35XX年 時空の旅
その2

「…ビッテンフェルトさんは、どうして、こんなおそくに公園にいるのですか」

 少年が礼儀正しく問いかけ、ビッテンフェルトは言葉に詰まった。どう説明したものか。まさか、タイムマシンで誤って飛んできた、などとは…。

「…ええい!」

 数瞬後、ビッテンフェルトは頭を振りながら忌々しげに唸った。少年がビクリ、と身を縮こませる。

「…パウル君。信じられないだろうがな。おれは、事故で起動したタイムマシンに乗ってしまって、気づいたらこの公園に寝転がっていたのだ。身体が何ともないのはラッキーだったが、ここが過去か未来かも、どこなのかもさっぱり分からん」

 先程の逡巡を即座にかなぐり捨て、そう、まくし立てるようにビッテンフェルトは何もかも洗いざらい打ち明けた。全部話してしまうと、彼は少しだけ気持ちが落ち着いたように感じた。
 そうだ、おれは転んで、うっかりタイムマシンを起動させてしまいはした。だが、何も、悪いことをしたわけではない。こんな子供に隠し事をする必要がどこにある。

「……そう、なんですか」

 半信半疑、といった様子で応じる少年に、ビッテンフェルトは片手を振って答えた。

「いいさ。信じなくていい。おれが君の立場なら、信じられないだろう。ただ、おれは嘘を言うのは苦手で、こういうときに合う言い訳ができんというか…いや、嘘も言い訳も、言う必要などない!だから、正直に話す。それだけだ」

 ビッテンフェルトがそう高らかに持論を並べ、パウルは目をぱちぱちと瞬かせた。その時、グゥーーという異音が鳴り響いた。

「………ハラが減った…」

 オレンジ髪の上級大将は、腹を押さえてうずくまった。そういえば、タイムマシンに乗る直前、昼前だった。
 どこかで何か買えないか、と、マネー・カードを取り出しつつ辺りを見渡す。だが、はた、と、ある事実に気づいて硬直した。

 この時代に、おれが持っている金は…カードは使えるのか?

 青ざめつつ、目の前の少年に視線を戻し、震える声で問いかける。

「なあ、パウル君…教えてくれ。今は、何歴の何年だ?」
「………てい国歴、460年です」

 ビッテンフェルトはガックリとうなだれた。彼のお気に入りの、黄金の獅子が印刷された、新帝国ローエングラム王朝樹立記念カード(限定モデル・シリアルナンバー付き)は、まだ存在しないであろう彼の口座に紐付けられていた。

「あなたは、未来から来たから、今のお金を持ってなくて、食べ物を買えない…のですか?」

 少年がそう言うのを聞き、ビッテンフェルトはカードの図面から目を上げた。

「……そうだ。よく分かったな」
「そうだろうなと思いました」
「鋭いな。…だが、未来から来たというのは、何故わかった?」
「その軍服…」

 少年が指差した。ビッテンフェルトは目を落とし、自身の軍服を見やる。

「…てい国の軍服に見えます。でも、てい国の軍服がそれだったことは一度もありません。図かんにのっていませんから。だけど、ちゃんとしていて、ニセモノには見えない…。だからそれは、未来の本物の軍服。あなたは未来のてい国軍人なのでしょう」

 今度はビッテンフェルトが目を瞬かせた。その後、フッと笑いを漏らす。

「…これは、恐れ入った。君は、随分と賢いな。大きくなったら、おれの参謀に招きたいくらいだ」
「……参ぼう…あなたは、未来の軍のえらい人なのですね」
「まあな。良い主君を持てたお陰で、どんどん出世できたよ」
「……その絵…」

 不意に、ビッテンフェルトの手元へパウルは視線を向けた。彼の手には、赤地に黄金の獅子──ローエングラム王朝の紋章、ゴールデン・ルーヴェがあしらわれたカードがある。

「…きれいですね。もしかして、もん章ですか。……新しい王朝の?」

 聡い少年がそう言い当てるのを聞き、ビッテンフェルトは初めて危機感を感じ、慌ててカードを懐に戻した。
 やましいことは何もないが、過去の人間に、あまり未来の情報を与えるのはよくない。──そう、過去に立体TV(ソリヴィジョン)・ドラマで見たストーリーから、ビッテンフェルトは予感していた。

 そうだ、この子は恐らく貴族。とすると、将来、門閥貴族陣営につき、ローエングラム陣営の敵になる可能性が高い。

「……いや。ただの、かっこいい絵がついたカードだ。それだけさ」

 明らかに狼狽した様子で笑って答えるビッテンフェルトを見て、パウル少年は、大看板に大きく書かれた"Ja"の文字を見たように感じた。たぶん、未来の情報を必要以上に明かすのは良くないと思い始めたのだろう。
 やはり、この人は未来人だ。それだけではなく、今とは違う王朝の銀河帝国から来たらしい。

 ……今のこの国が、なくなる?
 それは、いつ、誰の手によって成されるのだろう。今の人間とそこまで大きく違わない彼の様子を見るに、それは、そう遠くない未来であるように思える。

「良かったら、これ、食べますか」

 そう申し出ると、パウル少年は、屋敷を抜け出す時にラーべナルト夫人が持たせてくれたバスケットへ手を伸ばし、中から暖かいフェンネルのスープが入った水筒と、サンドイッチとを取り出した。
 ビッテンフェルトはパッと目を輝かせ、じゅるりと涎をすすった。直後、高官の軍人たる矜持が邪魔するのか、ブンブンと頭をふる。

「……いや。会ったばかりの君に、そんな…」
「いいんです。ぼくはこんなに食べられないですし」
「……そ、そう…か? では、お言葉に甘えて」

 そう言うと、ビッテンフェルトはパウルの手からスープとサンドイッチを受け取り、がつがつと勢いよく食べ始めた。
「うまい…!」という気持ちを全身で表現する彼を見て、『彼は、普段見ている大人と全然違う』とパウルは感じた。

 嘘で塗り固めた笑顔。おべっかと牽制とブラフに満ちた会話。贅を尽くして飾り立てられた身なり。美味くもなさそうに消費される、最高級のご馳走の数々。
 それが、陰謀と嘘に満ちた、彼のよく知る大人たちの世界だった。

 しかし、目の前の彼は、そうした大人たちとは何もかもが違っている。
 彼はすぐに喰い物にされてしまいそうだ。だが、勝者として未来に生きている。それに──嘘まみれの大人たちより、彼のような人のほうが好ましい。

「ああ、美味かった。ありがとうな、パウル君」

 そう、満面の笑みを浮かべるオレンジ色の細面の男性からは、嘘偽りが一切そぎ落とされているように感じられた。

 彼のような人間──たぶん貴族ではない出の人間が、おそらく要職に就くことができ、こんな風に元気に過ごしている未来。それは、とても良い将来の展望であるようにパウル少年には思えた。

──────────

「最近、パウル坊っちゃんの機嫌がいいですね、あなた」

 オーベルシュタイン邸の居間の調度にハタキをかけながら、ラーベナルト夫人は夫に声をかけた。近くで食器を磨いていたラーベナルトは、視線を妻に向けて頷いた。

「そうだな。奥様が亡くなられてからというもの、旦那様もあのご様子で、パウル様もお辛そうでおいでだったが…何か、楽しい事をお見つけになられたらしい。良いことだ」
「本当ですね。……でも、最近、何を楽しみにしていらっしゃるのか、私にも教えて下さらないんですのよ」
「パウル様も、そういう年頃だということだろう」
「寂しいですわ。以前なら、私には何だって教えて下すったのに」
「子供は成長するものだ」
「ええ、嬉しいことですね」

 若いメイドとフットマンの夫婦は微笑み合った。直後、夫の顔に不安がよぎる。

「……しかし、外に出ていかれる回数が増えていることは、少し心配だな。…悪い輩と付き合っているのでなければよいのだが…」

──────────

「君主は、その…しん、臣民を、とう…とう…」
「とう合しちゅうせいをちかわせているかぎりは」
「…冷酷だという、ひ…ひ…」
「ひなんを気にすべきではないのです」
「……おれより君のほうが余程読むのが上手いな」
「たくさん読みましたので」
「……おれも姉に本を読んでもらったり、弟に読んでやったりしたものだが、こんなに難しい本は触ったこともない。本当に分かるのか?」
「分からなかったら読みません」
「………それもそうだな」

 ビッテンフェルトが生きる時代より約30年ほどの過去、ゴールデンバウム王朝銀河帝国・首都星オーディンの片隅の小さな部屋で、オレンジ髪の“自称”軍人と、焦げ茶色の髪の貴族の少年とが並んで座り、本を一緒に読んでいた。

 ビッテンフェルトは、生まれ持った平民根性を久しぶりに発揮し、この時代でのちょっとした職にありつき、小さなアパルトメントを借りて生活するに至っていた。
 彼を最初に見つけたパウル少年は、自称未来人の彼に興味を持ったのか、彼の人柄が気に入ったのか、屋敷を抜け出す時は決まって彼の部屋を訪ねていた。「なにか困っていることはないか」という申し出と、彼の家のメイド特製の軽食を片手に。
 ビッテンフェルトは、公園に居るよりはマシであろう、せめて自分が未来へ帰るまでの間は彼を見ていよう、と考え、少年を快く迎え入れることにしていた。

 今日は、本が好きな彼に読み聞かせを申し出たのだが、今のところ、逆に読んで貰っている割合のほうが多い。
 だが、感情を表に出さない性質らしいその少年が、こころなしか嬉しそうにしているので、ビッテンフェルトは甘んじて“読み聞かせられ”を担うことにした。

「なぜなら、わずかな実例を見せしめにするだけで、それ以外の者にはずっとなさけ深くするでしょうが、あまりになさけ深くしすぎるとそうらんをまねき、その結果、殺人や強だつが横行します。こうして全民しゅうを…」

 ビッテンフェルトを待たずに読み始めたパウル少年は、ふと、彼が本から目を上げ、物憂げな様子でいることに気付き、読むのを止めた。

「……すみません。つまらなかったですか」
「いや、いや、確かにおれには少々難しいんだが、そうじゃなくてな……」

 おれは、自分の時代に帰れるのだろうか。

 さすがのビッテンフェルトでも、その不安が暗雲となって心中を覆いつつあった。
 身一つで過去へ飛んできた自分は、未来から迎えが来るのを待つしかない。彼は、必ず誰か、彼の忠実な部下たちが自分の居場所を探し当て、迎えに来てくれるだろうと信じていた。
 ……だが、時間すら異なる場所に居る自分の居場所が、本当にわかるのだろうか。そもそも、過去に飛んでしまった自分を未来へ連れ戻す方法はあるのか?
 立体TV(ソリヴィジョン)では余りに馴染みの展開なので、当然できると考えていた。しかし、よく記憶を探ってみると、そういえば、過去に送ったものを取って戻ってこれるとは一言も言っていない。

 ……まさか、この時間跳躍は、一方通行なのか…?

 ふいに、その考えが頭に浮かび、ビッテンフェルトは青ざめた。
 自分は……二度と未来へ戻れないのかもしれない。このまま、30年前の銀河帝国の住人として、生きていくしかないのかもしれない。

「帰りたいんですね」

 心を見透かしたようにパウル少年が言うと、ビッテンフェルトは目線を彼に向けた。……どこか、人形の目のように見える彼の瞳に、自分の不安そうな顔が映り込んでいる。

「……ああ。部下たちが、おれを見つけてくれると思うが…なにせ、時間すら異なる場所にいる。おれの居場所が分からんかもしれん」
「ビッテンフェルトさんは、未来から来たのですよね」
「ああ」
「では、未来へメッセージを残したらどうですか。なにか、未来まで残っていて、部下の人たちが見つけてくれそうなものに」

 少年の提案を聞き、ビッテンフェルトはパッと目を輝かせた。

「名案だな! 何かいいか…石像かなにかに彫り込むか、役所に忍び込んで帳簿に書き込んでしまうか…いくつか仕込んでおけば、どれかは、きっと未来に届くに違いあるまい…! ありがとうな、パウル君。君は本当に賢い子だ。将来は是非、参謀役の軍人を目指すといい。きっと重く用いられるぞ!」
「軍人…? …でも、ぼくは身体がわるいですし、大きな声だって出せません」
「なに、全部の軍人が前線で戦えなくてはならぬわけではない。知恵をしぼって、軍と軍が戦う戦術戦略を練るのも、重大な仕事だ。いや、むしろ、それによって幾万幾千の将兵の生死が決する。君は、知恵を巡らせてそれを手助けすればよい。大きな声が出せぬなら、人の耳に残る話し方を工夫すればよいのだ」
「…自信がありません」
「何を言う、君は優秀だ。知識が豊富だし、頭もよく回る。参謀として、誰かしら上官についた折には、言いたい事をいくらでも遠慮なく具申するがよい。それで反発して、君を冷遇するような上官なら、仕える価値がないということだ。優れた上官に出会えれば、きっと君の言葉に耳を傾けてくれるだろう。……嫌われるかもしれんがな。気にするな、参謀にはよくあることだ」

 ビッテンフェルトがそう語ると、パウル少年は、彼には珍しいことに、年相応の子供らしく目を輝かせながら熱心に聞き入っていた。
 やがて、まばたきを2,3回すると、椅子からトンと降り、振り返ってビッテンフェルトを見た。

「さっそく、メッセージを残しに行きましょう」

 ビッテンフェルトは応と答え、自身の片方の太腿をパンと叩いて立ち上がった。

──────────

「……来ませんね」
「……ああ」

 思いつく限り『未来に残りそうな場所』を当たり、手当り次第に『自分の名前』『タイムマシンの事故のこと』そして日付・時刻・合流地点を書いたメッセージを残した。しかし、書いた時刻を過ぎ、半時が過ぎ、日が暮れても迎えは来なかった。
 合流地点に指定した公園のベンチに座り、背もたれに寄りかかって仰向けていたビッテンフェルトは、上半身を前に倒してうつ伏せ、項垂れた。横にちょこんと行儀よく腰掛けたパウル少年が心配そうに彼を見やる。

 メッセージは届かなかったのか。もしくは、やはりタイムマシンは一方通行にしか働かないものだったか。どうやらおれは、未来へは戻れないらしい。
 30年……生きて、偉大なる主君・ラインハルト陛下が即位なさる日に立ち会うことはできそうだ。しかし、二度と彼の麾下で将官として仕えることは叶うまい。

 ビッテンフェルトは懐からマネー・カードを取り出した。今は金銭として使うことのできないソレには、ローエングラム王朝の紋章──輝ける黄金の獅子が描かれている。
 ふと、横のパウル少年を見ると、自分の手にあるカードを熱心に見つめていた。

「……そういえば、今日は君の誕生日だったな。付き合ってくれた礼だ、これをやる」

 そう言うと、ビッテンフェルトはカードをパウル少年に差し出した。少年が驚いて目を見開く。

「でも、それはお金のカードで…ないと、ビッテンフェルトさんが困るんじゃ…」
「いいんだ。未来に帰れなければ、こいつは使えん。無事未来に帰れたならば、失くしたことにして新しく作れる。この絵が気に入ったのだろう? 君にやる」

 そう言ってカードを突き出すビッテンフェルトをみて、パウル少年はおずおずと手を伸ばし、ゴールデン・ルーヴェが描かれたカードを手に取った。まばたきを繰り返しながら、そのカードをじいっと見つめる。

「………ありがとうございます」
「なに、喜んでくれたのなら、おれも嬉しい」

 しばし、まるで宝物を手にしたかのようにカードを表、裏とひっくり返し、じっと見つめる少年を、ビッテンフェルトは微笑ましい気持ちで見つめた。
 読む本こそ、普通の子供の感性からかけ離れてはいるが、こうしていると、年相応に可愛らしい子供に見える。

「……ぼくがあなたをむかえに行きます」

 ふいに、パウル少年が口走る。ビッテンフェルトは両の眉を上げた。

「ぼくが、今日この日のことを覚えています。あなたがいたことを…あなたの部下の人たちに、かならず伝えます。そして、あなたをむかえに行きます」

 力強く放たれた彼の言葉は、相変わらずか細く小さい声であったが、ビッテンフェルトの脳裏に強く響いた。

「……そうか。なら、安心だな」

 そう、ニッと満面の笑みを浮かべて応じた。

 その瞬間、どこからか、彼のよく知る声が響き渡った。

「閣下ァ〜〜〜〜!!」

 ビッテンフェルトはバッと振り向きながら立ち上がり、声のする方を見やった。懐かしいシルエットが、自分に向かって駆け寄ってくる様子が目に入る。

「オイゲン大佐!!」
「ビッテンフェルト提督閣下ァ!!」

 感動の再会を果たした二人は、体育会系よろしく、力強いハグを交わして再会を喜び合った。
 体を離し、彼の敬愛する上官を見る副参謀の目には、感極まる余り涙が溢れていた。

「閣下……閣下……! ああ、本当にっ…! ご無事で、ようございました…!! 私があの時お止めしなかったばっかりに…! もし、もし、二度とお会いできなければ、どうしようかと…!」
「卿が気に病むことはあるまい。元はといえば、おれが軽率にタイムマシンの中へ入ったことが原因なのだからな。よく来てくれた」
「はい…! はい…!」

 ひとしきり再会を喜び合ったあと、ビッテンフェルトは、ふと、オイゲン大佐の後ろに人影を認め、そちらを見た。そして、瞬時に顔をしかめた。

「…なぜ貴様までここにいるのだ、オーベルシュタイン…!!」
「時間を超えての休暇は楽しめたかね、ビッテンフェルト提督。次からは、休暇に出かける前に申告しておくように。カイザーがお召しだ」
「来たくて来たわけではないわっ!! …それを言うならば、帝国元帥閣下が、わざわざおれを迎えに来られたのはなにゆえだ? オイゲン大佐と、他のおれの部下とで事足りたのではないのか」
「………タイムマシン開発の予算を増やすよう、陛下に進言したのは私だ。今回の騒ぎの原因は、そのほとんどが卿の軽率な行動にある…だが、私にも責任がないこともない。ゆえに、オイゲン大佐に同行した次第である」
「……責任をもつのは結構だが、おれは貴様より、部下のほうに来てもらいたかった」
「では、次に卿が誤ってタイムマシンに乗り、時間を超えてしまった際にはそのように取り計らうとしよう」

 軍務尚書の皮肉にフンッ、と鼻息で応じると、ビッテンフェルトは、パウル少年に別れを告げるべく、彼の方に振り返った。
 パウル少年は、新たな未来人の来訪に気を取られているのか、彼らを熱心に見ていた。数瞬後、ビッテンフェルトが自分を見ていることに気付き、彼の顔に視線を向ける。

「……というわけだ。パウル君。どうやら、おれは帰れるらしい。お別れだな」
「…………はい」
「お父さんのことは、大変だとは思うが…その…なるべく、外で1人にならんようにしろよ」
「……はい」
「元気でな。なに、一応、この宇宙におれはもう生まれてきているはずだ。そのおれはまだ君を知らないが、いつか必ず会えるさ」
「……はい」

 じゃあな、と、名残惜しそうに別れを告げつつ、ビッテンフェルトは少年の焦げ茶色の頭に手をのせ、少しウェーブのかかった彼の頭髪をわしわしと掻き回し、彼の頭を撫でてやった。最後に少しだけ目と目を合わせたのち、ビッテンフェルトはくるりとオイゲン大佐の方を振り向き、決然と帰路を歩んでいく。

 自分たちの時代へ向けて帰ってゆく3人のうち、灰色の外套をまとい、半白の頭髪をもつ長身痩躯の男性だけが、一瞬、振り向いて少年を見た。少年のほうも、彼を見つめた。
 男性は頷くと、何も言わずに進行方向へと向き直り、そのまま歩みを進めていった。

 少年は、去っていく3人の後ろ姿を、いつまでもいつまでも見つめていた。

──────────

 カイザーからのお叱りを受け、科学技術部から遺憾の意と質問の嵐を浴び、自分の部下たちから無事を喜ばれた後、ようやく落ち着いて自身の執務室へ帰り着いたビッテンフェルトは、机の上にカードが置かれていることに気付いた。

 それは、過去の世界でパウル少年にプレゼントした、あのゴールデン・ルーヴェのマネー・カードであった。名義に目を走らせ、間違いなく自分のものであることを確認する。
 カードには、目立った傷も汚れもなかった。なのに、妙に年季が入っており、まるで数十年の時を越えて戻ってきたかのようである。
 裏側を見ると、『帝国歴460年 5月5日』と、子供っぽい字で大きく書かれていた。

「パウル君…きみなのか? ……なぜ、名乗り出てこないのだ……」

 帝国歴460年に8歳ということは、おれより6つ年上なのか。あの少年が、年上。不思議な気分だ。

 彼は一体、どんな大人になったのだろう…。

──────────

「知らせなくてよろしかったのですか。『ぼくがパウルだよ』って」

 届け物のおつかいを完遂したフェルナーが、報告がてらに冗談めかしてのたまうと、オーベルシュタインは不遜な部下をジロリと睨んだ。
 それを見たフェルナーは、すぐに自らの非礼を詫びた。

「無用だ」

 軍務尚書は、そう一言だけ述べた。

 以後、タイムマシンが引き起こした不思議な出会いについての話題は、二度と彼の口から出てくることはなかった。