Detroitパロ
小さなものたち
その1

 ある日、ビッテンフェルトの様子がおかしくなった。
 声をかければ笑顔は浮かべる。しかし、とりつくろったような笑顔だ。仕事はきちんとこなしている。しかし、調子が悪いように見受けられる。
 気になった同僚ミュラーは、夕食を持ってビッテンフェルト家に訪問させてもらうことにし、悩みを聞き出すことにした。DPDの元気印・ビッテンフェルトの謎の消沈は、署内中の噂の的となっている。
『彼は、いったいどうしたのか』
 隠し事ができず、嘘をついたらすぐわかると評判のビッテンフェルト刑事のことだから、原因はすぐにわかるだろう。
 そう思って彼を訪ねたミュラーは、さいわい、予想通り原因を即座に発見できた。しかし、事態は予想より深刻だった。
「ただいま、パウル。遅くなってごめんな? …怒るなよ。ほら、同僚を連れてきたんだ。鉄壁ミュラー。話しただろ、覚えているか? ああ、いいんだ、座っていろ。調子が悪いものな…無理しなくていい。おれだって、お前が来る前はちゃんと一人で生きてたんだぞ。大丈夫だ」
 そう、ビッテンフェルトが優しく語りかけたのは、ソファに腰掛けた、ピクリとも動かないアンドロイドだった。ビッテンフェルトが語りかけても、もちろん返事をしない。しかし、ビッテンフェルトは、自分にだけ聞こえる応答と会話しているようだった。
 楽しそうに話す彼の目は、端的に言えば『イッて』いた。
 なんということだ。どうやら、相当気に入っていたアンドロイドがシャットダウンしてしまったらしい。
 アンドロイドを重宝している人でも、停止する遥か前に下取りに出し、新型に買い換えるのが普通である。しかし稀に、アンドロイドを家族や恋人のように深く愛してしまう人間もいる。そういう人にとっては、その特定のアンドロイドがかけがえのない存在であり、買い換えることがない。そして、停止してしまったら、その死を深く悼み、後追いしてしまう例もあるそうだ。
 どうやら、ビッテンフェルトは後者のタイプであったらしい。そういえば彼は、警察補佐モデルの名無しアンドロイドにあだ名をつけ、やたら親しげに話しかけたりしていた。
「なんだ、変な顔をして。ほら、飲むんだろ? 持ってきたものをテーブルに置いてくれ」
 ビッテンフェルトが笑顔で促す。ミュラーは無理に笑顔をつくってみたが、ひどくぎこちないものとなった。ビッテンフェルトをどうするかで頭がいっぱいで、それどころではなかった。
 後追い自殺に至っていなかったのは幸いだった。たかがアンドロイドにそこまで愛着を覚えてしまうとは、実に、気立てのいい彼らしくはある。だが、このままではまずい。
 ミュラーは、ある方策を実行することにした。この時の彼には、それが最善であるように思えた。

***

 思えば、様子がおかしかった。
 いや、おかしいという事もないのかもしれない。彼らの寿命を考えれば、決して早すぎることもなかったから。
『好きです、フリッツ』
「ああ、おれもだよ。パウル」
 ふと気づけば、OB800型《パウル》──アンドロイドの彼を迎えてから、10年ほど経っていた。
 いつからだっただろう、彼と並んで眠るようになったのは? いつからだっただろう、彼と触れ合うのが当たり前になったのは? 彼を愛するようになったのは?
 彼が、なくてはならない存在になってしまったのは。
 その日の晩、パウルは、奇妙なことを言ってきた。
『フリッツ』
「うん?」
『お願いがあります。もし、聞いて頂けるのなら』
「なんだ? なんでも言ってくれ」
 おれは、何の気なしに答えた。こいつがおれに『お願い』を言うのは初めてだったことに、この時は気づかなかった。
『私のことを忘れないでください。時々でかまいませんから、私のことを思い出してほしいのです』
「なんだそりゃ。忘れる訳ないだろう、毎日一緒にいるのに」
 ビッテンフェルトが答えると、パウルは微笑んだ。
『そうですね』
「変なやつだな。お願いってソレか?」
『はい』
「頼まれるまでもない。どんなに魅力的な人やアンドロイドに誘惑されても、お前を忘れたりしない」
『ありがとうございます』
「これでいいのか?」
『ええ』
「そうか。変なやつだな。じゃ、おやすみ、パウル」
『おやすみなさい、フリッツ』
 ビッテンフェルトがパウルに口付ける。これもまた、毎晩の習慣になっていた。
『あなたに会えて良かった』
「ああ。おれもだ」
 変だった。でも眠くて、明日も仕事があって、気づかなかった。自分の鈍さをこれほど呪ったことはなかった。
 翌朝、パウルはまだベッドにいた。珍しいこともあるもんだと思った。彼はいつもおれより先に起きて、朝食の用意をしてくれたから。
 顔を洗って戻って、彼を起こそうとして、理由に気づいた。
 パウルの目は開いたまま、動いていなかった。目だけじゃない。身体全体が、ピクリとも動いていなかった。まるで、等身大の人形になってしまったように。
 頭が真っ白になった。何を口走ったか、何をしていたのか、よく覚えていない。覚えているのは、仕事を休んで、ジャンク屋のポプランに電話をかけたことだ。
 ポプランは、親切にウチまで来てくれた。そして、パウルを診た。それから、首を振った。
「旦那。残念だが、パウルはもう──」 
 あとの話は覚えていない。
 ポプランは良い奴で、おれが落ち着くまで傍にいてくれた。だが、最悪の悪夢は、最悪のままでベッドに横たわっていた。

***

「ビッテンフェルト警部補。DPDの皆から、あなたにプレゼントがあるんですよ」
「おれに?」
「ええ。これまで沢山の功績をあげ、それだけでなく、心理面でも皆を支えてくださった警部補のため、皆でカンパして買ったんです。苦労しましたよ。なにせ、正規ルートではもう販売されていなかったもので」
「へえ、なんだろうな」
 ビッテンフェルトが笑顔を浮かべて返す。嬉しくなさそうというわけではないか、やはり、ぎこちない笑顔だ。
「さあ、こっちにおいで」
 ミュラーに呼ばれ、デトロイト市警オフィスの柱に隠れていた人影が姿をあらわす。
 ビッテンフェルトは、ヒュッと息を呑んだ。
『はじめまして、ビッテンフェルト警部補。私はOB800型、家事手伝い及びパーソナルアシスタント用アンドロイドです』
 あらわれたアンドロイドはパウルとそっくり同じ姿──同型のアンドロイドだった。
 ただ、その目だけはパウルと異なり、デフォルト色である焦げ茶色をしていた。
「古い型ですから、サイバーライフ直営店では売られていなくて、あやしげなコレクター店でようやく見つけられたのです。さっきまで箱入りだった新品ですよ」
『どうぞ、仲良くしてください。フリッツと呼んでもいいですか?』

「ふざけるな!!!!!」

 ガシャン、と、ビッテンフェルトが蹴り飛ばした椅子が吹き飛び、隣の同僚の机にぶつかる。和気あいあいとしていたオフィスは、水を打ったように静まり返った。
「あいつは……あいつは、『モノ』じゃない。生きていた。生きていたんだ。何のつもりだ? どういうつもりだ? あいつに替えなんかきかない。あいつは『モノ』じゃない!」
 ビッテンフェルトが叫ぶ。しかし、誰も彼に答えなかった。
「……ああ! そうだな! ほとんどの人間にとっちゃ、あいつらは皆、買い換えできる道具に過ぎないんだよな。おかしいのはおれだけだ。結構! おれのことも『不良品』として捨てて、どこぞから代わりを買ってくるがいい!」
 誰も答えないので、ビッテンフェルトがそうまくし立てた。
 ビッテンフェルトが私物をひっつかみ、誰もが彼を見つめる中、オフィスを憤然と出ていく。
 もう二度とここへ来るものか、と、彼は思った。
 オレンジ髪の警部補が出ていったあと、デトロイト市警オフィス内にいた者ですぐに動けたのは、OB800型アンドロイドだけだった。
 アンドロイドは、自分の所有者に名前や命令を貰うべく、ためらうことなく機械的に彼の後を追った。

***

 帰宅したビッテンフェルトは、まっすぐソファに向かい、そこに腰掛けさせているパウルの膝にすがって喚いた。
「パウル……パウル……どうしてだろうな。あいつら、なんであんな真似ができるんだ? おれがおかしいのか? なあ」
 フリッツは何も悪くありません。
「そうだよな、あいつらは酷い。情ってもんがない。警察のくせに」
 ええ。フリッツ、あなたは良い警察官です。
「ありがとう、パウル」
 ビッテンフェルトの肩が震える。笑っていた。
「……だが、おれは確かにおかしいな。だって、お前が『モノ』でも、そうじゃなくても、……どちらにしたって、今のお前は、しゃべらないもんな……は、は、ははは」
 パウルの『声』はしなくなった。
 ビッテンフェルトの目からボロボロ涙がこぼれ、パウルの膝にシミをつくる。彼らしく、大声を上げて泣く気力もわかず、ビッテンフェルトは静かに啜り泣いた。
 ああ、タンカを切って飛び出してきてしまった。パウルがいなくても、ちゃんと生きていかなきゃならなかったのに。
 また戻れるだろうか? 誠実に謝れば、もしかしたら。だが、謝りたくはない。……パウルを『モノ』扱いされたことは、たとえ死んでも肯定したくない。
 死。……死か。アンドロイドは、死んだら何処へいくのだろう。おれが死んで行く所には、パウルはいるだろうか?
 ビッテンフェルトの思考が不穏になってきた、そのときだった。

 バリィン!!!

「うわあっ!!」
 突如、リビングの大窓が割れ、破片が飛び散った。驚いたビッテンフェルトがそちらを見ると、割れた窓の向こうに犯人とおぼしき人影がある。
 そいつは、割ってできた隙間からズカズカと入ってきた。
「おまえは……!」
 窓を壊したのは、デトロイト市警に贈られたOB800型だった。どうやら、単独で勝手についてきたらしい。
 開封したてのアンドロイドは、堂々と侵入してくると、ビッテンフェルトにズカズカ歩み寄った。とっさに後ずさる彼に構わず、ガッシと両手で顔をはさまれる。
「ふぐう!?」
『脈拍、やや早いが異常なし。体温、36.8℃、正常』
「ふぁにをふる……」
 OB800が、ビッテンフェルトから手を離す。ようやく解放されたビッテンフェルトは、
「なにをする、」
 と、言い直しかけたが、今度は右の手首の下あたりを両手でギュッと掴まれ、
「いってぇ!」
 と、悲鳴に上書きされた。
 そのまま、OB800は強い力でビッテンフェルトの腕を掴んだままでいる。
「なんだ!? はなせ、はなさんか!」
『少々お待ちください』
「はああ!?」
『血圧測定完了。やや高いが異常なし』
 OB800は平坦な声で報告した。
 血圧を測っていたのか。そんな機能があったとは……。いや、なんでこいつ血圧測ったんだ。
『ご気分はどうですか?』
「は?」
『どこか、痛いところはありますか? 違和感などはありませんか?』
「なんだ、なんだ一体」
『……反応分析の結果、非常に強いストレスを観測しました。緩和を実行します』
「何を言って、」
 新しいOB800が、腕を大きく広げ、ビッテンフェルトを抱きしめた。
「うおっ!?」
 ぎゅうう、と、うごめくビッテンフェルトを押さえるように抱きしめる。
 生意気な新参を怒鳴りつけてやろうと思っていたビッテンフェルトは、意外なことに、苛立ちや不快感がぐんぐん収まっていくのを肌で感じた。
 30秒のハグは、ストレスを3分の1に低減する。
 そんな言説を、ビッテンフェルトは思い出した。
『……落ち着きましたか?』
 きっかり30秒経つと、OB800は、ビッテンフェルトを解放した。
「……おう」
『よかった。反射状態も良好です』
「ありがとな。……ところで、なんで窓を割った?」
 大破した窓ガラスを指さし、ビッテンフェルトが尋ねた。すでに、外の風が吹き込み、ちらばったゴミを転がしている。
『鍵を持っていないので入れませんでした。呼び鈴を5回鳴らしましたが、応答がありませんでした』
 そんなに鳴らされていたのか。気づかなかった。
『窓から屋内を確認したところ、警部補が苦しんでいるように見受けられましたため、緊急対応プログラムに基づき、窓を破壊して入りました』
「お、おう。そうだったのか……まあ、それなら仕方ないな」
『無事で何よりです』
 そんな機能があるなんて知らなかったぞ。
『ところで、いくつか確認したいことがあるのですが』
「なんだ?」
『フリッツと呼んでも構いませんか? ビッテンフェルト警部補』
「おう。いいぞ」
『ありがとうございます。フリッツ、私の名前は? 特になければ、《OB800》となります』
 ビッテンフェルトは、そう言われて考え込んだ。
 こいつを、パウルとは呼びたくない。だが、型番のままじゃあんまりだ。パウルと似た意味で、別の名前……。
「じゃあ、お前の名前は《クレメル》だ」
『私はクレメル』
 パウル同様、『小さな者』といった意味合いを持つ名前である。
『これからよろしくお願いします、フリッツ』
 ビッテンフェルトは、諦めたように笑った。
 こうなったら、「かえれ」って訳にもいかないな。

 こうして、ビッテンフェルト家に新しい家族がやってくることになった。
 かたくなに新しいアンドロイドを避けてきていたビッテンフェルトは、不思議なことに、晴れやかな気分だった。