触手オベ
その7

 良い知らせを挙げれば、初産より後、第二子出産以降は最初ほど苦しまずに済んだ。

 痛むことは痛むが、すんなり済む。その後、次の子をすぐに孕まされることにも段々慣れてきた。それと、これは『良い知らせ』に挙げるべきか不明だが、これまでに生まれた十ちかい子供たちはいずれも健康で、問題なく生育しているらしい。

 ある時、“次に取り掛かっている”最中に寝室の扉が開き、6歳くらいの銀髪の男の子が飛び込んできた。彼は、「お母さん!」と元気に叫び、裸に剥かれて押し倒されている私に飛びついてきた。その子は、フェルナーを子供にしたような容姿だった。ただ、きらきらと光る翡翠色の目には、あの男ほどの毒気がない。
 反応に困っていると、ミッターマイヤーに化けた個体も駆け込んできた。彼は、その子を必死に宥めながら連れ出していった。少年の方は納得いかない様子で、後ろ髪ひかれるように何度もこちらを見ながら出ていった。

「……ずいぶん成長が早くないか」

 彼らを見送った後、オーベルシュタインが尋ねた。ここに幽閉されてからの時間はまるで把握できないが、長くとも半年すら経っていないはずだ。
 フェルナーに化けた触手生物は、困ったような笑みを整った顔に浮かべて答えた。

「ええ。我々は、人間よりずっと成長が早いです。胎児は、4日3晩で生まれてきますし、生まれた子は、翌日には歩けるようになります。あの子は、あなたの最初の子ですよ」
「そうか」

 あれから生まれた子供は十近く。それなら、体感している通り、あれから1ヶ月と少し経つのか。

「……可哀想な子だ」

 ポツリ、とオーベルシュタインが呟く。フェルナーが首をかしげた。

「何故です?」
「私を、母親だと思っているのだろう。……ただの苗床を、母親だと。……お前たちがどれだけ長生きするのかは知らんが、あの子は一生、苗床が母親のままなのだ。……あわれだな」

 フェルナーが顔をこわばらせた。

「……あの子たちには……君たちは、天使様の御子だ、と、伝えています。子供を作れなくなった私たちの為に天からやってきてくれた、天使様の子供だと、そう教えています」
「天使? 私が? ……物は言いようだな。貴様らは、私という異種生物を捕らえ、幽閉し、自害の手段を奪い、子供を作る道具にしているだけだろうが……」
「……申し訳ありません。いくら何でも、負担をかけすぎてしまったようです。しばらく、番うことも休みましょう」
「なぜだ? 1分1秒も無駄にできんのだろう。壊れるまで存分に使えばいい」
「……お休み下さい。良い夢を見て、ゆっくりと。それを提供するのも約束のうちですからね」

 フェルナー型の触手生物が手を伸ばし、オーベルシュタインの瞼の上に乗せた。すると、途端に強い睡魔がオーベルシュタインを襲い、夢の中で更に深い眠りに落とされた。

 明るい陽の差す回廊を、オーベルシュタインは歩いていた。赤い絨毯、質素な内装、パルテノン神殿ふうの柱……不思議なことに、そこは、完成を見たことがないはずの獅子の泉《ルーヴェン・ブルン》宮殿であると分かっていた。
 行き先は、皇帝の執務室である。観音開きの扉を開くと、そこには、旧帝国での元帥府とあまり変わらない、質素な執務室があった。その中心の机の奥に、皇帝ラインハルトが座っている。威厳に満ちた、世にも美しい皇帝がアイス・ブルーの目を上向け、オーベルシュタインの方へと向ける。

「遅かったな。書類は?」
「こちらに」
「ご苦労」

 机まで近づき、うやうやしく書類を手渡す。それに暫し目を通した後、ラインハルトは印を押して認可を下した。

「この後の仕事はあるか?」
「今日はこれで全てです、陛下」
「よし。では、本日の業務を終了とする」
「お疲れ様でございました」

 ラインハルトが席を立ち、執務室を出て行った。彼を見送った後、オーベルシュタインも退出した。

 通路に出ると、ラインハルトの姿はもう無かった。ふと、柱の隙間から外を見ると、宮殿の中庭に彼の姿を見つけた。他にも、彼の姉・グリューネワルト大公妃殿下と、フロイライン・マリーンドルフの姿があった。
 しばらくして、彼らの視線の先から、赤毛の青年将校が歩み寄っている姿が見えた。

「遅いぞ! キルヒアイス」
「申し訳ございません、陛下」
「陛下はよせ! 今日の仕事は終わりだ。さ、姉上のケーキを一緒に食べよう」
「今日はね、ヒルダさんも手伝って下さったのよ」
「いえ。私は、ほとんど何も出来ませんでしたけれど……」

 微笑ましい光景に、オーベルシュタインは目を細めた。なんと温かい。なんと良き世界。これこそ、皇帝ラインハルトが求め、成し遂げたもの……。
 ひとかけらも文句のつけようのない、素晴らしい光景だったにも関わらず、オーベルシュタインの脳には疑念のトゲが刺さっていた。何かがおかしい。こんなことは、有り得ない。なぜか、その想いが抜けない。

 突然、中庭にいるキルヒアイスの首から、彼の髪ほど真っ赤な液体が勢いよく吹き出した。彼の身体が人形のように崩れ落ちる。そして、彼の周りの木々も、ラインハルトも、彼の姉も、フロイライン・マリーンドルフも、獅子の泉《ルーヴェン・ブルン》の宮殿も、すべての景色がグチャグチャと形を歪めて崩れていった。

「いい夢だな、オーベルシュタイン」

 背後から、ラインハルトの声がした。振り返ってみると、旧帝国の元帥服を纏い、うずくまった彼と、そのすぐそばに置かれた棺が見えた。彼らは、ガイエスブルグ要塞の戦勝式典会場に居た。

「おこがましい……」

 恨みがましげに呟きながら、顔を伏せていたラインハルトが頭を上げた。頬には、泣きはらした跡の涙の筋が残り、アイス・ブルーの瞳には、激しい怨嗟の光が宿っている。彼が、ゆっくりと立ち上がった。

「ヴェスターランドの虐殺を黙認したのは私……キルヒアイスに、銃を持たせないことを選んだのは私……確かに、そうだ」

 ラインハルトが、徐々に距離を詰めていく。

「だが……アンスバッハの目論見を見破るのは、卿の仕事ではなかったのか? あるいは、キルヒアイスに銃を手放させるだけでなく、式典の警備を厚くするよう進言すべきだったのは卿ではなかったか?」

 ラインハルトの憎悪の波動が、オーベルシュタインに届く。

「『投降する兵士たちが、貴族連合にそれほど愛着を持っている筈がない』……そうだ。確かに私も、他の提督たちもそう考えていた。見込みが甘かった。……だが、我々が甘いからこそ、卿の出番ではなかったのか? 味方は、キルヒアイスすらも卿は疑ったというのに、もともと敵である捕虜のほうには、それほど、卿の猜疑心が働かなかったのか?」

 ラインハルトが、オーベルシュタインの目の前に立った。激しい憎悪を湛えた彼のアイス・ブルーの瞳が、至近距離からオーベルシュタインを射貫く。

「……役立たずが! 分かっているのか? キルヒアイスが射線を逸らしてくれなければ、死んでいたのは卿と、この私だったのだぞ!? 私が、何のために貴様の命を買ってやったと思っている? こういう事態から我々を守って貰うためだ! この、能無しの、役立たず……!」

 ラインハルトの両手が、オーベルシュタインの首にかかった。陶器人形のような美しい見た目とは裏腹に、鍛え上げられた力強い腕は、オーベルシュタインの脆い首をへし折らんばかりに張り詰め、彼の首を締め上げる。

「ゴールデンバウム王朝は滅んだ。劣悪遺伝子排除法も無くなった。卿の望みが叶ってよかったな。……だが、私の望みは叶わない! 永遠に! 貴様など……あのとき、見殺しにすれば良かった!」

 さらに強い力がかかり、オーベルシュタインの首が締め上げられる……。

「ストップストップストップストップ!!!」

 ふいに悪夢が途絶え、呼吸を荒げながらオーベルシュタインが目を覚ました。目を覚ましたとはいっても、そこは、幻影の寝室の中のままであった。

「なんって世界を望むのですか、貴方は」

 狼狽した声のする方を見やると、青ざめて冷や汗をかいたフェルナーの姿があった。また、フェルナーの姿をとったままの触手生物だ。
 望む? ……私が? 彼に殺されることを望んでいる……?
 考えたこともない話であったが、こんな状況にあることも手伝ってか、その考えに、ひどく安らぎを覚えた。

「ああ、止めて下さい。止めて下さい。いくら、幻覚とはいえ、絶対に死なない訳ではないのですよ?」
「……ほう。これを続ければ、いずれ死ねるのか……」
「止めて下さいったら。……どうやら、良い夢を見ることも難しい程お疲れのようです。夢を見ないくらい深く眠って、ゆっくりお休み下さい」

 フェルナー型の触手生物が、オーベルシュタインの目の上に再び手を伸ばす。今度の睡魔は、オーベルシュタインの意識をノンレム睡眠にまで落とした。

「もう、限界なのだろうか。……彼を、苦しめたくは無かったのに……」

 眠りに落ちたオーベルシュタインを見やり、触手生物は呟いた。
 オーベルシュタインに明かすつもりはないが、彼は、以前訪れた人間たちの1人の胎から生まれた個体であった。彼は、一族の生存の希望であったが、同時に『苗床から生まれた実験体』でもあり、『雑種』と蔑まれることもあり、また、最愛の『母親』が苦しみ死ぬ様も見てきていた。
 ゆえに、できることならば、今度は、より良い関係を築きたかった。

 長期間の調査の末、オーベルシュタインたちの居る基地の監視カメラ映像を帝国軍が捉えたのは、ちょうどその頃であった。