オーベルシュタインの娘
その2

 白髪混じりの髪の少女とオレンジ色の髪の少年が、透明な2枚の壁を挟んで広い部屋の両端に向かい合って立っている。2人の間にある透明な壁は、3D戦術戦略シミューレーター・ディスプレイの描画範囲を囲むものである。ディスプレイには、魚群のように集まった小さな戦艦のモデルの群れが浮かんでいた。少女の側には、分厚い群れが残されている。一方、少年の側には、まばらな群れしか残されていなかった。
 その少年、ヴィクトール・リュディガー・ビッテンフェルトはガクンと膝をつき、四つん這いになって顔を伏せた。

「あああぁぁぁあああ───!また負けたぁ───!」

 対戦相手の無念の叫びを聞いても、勝利に浸る様子も、何かを思う様子もなく、フロイライン・オーベルシュタインは冷めた表情を浮かべていた。

「これで485戦485勝0敗か。お前の戦術は、毎度ワンパターンな上に単調にすぎる。いい加減、猪突以外の手を学べないのか?飽きた。付き合う方の身にもなれ」
「クッ……貴様の戦術はどれも毎回卑怯すぎるのだ!今回とて、グルグルと逃げ回ったと思えば、こそこそと背後から補給を断ちおって!たまには、男らしく正面から正々堂々、かかってきたらどうだ!?」
「私は女だ」
「……ッ!くっそぉぉぉ───!」
「大体お前は、実戦で、敵に対しても『卑怯だ』と罵り、無様に敗北するつもりか?」
「……ッ!」
「このような戦術は、過去に獅子帝ラインハルトも用いられた、今では戦の常套手段といってもいい戦術だ。お前は、偉大な始皇帝の戦術を卑怯者の戦術と罵るつもりか?」
「うぅぅぅ……!…くっ、可愛げのないまな板め…!」
「可愛げがあるとは『おれの思い通りに動く好みの女である』という解釈で合っていると思うが、そうでないとは全く有難い。それに、軍人に贅肉は不要だ」
「…貴様のような女に嫁の貰い手など見つからないだろうな!」
「結構。それなら私は、生涯オーベルシュタインを名乗れるというもの。父上とて、私がオーベルシュタイン家を途絶えさせた所で文句など仰らないだろう」

 矢継ぎ早に飛び出す言葉の反撃で負け惜しみすら残らず封じられ、ビッテンフェルトは呻き声をあげて項垂れた。試合終了と同時にシミュレーション・ルームの扉が開き、背後から観戦していた彼の友人達が入ってくる。友人達は、「よくやったよ」「いい線いっていたぞ」「元気だせよ」とビッテンフェルトに声をかけ、順々に彼の肩や背中を軽く叩いて慰めた。試合が始まる前から敗北を予期し、彼の好物を事前に用意しておいて差し出す者すらいる。
 一方で、オーベルシュタインの背後の扉からもゾロゾロと女子学生が入ってきた。最初に入ってきた女子学生は、よくオーベルシュタインと行動を共にしている同級生の彼女の友人である。彼女は「ベアテちゃん、今回も圧勝だったね」などとオーベルシュタインに気さくに声をかけた。残りの女子学生はというと、3年生以下の後輩ばかりで、入っては来たもののオーベルシュタインから距離をとっている。そして控えめに、「今日の試合もお見事でございましたわ」「流石はオーベルシュタインさま」「お飲み物をお持ちしました、よろしければ…」などと口々に声をかけてくる。後輩達の目には一様に崇拝の色が宿っていた。
 ビッテンフェルトは自分の周囲を見渡した。彼を囲んでいるのは、大事な友人には違いないのだが、同級生の同性の友人達ばかりである。後輩が観に来る事は無いし、何より異性は全く寄り付かない。もう一度、オーベルシュタインの方を見た。陶酔した様子で彼女を見る後輩女子学生たちの中には、中々可愛らしい上玉の女の子も幾人か含まれている。
 くそ、なんだってオーベルシュタインの奴などに!
 ビッテンフェルトは相手も女であると頭ではわかっていながらも──しょっちゅう忘れてしまうのだが──余計に敗北感を覚えた。

 試合を終え、失意に暮れながら友人達と共にトボトボと歩いていると、「ビッテンフェルト先輩」と声をかけられた。ビッテンフェルトが振り返ると、見知らぬ後輩の男子学生が自分を見ていた。

「突然すみません。実は、折り入って先輩に相談したいことがあるのです」
「……ほう!なんだ、言ってみろ」

 後輩学生がチラリと遠慮がちに、ビッテンフェルトの友人達へ視線を向けた。ビッテンフェルトは『人に聞かせたくない相談なのかもしれない』と思い至り、友人達に先に行くよう頼んだ。他に人がいなくなると、後輩は意を決したように口を開いた。

「実は…! 僕…オーベルシュタイン先輩のことが、好きなんです…!」

 ……………。

「身分違いだって、わかっているのです。でも、どうしても諦められなくて。ビッテンフェルト先輩は、オーベルシュタイン先輩と幼なじみだと聞きました。ですので、その、よかったら、アドバイスを…」
「知るかァァ─────!!!」

 ビッテンフェルトは雄叫びをあげた。後輩はヒッと息を呑んで縮こまった。

「またか!またそれか!ようやく、クラスメートからそれを聞かれなくなってきたというのに…!くそったれ、おれは奴と腐れ縁というだけだ!好みも何も知ったことか!男なら、精々当たって砕けてくるがいい!」
「ヒェッ…は、はぁい…す、すみませんでした…」

 後輩は目を丸くしながら答え、スゴスゴと去っていった。ビッテンフェルトは、不快感を体から追い出そうとするかのように、フンッ!と力強く鼻息を噴き出した。
 そう。実際には、嫁の貰い手が無い所ではない。本当に結婚するかは兎も角、腹立たしい事に何故か奴は大人気なのだ。

「あのような鼻持ちならない冷徹まな板の何処がそんなに良いというのだ」

 悔し紛れにそう吐き捨てると、先に行かせた友人達の後を追うべくビッテンフェルトは歩いていった。

 オーベルシュタインと彼女の友人が教室棟の玄関に着くと、オーベルシュタインは自分の靴箱の扉を開けた。すると、バサバサバサバサと大量の紙類が零れ落ちてきた。それらは全て彼女あての手紙であった。内容物は、ラブレター・ファンレター・呪いの手紙・果たし状と、差出人の性別・学年・意図に至るまで幅広く多様に富んでいた。

「今日もいっぱいだね」
「ああ。片付ける方の身にもなってもらいたいものだ」
「ラブレターとかもあるみたいだけど…」
「直接言うこともできぬ輩の恋文など、見るだけ時間の無駄だ」
「でも、直接告白されても全部断っちゃうんでしょ?」
「これまでのものは全て断ってきただけだ。全部断ると決めているわけじゃない」
「へー…ベアテちゃんにも、興味ある男の子っている?」
「この学校に私の関心を刺激する男性はいないな」
「断るんじゃん!」

 笑い声を立てる友人に対し、オーベルシュタインは僅かに微笑を返して見せた。そして、靴箱の下や中にある大量の封筒をガサガサと回収し、持って来ていた空袋の中に入れる。すべてを片付け終えると、大量の封筒を詰めた袋を片手にオーベルシュタインはリサイクル・スペースへ向かった。友人は、彼女の後についていった。
 リサイクル・スペースに着くと、オーベルシュタインはシュレッダーに向かい、その機械の上で袋を逆さまにした。愛憎様々な感情を込められた封筒の群れが、機械の中に次々と落ちていく。人体ではない異物を検知したシュレッダーはガガガガと起動し始め、封筒も中身も一緒に噛み砕き、それらを元の形の分からぬ千切りの紙クズへと変えていった。
 シュレッダーが正常に稼働し、封筒たちを処理した事を確認すると、オーベルシュタインと彼女の友人は次の教室を目指して歩き去っていった。