オーベルシュタインの娘:外伝
トモコちゃんの話

 私トモコ。オノヤマのトモコ。帝国では珍しい、E式名でオノヤマ・トモコ。帝国生まれの帝国育ち。

 おじいちゃんが同盟──現在は共和政府──から帝国へ亡命してから、私達は帝国の片隅でヒッソリと暮らしてきた。前の王朝のときは苦労したみたいだけど、今のローエングラム王朝になってからは、私達みたいな余所者一族でも暮らしやすくなった。私のような子も、帝国一番の幼年学校に行くことだってできるようになったのだ。
 とはいえ、中にいるのは根っからの帝国人ばかりで、友達なんかできないかも。そんなことを思いつつ、いい仕事につけるチャンスが欲しくて入学してみたら、根っからの帝国人の友達が1人できたのだ。

 その子は、根っからの帝国人であるとか、亡命者であるとかの括りがどうでもよくなるくらい、とびっきり個性的な女の子だった。まず、元帥様のご令嬢なのである。それでいて、生まれを鼻にかけたりだとか、高価な持ち物を自慢してきたりだとか、媚びへつらう取り巻きで自分の周りを固めていたりだとか、私のような亡命者の子孫を無条件に見下したりだとか、そういうことを一切まったくしないのだ。
 彼女は、誰が相手でも真っ直ぐに意見をぶつけて会話する。ぜいたく品の類は全然持っていなくて、なんかむしろ、若白髪が生えてるっていうのに、髪を染めすらしない。私が手鏡だったり、ヘアピンだったり、ヘアゴムだったりを貸してあげることが多いくらいだ。最近は、ようやくヘアゴムくらいは持っていたほうがいいと考えるようになったらしい。取り巻きになりたそうな、嫌な感じのする貴族の女の子たちが彼女にへつらってきたこともあったけど、彼女はそういう子たちを残らず冷たくあしらって追い払ってしまうのだ。
 私は、単に出席番号が近くて席が隣だったのと、元帥様のご令嬢がクラスに居るとかを全然知らなかったのがあって、「今日あったかいね」とか「次の授業何するんだろうね」とか、普通のクラスメートと思って気軽に雑談をふって話しかけていた。彼女は、苛立つ様子も見下してくる様子も見せずに答えてくれた。返答はどれも一風…いや、三風か五風ぐらい変わっていて、最初は「この子すごく変わった子だな」と思っていた。

 そんなこんなで付き合いが続き、かれこれ4年。私は、軍務尚書オーベルシュタイン元帥の令嬢フロイライン、ベアテ・フォン・オーベルシュタインとの交友を続けている。

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 その日の朝、オノヤマ・トモコが女子寮の自室で目を覚まし、彼女の携帯総合通信端末を見ると、通知ランプがチカチカ光っていることに気づいた。携帯のロックを解除して内容をみると、彼女の友人ベアテ・フォン・オーベルシュタインからの連絡が一通入っていた。

『おはよう トモコ。朝から悪いが、私は風邪を引いたみたいだ。今日はこのまま部屋で休むから、寮母さんや、先生たちにその旨を連絡してもらえるか』

 トモコは、

『おはようベアテちゃん。わかった。お大事にね。寮母さんに付き添い頼んでおくから、後で医務室にもちゃんと行くんだよ』

と返信した。あのベアテが風邪を引くなんて、珍しいこともあるものだ。

 いつも通り、トモコが、朝のトレーニングに間に合う位の時間までに着替え、トレーニング場に向かっていると、オレンジ色の髪の男子が、女子寮の方をチラチラ見ながら立ち止まっていることにトモコは気づいた。彼もまた元帥様のご子息、ヴィクトール・リュディガー・ビッテンフェルトくんだ。

「ビッテンフェルトくん、おはよう」
「…あっ! お前、えっと、確か…オーベルシュタインといつも一緒にいる…」
「オノヤマだよ。オノヤマ・トモコ」
「オノヤマ!オーベルシュタインはどうした?」
「ベアテちゃんは、風邪引いたらしくって、今日は休むって」
「なんだ。折角、今日こそ先に来…いや。そうか。フンッ、風邪を引くなど、体調管理がなっていないな!」

(私は体調管理に相当気を配っている。お前が風邪を引かないのは、ナントカは風邪を引かないという類のものだろう)

 そんな声が何処からか聞こえたような気がしたが、トモコは特に何も言わず、「風邪くらい誰だって引くことはあるよ」と曖昧に笑いながら答えた。

 玄関に着き、自分の靴箱の扉を開ける。いつも通り、そこには靴以外何も入っていない。隣のベアテの靴箱の扉を見ると、今日も靴以外のものがギッチリ詰め込まれていて、扉が今にも開いてしまいそうに膨らんでいる。『捨てておいてあげようか』と一瞬思ったが、『たぶん千切りにされるだけとはいえ、彼女に宛てられた手紙を自分が勝手にどうこうするのはよくない』と思い直し、トモコは何もしないでおいた。
 朝食を食べ、授業に向かう。そういえば、平日の日中にベアテと別行動をとり、1人で過ごすのは、入学以来これが初めてかもしれない。今日は誰も此方に視線を向けてこないし、話しかけてくる人も全然いない。ときどき話しかけてくる者があると思えば、決まってベアテの所在を聞くものであった。まるで、誰の目にも見えない幽霊になって、幼年学校の中を観察しているかのようで、新鮮な気分だ。
 
『彼女は本当に個性的な女の子だ』と改めて思う。たった1日、風邪を引いて休んだというだけで、これほど大勢の人が、何か物足りなさを感じてソワソワしてしまう。生徒も、先生もだ。
 例えば、今ひとつ勉強が足りていなくて、ベアテに「そこは違う」「それはこういうことだ」などと逐一厳しく指摘され、逆に教えて貰っている若い先生の授業では、風邪のことを伝えたのに、空いたベアテの席を、何か落ち着かない様子でチラチラと何度も先生は見ていた。
 いつもベアテに喧嘩を売る、たぶん呪いの手紙をベアテの靴箱に詰めていると思われる子達は、休み時間を手持ち無沙汰な様子で過ごしていた。
 ベアテのファンの後輩達は、こんなに天気が良いのにドンヨリと落ち込んでいた。涙を流す子すら見かけた。え?死んだの?

 そんなこんなで授業を終えたトモコは、放課後の空き時間を使い、ベアテの為にスポーツ飲料・果物・お菓子を買ってお見舞いに行くことにした。女子寮に戻り、ベアテの自室に向かうと、警備員たちが物々しい様子で扉の両脇を固めていた。「どうしたんですか」と聞いてみると、「あまりにも多くの学生が訪ねてきてしまうので、『見舞いも含めて誰も入れるな』と頼まれ、すべて引き取ってもらっているのだ」とのことだった。大変だなあ。
 トモコは、ベアテに買った見舞い品を入れた袋を見下ろした。すると、コレは渡せないかな。そう考えていると、警備員が「オノヤマ・トモコだけは入れていいと言っていたよ」と申し出て、道をあけてくれた。トモコは、「そうですか」と答え、警備員に会釈したあと、扉を控えめにノックした。「ベアテちゃん、トモコだよ」と声をかけると、「入れ」と返事が返ってきた。
 中に入ると、自分の部屋とは比べ物にならないほど綺麗に整理整頓・掃除され、飾り気が殆ど無いベアテの部屋があった。その部屋のベッドで、珍しく弱った様子のベアテが横になっている。

「よくなった?」
「…あまり。人が、来すぎて…まだグルグルする」
「ゆっくり休んで。警備員さん来てくれたし、明日はきっとゆっくり休めるよ。これ、飲み物と、果物と、あと、新作のお菓子。あげるね」
「…ありがとう」
「どういたしまして。今日の学校、すごかったよ」
「すごかった?」
「ベアテちゃんがいないと、皆落ち着かないんだなあ、って」
「……買い被り過ぎだろう」
「見せられないのが残念だなあ…ベアテちゃんがいない学校、ベアテちゃんにだけは見られないもんね」

 それを聞いたベアテはフッと笑った。「それじゃ、休めないと悪いから、もう行くね」と告げ、トモコは立ち去った。

 好意だったり、尊敬だったり、対抗心だったり、憎悪だったり。
 人に何らかの強い感情を抱かせずにいられない彼女こそ、将来、何かしら偉大な人物になれる器を持っている人間なのだろう。
 対して、自分はというと、多分、舞台をそっと彩る雑草のようなものだ。ある方が多少は舞台を見栄え良くするかもしれないが、誰の印象にも残らず、なくても別にどうにかなる。それは、ひょっとしたら寂しいものかもしれないが、ど真ん中の名主人公になりたいか、というと、そんなことはない。だって、こんなに大変そうだしね。
 雑草には、雑草なりの幸福な人生というものがある。それならそれで、主人公の人生と比べて、それほど不幸というわけでもないのだ。
 
 そんなことを思い過ごす彼女は、まだ、自分がベアテと共に、銀河帝国全体を揺るがす程の重要人物になるなどと、この時は思いもしなかったのである。