いのちのよる

 それは、常日頃から床の営みに積極的であるビッテンフェルトをしても、異様に精力的な営みであった。
 元帥府配属にて出会い、かねてより深い仲であった、細く青白い総参謀長を、彼はへし折らんばかりに抱きしめ、口付け、夢中で抱く。
 気持ちを表現することにも出し惜しみしない性質だったが、それにしても今日は、
「愛している」
 その言葉を口にすることを惜しまなかった。
 抱かれている方も、自分だけ黙っているのは卑怯である気がするし、言って減るものでも不本意でもなし、同じく答えようとした。
 しかし、何か言おうとするたび、あきらかに遮る意図をもって口付けられ、とうとうその晩、言葉にすることは叶わなかった。
 オーベルシュタインには、その理由がわかっていた。

        ***

「弾は抜きました」
 眠っているはずの恋人の低い声が聞こえ、ビッテンフェルトはビクリと体を跳ねさせた。ベッドに身を起こし、腰掛けた彼の右手には、エネルギー銃が一丁にぎられている。
 彼は今まさに、その銃口を自らのこめかみに向け、震える人差し指に力を入れるところであった。
『そうする』つもりであった。死ぬのはやはり怖い。だが、自分の指示で亡くした部下たちだって、死は怖かったはずだ。死にたくなかったはずだ。しかし、自分のために死んでくれた。
 なのに、自分だけが生き長らえることなど何故できる?
 そう思って覚悟を決めたところだったのに、どうやら、この男が手を回してしまったらしい。ビッテンフェルトは力なく銃を持った手をぱたりとベッドに落とした。
「……余計なことを」
「まだ死んではなりません」
「おれは、侯の軍を敗北させるところだった。……アムリッツァに散った部下たちも、おれを待っている」
 オーベルシュタインが、ビッテンフェルトの手から銃をもぎとる。今は殺傷能力のないそれを、ビッテンフェルトはあっさり手放した。
「侯なら『死んで当然』と仰るだろう。止めてくれるな。弾を返せ」
「もし死んでしまえば、侯は、大きすぎる代償に苦しむことになるでしょう。侯を想うならば尚更、お生きください」
「……案外やさしいな卿は。……そうだな。仕事中でない卿は、比較的やさしいのであった」
「私はいつもやさしいつもりですが」
「……なら一層たちが悪いわ。この話はしなかったことにしよう」
 ビッテンフェルトの後ろからパキン、と、銃身を折るような音がした。彼が振り返り見ると、オーベルシュタインがビッテンフェルトの銃を開き、中のエネルギーパックを取り出していた。
(……なぜ、エネルギーパックが入っている? さっき、『弾は抜いた』と)
 はた、と、ビッテンフェルトは相手の企みに思い至った。そして、ふっと吹き出した。
「してやられた。この嘘つきめ」
「『嘘も方便』といいます」
 悪びれもせず応じるオーベルシュタインに、ビッテンフェルトは強く怒る気にはなれなかった。
 オーベルシュタインの細い腕がしなり、エネルギーパックの塊がひゅんと部屋の隅まで飛んでいった。ベッドの上には、空っぽの銃のみが残っている。
 ガチャン、ガラガラ、と、壁にあたって床で跳ね、エネルギーパックが音を立てた。
「なぜ、おれに生きて欲しい」
 ビッテンフェルトが問いかけた。
「理由は幾つかあります」
 オーベルシュタインが常の静かな声で応じる。
「ひとつは、少なくとも戦のある限り、貴方は侯に必要だからです。我々が勝つために。いなかったら敗北するとまでは言えませんが、勝利は大きく遠ざかるでしょう」
「ふたつめは、この処分は、侯のかんしゃくのようなものだからです。今頃、キルヒアイス閣下に諭されているでしょう。しかし、貴方が今自裁してしまえば、侯は自らの誤ちを正す機会を永遠に失ってしまいます。そうなれば、侯の心理的負担は決して小さくありません」
「そして、みっつめは……」
 流れるように理由を述べていたオーベルシュタインは、そこで口ごもった。しばらくして、彼はこう続けた。
「……個人的感情の話なので、考慮しなくとも構いません」
「ほう、『個人的感情』か」
 くつくつ、と、ビッテンフェルトが笑った。
(こやつは、どうあってもおれを死なせたくないらしい)
「では、こうしよう。卿の考えを信じる。ただし、それが誤ちであったなら、おれの予定を遅らせた詫びに、部下たちのもとへ『同行』して貰おう。それでも、卿は自分が正しいと賭けるか?」
「無論」
 間髪いれずオーベルシュタインが応じた。

        ***

 翌日、オーベルシュタインの言った通り、ローエングラム侯は自ら処分の撤回と、謝罪を言いに来た。いつも自信満々な彼と異なり、しおらしく申し訳なさそうな顔をしていて、ビッテンフェルトは驚いた。
(なんと。まったく、昨日のうちに死んでしまわなくてよかった)
 侯の後ろに控えていたオーベルシュタインと目が合う。
 彼は微かに、笑みを浮かべていた。