オーベルシュタインの娘
その1

 華麗にして秀麗、神の最高傑作の如き比類なき美貌を備え、戦争の天才でもあった獅子帝ラインハルトの崩御より、16年。新帝国暦19年を迎えた銀河帝国、大都市惑星オーディンの中心部、獅子幼年学校の早朝の中庭を、1人の女子学生が毅然とした様子で歩いていた。
 この幼年学校は、偉大なるローエングラム王朝の始皇帝ラインハルトの母校であり、帝国屈指のエリートが集う軍人養成学校である。旧ゴールデンバウム王朝において、この学校は貴族幼年学校と呼称されており、入学できる者は貴族の子弟に限られていた。だが、現在ではその門戸は全ての身分の子弟、さらに子女にも開かれている。入学の可否は、生まれの身分や支払える金銭の額ではなく、極めて高難易度の、実技を含む入学試験によって決定されるようになった。学校の名称も、始皇帝ラインハルトの渾名“獅子帝”にちなみ、“獅子”の名を戴くものへと変更された。
 脇目もふらずに進むその少女は、この後の朝のトレーニングに備え、幼年学校指定のジャージを身につけ、セミロングの髪を1つに束ねて結っていた。早朝の風に揺れるその髪には、痛々しいことに既に若白髪が幾分か含まれている。この白髪を誤魔化そうと、彼女の幼い頃から面倒をみてきたメイドは、彼女の髪を染めようとしたが、彼女は頑なにそれを断ってきた。彼女は、むしろその白髪を誇りに思っていたのである。
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥の令嬢フロイライン、幼年学校4年生14歳のベアテ・フォン・オーベルシュタインは、いつものように普通の学生よりも早起きし、中庭の中心へ向かっていた。幼年学校の中庭の真ん中には、偉大なる獅子帝ラインハルトの原寸大の銅像が建てられている。
 始皇帝の銅像の前に辿り着いた彼女は、踵をカツンと合わせて背筋を伸ばし、銅像に向かって完璧な敬礼の姿勢をとった。かつての旧王朝では、皇帝の偶像に対する敬礼は全国民の義務だったが、始皇帝ラインハルト自身の生前の命令により、その義務は撤廃されて久しい。これは、誰に命令されたわけでもない、彼女自身が決めた、彼女の日課であった。
 生まれつき目が見えず、光コンピューターの義眼が必要な父親と違い、彼女は申し分ない視力のある健康な両目を持って生まれてきた。身体は五体満足で、今日まで長く病気を患ったこともない。健康優良児そのものであった。
 その両目には、苛烈ではないが、静かなる野望に満ちた輝きが秘められている。しかし、かつてのラインハルトのように王朝打倒の野望を秘めているのかというと、そんなことはない。彼女は、このローエングラム王朝に生まれてこられたことを心から感謝しており、この銀河帝国を愛していた。彼女が秘めている野望とは、父親の後を継ぎ、女性初の軍務尚書・帝国元帥となることである。
 その願いは、父親の地位を思えば自然な流れのように思われるかもしれないが、実際には自然な流れには程遠い。広大な宇宙、無数の星々、そしてそこに暮らす膨大な数の国民を支配する銀河帝国において、皇帝に次ぐ地位・帝国元帥となることは、どのような生まれの者であっても容易なことではない。まして、彼女の父親はあのオーベルシュタインである。娘だからといって、彼女の人事を優遇することはありえない。いや、娘だからこそ、彼は他の誰よりも厳しい人事を彼女に課すだろう。士官学校の卒業後、希望している軍務省へ彼女が直ちに配属されるなどという事はありえない。彼女がどれほど優秀な成績を収めたとしても、他の元帥すべての言を曲げてでも、最前線の辺境惑星か、最底辺の後方勤務へと彼は娘を配属させることだろう。
 これは、何も意地悪をするというわけではない。皇帝でもない只の重臣を、実力を量ることなく血統によって決めるようにしてしまえば、長い目で見たときにローエングラム王朝の寿命を大幅に削ることになるためだ。始皇帝ラインハルトとて、最初は極寒の辺境惑星カプチェランカに配属され、そこで実績を挙げて成り上がっていったのである。
 平和な時代には、平和な時代なりの苦労がつきものだ。軍務尚書・帝国元帥を目指すのであれば、どのような小さな腐敗も見逃さず掃除でき、帝国全体が腐ることを防げなくてはならない。生まれを頼りにトントン拍子で父親の地位を継がせてもらえてしまう、などということになれば、自分には腐敗を見つける目が育たないであろう。最前線の辺境惑星も、最底辺の後方勤務も、その点ではうってつけだ。そうした場所では、どんな平和な時代でも自然と腐敗が集まってくる。彼女は、どのような場所に行っても、確実に、誰の目にも明らかな実績を挙げられるよう、毎日を無駄なく自身の能力向上に費やしていた。
 いつか、誰に後ろ指をさされることなく、父親が自分を軍務省へ迎え入れてくれるように。

 後ろから、息切れしながら何者かがドタバタと走り寄ってくる音がした。フロイライン・オーベルシュタインは、この人物が誰であるかをわかっていた。ひとしきり、始皇帝の銅像への敬礼を済ませた後、彼女は腕を下ろして肩越しに振り返り、どこか冷めたような目つきで駆け寄ってきた男子学生の方を見た。
 オレンジ色の髪。筋骨隆々とした胴体の上に、やや不釣合いな細面の顔。ビッテンフェルト元帥の息子、同じく幼年学校4年生14歳のヴィクトール・リュディガー・ビッテンフェルトである。

「……ッ!くそっ、また貴様に先を越されたか。オーベルシュタイン…!」

 息切れ混じりに、心底悔しそうにビッテンフェルトは言った。何度聞いたか分からないその台詞を、フロイライン・オーベルシュタインは心底どうでもよさそうな顔で聞いた。

「私はいつも同じ時間にここに来ているだけだぞ、ビッテンフェルト。お前があと5分でも早く来さえすれば、私が先に来ることなどない。目覚ましを5分か10分、早く設定したらどうだ」
「う、うるさい!早く設定すれば、その分、うとうとしてしまって準備が遅れているだけだ!」
「知ったことではないな。私にモーニング・コールをしてほしいとでも?」
「朝から貴様の声を聞くなど冗談ではない!済んだのなら退け、おれもラインハルト様へ敬礼し奉るのだ!」

 フロイライン・オーベルシュタインはフイッと顔を始皇帝の像へ向け直すと、像へ軽く会釈したのち、トレーニング場へ向かう為にビッテンフェルトに場所を空けてやった。ビッテンフェルトは、先程までフロイラインが立っていた場所に立つと、力強く背筋を伸ばしてビッと銅像へ向けて敬礼した。そのあと像へ急ぎ会釈し、早足で歩き去っていくフロイラインに小走りで追いつくと、彼女の横に並んでトレーニング場へ向かった。

「今日こそ腕立て伏せの回数で貴様に勝つ!」
「そうか。頑張るがいい。私はお前の回数を数えないから、自分で数えろよ」
「ちゃんと数えているだろう!…だいたいは!」
「そうだな」
「どうでも良さそうに返事するな!おれは真剣なのだ!」
「そうだな」
「……クッ…今に見ていろよ!」

 親の影響か、それとも遺伝子に刻まれた宿命か。ビッテンフェルトの息子とオーベルシュタインの令嬢フロイラインは、旧知の仲でありながら犬猿の仲であった。より正確に言えば、ビッテンフェルトがオーベルシュタインに一方的に対抗心を燃やしており、それをオーベルシュタインは冷たく受け流していた。

 今日も、獅子幼年学校の1日が始まる。