触手オベ
その2

 ふと気がつくと、オーベルシュタインは見慣れた天蓋の下に居ることに気づいた。私は、いつ家に帰ったのだったか?

 すぐ隣に人の気配がある。そちらを見ると、自分の家に居るはずもなければ来たこともない、燃えるような赤毛の青年がいたので、オーベルシュタインは両目を見開いて驚いた。彼は、ベッドの脇で椅子に腰掛け、おだやかな笑みを浮かべてこちらを見ている。衝撃が過ぎた後、オーベルシュタインの頭に徐々に記憶が蘇ってきた。そして、この状況にも合点がいった。
 よかった。私は、ようやく死ぬことができたらしい。それにしても、死んで最初に出会う相手がキルヒアイスだとは意外だな。恨み言を言いに、鬼のような形相で待ち構えているというならまだしも、笑顔で出迎えて頂けるとは。生前も、人間離れした善良な人物だと思っていたが、本当に人間ではないのかもしれない。

「そのような穏やかな顔で出迎えて下さるとは思いませんでした、キルヒアイス閣下」

 ゆっくりとベッドから身を起こしつつ、オーベルシュタインは声を掛けた。

「ここが天上(ヴァルハラ)ですか。私の家の寝室のように見えます」

 オーベルシュタインは、キルヒアイスの返事をしばし待った。だが、キルヒアイスは笑顔で黙ったまま何も答えない。

「キルヒアイス閣下?」

 促してみると、キルヒアイスはようやく口を開いた。

「ああ……すみません。オーベルシュタイン殿。残念ながら、あなたはまだ死んでおられません」
「え、」
「それと私は、『キルヒアイス閣下』ではありません。そう見えていても不思議ではありませんが」
「おっしゃる意味がわかりかねます。では、この状況は一体?」
「この空間も、私の姿も、あなたの記憶を元に作ったものです。慣れ親しんだ場所や、あなたと同じヒトの姿を見ているほうが落ち着けるかと思いまして」

 キルヒアイスの姿をした『何か』がそこまで説明した時点で、オーベルシュタインの明晰な頭脳は恐ろしい結論に辿り着いていた。
 私はまだ死んでいない。ということは、私は、まだあの生物に……捕らえられて……
 オーベルシュタインはバッとベッドから飛び出し、寝室の扉へ向かって駆け出した。バタン! と扉を開き、見慣れた通路を駆け、階段を駆け下りて玄関の前に出る。勢いに任せて扉を開くと、慣れ親しんだ庭の光景と、昼間の太陽の明るい日差しが目に飛び込んできた。
 外へ向かって、オーベルシュタインは飛び出した。
 ……はずが、燃えるような赤毛の人物が目の前に現れたのを見て、小さく悲鳴をあげ、慌てて止まった。オーベルシュタインは、寝室に戻ってきていた。

「な、なにが……私は、外へ……」
「申し訳ありません。外は、まだ作っていなくて……外のほうがお好きでしたら、外も作りますよ」

 オーベルシュタインは踵を返し、ふたたび通路を駆けて玄関から飛び出した。また、寝室の中に戻ってきてしまった。

「……出せ。ここから出せ!」

 普段ならば落ち着き払っているオーベルシュタインが狼狽の色を見せ、少し裏返った声でキルヒアイス(?)に向かって言った。キルヒアイス(?)は困ったように眉を八の字にしながら立ち上がり、なだめるように両手を持ち上げる。

「あ。あ。落ち着いて下さい。お願いです。発狂されますと、テラリウムが壊れてしまって、余計に苦しくなりますよ。そうなってしまうと、殆どの場合、激しい苦痛の中で死んでしまいます。あなたに死なれては困るのです。苦しませたくもございません。お願いですから落ち着いて下さい」

 妙にへりくだった態度で頼まれ、意外な反応に驚いたオーベルシュタインは、そのせいか、ショックから抜けて落ち着きを取り戻すことができた。

「……お前は……お前は、あの触手生物か?」
「ええ。……一応、もう少しちゃんとした名前もありますが、発音できないでしょうから、そう呼んで頂いても構いませんよ」
「私に死なれては困る、とはどういう意味だ?」
「2つ理由があります。1つは、空の上にいる貴方の仲間が、我々の星を攻撃しないようにするためです。……貴方たちは、何か、お互い生きているかどうかを感じる術を持っていますね? あれから随分時間が経ちますが、まだ、彼らは“ミサイル”というものを使っていません。貴方が生きていると分かっているからでしょう」

 ……なんと。知性も何も無さそうな凶暴な化け物に見えたが、そこまで我々を正確に把握し、人質をとって安全を図る知恵すらあったとは。

「2つめは、それとは別に、貴方が健やかに長生きしてくださる方が、我々にとって都合がいいからです」
「……それは、なぜだ?」
「ええと……これを言うと、また落ち着きを無くさせてしまうかもしれないのですが……」
「善処する。理由は?」
「そうですか。……ええとですね。この星には以前にも、あなた方の仲間──ヒトが来たことがありました。だいたい、百年前くらいになりますか」

 そうだったのか。その位であれば、ここは既に帝国領であったはず。資源に乏しいために詳しい探索が進んでいなかったと思われているが、このような生物がいたのであれば、なぜ記録されていなかったのか。……まあ、所詮、かつての腐りきった国がした仕事。無能の高官が、行方不明の調査隊を存在もろとも抹消し、『何もなかった』と報告でもしたのだろう。

「あなた方の到来は、我々にとって福音でした。そのときの我々は、ちょうど、惑星規模の感染病によって、絶滅の危機に晒されていました。その病は、繁殖に必要な二種のうち一方のみに感染し、我々はそれに対抗できませんでした。やがて、その一方は死滅し、子供が居なくなりました。しかし、あなた方の協力を得れば、繁殖を行うことができると分かったのです」

 ……なにか、嫌な予感がするな……。

「ですが、当時のヒトは全員死亡しました。そこで我々は、空に向かってヒトを呼び寄せる念波を送り、ヒトが乗っている空飛ぶ岩を降り立たせることに成功しました。攻撃を受けたり、捕獲されたりして双方に犠牲が出ましたし、本当は雌型が望ましくもあったのですが、こうなっては贅沢もいえません」

 まずい。これは、間違いなく不味い流れだ。

「それに……貴方が、空の仲間に連絡をとっているとき、貴方の思考波から話の内容を聞いたのですが……貴方は、とても気高いヒトですね。仲間の安全のために、死の危険を前にして連絡を優先し、助けを拒むだなんて。私は、貴方が気に入りました」

 キルヒアイスの姿をした触手生物が、温和な顔を使って無機質な笑みを浮かべ、オーベルシュタインの背筋に冷たいものを這わせる。

「貴方に、私の子供を産んで貰いたいのです」

 ザッ、と、オーベルシュタインは、自身の血の気が引く音を聞いた。