オーベルシュタインの娘
その23

 ベアテが最初に拠点としているホテルの一室へ戻り、それからトモコとヴィクトールが軽食を手土産に戻ったあと、アレクサンデルとフェリックスの二人も戻ってきた。
「おかえりなさい、兄様、ミッターマイヤー先輩」
「おかえりなさ~い」
「おかえり、兄ちゃん、先輩」
 ベアテ、トモコ、ヴィクトールがそれぞれ口々に声をかける。すると二人は、なにやらグッタリとした様子で「ただいまぁ……」と戻り、アレクがベッドへうつ伏せにダイブし、フェリックスはソファの上に溶けた。
「どうかなさいましたか」
 ベアテが尋ねた。アレクがうつ伏せたまま、顔を横に向ける。
「あーー……その……お二人を見つけた。リンベルグ通り(シュトラーゼ)にいらした」
 疲れた声で彼が報告する。
「それはようございました。それで?」
「うむ……。キルヒアイス殿と、お話できた」
「ほう」
「……我々は『ミューゼル閣下のファン』だと言って……ミューゼル閣下のことを、教えてくれと……頼んで……」
「はい」
「……すごく、長かった……」
 ぐるり、と、アレクの顔がまたシーツに埋められる。
「なるほど」
 ベアテが納得した様子で頷いた。
「父上とも……明後日、お会いできる……かもしれん。彼が許せば」
「それはようございました。目的達成ですな」
 ぐ、と、アレクが両腕をベッドにつき、うんしょと上半身を持ち上げる。
「そうだな!」
 疲れていながらも、アレクが嬉しそうに声をあげた。ばさりと豪奢な金の髪をふるい、ふりかえってニッコリとベアテに笑いかける。
「明後日は、全員で彼に会いに行こう。うれしかろう、ベアテ?」
 アレクが尋ねると、ベアテは頷いた。
「はい」
 その顔にも殆ど表情はみられなかったが、どことなく嬉しそうな雰囲気をまとっているようにアレクには思われた。

      *

 翌日、あらかじめアレクらが教えておいたホテルの部屋番号宛てに、キルヒアイスからの連絡が入った。
『明日、お会いになるそうです』
 約束した当日、五人は身支度を調えて出発し、会う約束をしたダイニングへ向かった。ベアテとヴィクトールは、尊敬して止まない伝説の始皇帝に会えるとあって、期待のこもった面持ちでいた。
 キルヒアイスが指定した店は、あの常勝の天才と相見える場所にしては質素な佇まいであった。レンガの壁にも壁の絵にも、店の調度にも年季が感じられる。だが店内は清潔で、馴染みらしい客たちが何人も利用していた。
 アレクら五人が着くと、愛想のよい婦人と主人が出迎え、先に来ていたラインハルトらの席に案内した。赤毛と金髪の二人組が婦人に親しげに接され、彼らの馴染みの店らしい、と、アレクらは察した。
 未来の子供たちは生きた伝説を目の当たりにし、息を呑んだ。教科書などで何度も目にしてきた美貌が、圧倒的な生の輝きをもって呼吸し、そこに存在している。
 生ける〝常勝の天才〟ラインハルトは、至高の冠を戴いた後の肖像と異なり、うなじも隠れぬほど短く金色の髪を切っていた。今日の会合にあまり乗り気ではなかったのか、不満そうに蒼氷色の目を細め、木のテーブルに頬杖をつき、五人をジトッと見つめ返している。そんな表情もまた、白皙の彫刻めいて美しかった。
「……なんだ。随分ふえているじゃないか、キルヒアイス」
 ラインハルトは不満そうにそう述べた。今日来るのは二人だけだと聞いていたらしい。
 アレクはそれを聞いてハッとし、
「すみません。この子たちは私の妹と弟と、妹の友達です。勝手につれてきてしまって申し訳ありません」
「ふん。揃いもそろって、物好きな連中だ……」
 ラインハルトはそうブツブツ呟くと、ふいと壁側を向いてしまった。アレクたちが困って顔を見合わせていると、キルヒアイスがクスリと笑い、
「大丈夫です。ミューゼル閣下は照れておられるだけですよ」
「キルヒアイスッ、余計なことを言うな!」
 ラインハルトが怒った声をあげる。だが彼の白皙の肌には、たしかに羞恥の朱がさしていた。〝金髪の孺子(こぞう)〟と嫌われ侮られこそすれ、この時の彼は、直属の部下でもない人間にこうも好かれることに慣れていなかったのである。
「あの……」
 ベアテが声をあげる。ラインハルトら二人が彼女をチラと見た。
「サインを頂いてもよろしいですか」
「あ……お、おれも」ヴィクトールが続いた。
 ラインハルトが驚いて目を見開く。
「そんなもの貰ってどうするのだ?」
「後生大事にいたします」ベアテが淡々と答える。
 落ち着いているように見えるが、彼女の目は爛々と輝いていた。
「ラインハルトさま」
 キルヒアイスが促す。すると、ラインハルトは大きく溜め息をついたあと、「わかった」と頷いた。ベアテとヴィクトールは手帳をそれぞれ取り出し、ラインハルトに恭しく差し出した。
 ラインハルトは、書類に記載するような普通の書き方で〝ラインハルト・フォン・ミューゼル〟と二冊に書いてやった。
「ほら。これでいいだろう」
 ペンをしまいながらラインハルトが言う。ベアテとヴィクトールは、それぞれサイン入りの手帳を手に取り、貴重な宝物を見るような目でそれらをじっと見つめた。その様子を見て、ラインハルトは気恥ずかしそうに目をそらし、また「ふん」と鼻息を不満げにもらした。これもまた照れ隠しである。
「い……いつまでも立っていないで、ほら……座れお前達」
 目を背けたまま、ラインハルトがそう命じる。それを聞いて、五人はラインハルトらの取っていた席に詰めて座った。
「それで? おれに何を聞きたいのだ」
 ラインハルトが面々に目を走らせつつ、そう尋ねる。彼の顔はほんのり赤く、声のトゲとは対照的に、そう満更でもない表情を浮かべていた。

「まて、ジーク! 後生だ、たのむ!」
「無理です!!」
「何が不満だ!? 軍に興味があるだろう!? お前はすごい、才能がある! だから! おれに! つけ!」
「家業が!! あるので!!」
「どんな仕事だ!? ええい、どんなものかなど知るか! おれがずっと素晴らしい職と地位に必ずつけてやるから!!」
「すいません、大事な家業ですので!! どうしても!! 無理です!!」
 アレクが一歩、また一歩と逃れようとするも、彼の服から手を離そうとしないラインハルトがズルズルと引きずられる。アレクはどうあっても折れる訳にはいかないのだが、ラインハルトもまた、どうあっても折れない気でいるようだった。
 その様子を、フェリックスは笑いを堪えながら眺めていた。ベアテとヴィクトール、トモコら三人は、おろおろとした様子でその攻防を見守っている。
「ラインハルトさま、無理強いはなりませんよ」
 キルヒアイスも困ったようにラインハルトを宥めている。だが、ラインハルトはギラリと蒼氷色の目を光らせ、抗議を返すのみであった。
「キルヒアイス、お前も見ただろう、このジークの実力を! いくらシミュレーターとはいえ、五十戦して五十回、おれを負かしたのだぞ!? 実にあざやかな腕前だ、おまけに知識もある!」
「それはその、戦術知っt……偶然ですよ! それに実戦経験はございませんので!」
 アレクが悲鳴のように言い訳する。だが、ラインハルトは納得しない。
「偶然でおれに五十回も勝てるものか! 実戦経験ならおれが積ませてやるから!」
「家業があるんです!!」
 一進一退の攻防は、それからも長時間にわたって続いた。アレクが拒絶し、キルヒアイスが宥め、ようやくラインハルトが疲れ果てたとき、アレクが彼を振りほどいた。そして、一目散に逃げ去っていく。
「まて!!」
 ラインハルトが鋭く声をあげる。すぐに追いかけようとしたが、キルヒアイスが彼の両脇から腕をまわし、彼を持ち上げたため走れなかった。
「はなせ、キルヒアイス! はなさんか!」
「ラインハルトさま、お聞き分け下さい!」
「まてーー! ジーーク!! おれの所に来いーー!」
 じたばたと暴れるラインハルトを、キルヒアイスは困り果てた様子で宥めながら押さえる。その隙にアレクは遠くまで駆け抜けていき、フェリックスら残った四人も彼を追って去って行った。
「ありがとうございました、お元気で!」
 ベアテが手を振り、別れを告げながら走って行く。
「ええ。あなたたちも、どうかお元気で!」
 キルヒアイスが笑顔で応じる。ラインハルトはまだ暴れ続けていた。
「ジーーク! 戻ってこいーー!!」
 まだ諦めきれずに叫ぶ声を背中に聞き、困ったような、それでも嬉しそうな笑いを洩らしながらアレクは疾走する。

 未来の子供たちは帰路を駆け抜けた。目指すはタイムマシン、そして、彼らが本来あるべき未来の銀河帝国であった。

      *

 ウウウン、と駆動音を立て、アレクら五人を乗せたタイムマシンが着地する。
「よし。皆の者、元の時代にもどったぞ。私の計算が正しければ、出発から一分と経っていないはず……」
 彼らがそれぞれシートベルトを外す。アレクの操作で、ほどなくしてタイムマシンの出口が開かれた。
 シュウン、という音と共に現れた外の景色は、出発前と変わりない格納庫であるように見えた。
「うむ。出発した所と寸分たがわず同じ地点だ。さすがは私だな」
 外に出たアレクは、タイムマシンが出現した場所を確認し、満足そうにそう告げる。一方、ベアテはにわかに嫌な予感をおぼえていた。
「そのようですが、兄様」
「なんだ? ベアテ」
「なにかが、おかしいように思います」
「なにがおかしい?」
「……その。出発の際、我々を見つけた研究員たちがこちらに向かっていたはずです。一分後ならば、彼らがここに来ているはずでは……?」
 そう言って、ベアテは辺りを見回した。だが、格納庫には人っ子一人みあたらない。
「ふむ……? 我々がいないとみて、すぐに戻ったのか? それとも、十分程度はずれただろうか」
 そう言って、アレクは首をかしげた。
「まあ、ここの様子は監視カメラに映っている。もう私の偽造映像は流れていないはずだから、迎えならそろそろ……」
 そう言うか言わないかのところで、通路からドタバタと走る音がした。
「お。噂をすれば、だ」
 格納庫の扉が開き、研究員の制服を着た人々がなだれ込んでくる。彼らは子供たちを視認すると、
「皇帝陛下だ!」「アレクサンデル陛下だ!」「フェリックス様や、他の子らも一緒だ!」
 と、口々に通信機へ叫んだ。
 彼らを「ほらな」と示しつつ、アレクがベアテにウインクする。
「さて、これからお前の父君のお説教か。やれやれ……」
 そう言いながらアレクがまた人だかりに目をやり、そのまま硬直した。ベアテが不思議そうに彼の視線を追うと、その理由がわかった。
 軍務尚書となったオーベルシュタインが、そこに立っていた。しかも、ただならぬ覇気を周囲に撒き散らしながら。彼の静かで、息をつまらせる氷めいた怒気のせいか、周囲の人々もギョッと遠巻きにしていた。
「お、オーベルシュタイン……なんだ。随分くるのが早いな? 今日は遠出をしていると……ひえ」
 アレクが動揺を隠せぬ様子でそう茶化そうとするも、オーベルシュタインが一歩踏み出すと同時に言葉を詰まらせた。怒気の波動は、モーゼが海を割るように人だかりを割り、彼の進路を開いていく。まるで音も凍ったように、格納庫の中が静まりかえった。
「父上……」
 ベアテが小さく呟く。オーベルシュタイン(父)の進路は、まずベアテに向かっていた。
 オーベルシュタインが娘の目の前に立つ。叱責を受けると感じ、ベアテは覚悟するように目を伏せた。
 だが、彼女を包んだのは抱擁だった。オーベルシュタインは無言のまま娘をかたく抱きしめた。まるで、奇蹟の生還を果たした相手を慈しむように。
 ベアテは、父親の抱擁に応じつつ、困惑を顔に浮かべた。
 しばらく抱擁は続き、ようやくオーベルシュタインが娘を解放する。それから彼は、あらためてアレクの前に立った。
「オーベルシュタイン……」
 アレクが話そうとする。だが、オーベルシュタインはそれを待たず、何も言わず、顔には一切の感情をうかべることなく、ただ、片手をスッと皇帝の顔にのばした。
 ぐに、と、白皙の頬をつねる。
「いひゃい」
 頬をつねられたアレクが抗議する。そこまで強くつねられている訳ではない。だが、オーベルシュタインは何も言わず、つねることも止めず、黙って氷のような目でアレクを串刺しにしていた。
「おい、ひゃめろ」
 オーベルシュタインは手を離さない。
「ほーへるひゅはいん」
 手を離さない。
「……ほめんなはああい」
 アレクが涙を一筋ぽろりと流し、つねられたまま謝罪する。それでようやく、オーベルシュタインは手を離した。アレクが痛そうにつねられた頬をなでる。
「父上。私たちはどれくらい、姿を消していたのですか」
 ベアテが尋ねる。そうしてようやく、無言だったオーベルシュタインが口を開いた。
「〝一ヶ月〟だ」
「いっ……!?」
 アレクが絶句する。フェリックスも目を見開き、ヴィクトールとトモコも「ええっ!?」と驚愕の声をあげた。

 こうして、主犯のアレクは母ヒルダら多くの関係者から、止めようともしなかったフェリックスはミッターマイヤー両親と義兄からこっぴどく叱責を受けることとなり、彼らに付き合ったヴィクトールたちは、心配していた家族から涙の抱擁で迎えられることとなった。

タイムマシン編 Ende