銀吸血鬼の失敗
その2

「フェルナー閣下!」

 ビクリ、と戦慄に身を震わせ、自らの真の名を呼ぶ声の出処に目を走らせる。誰だ? 何者だ? 正体によっては、ただちに始末せねばならない。おれの保身の為だけではなく、あの人の為にも。
 しかし、視線の先にいた人物は、あの人にも負けないくらい慣れ親しんだ、懐かしい顔をしていた。

「……そんな……ウソだろ……ハウプトマン?」

 震える声で自身の名が呼ばれたことを認識すると、同盟に溶け込めるよう変装したヤーコプ・ハウプトマンが嬉しそうにこちらへ駆け寄ってきた。フェルナーはたじろき、一歩後ずさる。ハウプトマンが、フェルナーの少し手前で立ち止まった。

「やはり、フェルナー閣下ですね」
「お前、なぜここに……何故こんな時間に……」

 疑問は次々に浮かぶ。おれが死んだと認識していない? おれと接触した、あの夜のことを覚えているのか? おれを探しに来た? なぜ? 何のために?
 フェルナーの頭に無数の疑問が巡ったが、答えが何であれ、すべき事はひとつだと考えた。彼の記憶は消せなかった。もし、どうしても消せないのだとしたら……。

「よかった。やっと、あなたを見つけられた……」

 ハウプトマンが涙ぐむ。フェルナーは行動をためらい、身体をこわばらせた。自分はもう人間ではなくなってしまったが、それでも、長い付き合いのある彼を易々と殺せるようにはなっていない。
 そもそもなぜ、こいつはおれを探していたのだろう?

 ハウプトマンが、フェルナーの両腕を掴み、彼を捕らえた。そして、真正面から相手に向かって真剣な眼差しを注ぎ、口を開く。

「お願いです。私を、あなたと同じ吸血鬼にしてください」

 フェルナーは、翠の目をパチパチと瞬かせた。

「…………なんだって?」

***

「あの夜のことは、最初はあいまいでした。何日かは、貧血でボンヤリしつつもいつも通り働いておりました。しかし、体調が戻るにつれて、あなたと最後に会った記憶が夢ではないと分かりはじめました」

 フェルナーに連れられ、廃墟化した地下通路のガレキに座ったハウプトマンが説明し始めた。
 ここは、屋外で活動中に日の出の時刻が近づいてしまった場合に備え、避難所としている場所のひとつである。本当は家が一番安全ではあるのだが、あの真吸血鬼が『処分の必要あり』と判断する可能性を否定できず、フェルナーはいったん、ここで彼の話を聞くことにした。

「元帥たちが見たという『紅い目をした軍務尚書の幽霊』の話も、あれが夢ではないと判断する材料になりました。軍務尚書は、吸血鬼だった。彼は死んでいなかったのだ。フェルナー閣下、あなたも……。あなたはあの夜、棺に入れられ、埋められた軍務尚書を迎えに行っていたのではないですか?」

 たいしたものだ。フェルナーは舌を巻いた。さすがは、俳優も目を剥く名演でガイエスブルグ要塞を内側から崩壊させ、帝国の夜明けに一役かった人間だ。

「そうと分かってからは……居ても立っても居られなくなりました。あなたが行くのなら私も行きたくて」
「……人間やめてまで、か? 別に、おれだって『なろう』と意気込んで『なった』訳じゃない。そりゃ、多少、人間より優れた部分はあるが、日照で即死することを考えれば、ほとんどメリットなんか無いようなもんだ。自分のせいでトチッて、うっかり一度死んでしまって、たまたまこうなって、たまたま、ご親切にも、先輩吸血鬼である軍務尚書が『吸血鬼としての生き方を教えてやる』と申し出てくださったから、おれはこうしてここに居る。悪いことは言わない。おれは死んだと思って、すべて忘れて帰ったほうがいい」

 フェルナーがそう言うも、ハウプトマンは首を振った。

「私は、あなたの傍に居たいのです」
「何故だ」
「……お慕いしておりました。いえ、お慕いしているからです」

 フェルナーが、ギョッ、と目を剥いた。ハウプトマンは、恥ずかしそうに目を伏せ、だが、聞き間違えようなくハッキリと繰り返した。

「ずっと、お慕いしておりました、閣下。この想いは、墓場まで隠して持っていくつもりでした。あなたに仕えて死ぬか、あなたを見守り生き、寿命尽きるまで……」

 衝撃的な告白を受け、フェルナーが目を白黒させる。嫌な気はしていなかった。むしろ、彼ほど有能な部下に、そこまで深い想いを抱かれるに足りた自分を誇りたい。しかし、彼の想いを受け取る訳にもいかない。未来永劫ともに在ると、別の人物にもう誓ってしまったから。

「フェルナー閣下は、尚書閣下を慕っておられましたね」

 なんと言おうか悩むうち、そう言われ、フェルナーはまた目を剥いた。

「それで、ついて行かれたのでしょう。存じております。ずっと、見てきましたから。私の想いには、お応え下さらなくとも良いのです。ただ、あなたの後ろに居させてほしい……尚書閣下の傍に仕える、あなたの後ろに」

 ハウプトマンがフェルナーを見据える。純粋で、悲しげな眼差しだった。フェルナーは腕を組み、どう応じるべきかを思案した。
『ローマンさん』となった閣下は、いちどに一人だけしか眷属を連れないと言っていた。それが最も効率的に管理でき、お互い長く生きられる方法だと彼が判断したためである。
 しかし……もし、おれが面倒を見るのだとしたら? 閣下は、おれの面倒をみてくださる。そして、おれ自身は、あるいは……。

「…………人間には戻れなくなるぞ。それでもいいのか?」

 重々しい口調でフェルナーが尋ねると、ハウプトマンが深く頷いて返した。

「覚悟の上です」

 フェルナーが頷き返す。そして、腰掛けていたガレキから立ち上がると、ハウプトマンの前に立った。

「宿泊先はどこかな、ハウプトマン大佐」

 フェルナーの翡翠色の目は、琥珀の色に変わっていた。