触手オベ
その12

 退院後、異種生物による監禁も、自宅での容態急変も物ともせず、軍務尚書オーベルシュタイン帝国元帥は堂々と闊歩して軍務省の正門に現れた。彼を良く思う者にも悪く思う者にも等しく畏怖を覚えさせ、颯爽と歩く彼が、不意にグイと外套を引っ張られ立ち止まる。
 何かに引っかけたか、と思いつつ、軍務尚書は振り返った。

 そこには、齢二歳ほどの可愛らしい男児がいた。つかまり立ちをするように外套の裾を両手で握り、顔をいっぱいに上向かせ、上背のある元帥を大きな瞳で見上げている。髪はこげ茶色で、貴族の嫡男のような良い子供服を着ている。目は、透き通るように艶やかな水色である。
 まばたきするオーベルシュタインに、幼児が口を開いた。

「おかさん」

 それを聞いた衛兵は、思わず、喉から妙な音を立てて笑いを漏らした。軍務尚書の義眼がジロリと巡るのをみて、笑いを噛み殺しながら頭を下げ謝意を示す。
 泣く子も黙る軍務尚書を「お母さん」だって!

「申し訳ございません。……ブフフッ。迷子でしょうか?」
「……私が母親に見えるか?」
「ンッ。いいえ、閣下、恐れながら……。母親とはぐれたのでしょうな。こんなに小さい子を一人残して、どこへ行ったのやら……それにしても、随分かわいらしい子ですな。良い服も着ていますし」

 その子供は単に『小さいから可愛い』というだけでなく、ひときわ整った顔立ちをしており、そのためにより一層、見る者が庇護欲と愛情を抱く容姿をしていた。まるで生きた人形のようで、金目当ての誘拐犯でなくとも『かわいいから』と攫いそうな見た目をしている。

「……きっと、背の高い母親なのだろうな。幼い頃にはよくあることだ。顔がよく見えないので、見分けができない……」

 そう言うと、オーベルシュタインは幼児の前でしゃがみ、自分の顔をよく見られるよう目線を合わせた。『違う』と分かって泣き出されたら、それはそれで面倒ではあるが。
 だが、予想に反し、幼児は、人好きのする笑顔をパアッと浮かべ、しゃがんだオーベルシュタインに抱きついた。

「おかさん!」

 衛兵達は堪えきれずに吹き出した。

「ブ、ヒヒヒ、ッッ……!! どう、やら……お顔も、似ていらっしゃるようですな……ッ! ク、ク、ク……」
「…………なにがおかしい」
「申、し訳、ございません……! どうしましょうか、彼は」
「子供を探している母親を探せ。見つかるまでは、致し方ない。とりあえずはここで身柄を預かる」
「尚書閣下みずから?」
「まさか。手すきで、子守りに向きそうな者に任せる」

 しかし、いざ幼児を預けて執務室に去ろうとすると、幼児は、けたたましい泣き声を省内全体に響かせて抗議した。正も論もない彼の抗議は、オーベルシュタインに一言も言い返させることなく彼を論破し、軍務尚書は、無言のまま幼児を引き取ると(この瞬間に彼が泣き止む)、見知らぬ幼児を抱えたまま執務室に向かった。

「閣下……なん、いえ、誰ですか、その、お子様は」
「知らん」
「知らんて」
「迷子だ」
「迷子? 迷子、を、なぜ閣下が自ら執務室へ」
「離すと泣く」
「泣く?」
「私が、母親に似ているらしい」

 ヤケクソ気味に軍務尚書が吐き捨てると、案の定、官房長官は抑えもせず吹き出した。

「ッッッ……! それ、は、それは……! はぁ、また、難儀な……」

 まだ笑い続けるフェルナーを無視し、オーベルシュタインは不機嫌な顔のまま、執務机のコンソールを立ち上げ、画面を睨みながら仕事を始めた。子供の方はというと、きょろきょろと辺りを見回しながらも、ひっしと『母親』の胸元を掴んで張り付いている。
 はぁ、なるほど懐かれているな。以前の犬といい、今回の子供といい、人間の大人には目の敵にされるが、動物や子供には好かれる方なのだろうか。

「ぼく、何処から来たの」
「…………」
「何歳かな?」
「…………」
「今日は、お母さんと何処に行っていたのかな?」
「…………」

 昼休みになり、フェルナーは穏やかに質問を投げてみたが、謎の子供は、無言のまま応じなかった。言葉の意味がわからないのか、返事をしたいが知識が足りないのか、赤の他人の俺を警戒しているのか。

「はぁ……どこにいるのだろうなぁ、この子のお母さんは」
「おかさんいるよ」

 不意に子供が口を利き、フェルナーはビクリと驚きに身を震わせた。しゃべった。

「お母さん、いるの? どこに?」

 子供が指をさした。さした先には、軍務尚書がいる。

「ああ……。ぼく、あの人はね、きみのお母さんじゃないよ」
「おかさんだよ」
「……似ているんだね。なあ、お家はどこ? お母さんとどこへ行く所だったの?」
「おかさんだよ。おかさんだよ、おかさんだよ!」

 苛立った様子で子供が繰り返しはじめた。まずい、とフェルナーは感じた。大きな青い瞳からポロポロと涙が零れ始める。

「ああああああ。ごめんごめん。悪かったよ。泣かないでくれ」
「おかさんだよ、おかさんだよ」
「わかった、わかった。お母さんなんだね」
「……うえええええ……」
「ああああ……」

 対応に窮したフェルナーの脇をつかつかと抜け、オーベルシュタインが子供を抱きかかえた。すん、すん、と嗚咽を漏らしつつ、子供が泣き止む。

「泣かせるな馬鹿者」
「申し訳ございません……。しかし、弱りましたな。母親が見つかればいいですが」
「……ああ」

 子供をなでてやりながらオーベルシュタインが応じた。離れようとすると騒ぐが、面倒をみていれば存外おとなしい。

「閣下に似た母親……いったい、どんな女性でしょうな。ぜひ拝見したいです」
「……事情を聞いた者、全員が卿と同じ意見だ」

 しかし、果たして母親は見つかるだろうか。オーベルシュタインには、誰にも言うわけにはいかないが、子供の正体にひとつ、心当たりがあった。

***

 夕方、定時になっても、子供を探している母親がいたとの報告はなかった。仕方がないので、そのまま私邸で面倒をみると告げ、オーベルシュタインは子供を抱きかかえたまま帰路についた。
 途中、監視室に立ち寄り、無数のディスプレイが並んだ無人の部屋で、今朝の正門の映像を呼び出す。自分が出勤してきた瞬間をとらえ、外套を引かれ、振り返る自分の映像を確認した。

 そこには、小さな触手生物がいた。

 触手生物に向かって微笑みながら、衛兵達が談笑している。確かに視認してはいるが、それが居て当たり前のように振る舞っている。なんと奇妙な光景だろう。
 つづいて、監視映像を切り替え、今度はこの部屋のリアルタイム映像を映し出した。そこには、黒くうねる触手生物を抱えた自分の姿が映っていた。
 オーベルシュタインはディスプレイから目線を外し、自分の腕の中を確認した。腕の中には、かわいらしい二歳くらいの人間の男児が収まっている。ふたたび、映像を確認した。画面の中には、触手生物を抱きかかえた自分が映っている。

「何が絶滅寸前だ」

 ポツリ、と、オーベルシュタインは誰にともなく呟いた。

「随分したたかではないか。お前たちのようなもの、滅ぼそうと思っても滅ぼせるとは思えんよ」

 賛辞のような、皮肉のような評価を、しかし確かに温もりを滲ませてオーベルシュタインは“我が子”へ語りかけた。子供は、ふと映像を見上げた。つづいて、それを映すカメラに目線を向ける。
 ザザザザザ、と、突然ディスプレイに砂嵐が生じた。オーベルシュタインは、何事かと目を剥いた。数瞬後、それが晴れると、ディスプレイの中にも人間の子供が映るようになっていた。

「……これで、見分ける術もないわけか。なんとも……私は、また夢を見ているのではあるまいな?」
「おきてるよ」
「そうか。それ、いつもやっていられるのか」
「うん」
「そうか」

 それを最後に、オーベルシュタインはしばらく無言で考えを巡らせた。いくつか、確認しておきたいことがあった。

「……ほかの者も、それができるか」
「うん」
「生き残りは脱出艇に乗ったと聞いている。お前の父親は、人間を、意識だけで空から呼び寄せたと言っていた。お前は、仲間が近くにいるかどうかわかるか?」
「こえ、きこえる。みんな、おそらにいる。おなかすいた、こわい、って、ずっときこえる」
「……燃料も、そろそろ限界だろうからな」

 オーベルシュタインは、もうしばし逡巡した。間もなく彼の中で結論がでると、彼は、次のように命じた。

「彼らを呼び寄せろ。人間に化け、人に危害を加えず……そうだな。帝国臣民となり、臣民としての義務を果たし、帝国の法を守り、人民としての忠誠を皇帝陛下に捧げると誓うのであれば、私が、責任を持ってお前たちの住処を用意して、『生きる権利』を保証してやる」

 オーベルシュタインは、青く大きな瞳をまっすぐに見据えて子供に告げた。よく思い出してみると、この姿は、自分の幼い頃の写真によく似ている。
 二歳の幼子には理解を期待するだけ愚かしい、難しい概念と文面であったが、オーベルシュタインは相手が理解すると確信していた。彼らは、心を読めるのだ。

「わかった」

 子供は、確かな意思を伴った声で応じた。オーベルシュタインは頷く。

「では、誓いを述べよ」
「わたしは、ていこくしんみんになって、しんみんとしてのぎむをはたし、ていこくのほうをまもり、じんみんとしてのちゅうせいを、こうていへいかにささげると、ちかいます」

 幼い、舌っ足らずの声が、異様に淀みなく誓いの言葉を述べるのを聞き、オーベルシュタインは深々と頷いて応じた。

「よろしい」

 こうして、広大な国土と膨大な人民を抱く銀河帝国は、人知れず、ほんの数十の新しい民を迎えることになった。

***

 初代皇帝の崩御と、彼の側近であった初代軍務尚書の死から数十年後、初代皇帝を始めとするローエングラム王朝が推進してきた除染作業と緑化、復興活動が実を結び、ヴェスターラントの地は、緑豊かな居住可能惑星へと回復し、多くの人が暮らすようになっていた。

 その星には、もとヴェスターラント人たちと子孫を始めとする初期居住者たちも理由を知らない、立ち入り禁止の地区が存在した。そこは、なんでも、惑星をまるごと買い取った初代軍務尚書が取り決めた区域であるそうで、許された特定の人々以外は立ち入ることができなかった。
 その人々は、奇妙なことに、汚染レベルが安全と発表される前から居たと言われており、『安全になり次第、希望者には自由に居住を許す』という軍務尚書の遺言に基づき、最初にやってきた居住者たちよりも前に住んでいた様子であるという。
 彼らは、数十名ほどの若い男女と子供たちから成り、誰も彼もがまばゆいほど美しいという共通項を持っていた。普段は、例の立ち入り禁止の地区で生活しており、余所の星に売る品物を持ち出すときや、あるいは外部から仕入れたい品物を求めるときには、もとヴェスターラント人たちの村や街へと出てきていた。
 彼らは、あとからやってきた居住者達にとてつもなく親切であった。困っていることはないか、と進んで尋ね、頼み事には快く応じ、人手も知恵も惜しみなく貸してくれ、美しさもあいまって、人々に好印象を与えた。しかし、立ち入り禁止の理由には一切答えず、他人を地区へ入れることにだけは絶対に応じなかった。

 しかし、一部の例外だけは認めた。それは、外の女性が、地区に住む男性に嫁いだ場合である。嫁いだ女性たちは、とびきり美しく親切な夫に喜んでついていき、そのまま帰らないということもなく、しばらくすると子供を連れて里帰りした。
 だが、奇妙なことに、どの女性たちもただ一度しか帰郷しなかった。通信網は引かれており、女性の親類たちはヴィジホンで彼女たちの顔を見ることもできたが、一度の帰省の機会を除けば、子供のことは頑なに見せようとしなかった。

 あるとき、一方的に想いを寄せていた女性が例の区域に嫁いでしまい、彼女を魔の手から取り返そうという妄想に取り憑かれた男性が、禁を破って区域に侵入した。

 そして彼は、行方知れずとなった。

 ヴィジホンで尋ねると、区域の中の村の長は、知らない、心当たりが無いで通した。そして、捜索のため入村の許しを願い出ててみるも、規則なのでご遠慮願いたいと応じた。
 間もなく、ヴェスターラント人たちは、妄想男の捜索を断念することにした。

 こうして、時折、女性たちが自ら区域に嫁ぎ、時折、その境目で侵入者が神隠しに遭いながら、奇妙な住民たちと、区の外に住む住民たちは、ヴェスターラントという1個の星の上で共存を続けることになった。

Ende