殺人鬼のフェルナーとオーベルシュタインの話
その6

「─────あまり、調子に乗るんじゃない」

 偶然、勝ち馬に乗れただけの成り上がり者めが。

 そのように考えている様子を隠そうともせず、その日、新王朝の軍務尚書を応対した官僚は、軍務尚書に対し、別れ際に小声で脅しをかけてきた。
 あまりに影響力が小さいために、偶然、今日まで見落とされ、今の職の座にすがりついていられただけの旧王朝の残りカスに、オーベルシュタインは無言のひと睨みで応じた。言葉を発する必要性すら、感じられなかったためである。
 軍務尚書のそうした考えは正しかったようで、その眼光を浴びると、『自分が戦える訳でも、戦場の指揮ができるでもない、痩せっぽちの名ばかり軍人』と彼を侮っていた官僚は、おもわず恐怖に息を呑んだ。
 小心者の高慢な官僚は、フンと鼻息を荒げ、なけなしの勇気をかき集めると、できるだけ毅然と見せたいといった様子で、実際には脚の震えを抑えながら去って行った。

 その官僚が通り過ぎた瞬間、軍務尚書の後ろに控えていたフェルナーが、官僚の視界の外でぐるりと振り返り、去っていく彼の後ろ姿を見据えた。翠玉色の目には、異様に猟奇的な光が宿っている。

「フェルナー」

 自らは振り返らぬまま、軍務尚書は副官に呼びかけた。フェルナーの目の光が平常に戻り、その視線の先が上官の方へ向けられる。

「はい」
「捨て置け」
「…承知しました」

 上官の命を受け、フェルナーはうやうやしく片手を胸に当てて頭を下げ、御意を示した。その顔には、“おあずけ”をくらい、少々残念といった様子の表情が浮かんでいた。
 フェルナーが顔を上げてみると、オーベルシュタインが手帳を取り出し、愛用のペンを走らせて何やら書きつけていた。書き終わると、そのページを1枚破り取り、フェルナーへ手渡す。
 そこには、先日、軍務尚書が対談した、別の元ゴールデンバウム王朝官僚の姓名が記載されていた。

「…御意」

 フェルナーはニッコリと笑みを浮かべると、愛しの上官の直筆のメモを折りたたみ、大事そうに胸元へ仕舞い込んだ。

──────────

「仲直りしたようだな」

 御前会議終了後、ひとり高級士官ラウンジに向かう軍務尚書を追い、入ってきたビッテンフェルトは彼に声をかけた。ふいに声をかけられたのだが、予期していたかのように平静を保ったまま、軍務尚書が振り返って彼を見る。

「…『和解』した」
「好きに呼べばよいわ。それで、和解なり仲直りなりはできたのか」
「…ああ」
「なんだ、嫌われる以外のこともできるのだな、卿は。見直してやってもいい」
「…私も意外だった。卿のやり方に倣ったところで、いっそう状況を悪化させるだけに違いないと思っていたが」
「クッ……!」

 平時の皮肉が冴えを取り戻した様子の軍務尚書に、ビッテンフェルトは一瞬でも彼を案じた自分を恥じ入るような気持ちになりかけた。
 しかし、相手がかの軍務尚書とはいえ、自分のお陰で人と人との仲を取り持てたということには、悪い気はしなかった。

「……で、具体的には、どうしたのだ」
「……彼の家に行った」
「ほうほう。で?」
「………込み入った話をした」
「……ふむ。それで?」
「…話し合った。平時より長く、彼の言い分をきき、私の意を話した。…いくつか、取り決めをして…済んだ」
「………うむ。まあ、個人的な話題もあったことだろう。話の内容は聞かぬ」
「そうしてもらおう」
「取り決めとは?」
「…彼を、副官の任から外す代わりに…飲みに付き合ってほしい、というので、そうすることにした」
「…おお、おおお? …そら、見てみろ。だから言ったではないか! 最初から、おれの言ったとおり、飲みに誘っておけば解決したではないか! はっは!」

 ビッテンフェルトは我が意を得たり、とばかりに笑い、軍務尚書の痩せた肩を豪快に叩いた。その力強さにオーベルシュタインはよろめき、猪に例えられる提督を眉をひそめて見据えた。

「しかし、卿は意外と部下に好かれているのだな」
「………そんなことで良いとは、私も思ってはいなかった」
「上手くいって、良かったではないか」
「…ああ」

 そう答える軍務尚書は、平時同様、愛嬌や感情や同情といったものに一切無縁な様子であり、『良かった』のやら『悪かった』のやらまるで検討がつかなかった。

 だが、ビッテンフェルトにはどういうわけか、その時の軍務尚書が嬉しそうに微笑んでいるように思われた。

──────────

「夢のようです」

 閑散とした静かな高級バーの一角に陣取り、カクテルを揺らしながら、フェルナーは少々大げさに感動を表現した。自宅で飲みなれている銘柄のワインを注文し、手元にそのグラスを置いたオーベルシュタインは、『大げさだ』と言葉にするまでもないとばかりに、ただ義眼の目を細めてみせた。
 ふと、銀髪の副官の翡翠色の目が、オーベルシュタインの背後の何かをとらえた。それを見て、オーベルシュタインも視線の先を追う。壁一面の窓の向こうに、副官たちに両側から支えられ、うつむいたまま引きずられていくオレンジ色の髪の提督の姿が見えた。

「…あれは…どうしたのか」
「ああ、酔いつぶれただけでしょう。よくお見かけしますよ。あの方は、副官たちと飲みに出かけるのがお好きなようですが、アルコールにはどういう訳か弱いそうで。…よく、ああして潰れて、連れてきた副官たちに、逆に連れて帰って貰っているようです」
「……難儀なことだ」
「閣下は、これまた、お強いですね。全然、酔っておられぬようにお見受けしますが」
「ワインならば、よく、夕食の共にする。…それほど多く飲むことはないが」
「貴族らしいですな。あの方とは大違いで」
「…ゴールデンバウム王朝が与えた特権など、自慢にならん。……それに、あの男は存外、あれなりの知恵を持っている」
「…そうなのですか?」
「うむ。…ああいうものも居るほうが、帝国の将来に資するのかもしれんな…」
「閣下にそう言わせるとは」
「フェルナー」
「はっ」
「…私は、この先も、あの男とは相容れないだろう。対立もあるだろうし、摩擦もあるだろう。…だが、彼を損なわぬようにせよ」
「…御意」

 フェルナーはカクテル・グラスを軍務尚書に向かって軽く掲げ、そのあと中身を飲み干した。
 ちょうどその時、バーに備え付けられた大型ディスプレイに、とある官僚の遺体が発見されたことを報じるニュースが流れた。

 多種多様な住民たちを等しく包み、銀河帝国の夜が静かに更けていく。

Ende