よみがえり

 騒がしい声がする。聞き慣れた声が喧しく私を呼ぶ。
「戻ってこい」
 煩い。やっと眠るところなのだ、静かにしてくれ。
「許さんぞ」
 煩い。なぜ卿の許可が要る? 放っておいてくれ。
「貴様は、中々くたばらんことが唯一の取り柄だろうが」
 知らぬ。そんなことを取り柄にした覚えはない。10まで生きられぬ、成人まで保たぬ、あと何年あと何年と言われ続け、意外にも今日まで保っただけだ。
「ああ、それと、葬儀の上手さも取り柄に入れてやっていい。だからまだ死ぬな」
 煩い。もう誰の葬式もしたくないのだ。
「……どうしても行くのか? 未練はないのか?」
 ない。もうあの方もおらぬのだから。
「この国には、貴様の目につく不安の種がまだあるだろう?」
 他の者が対処すればいい。一番の不安の種は、他の者にとってみれば、きっとこの私だ。消えてもらえて助かるくらいだろう。……卿にとっても。
「よいか、『憎まれっ子世にはばかる』というだろう。良い奴ほど早く死ぬ。だからな、貴様がおれより先に死ぬのは気に食わぬのだ」
 知るか。なら例外と思え。
「わからんやつだな、おれがここまで言っているというのに! 貴様は本当に、武人の心というものがわからん!」
 煩い。卿が言うからなんだというのだ?
 もうこの国に私のするべきことはない。もう何もしないほうがよい。私はいないほうがよい。忠誠を尽くした相手ももういない。
 武人の心など確かに知らぬが、では卿には文官の心が分かるか? 後方で働く者の気持ちが分かるか?
 分からんだろう。前線のように敵が殺してくれたら、どんなにいいかと思う気持ちが。自分で死ぬのは癪だが、無様に生き長らえることも苦しい、この痛みが。
「……提督たちは、誰も『殺されたい』と思っていなかった」
 どうかな。卿も、他の者たちも、戦を好んだ。陛下も。
 責めはしない。そうでなければ、戦乱の世で栄達できなかっただろう。
 そして、多分、私も。
 ……さあ、もう行かせてくれ。私の出番は終わりだ。
 そう。真の囮は私だった。わざと、陛下ご自身を囮にするつもりに見せかけた。
 囮は、一人いれば十分だ。舞台が地上で、小道具が策謀なら、この戦場は私だけのものだ。だから、卿らにも偽った。まだ文句があるか?
「どうしても死ななければならないのか」
 生きて何をしろと? もう私は、政治にも関わるべきではない。……私もまた、血なまぐさい時代の申し子だからな。
「別に、他のことだってよいではないか。……旧い知り合いと時々話をするとか、卿の老犬を散歩につれてゆくとか」
 ……誰が私を訪ねてくるというのか。犬だって、そう長くはないのに。

「ならばおれが訪ねてやる」

 白昼夢のように曖昧なやり取りの記憶は、そこで途絶えていた。

      ***

 玄関の呼び鈴が鳴る。老執事夫妻には暇を与え、小さな家で一人暮らす私は、『おそらくいつもの客人だろう』と思いつつ、玄関口に自ら向かう。
 カメラで外を確認すると、やはり、見慣れたオレンジの髪が見えた。施錠を解除し、扉を押して開けてやる。
「毎度よく来る」
 挨拶がわりにそう言うと、相手はフンと苛立たしげに鼻息を吹いた。
「約束だからな!」
「そんな約束をした覚えはないが……」
「したのだ! ほら、どけ。荷物が重い」
 そう言い、両手に抱えた紙袋を示す。毎度律儀に、私が好きだと云った甘口のワインと、つまみに愛用しているブランドのチョコレートを持ってくる。
 体を通路の端に寄せると、ビッテンフェルトは中に入ってきた。紙袋をリビングのテーブルまで運び、下ろしてフウと息をつく。
「あ! 閣下♡ おいででしたか。ちょうど良かった」
 そのとき、外から別の男の声がした。振り返ると、癖毛の銀髪の男――元部下アントン・フェルナーがやってきていた。自分と同時に退役した彼は、どこぞで何かの事業をしているらしい。
「見て下さい、今日は、話題の品を並んで仕入れ……ぐえっ。ビッテンフェルト提督」
 当然のように敷居をまたぎ入ってきた彼は、先客を目にするや否や、輝く笑顔を苦々しいしかめ面に変えた。いつもながら、鮮やかな変化である。
 ビッテンフェルトも顔をしかめた。
「『ぐえっ』とはなんだ。あいかわらず無礼な奴め」
「おや、ご存知ない? これは、最近の若者に流行しているナウでヤングな挨拶でして」
「嘘をつくな!!」
 しれっとデタラメを言うフェルナーに、ビッテンフェルトが怒気をあらわにする。
「騒がしい……」
 そう言う自分の声が穏やかで、『私も変わったものだ』と感じた。

Ende