持ち主を幸せにする人形
その1

 そいつに出会ったのは、大学への入学と同時に一人暮らしを始め、新居の近所をうろついていたときのことだった。
 骨董品屋のショー・ウィンドウにあったものが、おれの目を引いた。
 それは、一体の古い男ドールだった。
 大きさは80 cmで、レースをたっぷり使った中世貴族風の衣装を着ていた。中性的な美しい顔にある虚ろな硝子の目と、おれは目が合ったような気がしたのだ。
 せっかくなので、探索がてら、おれはその店に入った。
 骨董品屋には、置物類や食器類などが多くあり、どれも中々値が張った。商品の中でおれの興味を引いたのは、やはり、あのドールだけである。
 おれが店に入ってしばらくすると、店の奥から主人がでてきた。
「いらっしゃい」
 こんなさびれた骨董品屋にしては図体のでかい、スキンヘッドの男だった。
「おう。なあ、あのドールはいくらだ?」
 値札が見当たらなかったので、おれは指さして尋ねた。
 買おうとは思っていなかったはずだ。「目玉のとびでる値段を聞いて、すごすごと帰るとするか」と、聞くだけ聞いてみたのだ。
「おお、お兄さん、これはお目が高い。あれは、『持ち主を幸せにする人形』です。三千円でどうです?」
「さ、三千円!?」
 やすい。安すぎる。たたき売りもいいところではないか。こんなに立派な人形なら、三万円でも破格だろうに。
「高いですかね」
「いや! いや。安すぎて驚いた。どうしてそんなに安いのだ?」
「どうしてって、それは…………ほら。古い人形だし」
「ここは骨董品屋だろう?」
「まあ、そうですがね……どうです? お兄さんの同居人がわりに、ひとつ」
 そう言われ、おれはウウンと呻き、振り返って人形を見つめ直した。
 つるりとした白い肌も、顔の造形も、全体のバランスも、衣装の造形もすばらしい。芸術的で、目を引いた。小さなアパートに迎えるのは勿体ない美術品だ。
 それが三千円だという。男が男のドールを買うなど変だが、店に入るほど目を引いたのは事実だ。それに、一人で暮らしているのだから、家族の目もない。
「じゃあ、二五〇〇だ。どうです?」
 迷っていると、店主はさらに値段をさげてきた。ここまでされたら、もう「やっぱりいらない」とは言えない。
「わかった。くれ! 三千円でもいいぞ!」
「まいどあり!」
 店主は、宣言通り二五〇〇円で人形を売ってくれ、「一人暮らしだ」と聞くと、そろいのシンプルな椀食器までつけてくれた。
 片手に人形を、もう一方には食器をさげ、良い買い物をしたおれはホクホクと帰った。
 *
「やれやれ。やっと、『あれ』の引き取り手がみつかったか……」
 骨董品屋の店主は、ホッと胸をなで下ろした。
『あれ』が『持ち主を幸せにする人形』であるというのは、ウソではない。自分も、そういう売り文句で『あれ』を買い取ってしまったのだから。
 そう、それはウソではない。ただし、あの人形は、持ち主を幸せにするための手段を選ばない、というだけで。
 そのうえ、相手の合意なく『あれ』を押しつけたり、『あれ』を捨てたりしても、『あれ』はいつの間にか戻ってきてしまう。ショー・ウィンドウに居たことにしても、自分が陳列したのではない。棚の奥に詰めておいたら、勝手に出てきてあそこに陣取っていたのだ。
 あの若い男が鈍くて助かった。なにせ、彼が店の外から人形を見たとき、『あれ』は窓の外を向いていたというのに、買う直前には店内側を向いていたのだが、ちっともそんなことに気づいていなかったから。
「あるいは、『あれ』もようやく、落ち着ける居場所を見つけられたのだろうか……」
 自分の安寧のためにも、そうであってほしいと願った。