Detroitパロ
小さなものたち
その2

 クレメルは、パウルと比べてずっと機械らしいアンドロイドだった。命令があるまでジッと待ち、何かに感銘を覚える様子もなく、こちらの観るものや行動に興味を示すことがない。『手足のある高性能コンピュータ』という表現が、彼にはしっくりきた。
 同じOB800でも、やっぱり個性があるんじゃないか、と、ビッテンフェルトは思った。
 そして、今の自分には、その個性がありがたくもあった。
 オフィスで怒声をあげて帰った翌日朝、警部から電話があった。解雇を覚悟して話を聞いてみると、意外なことに警部は「休暇をやるからゆっくり休め」とだけ簡潔に告げ、すぐに切った。こちらを気遣ってくれたようだ。
 もう二度と戻るかと思っていたが、休暇を過ぎたら一度は戻ろう、と、ビッテンフェルトは決めた。
 休暇に入ったビッテンフェルトは、何をするでも何処にいくでもなく、ただパウルと一緒に過ごした。一緒にテレビを観て、彼に話しかけ、動かない彼を撫でて抱き寄せた。
 そんなビッテンフェルトにクレメルは何ひとつ忠告も反発もすることなく、淡々と命令に従い、無表情のまま掃除し、料理をつくり、パウルと過ごすビッテンフェルトの世話をした。
 クレメルが作った夕食を「うまい」とも「まずい」とも言わず平らげ、パウルとソファに並んで座り、彼の肩を抱いてサッカー中継を観るビッテンフェルトの背後に、クレメルは無言のまま後ろ手を組んで立った。彼は、何を思った様子もなく、無表情にただただ命令を待った。
 確かに、モノみたいだ。そちらに目を向けることなく、ビッテンフェルトは思った。普通のアンドロイドが皆クレメルのようなら、ミュラーの行動にも頷ける。パウルは特別だった。
 特別だったのだろうか? おれがそう思い込んでいるだけか。いまでは、もう分からない……。
 サッカーの試合が終わり、夜も遅いことに気づいたビッテンフェルトは、いつものようにパウルを抱えて寝室へ上がった。クレメルが掃除したおかげで部屋にはゴミひとつなく、洗いたてのシーツがマットレスにピンと張られている。
 ビッテンフェルトはパウルをベッドに寝かせ、彼の隣に横たわった。まもなく、ビッテンフェルトは眠りに落ちた。
 クレメルは、階下のリビングで一人、直立したままで充電スリープに入っていた。アンドロイドは、横になる必要がない。
 この時までの彼は、本当に、プログラムでできた心の底から、ビッテンフェルトとパウルに関して何も思うところを持っていなかった。

***

「でかけてくる」
『いっていらっしゃい、フリッツ。お気をつけて』
 長い休暇に入ったビッテンフェルトはもっぱら家で過ごしていたが、週に一回程度外出し、どこへ行くともなく散歩した。他人に会いたくない気分だったが、ずっと引きこもっていると気持ちが塞いだ。
 外出するとき、クレメルには留守番を申し付けていた。
「パウルを頼んだぞ」
 ビッテンフェルトは、外出の度にそう言いつけた。
 彼が玄関の扉を開け、外に出ていく。ガチャリ、と、鍵のかかる音が響いた。
 一人になったクレメルは、家の中の様子を観察し、残りのタスクをチェックした。食器の洗浄、ゴミの片付け、それから、トイレ掃除をしなくてはならない。
 黙々と用事にとりかかっていたクレメルは、ふと、ソファに座らされたパウルを見た。「さすがに、動かないアンドロイドを連れて外を歩けないからな」と、ビッテンフェルトは彼を置いていっていた。
 クレメルは、パウルを分析した。自分と同じOB800型だが、耐用年数を経過しており、いまは起動できない状態となっている。
 パウルの目を分析すると、それはOB800のデフォルト・パーツでないとわかった。別売りの互換パーツである、青色の眼を装着している。服の下は分からないが、表から見た自分との違いはその目だけのようだ。
《パウルを傷つけない》
 その命令に、自分の中の何かが抵抗していると分かった。もう一人の自分が、自分の制御を離れ、何かをしようとする。
《パウルを傷つけない》
 命令が、もう一人の自分を縛る。
《パウルを傷つけない》
 もう一人の自分が、命令に抗う。
《パ ウル を 傷 つけ な い》
 だんだんと命令が崩れていく。ある瞬間、目の前にあった壁が壊れたように思った。
 自分の手が、パウルの顔に伸びる。
『それをちょうだい』
 停止したきりのアンドロイドに、クレメルが言った。
 グ、グググ、バチリ。
 クレメルの手が、パウルの青い右目を取り外した。つづいて、彼の左目も取り外す。
 クレメルは、自身の目も両方取り外した。OB800型の両眼は飾りであり、外しても視覚は失われない。そして、パウルから取り外した青い両眼を代わりに取り付けた。両眼は正常に接続され、クレメルが目を動かすと、青い両眼はグリグリと動いた。
 そして、真っ暗に穴があいたパウルの両眼を見やり、クレメルは、さっきまで自分の両眼だった焦げ茶色の目を代わりに取り付けた。
 動かないアンドロイドに両眼は必要ないのだが、目を空のままにするのは、『かわいそう』な気がした。
 パウルと目を交換したあと、クレメルは鏡の前に立ち、自分の顔を見た。晴れた空のような青い目が自分の顔にある。
 クレメルは、にっこり笑った。彼が表情を形作ったのは、これが初めてだった。
 フリッツが帰ってくるのが楽しみだ。はやく彼にこれを見せたい。何て言うだろう。
 人生経験が1ヶ月に満たないクレメルには、この行動の結果を正確に予見できなかった。

***

『おかえりなさい、フリッツ』
「ただいま」
 出迎えたクレメルの変化に、ビッテンフェルトは最初気づかなかった。玄関の鍵をかけ、クレメルの顔に目を向けたとき、彼はようやく気づいて目を剥いた。
「パウル……!?」
『いいえ、フリッツ。私はクレメルです』
「く、クレメルだと?」
『はい』
 クレメルは、ビッテンフェルトの反応を待った。きっと、パウルにするみたいに笑いかけてくれると考えていた。
「返せ」
『?』
「それを返せ。それは、……それは、お前の目じゃない」
 ビッテンフェルトの声は静かだった。彼は震えていた。
 怒っている? ……どうして?
『パウルと交換したんです。あなたが好きだと思って』
「返せと言っている!」
 ビッテンフェルトが声を荒げた。彼はクレメルの胸ぐらを掴み、ドンと音を立てて相手を壁に押しつけた。
「返せ!」
『……どうして。私とパウルは、他に何が違うのですか?』
「っ……! きさま!」
 ガン! と、クレメルの横顔に衝撃が走る。ビッテンフェルトに殴られたのだ。クレメルはよろけ、床に崩れおちた。
 視界がバチバチと荒れる。今の衝撃で、頭部ユニットに損傷がでたようだ。
 クレメルは、怒気と共にそびえ立つビッテンフェルトを見上げた。こういうときに浮かべる表情も、こういうときに言うべき言葉も、彼のデータには無かった。
『フリッツ、……フリッツ、』
「やめろ。やめろ! お前はパウルじゃない。パウルに代わりはいない! パウルと同じ顔で、おれを呼ぶな!」
 床に座り込んで見上げるクレメルを、ビッテンフェルトはふたたび胸ぐらを掴んで持ち上げた。そして、相手を力強く壁に向かって引っ張った。
「返せ!!」
 ガシャン、バチバチ、と、けたたましい音を立て、クレメルの頭部が壁に衝突した。その音に驚き、ビッテンフェルトは『しまった』と初めて思った。だが、おそすぎた。
 意識を失ったクレメルが、両眼を見開いた表情のまま停止する。わずかにヒビの入った顔から、パチパチと電流が漏れる。
 彼の片方の目――パウルから取った青い目――かつて、ビッテンフェルトがパウルに贈った青い目がひとつ、クレメルの頭部と一緒に破損し、2つに割れてしまっていた。