人を殴り殺すために生まれた男

 土が剥き出しにされた小道を通り、夕陽の差す草地をオフレッサー上級大将は歩いた。身の丈2メートルを超える彼の巨躯が、長い長い影を地面に落としている。彼の目的地は、この先にある乗馬クラブだった。そこにいる筈の人物に、彼は会いに来ていた。
 乗馬スペースを囲む木の柵に着くと、一組の人馬が駆けていた。巧みに手綱を操り、颯爽と駆け抜ける騎手は、オフレッサーにとって最も尊敬する上官――元上官、であった。

「閣下はよせ」
 馬を手入れするミュッケンベルガーは、そのようにオフレッサーを窘めた。
「事実を見ようともしない者達を、あの男は一掃する気でいる」
 オフレッサーがグッと呻く。彼には何故、敬愛する元・総司令官が、寵姫の弟として出世しただけの金髪の孺子を重く見ているのか、わからなかった。
 あの孺子に組したくはない。だが、正統派貴族連合とやらも、彼は好かなかった。生まれついての貴族ではなく、武勲によって貴族の称号を得た自分に、生来貴族の輩は表だって楯突くことがなくとも、心の中で見下していること明白である。それに、皇帝陛下を擁しているのも、今は、リヒテンラーデと金髪の孺子だ。軍人としてどうあるべきか、疑念もよぎる。
 ゆえに、ミュッケンベルガーに来て欲しかった。彼もまた生来の貴族であるが、真に爵位にふさわしい人物だとオフレッサーは思っていた。彼自身が皇帝陛下であったのなら、たとえ金髪の孺子とでも渋々手を結んでやれる。彼が居てくれるのであれば、なんのために、誰のために戦うのか、疑問を持たずに済むのだ。
 だが、断られてしまった。逆に忠告を受ける羽目になった。
 彼は悩んだ。どうするべきか。リップシュタットの晩餐会でも、彼は一人で壁にもたれ、悩み続けていた。
「……おれは、あの金髪の孺子めとの戦いを恐れ、逃げるような真似はしたくない」
 彼の結論はそれであった。

 そして、彼の人生は終幕へと転がり始めた。

      *

 その頃、オフレッサーは貴族ではなかった。彼は、とある裕福な貴族の非嫡出子――愛人の息子として生まれた。貴族の父親には本妻との子供がおり、彼が本家に迎えられることは無かった。その代わり、母は、愛人として十分に金品を与えられており、母子はさほど苦労せず暮らすことができていた。
 オフレッサーは巨漢だった父親に似て、十分な栄養を豊かな骨肉として蓄え、とびぬけた長身と重い筋肉を得た。運動は大得意で、闘争をこよなく愛した。徴兵の義務如何によらず、彼は軍人を強く希望し、召集の前から自ら士官学校へ向かった。そして、とくに白兵戦において絶大なる好成績を残し、入隊と同時に『軍曹』を任じられる。
『人を殴り殺すために生まれた男』――と、皮肉まじりに彼は言われた。彼はその称号を、胸を張って受け入れた。

 あるとき、彼は、叛乱軍こと自由惑星同盟軍との戦闘に参加することとなった。陸戦部隊に所属していた彼は、強襲揚陸艦に乗り込み、叛徒どもの艦へと乗り込んだ。
 潜入を受けた艦では、ゼッフル粒子が満たされていたため、銃撃戦が不可能となっていた。そこで彼は、よろこび勇んで巨大な両手斧を振り回し、武勲を次々に刈り取った。彼が通った通路は、叛徒の血と臓物で舗装された。戦果に満足し、ほとんど無傷のまま彼は帰還した。
 しかし、たった一つ、彼に不運な出来事があった。それは、今作戦で武勲をあげたいと思っていた、貴族の嫡男が同行していたことである。彼は、真偽はともかく、『オフレッサー軍曹に手柄を横取りされた』『意図的に攻撃されかけた』と主張した。無論、それらにオフレッサーの心当たりは無かった。そもそも彼が同行していたかどうかすら、オフレッサーの記憶にはなかった。彼は、『そんなことはしていない』と主張した。
 だが、銀河帝国の慣習どおり、平民と貴族の主張が異なる場合、貴族の主張が真実と判定された。彼に警告を告げる上官にオフレッサーは怒り狂い、武装はしていなかったものの、怒号と威圧で相手に尻餅をつかせた。上官は、おびえきった声で部下たちにオフレッサー捕縛を命じ、平民オフレッサー軍曹は、あわや謀反兵として処断されかけた。
「おれは無実だ、なぜ分からぬ!!」
 オフレッサーは怒りに怒号を叫び、向かってくる兵たちをちぎっては投げた。銃の使用許可がなされていなかったこともあり、体格で劣る下級士官たちに勝ち目はなかった。上官はすっかり怯え、あと少しで射殺を命じかけた。
 そのとき、凜とした力強い声が響き、争いを止めた。
「なにごとか」
 声の主は、査察に来ていたミュッケンベルガー上級大将であった。部下を引き連れ通りがかった彼は、味方同士の争いを前にしても、堂々たる威厳を保っていた。
「……! 上級大将閣下! 聞いて下さい。小官には、本当に身に覚えがないのです!」
 オフレッサーは、いの一番に主張した。ミュッケンベルガーがゆっくりと頷く。
「聞こう。畏れ多くも皇帝陛下の軍勢を、いたずらに損ねてはなるまい」

 ミュッケンベルガーが間に立ち、双方の主張が会話にてやり取りされた。結果、貴族の嫡男の主張には疑問が多すぎるとして、『オフレッサーの主張こそ真である』とミュッケンベルガーは断じた。嫡男の家柄がミュッケンベルガーに劣ることもあり、この件はこれにて片がついた。
 話が済んだあと、ミュッケンベルガーは面白そうに微笑みながら、不運なオフレッサーに声をかけた。
「災難であったな。わしが見たのは一瞬のことだが、貴官の戦いぶりは見事であった。失うには惜しい逸材だ」
 その言葉に、オフレッサーは強く感激した。彼は、瞳をうるませながら歓喜にふるえたのち、ミュッケンベルガーの前に膝をつき、頭を下げた。
「危ないところをお救いくださり、閣下には感謝の申し上げようもございませぬ。重ねてのお願い恐縮ではございますが、叶うならば、小官を閣下のもとで使ってはくださいませぬか。このオフレッサー、閣下に絶対の忠誠を誓います」
 すると、ミュッケンベルガーは「ふうむ」と一言つぶやいたのち、
「よかろう。貴官をわしが貰い受ける」
 と、言った。オフレッサーはまた頭を深く下げた。
「ありがとうございます!」

 ミュッケンベルガーは、オフレッサーを良く活用した。陸戦の必要があれば積極的に彼を用いた。プライベートにおいても、『貴族どもの使い方を教えてやる』と申し出、門閥貴族らの性質や扱い方、社交界への参加の心得を教え、ときにはテーブルマナーやドレスコードまで面倒をみてやり、たいそう可愛がった。オフレッサーはこれに喜び、深く感謝した。彼の忠誠心は、いっそう揺るぎないものとなっていった。
 ミュッケンベルガーの支えもあり、オフレッサーは次々に武功をあげ、また、貴族たちの嫉妬に妨害されすぎずに出世していった。そして遂に、彼は皇帝直々の叙勲を得、一代限りではあるが貴族の称号を与えられることとなった。
 オフレッサーは、非嫡出子でありながら貴族と成るに至ったこと以上に、敬愛するミュッケンベルガーによる功績が評価されたことを何より喜んだ。

      *

(これでいい。おれは、戦いに生き、戦いに死ぬ。閣下の部下として死ねなかったことだけが心残りではあるが、それを嘆いても仕方あるまい……)
 ミッターマイヤーとロイエンタールの作戦にまんまと嵌り、拘束されて連れてこられたオフレッサーは、そのように覚悟していた。これまで多くの者達を屠ってきた。彼自身にも、敗者として死ぬ覚悟ぐらいはある。
 ゆえに、オーベルシュタインなる孺子の参謀役が唐突に解放を告げたとき、オフレッサーは大いに困惑した。この状況で自分を解放するとは、いったいどういう了見なのか。
 オフレッサーと二人きりにするよう、ローエングラム陣営の双璧に告げたオーベルシュタインは、青白くか弱い見た目にも関わらず、肝は大樹のように据わっているようで、オフレッサーの拘束をすっかり解かせた上で二人きりになった。
 参謀の首は小枝のように簡単に折れそうに見えたが、オフレッサーは一切手を出さず、脅す素振りも見せなかった。この参謀一人を仕留めたところで状況は変わらない。なにより、自分を解放するというこの男の言を確かめたかった。
 参謀いわく、『この内乱で銀河帝国を疲弊させることは、ローエングラム侯も望んでいない』とのことである。
「閣下には、第三の道を拓くための使者となって頂きたい」
「武勲ゆたかな貴殿の進言なればこそ、貴族たちにも聞く耳がありましょう」
 参謀の言葉に、オフレッサーは少なからず自尊心をくすぐられた。
「……話は分かった。だがおれが、孺子の思惑通りに動くとは限らんぞ?」
 それでも彼は、盟主ブラウンシュヴァイクに進言するだけ進言してやろうとは考えていた。腐っても、あの孺子はミュッケンベルガーもと元帥に才能を認められている。それに、今現在皇帝を擁しているのは孺子の側だ。もしかすれば、妥協点も見出せるかもしれない……。
 与えられたシャトルの中で、彼はそのような希望的観測を抱いた。それが打ち砕かれるのは、ガイエスブルグ要塞に到着してからのことである。

(事実を……見ようともしない、者達……)
 アンスバッハに頭を撃ち抜かれる最期の瞬間、彼は、最後にミュッケンベルガーから言われた忠告を思い出した。あの夕暮れを、彼の憐れむ眼差しを。

 そして、彼は無に帰した。

Ende