触手オベ
その8

 彼に取り付けられた生命感知センサーが発していた通り、オーベルシュタインは生きていた。1ヶ月半に及んだ調査は、無駄ではなかった。
 だが、良い知らせと呼べるものは、それだけだった。

 派遣されていた調査船が地上の監視システムを捉えることに成功し、内部の映像をラインハルトたちへ転送した。名状し難くおぞましい生物に囚われた、あまりにも無残な犠牲者の有様に、見た者たちの何人かが悲鳴をあげた。
 不鮮明な“軍務尚書らしき人物”は、確かにオーベルシュタインであるように見えた。服を奪われたようだが、彼の蒼白な肌色は、捕縛者の体に隠れてほとんど見えない。彼は、赤黒く粘液に光る無数の触手に取り込まれるように絡みつかれ、焦点の合わない義眼を虚ろに彼方へ向けていた。口の中にも太い触手を押し込まれ、胃の中まで侵入されている様子である。時々、ガッチリと拘束された彼の全身が不規則に痙攣し、彼にまだ生命のあることを観測者たちに伝えた。しかし、それが彼にとって幸いであるかどうかは誰にも分からなかった。

「閣下…………!」

 本物のフェルナーが呻く。彼は、軍務尚書の救助を強く要望しつづけ、救助作戦への参加も申し出ていた。だが、目の前の様相を『僥倖』と区分できるかどうか、楽観的な気質の強い彼ですら測りかねた。

「これは……生きているのですか」

 ミッターマイヤーが呟く。普段は、画面にいる人物の悪口を肴に飲み明かすことも少なくない彼であったが、そんな彼ですら、今見ている惨状が相手に相応しいなどとは思いもしなかった。

 そのとき、触手の隙間が空き、彼の腹部がカメラに映った。そこだけが不自然に膨れ上がり、普段より痩せ細った彼の身体を一層異様に見せている。
 ヒッ、と、声にならない悲鳴を小さくエミールがあげた。周囲の者が彼を見る。

「まさか……お腹の、中、に、あの生き物の…………」

 そこまで口にした後、青ざめたエミールは口に両手を当てた。これ以上の説明を続けるより、胃の中身を撒き散らさないことのほうが賢明だと判断したためである。
 聡明な皇帝と側近たちは、彼の言わんとするところを既に理解していた。更には、不幸なことに──あるいは、幸運なことに──彼の予測を裏付ける映像も、ちょうど流れてきた。

 とつぜん、軍務尚書が両目を見開き、触手に縛られた手足を激しく動かし始める。眉を歪め、強い痛みに苦しんでいる様子だった。口に押し込まれていた触手が引き抜かれ、自由になった彼の口が声を発した。

『……ぁ、あ”ァア……痛、ぁ”、痛いぃぃ……』

 軍務尚書の声だった。普段ならば、疲労も痛みも一切表に出さない彼の、苦痛に満ちた悲鳴は、不鮮明な映像以上に観測者たちを震え上がらせた。

「意識が……!? ま、まさか、……ずっと……」

 そう言い残したのを最後に、皇帝の側近として居合わせた哀れなエミールはガクリと崩れ落ちた。それを、ラインハルトとキスリングが慌てて支える。彼は、顔色を真っ青にし、泡すら吹いていたが、胃の中のものはなんとか押しとどめた。
 その間にも、オーベルシュタインが呻き、激痛に身をよじらせる。

「なんだ? 何が起きている!? 助けられんのか!?」

 白磁の肌に青みを帯びさせ、ラインハルトが言った。すぐ横でエミールを支えているキスリングが応じる。

「分かりません。もしかすると……腹の中にいる……アレら、が、出てこようとしているのやもしれません」
「出てくるだと!? 腹を破ってか!? 今すぐ助けを出せ、早く!」
「駄目です。情報が少なすぎます。下手に人員を送れば、軍務尚書と随行員たちと同じ運命を辿らせかねません。それに……おそらく、間に合わない……」

『アァ”ああァア”、あああぁああ!』

 軍務尚書がひときわ大きく悲鳴をあげる。その場にいた歴戦の強者たちですら、それを聞いて青ざめ、竦み上がった。
 ズルリ、と、彼の下から赤黒い塊が滑り出る。それに伴い、オーベルシュタインの腹部も急速にしぼんでいった。やがて、ドチャリ、とそれが床に落ちる。軍務尚書の悲鳴が止み、力尽きたようにグッタリと彼が動かなくなった。オーベルシュタインから“生まれた”ソレは、どうやら触手生物の幼体らしかった。軍務尚書の胸が大きく上下しており、“出産”で生命を奪われてはいないらしいことを観測者たちへ伝えた。

「…………子供、を、作っているんですわ」

 マリーンドルフ令嬢の声が響き、各人が振り返る。近くの取っ掛かりに手をかけ、身を支えている彼女は、エミールほどではないが限界に近い様子だった。

「……これだけの期間、食事も水分もとれなかった筈の軍務尚書が生きている、ということは、それらを与えて彼を生かしているのですわ。たぶん、こうして……子供、を、作るために。……宿主を殺してしまう生き物ではないようです。もしかすると、……アレは、最初の子供ではないかもしれません。だとすれば、アレらは、軍務尚書を殺さないでしょう。急がずとも大丈夫です。……生命、だけならば」

 絶望に満ちた声でヒルダが付け加えた。その場の各人にも、彼女と同じ懸念が頭に湧いていた。
 軍務尚書は生きていた。だが……彼の精神は──彼が彼であることを示す本体は、もう死んでいるのかもしれなかった。

「万全を期し、我が軍務尚書を予の元へ連れて帰れ」

 ラインハルトが厳かに命を下し、各員が動き始めた。

 幻影の寝室の外から、爆発のような轟音が響き渡った。ガタガタガタ、と、オーベルシュタイン邸の寝室が揺れ動く。

「……なんだ?」

 産後の倦怠感で弱り、次の子の種を早速仕込まれたばかりのオーベルシュタインが弱々しい声で尋ねた。フェルナーの姿をとった触手生物が悲しげな笑みを浮かべ、彼に応じる。

「……貴方のお仲間が迎えに来たようです、閣下。……良かったですね。じき、家に帰れますよ。……ここではなく、本物の家にね」
「私に、迎えが……?」
「ええ。貴方が生きていると知って、救助においでのようです。流れ弾に当たらないよう、貴方を暖かいシェルターで包んで置いていきます。……もちろん、連れて行きたいですけれど、そうしたら追いかけられるでしょうからね」
「…………お前たちは、どうするつもりだ」

 オーベルシュタインの問いに、フェルナーはニコリと笑った。

「おや、心配して下さるので? ……この星に居ては、助からないでしょうな。貴方が使おうとしていた……『緊急シャトル』、を使って逃げようと思います。全員はとても乗れませんが、せめて、子供たちだけでも」
「……あれは、長時間移動できるものではないぞ。それに、どこへ行くつもりだ。この辺りはすべて、我が皇帝の領内だぞ」
「……まあ、隠れ場所くらいあるかもしれません。我々は、最後まで、どんな手を使ってでも、生き延びて存続する努力をするだけです」

 フェルナーに化けた触手生物が、フェルナーらしくない笑みを浮かべる。彼の手が、オーベルシュタインの瞼へ伸びた。

「さようなら、愛しい人。次に目覚めるときにはきっと、本物の人間たちを目にできますよ。貴方の現実が、夢よりも幸せなものになりますように」

 フェルナーの手が瞼の上に乗せられる。オーベルシュタインの意識が、深い深い眠りへと落ちていった。

 緊急シャトルには、予想通り全個体を乗せる余裕がなかった。触手たちは、まず、生まれたばかりの子供たちを全員乗せた。次に、彼らを育てる係の者たちを乗せた。残ったスペースには、若い個体を順に乗せた。
 フェルナーに化けていた個体は、後に残った。

 基地に乗り込んだ救助隊は、持ち込める最大火力の武器でもって触手生物に対応した。人類の文明の精髄は、道具をもたない原始的な異種生物たちを易々と屠り、軍務尚書がいる部屋までの道をすぐさま切り開いていった。
 部屋に辿り着くと、映像に映っていた触手生物の姿はなかった。代わりに、巨大な蚕の繭のようなものが置かれている。温度カメラで中を確認すると、人型の生き物が中に入っていると分かった。中の人物を傷つけないよう、工作員が慎重にレーザーカッターを当て、見た目より硬い繭を開いていく。
 中に居たのは、予想通りオーベルシュタインだった。全裸で、粘液に塗れた彼には、まだ息があった。

 残りの触手生物の足取りを追い、余った隊員たちが更に進んだ。やがて、緊急シャトルの発射場に辿り着く。そこで、思いもよらぬ人物を目にし、救助隊員たちは立ち止まった。
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥が、ヘルメットもなしに立ちはだかっている。義眼の目でキッと此方を睨み据え、背筋をピンと伸ばして立っていた。

『緊急シャトル前にも軍務尚書がいる! どうなっている?』

 隊員のひとりが通信で問うた。後ろの部屋に残して来た隊員から応答が返る。

『こちらの尚書閣下は、間違いなく本物だ。気をつけろ、そちらは偽物かもしれん。温度カメラで見てみろ』

 隊員が、ヘルメットの視界を温度カメラに切り替えた。軍務尚書の姿が消え、代わりに、巨大な触手生物の影が見えた。

『こいつはヤツらの仲間だ! 撃て、殺せ!』

 人類の叡智が火を噴き、軍務尚書の幻影に当たる。彼の姿が消え、代わりに、赤黒い触手生物の姿が現れた。ソレは、銃火器の弾に引き千切られ、一瞬にして粉々の肉塊に変わった。
 軍務尚書の幻影には、温度カメラのシルエットが異なる以外にももうひとつ特徴があった。それは、新王朝の元帥服ではなく、旧王朝の中将の軍服を着ていたことである。リップシュタット戦役の終わりにラインハルトが暗殺されかかったとき、彼を庇ったオーベルシュタインが着ていたものであることは、その場にいた隊員たちには知る由もなく、気に留められることもなかった。

 生物の排除後、隊員たちは更に奥まで掃討しようとしたが、そのとき、緊急シャトルのエンジン音が響き、無人のはずのシャトルが発射したことを知った。シャトルは、発射を全く想定していなかった艦隊に無視され、何にも邪魔されることなく宇宙の彼方へ飛び立っていった。