彼に敬礼を返した。
「うむ。無事でよかった、ギルマン軍曹。この妙な場所は危険だ。おれの踏んだ地面を続けて踏むようにしてついてこい。帰るぞ」
「はっ!」
 ギルマンは従順に命令に従い、三人は一列になって進んだ。先頭はオーベルシュタイン、その後にビッテンフェルトが続き、最後にギルマンが続いた。

 数分も行かないうちに、奇妙な音が響いた。それは、ギルマンの腹の音だった。続けて、ビッテンフェルトの腹も鳴る。
「……あ、はは。申し訳ございません。実は空腹で、喉も少し」
「気にするな。腹が減るのは元気な証拠だ」
 二人が会話していると、オーベルシュタインが何やら背中に手をやった。外套によく隠れて見えなかったが、少量の荷物を身につけている。そこから取り出されたものは、水のペットボトルと固形レーションだった。
「2つずつ持ってきている。丁度よかった。そこで休憩するとしよう」
 オーベルシュタインが指さした先には、ちょうどよい岩の台座があった。そこには、危険なベアトラップは見えないとのことである。
 三人は岩の上に登り、オーベルシュタインから食料と水を受け取った黒槍の二人は、そこに腰掛けて和気あいあいと食べ始めた。オーベルシュタインは座ることなく、見張るように周囲を見渡し、会話にも参加しない。
 ビッテンフェルトは、救助を別にしても、ギルマンと出会えて良かったと思った。愛想のよい若い士官は、圧倒的に話し相手として優秀である。
「あ。提督、あの木は何の木でしょう?」
 ふと、ギルマンが向こうを指さした。ビッテンフェルトがその先を追って視線を向けると、100メートルほど向こうの丘の上に、何か実のついた木が立っている。
「なんだろうな」
「……あ! わかりました。あれはザクロの木ですね。祖母の家で見たことがあります」
 ギルマンが自己解決してそう述べた。
「ほう、ザクロか」
「言い忘れていた」
 唐突にオーベルシュタインが口を挟んだ。あまりに口をきかないので、ビッテンフェルトはすっかり彼の存在を忘れかけていた。
「なんだ?」
「この世界に元々存在している食物、水なども、いっさい口にしないように」
「……ああ、わかった」
「思い出せてよかった」
「……口にしたら、どうなるのですか?」ギルマンは恐る恐る尋ねた。聞きたくないような、だが知らずにいることも恐ろしい、そんな気持ちであった。
「……あれは、私が五つの時のことだった。母に連れられ、ここを巡回していて、一人の男性を救助した帰りのことだ。……この世界の影響を受けたせいか、私や母、罠をみやぶる力を得た血族は、ここの空気、食物、水などを時折摂取する必要があってな。そのついでに救助もしていたのだが、あの日は、一般人の前で食べて見せてしまった。それが良くなかった。彼も空腹だったのだろう。あのとき母と私が食べたものもザクロだった。母は、救助した男性に『ここの物は食べないように』と忠告しておいたのだが、我々が美味しそうにザクロを食べていたので、彼も実をもいで、口にしてしまった。そうしたら……」
 そこで、ふいにオーベルシュタインは説明をやめた。ビッテンフェルトとギルマンがゴクリと唾を飲む。
「……そうしたら、どうなったのだ?」じれたビッテンフェルトが尋ねた。
 すると、答える代わりに、オーベルシュタインがザクロの木を指さした。彼に注目していた二人は、視線をまたザクロに向けた。
「噂をすれば、だ」オーベルシュタインが呟く。
 そこには、三人の人影が向かっていた。小さな子供を連れた大人の女性と、男性の三人で、仲良しの親子が気ままにピクニックをしているようにも見える。
「若い頃の母と、子供の頃の私だ。ここは、『あのとき』と同じ時間であったか」
 ビッテンフェルトは目を剥き、遠くでザクロを目指している三人を注視した。子供の容姿はよく分からない。だが、母親の顔つきや雰囲気は、遠目ではあるが、どことなく大人のオーベルシュタインと似通っているように思われた。
 三人は、ザクロの木の下に辿り着くと、こちら同様に休息をとり始めた。母親が息子にザクロをとってやり、母親も自分にザクロをとる。だが、父親――の、ように見える救助された男性には、そのザクロは与えられない。何やら「自分も食べたい」といった会話をしているらしい様子が見えたが、母親は彼にザクロを譲る気がないようだった。
 母親は、息子に気を取られた。不器用な幼子は、ザクロをうまく分けられずに手間取っていた。その隙に、男性は自分でザクロをもいで、それを口にした。
 あっ、と、母子が「しまった」といった様子で男に顔を向けた。だが、男は気にせずザクロを食んでいた。
 直後、男の頭がパックリと二つに割れた。赤く晒された脳髄は、ザクロのように赤くぬらぬらと輝いていた。その中心から、赤黒いものが槍のように突き上げた。男の身体が奇妙に踊り、身体中あちこちから次々にトゲが飛び出す。それは、樹木の枝のように見えた。狼狽して見つめるばかりの母子の前で、男の姿はどんどん変わっていく。
 飛び出したトゲが、枝分かれして膨張する。男を脳天まで垂直に貫いた槍は、その太さを増していき、やがて樹木の幹のような形に変わっていく。周囲の枝の先端には、葉のようなものまでムクムクと湧き出した。実のような丸いものまで現れる。男を中心に串刺しにして、赤黒く濡れて光る木が一本、できあがった。
 男は、二度と動かなくなってしまった。二本目のザクロの木として。

「……あのようになった」
 オーベルシュタインは、なんら驚く出来事ではなかったとばかりの淡々としてた様子で、説明を閉めた。一方、あまりの事態に、ビッテンフェルトとギルマンは恐怖から立ち直れずにいた。
「母が巡回したのであれば、この先の巡回は不要だろう。帰還するとしようか」
 オーベルシュタインの宣言を、ビッテンフェルトもギルマンも有難く思った。

 あの世界は、あのザクロの木になった男性は、そして、オーベルシュタイン家とは何なのだろう。すべての謎を抱えつつ、絶体絶命の危機を乗り越えたビッテンフェルトとギルマンは、『今命がある』という最も素晴らしい成果を喜んで帰ることになった。

Ende