触手オベ
その11

 上官の意識が戻ったとの看護士の連絡を受け、病院に容態を聞きに来ていたフェルナーは、急ぎ病室に駆け込んだ。

 元帥に割り当てられた広い個室に入ると、いつもより一層細くなり、病院着から青白い肌を覗かせたオーベルシュタインが身を起こしていた。彼の義眼が小さく駆動音を響かせ、自分にピントを合わせる。

「お前はだれだ」

  第一声がそれであったので、フェルナーは思わずよろめいた。

「なんとひどい。小官をお忘れですか? 確かに、閣下ご自身や、諸提督がたに比べれば、印象が薄いという自覚はございますが……」

 かつて『今日を限りに見限りました』と臆面も無く述べ、敵方から転向してきた、色々な意味で誰もに強烈な印象を残す銀髪の官房長官は、わざとらしく傷ついた素振りをしておどけて見せた。
 なんだ本物か、と、オーベルシュタインは彼の様子を見て思った。

「忘れてはいない。現実かどうか確認しただけだ」
「はあ。夢に出るほど小官を想っておいでだったので?」
「出てはきた」
「なんと! 光栄ですな」
「救助の後に目覚め、陛下を最初に目にしたときは、失敗したからな……卿を最初に目にしていたなら、どう失敗しようが何も問題はなかっただろうに」
「これまた酷い言い様ですな、閣下。小官にも傷つく心というものがあるのですよ?」
「そうか。知らなかった」
「閣下。小官、いま傷つきました」

 わざとらしく顔を伏せ、肩を竦めて見せるフェルナーは、どう見ても傷ついているようには見えない。それに、妙に嬉しそうにこちらを見ていることに気付き、オーベルシュタインは、自分が少々、気を緩めすぎた顔をしていることに気付いた。すぐに気を引き締めると、フェルナーは、上官の珍しい表情が瞬く間に消えてしまって残念そうな顔をした。
 ふと、再び病室で目覚めることになった経緯が記憶に蘇り、オーベルシュタインは自身の腹に手を這わせた。手術跡のような、若干の凹凸が肌にある。

「手術は無事おわりましたよ」

 フェルナーが告げた。きたる手術に向け培養していた移植臓器は既にできていたので、屋敷から緊急搬送された自分の救命措置と同時に移植も急ぎ行ったのだという。

「……『子ども』は……」
「こども?」
「バスルームに、私と一緒に……『子ども』が居なかったか」

『触手生物』、と言った方が伝わるだろうが、オーベルシュタインはあえて、咄嗟に出た名称のまま濁して尋ねた。何かが『居た』のであれば、これで十分に聞き出せるはず。

「……いいえ。ご自身の血に浸かった閣下を執事殿が発見し、通報後、急ぎ搬送させたとの報告は受けておりますが……子どもの話は特に伺いませんでした。おひとりではなかったのですか?」
「……いや。卿に報告されていないのならば、私が、夢でも見ていたのだろう」
「子どもが居る夢、ですか?」
「ただの夢だ」

 適当にあしらったものの、銀髪の副官は納得していない様子だった。まあ、別に構わん。あれが処分された訳でもなく、発見すらされていない事の意味は計りかねるが……。

「……それにしても、私は、存外丈夫だったらしい」
「ええ。見た目の割に閣下はしぶとくていらっしゃる」

 オーベルシュタインがジロリと見据える。しかし、フェルナーは、人を食ったような笑みを浮かべたままであった。

 彼、アントン・フェルナーと、噂好きのミュラー提督の新しいゴシップ・ネタとなる出来事が発生したのは、それから約半月後、軍務尚書が退院した後のことである。