マフィアなオベ兄弟とディーラーなフェルナーの話
その6

「だめだ」
「兄さん」
「考え直せ」
「考えは変わりません」
「おれに、ひどい真似をさせないでくれ」
「それは脅しですか?」
 つんと顔をやや上向かせて兄を見下ろし、冷ややかな義眼の視線をあびせかける。彼の上位にあるはずの兄頭目シュテファンも、今は弟の気迫に押されていた。
「脅しというわけではないが……」
「それはよかった。『家が焼かれた時のことを思い出させてやろうか?』とでも言われたら、めそめそ泣いてしまったかもしれません」
 泣く気配など微塵もない様子で、皮肉たっぷりに弟が言うと、頭目は、ソファの座面に少し深く埋まったように見えた。
「冗談です。あんな家、キャンプ・ファイヤーの薪材にしたほうが、世の為になりました」
「そ、そうか……そうだよな」
 使用人たちが1人でも亡くなっていれば、パウルの意見も違っていた。だが、彼らがほぼ傷を負わないよう仕掛けられた襲撃で命を落としたのは、かれら二人の息子を振り回し続けた、にくき実父のみである。
 世継ぎのパウルが健在で、火災の保険は下り、さらに、財産の半分程度はそもそも銀行や荘園などにあったため、使用人たちには十分な退職金をやれた。そして、家なき者となったパウル自身は、ハウンドに引き取られ、兄と共に生きている。
 彼らは、上手くやっていけているはずだった。少なくとも、シュテファンはそう思っていた。
 だが今、弟パウルは『ハウンドを抜ける』と言い出したのである。
「お前だけでどうするつもりなんだ? だいたい、その……家だって、今は他にないだろう? どこに住むつもりだ?」
「兄さん。私は子供ではないですし、自分のシャツひとつ着られない類の男でもありません。仮住まいにしろ、長期の滞在先にしろ、私ひとりで手続きも契約もできます。ハウンド傘下の店舗との契約書類を見てごらんなさい。だれが作ったか、よもやお忘れではございませんでしょうな?」
 シュテファンはううんとバツ悪そうに唸り、押し黙った。弟の言うことはもっともで、上納金を納めさせている傘下との細かな契約書のほとんどは、副頭目パウルが監督して作成・契約されたものであった。
「……だが、おれたちのような輩には、実戦闘がつきものだ。お前だけでは、そうなったときの分が悪いだろう?」
 シュテファンがそう申し出てみても、弟はニヤリと笑った。なにか考えてあることを、兄頭目は表情だけで察することができた。
「彼をもらいます」
 そう言うと、副頭目は、そばに控えていたフェルナーの肩をたたいた。フェルナーが狼狽して青ざめた。
「引き抜きの賠償金はお支払いしますよ」
「な……!? フェルナー、おまえ…」
「と、頭目。私はなにも……」
 フェルナーが言い訳しかけると、副頭目が肩をギュッと固く掴んだ。そして、彼の耳元に顔を寄せ、頭目に聞き取れない音量でこう耳打ちした。
『今この場で、お前の家で我々が何をしていたか、頭目にバラされたいか?』
 フェルナーが震え上がる。
 すっかり色をなくしたディーラーを見て、シュテファンは、『少なくとも、フェルナーが逆らえなくなる何らかの弱みを、弟はすでに握ったらしい』と察した。ならば、フェルナーを責めるのはお門違いというものだろう。
「どうしても、考えは変わらないか?」
「ええ」
 副頭目があっさり応じる。
「そんなにおれが嫌か?」
「そのようなことはございません」
「お前がいてくれないと寂しいよ」
「兄さん。なにも、今生の別れと言っている訳ではございません。なんなら『溜まった時』呼んでくだされば参ります」
「そういう意味で言ったわけじゃない!」
 顔を赤らめてシュテファンが反論する。
 副頭目はおそろしい人だ、と、フェルナーは改めて感じた。
「……せめて、これからどうするつもりなのか、教えてくれ」
 兄に問われ、いたって真面目な態度で弟は応じたが、内容は冗談じみていた。
「この国を滅ぼし、あたらしい国にします」
 シュテファンが仰け反った。フェルナーも、聞くのは二度目とはいえ、まばたきした。
 本気なのだ。この方は。
「……悪い夢でも見ているのか?」
「それは、これから決まることです」
 副頭目は堂々と応じた。シュテファンは頭をかかえ、「あー」「うー」などの無意味な声をあげ、しばらくその状態でいた。
 だが、やがて、『弟の説得は無理らしい』と彼は結論づけた。
「…………わかった。だが、ひとつ約束してくれ。『危なくなったら、すぐにおれに言う』と」
「承知しました」
 副頭目が応じる。そして彼は、その場から出ていくことにした。その日その時が、弟副頭目パウルと、ディーラー・フェルナーの、ハウンドで過ごす最後の日となった。
 出口で一度、パウルは振り返り、兄に笑顔をみせた。
「私は実に、良い兄に恵まれました」
 それが、彼らのしばし別れの挨拶となった。
***
 パウル・フォン・オーベルシュタインの野望は、現実となった。旧王朝に代わって、ラインハルト・フォン・ミューゼル、あらためローエングラムとなった若旦那が皇帝となり、パウルはその参謀役に収まることとなったのである。
 国家による社会治安の回復に伴い、マフィアなどの保護需要は減少し、裏社会勢力は勢いをそがれていった。政府から反社会勢力と認識され、マフィアへの取り締まりがキツくなると、パウルは兄の後ろ盾となり、兄と彼の連れの安全を生涯保証した。
 引き抜かれたアントン・フェルナーも、パウルの副官役として高い地位についた。人生をかけた彼のギャンブルは、十分なリターンをもって報われることとなったのである。

Ende