35XX年 時空の旅
その1

「タイムマシンだと?」

 オレンジの髪を持ち、猪と評されるような猛攻型の攻撃を好む上級大将:フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが、いましがた聞いた単語を聞き返した。
 彼の脳裏に、幼い頃に観た立体TV(ソリヴィジョン)・アクション・ドラマの一場面が浮かぶ。そのドラマの中では、外も内も、何か難しい機械らしい光るパネルが並び、ワルキューレというよりは樽に近い形状の機械──タイムマシンが登場していた。それに主人公が乗り込み、悪者によって不正に改ざんされた過去を元に戻しに行くという、ごくありきたりなストーリーのドラマである。

「そんなものが出来るようになったのか」
「ええ。まだ、実験段階だそうですが。今は、トランプ・果物・パンなどの小物を過去・未来にそれぞれ1年間程度の時間を超えて送ることに成功できており、モルモットや犬などの動物も生きたまま無事に送れたそうです」
「ほう。そいつはすごいな」

 オイゲンの説明を聞き、ビッテンフェルトは素直な感心を示した。王朝が変わり、得るべき場所へ正しく予算が振り分けられるようになってからというもの、前進を止めたように思われていた科学技術は、目を見張る大躍進を遂げている。
 これも、そうした躍進の成果の1つなのだろう。ビッテンフェルトはそう考え、新しい王朝の成果を喜んだ。

「もしや、それを使えば、過去のまずい失敗を取り消すこともできるのだろうか」
「それは出来ないそうです。と、言いますのも、過去に何かを送っても、現在が変わることは無いのだそうで。何でも、どれほど奇をてらった品物を過去へ送ってみても、いずれも『それは元々そこにあった』ことが分かるだけなのだとか」
「ほお~お。面白いな。過去を変えられんのであれば、見学が精々か。しかし、ぜひ使ってみたいものだ。提督たちや、元帥のあの2人が子供の頃……それに、マイン・カイザーが幼少の頃を拝見奉りたい」
「人体実験は、安全性が確認できていないため、まだ実施できないそうです。…閣下の幼少の頃のご様子は、タイムマシンなしでも目に浮かぶようですな」
「おれの子供の頃か。そりゃあ、やんちゃだった。近くの公園や林の中を、泥まみれになって走り回ったり…途中で工事が中断されていた、何かの施設の廃墟で、探検ごっこをしたり…」
「そして、大声でしゃべるのですな」
「当然。ビッテンフェルト家の家訓だからな」

 人を褒めるときは大きな声で。人の悪口を言うときは、より大きな声で。そのいずれでもないときは、とりあえず大きな声で。
 楽しげに話す上官を見ていると、その顔に、元気に駆け回るオレンジ髪の少年の想像上の姿が重なり、オイゲンは思わずニンマリと笑みを浮かべた。いかにも彼らしい少年時代だ。

「そういえば、科学技術部門は、ここから近いのではなかったか」

 次の目的地へ向けて走る公用車の窓から、ビッテンフェルトは街の様子を見つつ言った。近頃は、車の送迎がつく身分になったため、自らの足で歩き回る機会がめっきり減ってしまい、地理の記憶が薄れつつある。だが、この辺りの地形には覚えがあった。

「ええ、確か」
「次の予定にはまだ時間があるな? 少し、そのタイムマシンとやらを見ていこう」
「ええ? 約束もなく、突然ですか? それは、先方が困るのでは…」
「なに、おれは上級大将だぞ。ちょっと見るくらい、構わんだろう。おい、技術部へ向かってくれ」
「了解」

 オイゲンの心配をよそにビッテンフェルトが命ずると、運転手は直ちに操作盤へ手を走らせ、目的地の設定を切り替えた。彼らの乗る車が、交差点まで進んだ後にUターンし、新たな目的地へと向かっていく。

 相変わらず配慮にかける部分のある上官に、諦めた様子の溜め息を洩らしつつ、オイゲンはそれ以上制止しようとはしなかった。今、上官の猪突を止めずとも、何も死ぬわけではないだろうし、何より、彼自身にも、タイムマシンなるものを見てみたい気持ちがあることは否定できなかった。

──────────

「ほお~~~…これがそうか」

 見た目はでかいのに、中は案外狭そうだな、などとのたまいつつ、ビッテンフェルトは、ケーニヒス・ティーゲルの艦橋ほどの大きさのある部屋を占拠している巨大な機械へと近づいていった。それを見て、気が気でない様子の案内役の研究員は、「くれぐれも何も触らないでくださいね」と念を押す。その横で、オイゲンは上官の挙動を注意深く見守っていた。
『ちょっと見る』だけだとは、彼自身が言ったことであるし、きっと、余計なことはしないだろう…とは、思うが、万が一に備え、オイゲンは上官を制止する心構えをしていた。
 観光客のような気軽さで、ビッテンフェルトはタイムマシンの内部へ入り、きょろきょろと中を見回した。文字の書かれたパネルやディスプレイが沢山あるが、どれが何の役割を果たしているのやら、さっぱり分からない。何やらすごそうだ、という感想のみを抱く。

 ひとしきり観察したのち、ビッテンフェルトは知識欲を満足させたらしく、そろそろ戻るかとタイムマシンの出入り口に向かった。外を見ると、部屋の出入り口に居るオイゲンと研究員が、こちらを見つめている様子が見えた。

「よくわかった。協力に感謝する。やはり、実際に使えないことには退屈だな。完成を楽しみに…」

 そう言いかけた瞬間、ビッテンフェルトは足元のコードにつまづき、よろめいた。傾いた身体を支えようと、反射的に伸ばした手がパネルの1つに触れる。
 すると、ウイイイイン…という起動音とともに、タイムマシンの無数のディスプレイが光り、様々な表示が踊りだした。その場にいる3人が、一斉に息を呑む。

「そんな…! セーフティがかかっているはずなのに、どうして…! まずい、提督!早く外へ!」

 研究員が狼狽して叫んだ。その声を聞き、驚いて硬直していたビッテンフェルトは、あわてて外へと飛び出そうとする。
 だが、彼が外へ出る前に、タイムマシン内部を虹色の光が包み込み、ビッテンフェルトは光に飲み込まれてしまった。

「閣下─────!!!」

 まばゆい光に目を覆いつつ、オイゲンが叫んだ。

 やがて、光が消え、視力を取り戻した2人は、おそるおそるタイムマシンの方を見た。しかし、まるで、初めから何も無かったかのように跡形もなく、オレンジ髪の提督の姿は消え失せていた。

──────────

「う……」

 うめきながら、ビッテンフェルトは目を開いた。目の前には、美しい星空が広がっている。どこか…屋外の、芝生の上か何かに自分は寝転がっているようだ。ここは何処だろう。
 ふいに、先刻の出来事が頭の中に蘇り、ビッテンフェルトは慌てて両手を胸、肩、腰と身体中に走らせ、どこも欠損していないか確認した。昔みたソリヴィジョンで、タイムトラベルに失敗すると、身体がバラバラに…といった説明がされていたためである。身体のどの部位も、彼の記憶通りの位置で手応えがあり、痛みもなく、どうやら五体満足・無事であるらしいとわかり、ひとまず安堵した。
 彼は改めて上体を起こし、辺りを見回した。そこは、首都オーディンの、どこかの街中の夜の公園に見えた。月の位置が高く、今は、大分遅い時間帯であるらしい。公園に、他に人影はない。周囲の建物にも、その公園にも、ビッテンフェルトは見覚えがなかった。

 おれはいったい、何時の何処へ飛ばされたのか。過去か、未来か。
 新聞でもあれば話が早いのだが…と考え、運良く捨てられてはいないか、と、彼は近くにあったゴミ入れを覗いてみた。中身は、酒瓶や缶などが少量あるばかりで、これといって日時を特定できそうなものは見つけられなかった。しかし、見覚えのある商品だったので、過去であるにしろ未来であるにしろ、少なくとも、ここは帝国領内の街であり、現代とそう遠くは離れていないであろう、という希望的観測を持つことができた。

 辺りを見回してみる。すると、人影のない暗い公園の中で、街灯とは思えない、茂みの中の低い位置の1点に明かりが灯されているのが目についた。あんな所に1つだけ、庭明かりが設置されるものだろうか?
 不思議に思ったビッテンフェルトは、明かりのある茂みに向かい、茂みを掻き分け、中を覗きこんでみた。

 そこには、10歳にもならぬ幼い少年が1人でいた。茂みを分けて覗き込んできた男性の姿に驚いた様子で、少し目を見開いてこちらを見つめ返している。
 彼は、レジャーシートを敷いてその上に膝を立てて座り、木肌を背にして本を読んでいたようだった。横には、ランタン風の洒落た明かりを置いている。シートの上には、他にも本が何冊か積み上げられていた。彼が持っている本も、シートに積み上げられている本も、いずれもその年頃の子供が読むような本とは思えない、ビッテンフェルトなら生涯手を触れる機会すらなさそうな難しげな本ばかりである。
 服装をみると、白いシャツの上にベストとカメオ付きループ・タイとを身につけ、短パンと長靴下とを履いていて、いずれも泥汚れひとつない清潔な様子であった。──たぶん、外遊びやスポーツが好きな子供ではないのだろう。髪は、よく整えられた焦げ茶色の髪で、かるくウェーブがかかっている。
 その少年は、ビッテンフェルトが幼少期に目にした友人たちと明らかに異なっており、裕福な──おそらく、貴族の子供であろうことが見て取れた。

「…ぼうや。こんな夜中に、外に1人でいるのか? お父さんやお母さんが心配するだろう。わるい人に襲われたら、大変だぞ。本なら家で読め。それに、子供は、早く寝ないと大きくなれないぞ」

 ビッテンフェルトは思わず自分の状況を忘れ、目の前の子供を諭した。今が何時で何処であれ、こんな夜更けに子供が1人でいるなど、善良な大人が許容していいことではない。

「………家は、駄目なのです」

 ややあって、少年がか細い声で答えた。突然の自分の登場にほとんど動じた様子がなく、みょうに冷静で、しかも口調が丁寧である彼の様子に、ビッテンフェルトは心の中で目を剥いた。ずいぶんと大人びた子供だ。

「駄目、とは?」
「……父上が、今は…お酒を飲んで、騒いでいるので…見つかると、怒鳴られたり、ぶたれたりします。だから、父上が眠るまでは、ここに居ることにしているのです。……ここには、わるい人が来るかも知れませんが、家ですと、父上が必ず居りますから」

 そう、悲痛な面持ちで告げる少年を見て、ビッテンフェルトは胸を痛めた。
 かわいそうな子だ。ここに1人で居ることの危険を承知しているのに、家に居た場合に起きる確実な危険を避けるべく、屋根すらない此処へ追いやられているのだ。

「あなたは、軍人…? ですか?」
「ん? …ああ、そうだ」
「その服は、見たことがありません」
「む…そうか? これはな…」

 上級大将の、という説明が喉を滑り出かけ、慌ててビッテンフェルトは口をつぐんだ。この時代には、このデザインの軍服が存在しないかもしれない。なにせ、彼が生きてきた、たった数十年ばかりの人生の間だけでも、一度、銀河帝国の軍服のデザインは一新されているのだ。

「…その、ちょっとばかり、特別な軍服でな。秘密なので、詳しくは聞かないでくれ。…おれの名は、ビッテンフェルトという。君は?」
「…………パウル、と、いいます」
「パウル君か。…下の名前は?」
「……言いたくない」
「む。そうか。有名なのか?」
「…そこまでではないですけれど…」
「そうか。ま、おれは、何処の誰ともしれん奴だしな。良い心がけだ」

 えらいぞ、とビッテンフェルトは笑顔で応じた。
 素直に家名を明かさない自分に苛立つことなく、屈託のない笑みを浮かべる親切な男性を見て、パウルは一瞬、彼を“わるい人”だと思って家名を隠しているのではない、と訂正しようとした。だが、口に出しかけた言葉を飲み込んだ。
 それを告げれば、自分は、本当の理由を説明しなければならない。

『劣悪遺伝子排除法』が存在するゴールデンバウム王朝・銀河帝国において、生まれつき目が見えず、貴族である母親の意向により事故と偽って義眼を埋め込まれ、それで視力を得て生きてきた彼は、生来の病弱さも相まって、ことあるごとに『オーベルシュタイン家の恥』として冷遇を被って生きてきていた。
 そのため、帝国暦460年現在、間もなく8歳の誕生日を迎える少年:パウル・フォン・オーベルシュタインは、自分が“オーベルシュタイン”という家名を戴くことを胸を張って告げられずにいる。

 ビッテンフェルトは、彼が忌み嫌う軍務尚書のファースト・ネームを、このときすっかり忘れていた。