夜鷹のおいし
その6

 とびきり上等の箸の先が、よく煮付けられた金目鯛の身を少し摘まむ。それがゆっくりと持ち上げられ、日の元の国で最も美しいとされる白い唇に運ばれた。
 もくもく、と咀嚼し、白い喉が嚥下する。ふ、と、美しい顔に笑みが広がった。
「美味い」
「恐悦至極にございます」
 食事をとる来晴(らいはる)から離れた場所に平伏したおいしは、そのように応じた。本日、来晴がとっている夕餉は、おいしが調理したものである。
 総菜屋を賜ってから1年たち、おいしは、城の料理番に頼み込み、自身の料理の味見をさせた。そして、それが主君・来晴にお出ししても問題のない出来だと知ると、伝手という伝手に頼み込み、来晴に料理を振る舞いたいと願った。それは、間もなく叶うこととなった。
「おれにこれを食わせる為に、随分騒ぎを起こしたと聞いたぞ」
「は。大恩ある殿様に、どうしても私の料理を献上つかまつりたく。お騒がせして大変申し訳ございません。一口でも召し上がって頂けた今、たとえ打ち首となっても悔いはございません」
「大袈裟だな。そうまでして料理を出す人間を罰したなら、民からのおれへの信が揺らぐであろう」
 そう軽口を叩きつつ、来晴はまた一口を含んだ。無表情なおいしの顔に、春一番の風のような温もりが広がっていく。
「おれの口に合うように、とは言ったがな」
「は」
「本当のところ、生煮えの魚でも出さぬ限り、おれの口に合わぬことはそう無いのだ。おれはもともと、貧乏百姓のせがれでな。美味い料理どころか、木の根を喰って、飢えを凌いでいたことすらある。料理といえるものであれば、そうそう不味いとは思わぬのだ」
「……そのような」
「本当のことだ。……お前に気がねさせていたのなら、すまなかったな」
「滅相もございません」
 来晴がまた一口ほおばる。その美しい顔に、あたたかな微笑が広がる。それを見られただけでも、おいしは、心から『これまで研鑽してきた甲斐があった』と思えた。
「実のところはな、」
「は」
「お前に何も期待はしていない。ただ、おれは……おれの姉上は、かつて、おれの生まれた国の領主の愛妾にされてな。年老いた色狂い爺に、ほんの十六の姉上が奪われた訳だ。……許せなかった。腹が立った。だが、おれには力がなかった。……姉上が奴に奪われた見返りに、おれは力を得た。おれは得た物を最大限に使い、姉上を奪い返した。姉上に自由をさしあげた。そして、今に至るわけだ……」
 そのように説明したのち、また一口を食む。それから、青い瞳をおいしに向けた。
「ようは、姉上のことがあって、お前に同情しただけだ。美味い料理には感謝するが、おれにそう気兼ねする必要はない。お前も、おれの気まぐれを精々うまく使って、望みを叶えればよいのだ」
 来晴がそのように告げると、しばしの沈黙が訪れた。やがて、おいしが口を開いた。
「……殿」
「なんだ」
「また、私の料理を口にしてくださいますか」
「……かまわんが」
 おいしは、それを聞いて深々と頭をさげた。
「でしたら、私はそれで満足にございます」
「……そうか」
 それで、その日の会話は終了した。

 そののちも、おいしは定期的に城へ料理の奉納を頼み込み、それを来晴は口にしてやったという。

Ende