オーベルシュタインの娘
その24

「おはようございま~す…」
「ああ。おはよう」
 軍務尚書オーベルシュタインは執務机から目だけをチラと上げ、定刻どおり出勤してきた官房長官アントン・フェルナーへ挨拶を返した。視線の先はすぐ机にもどったが、数秒後、見慣れぬ光景に気づいた軍務尚書は、再度義眼の先を官房長官へ向けた。
「…顔色が悪いな、フェルナー」
「うえ? そうですか?」
 みずからの席につきつつ、フェルナーが指摘に首をかしげる。そして、引き出しをゴソゴソと漁り、常備している手鏡で自身の顔を確認した。
「うっわ、本当ですね。今日の小官ブサイクです」
 直そうとするかのように顔をごしごしと擦りながらフェルナーがボヤく。その目の下には、灰色のクマが浮かんでいた。
「そこまでではないとおもうが…」
「いえいえ。これじゃあ、数万人に及ぶ小官のファンたちをガッカリさせてしまいますよ」
 冗談めかした口調でフェルナーが言い、「うーん」とクマを揉み込むなどする。オーベルシュタインは、それが冗談か否かを少し考え、どちらとも判断する材料がないと感じ、どちらでも興味はないと結論づけた。人数はともかく、ファンは居るかもしれない。
「どうかしたのかね」
 視線と意識を仕事に戻しつつ、オーベルシュタインが尋ねる。二人といない貴重な戦力であるフェルナーが不調とあれば、軍務省にとってそれなりの危機だ。
「んー、それがですねぇ……」
 フェルナーが説明しようとしたその時である。突如、フェルナーの机にある通話機が鳴り響いた。
 それに対し、フェルナーは過剰にビクついたようにオーベルシュタインには思われた。
 しかしそれも一瞬のことで、フェルナーは手慣れた様子で受話ボタンを押す。画面をみると、相手は受付担当者のようだ。
『失礼します、官房長官閣下』
「ん。どうした」
『……そのお、』
 受付担当が言いかけると同時に、画面に第三者が乱入してきた。それは10代中ほどらしき少年で、巻き毛の銀髪と翠色の目をもつ、なかなかの美形であった。
『パーパ♡ いるんでしょう?』
「うっ!」
 官房長官が目をまあるくし、顔をサッと青ざめる。その瞳は、少年のものと酷似した色であった。
「……ぱぱ?」
 オーベルシュタインが復唱する。フェルナーは慌てて手をブンブン振ってみせた。
「違うんです閣下! これはその、」
『なにが違うのさ、パパ♡』
「しぃっ! 後で行くから、少し待っていなさい!」
『はやくしてよ~!』
「わーかった! ……少尉、その子を待たせておいてくれ!」
『はい、閣下!』
 受付に呼びかけ、フェルナーがブチと通話を切る。はぁ、はぁ、と、短いやり取りで消耗したように彼は息を切らしていた。
「卿に子があったとは知らなかった。……べつに隠すことはないと思うが」
 オーベルシュタインが淡々と応じる。少し落ち着きを取り戻したらしいフェルナーは、ふうと溜め息をひとつ吐き、応じた。
「隠していた訳ではございません。……小官もつい昨日知ったのですよ!」

      *

 オーベルシュタインの許しを得、フェルナーが軍務省の一階、受付前に向かう。オーベルシュタインがそれを見送ってから三十分ほど後、フェルナーは戻ってきた。――小柄な客を引き連れて。
 オーベルシュタインが怪訝そうな表情を少しうかべ、彼ら二人を見る。フェルナー(父)がバツ悪そうに視線をあちこちに巡らせているのに対し、来客は興味津々といった様子できらきらとした翡翠色の瞳を執務室中に向け、主たるオーベルシュタインにも恐れず向けた。
「……フェルナー、」
「閣下。まことに申し訳ございません。きっと多分おそらく、いえ、小官が責任をもって、問題を起こさせないように尽力いたしますので、どうかしばし……」
 フェルナーがチラ、と子供を見やる。少年は、いたずらっぽい、そして、ひときわ整った美しい笑顔を浮かべて返す。
「……この、小官の愚息めを……ここに居させてやって頂けますでしょうか。長くとも今日一日かぎりと約束させましたゆえ」
 はぁ、と溜め息を後に続かせ、フェルナーがそう嘆願する。すると少年は、同じ笑顔を今度はオーベルシュタインへと向けた。軍務尚書は、常と変わらず、肝の小さい部下なら震え上がらせ胃痛を起こさせるだろうオーラをまとっていたが、少年にはさほど効かない様子である。それは、隣にいる父親から受け継いだ遺伝子によるものかもしれない。
「少年」
 オーベルシュタインが声をかけた。
「はい!」
 少年がニコニコと愛想よく応じる。
「名は?」
「ヤーデ・フォスと申します。……あっ! ヤーデ・フェルナーになる予定です♪」
 名乗りつつヤーデは右手を胸に・左手を後ろにあて、ぺこりと丁寧に一礼した。
「歳はいくつだ?」
「十四です! 尚書閣下」
「ほう。私の娘と同じ、か」
 オーベルシュタインがチラと視線をフェルナー(父)へ向ける。フェルナーは目をそらした。
「……キミの父君は、キミの存在を昨日まで知らなかったそうだ。どうしてそうなったか、そして、なぜ昨日になってキミが存在を明かすことにしたのか、経緯を教えてもらえるかな」
「はい! 閣下」
 ヤーデは快諾し、説明しはじめた。
「一応申し上げておきますと、父が母に不義理をした訳ではないのです。フェザーンのバーで働いていた母は、父とかつて男女の仲にありました。仲は長続きせず、ボクを妊娠したと分かった頃には別れていたそうです。母は父に何も伝えず出産し、生まれたボクを連れて実家に帰りました。父に強く憧れていたそうですが、付き合いは終わっていましたし、せめて子供だけでも頂戴することにしたのだとか。
 で、ボクは田舎惑星で育ちました。優秀なうえ、この通り顔も良かったので、祖父母からも近所のおじちゃんおばちゃんからも愛されて、とくに不自由はしませんでしたよ。あそこに何もチャンスがないってことを除けば! 田舎ですからね、出世のチャンスも何もあったもんじゃありません。ボクは日々、にえきらない思いを募らせていました。埋もれたままの原石では石ころと同じです。掘り出され、研磨されてこそ宝石に価値がつく。そうではありませんか?
 ボクは都会に行きたいと考えていました。そんなとき、ソリヴィジョンで父を見つけました。軍務省の広報として報道する彼の姿を! ボク自身は勿論、父の顔を知りませんでしたが、母が「彼だ」と教えてくれましてね。そこで、思ったのです。いまこそ父に、ボクという子供の存在を伝えてもいいのではないか? 母とヨリを戻すことはなくとも、都会生活を助けて貰えるのではないか? とね。
 そんなわけで軍務省周辺で父を探していまして、昨日やっと見つけたというわけです!」
 ヤーデはドラマチックに両腕を広げて話を終え、にっこりと笑顔をうかべた。オーベルシュタインが「ふむ」と頷く。
「……なるほど、理解した」
「よりにもよって、行きつけの店で女の子と遊んでるところに乗り込んできたんですよ、この子……大した説明もせずに『パパ♡』って。うう……もう会って貰えませんよ……」
 フェルナーが青ざめた顔のままボヤく。
「事情を説明して受け入れられなければ、その女性との付き合いは諦めろ。……それで、どうなった?」
 オーベルシュタインが尋ねると、続きの説明をフェルナー(父)が担った。
「たしかに小官に似ていると思いますし、フォスという性にも覚えがあります……が、整形したスパイということも考えられますので、念のため、遺伝子検査で血縁関係を確定させてから諸々、……その。どうするか考えようと思いまして。昨日は一旦、宿代を渡して帰らせました」
「ほう。それで、キミは?」
 オーベルシュタインがヤーデに水を向けると、かわらずの愛想の良さで彼が続ける。
「近くのホテルの、いっちばん良い部屋に泊まらせてもらって、おいしい朝食を頂きましたよ♡ ……でも、父が逃げちゃうんじゃないか、って、ボク、心配になってしまって」
 ヤーデはうるうる、と目を潤ませ、眉を八の字にして、やや下に顔を傾けた。すると、彼のつぶらな翡翠色の瞳が上目遣いになる。
「……本当にボクを息子として扱ってくれるのか、見張っていようと思って。ここなら父がいると思って、来てしまいました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません、閣下……」
 きらきら、と彼の目が輝く。そのあからさまな演技に、フェルナーは小さく呻いた。
(なんつうあつかましいやつ!)
 しかし、オーベルシュタインの声が「そうか……」と、やや同情の色味をにじませて響く。おどろいたフェルナーが目をあげると、誰にでも厳しい上官が、あわれむような表情を(無表情とのきわめて微小な違いとして)浮かべていることに気づく。
(しまった! この人、子供好きなんだった!)
「そういうことであれば、私も協力しよう。フェルナーが確実に、キミへの対応をするようにな」
「閣下!? え、そんな! だいたい、この子が本当に小官の息子かどうかも分かりませんぞ」
「念のため検査はしておけ。ただ、個人的な考えを言わせてもらえれば、彼と卿ほど、遺伝子というものの影響力を感じさせる存在はない」
「ちょっ!? えっ! おれ、こんなに厚かましくないですよね!?」
「瓜二つだ」
「閣下ァ!!」
 フェルナーが心外そうに叫ぶのに鼻息ひとつで応じ、オーベルシュタインはヤーデに向かって続けた。
「一応、ここでは重要な機密を扱うこともあるのでね。キミの正体がなんであれ、軍や国家機関に属さぬ者がここに長時間いることは好ましくない。私の保証をもって、この場は引いてもらえるだろうか」
 オーベルシュタインが言うと、ヤーデは『ここが引き際』と悟ったのか、笑顔でコクリと頷いた。
「閣下のお言葉を頂戴して、これ以上のワガママは言えません。ホテルに帰ってお待ちしています」
「今日中に結果は出るだろう。誠実な対応をさせると約束する」
 ヤーデはまたペコリ、と礼儀正しく一礼した。
「ありがとうございます。それでは、ボクはこれで♪」
「うむ」
 ヤーデが踵を返して扉の外に向かう。フェルナーは、ホウッ、と息をひとつはいた。
 退室間際、ヤーデが肩越しに振り返る。
「ところで、閣下。ボクと同い年のお嬢様がおいでなのですか?」
「うん? ……ああ。ベアテという。キミの父には世話になっている。機会があれば、仲良くしてやってくれ」
 ヤーデはニコリ、と笑顔をうかべた。
「はい♪ ぜひとも、そうさせて頂きたいです♡」