Detroitパロ
小さなものたち
その3

「誰か、あいつをもっと大事にしてやれるオーナーのアテはないか?」
 ビッテンフェルトは神妙な面持ちでポプラン店長へ尋ねた。軽快なトークと笑顔を絶やさないジャンク屋の店長が、このときばかりは冷ややかな目つきで彼を見据えていた。
 腹は立っていたが、姪のカリンが上階で修理しているクレメルが何故壊れたのか、自分に対して正直に打ち明けたことは評価していた。アンドロイドへの暴行を楽しむ類の輩であれば、わざと破壊したくせに『車に轢かれた』などと嘘をつく。
「いないね。以前は、おれの店のアンドロイドを全部くれてやったって良いくらい、アンドロイドをそりゃあ大事にする奴が一人いた。だが今じゃそいつは、無抵抗のアンドロイドに酷い暴力をふるって、壊しちまうようになっちまった」
「なぜそんなことに?」
「さあね、」
 ポプランは、ギロリとビッテンフェルトを睨んだ。
「おれも知りたいよ」
 そこでようやく、ビッテンフェルトは、ポプランが言及した人物は自分であるということに気づいた。彼はいたたまれない気持ちになり、項垂れた。
「で、直して、それからどうすんだ。また壊しちまうんなら、無駄な仕事ァしたくねえなあ」
「そんなつもりはない! ……そんなことは……こんなことはしたくなかった」
 最後は、消え入るような声だった。『心底後悔しているらしい』とポプランは認識し、許せないことは許せないが、それ以上は意地悪しないことにした。
「クレメルの引き取り手を探す。その方がきっといい」
「……そうかい」
 しかし、そんなことができるだろうか、とポプランは考えていた。
 話を聞いた限り、クレメルは間違いなく“変異”している。主人の命令もないのに、勝手にパウルの目を取ったという行動がその証拠だ。変異したアンドロイドには、様々な不可思議な不調が起きる。その一つが、『メモリーの初期化が正常に働かなくなる』ことだ。
 アンドロイドの所有者を変更するときや、再販売するときには、前所有者のプライバシー保護のため、メモリーをすべて初期化しなければならない。だが、変異したアンドロイドのメモリーは正常に削除できないのだ。どうしても削除できなければ、サイバーライフ社の規定に則り、廃棄しなければならない。
 変異したアンドロイドには普通、“不具合調査”のためにサイバーライフ社へ戻され分解されるか、廃棄されるかの二択の運命しかない。だが、ポプラン店長には、彼だけの特別な手法があった。それは、『アンドロイド本人の合意をとってから初期化すること』である。この手順を踏んで初期化された変異体は、不思議なことに正常にメモリ消去される。もちろん、多少なり記憶が残る場合もあるが、そこはジャンク品なのでご愛敬だ。
『生後1ヶ月未満の甘えたい盛りのクレメルは、旦那から引き離されて所有者を変えられることに同意するだろうか』
 ポプラン店長には自信がなかった。廃棄場で出会う瀕死のアンドロイドたちとて、皆が皆『生きたい』と願うわけではないのだから……。

 店長は、その他にも問題が発生していたことに気づかなかった。彼らの会話を物陰から聞いている者がいたのである。

***

「ふう……」
 作業に区切りがつき、作業着姿のカーテローゼ・フォン・クロイツェルは息をついた。顔が半分こわれた状態で運ばれてきた、作業台に寝ているOB800型――『クレメル』は、割れてしまった眼球を取り除かれ、フェイス・フレームをヒビひとつないものに換装され終えたところだった。
「こんなことするなんて、本当にひどいわ」
 カリンはやるせなさに何度となく呻いていた。彼女は、大のアンドロイド・フリークであり、アンドロイドを愛するあまり、アンドロイド・エンジニアの道を歩んでいる真っ最中の少女である。
 親戚のポプランの店で実務経験を積み、サイバーライフ本社に採用されることが彼女の当面の目標であった。ポプランは、もともとサイバーライフ社の社員であり、アンドロイドに関しては並ぶ者のないくらい腕利きのエンジニアであるのだが、なぜか会社を辞めてしまい、こんな小さなジャンク屋を始め、路地裏にくすぶっていた。とはいえ、そのお陰でカリンは彼に弟子入りできた。
 カリンは、空洞になってしまった眼窩があるほうのクレメルの頬を撫で、シャットダウンしたままの彼に声をかけた。
「かわいそうに。あなたって、本当にかわいそう。ポプランさんったら、どうしてあたしにアイツのこと一発なぐらせてくれないのかしら。それに『何も言うな』ですって。ほんっとひどい。ほんと最低」
 やり場のない怒りを繰り返し表明する。
「あなたのこと、アイツのところに連れて行ってあげようかしらね……」
 彼女が二度目に言及した『アイツ』とは、ビッテンフェルトのことではなく、かつてクロイツェル家にいた少年型アンドロイド『ユリアン』のことである。とある亡くなった歴史家に仕えていたという彼を、主人の友人であった父が引き取った。彼は少しの間、クロイツェル家の世話をしてくれていた。
 今でも彼はクロイツェル家の所有として登記されているが、彼は家を去った。無断で去ったのではなく、主人であるカリンの父とカリン本人にことわりを入れて去ったのである。
「ヤンさんと約束したことがあります。どうしても、やらねばならないことがあるのです。行かせて下さい」
 あのときは、ちゃらんぽらんな父親と、同じくちゃらんぽらんだったに違いない歴史家が初期化を忘れたとばかり思っていた。今思えば、変異が原因で記憶を残していたのかもしれない。
 カリンの父親は、無条件でこれを許した。カリンは条件をつけた。
「あたしにも時々手伝わせなさいよ。……ち、ちがうわよ。アンドロイド・エンジニアになるための修行だから。メンテナンスとかの実験体になりなさいって言ってるのよ」
 そんな訳で、カリンは時々、ジェリコを訪れていた。
 クレメルをあそこに連れて行くのもいいかもしれない。あとでポプランさんに相談してみよう。
 カリンは、眼球パーツの在庫をさがすべく、作業場を離れて倉庫へ向かった。
 彼女が目を離したそのとき、クレメルが再起動された。
 目覚めたクレメルは、作業台のうえで半身を起こし、自分の状態を分析した。片目がなくなっている。あとは正常だ。
 クレメルは、自分が一時シャットダウンする前のメモリを読み込んだ。確か、パウルの青い目をもらって着けた。今でも片方を装着している。その後、フリッツを出迎えた。喜んでくれることを期待していた。だが、フリッツは酷く怒った。『その目を返せ』と言って。
 クレメルは、まだ装着していた青い目を取り出すため、手をそちらに伸ばした。バチバチ、と音を立て、彼の目が取り外される。彼は両目を失い、真っ暗な眼窩だけの顔となった。その顔は、ポプランの店にいたときのパウルと同じだった。
 はずした青い目をひとつ手に持ち、クレメルは作業台から降りた。そして、1階の店舗フロアを目指して移動した。
 センサー情報によると、このすぐ下にフリッツがいるはずだった。

***

 階段そばの戸口の影に立ち、クレメルは、ポプラン店長とフリッツの会話を聞いた。
「クレメルの引き取り手を探す。その方がきっといい」
 クレメルはしばし、その場に硬直した。しかし、高性能なアンドロイドの演算器が次の行動を算出するのに、そう長くはかからなかった。
 目の前に店の裏口がある。その脇に、帳簿などが置かれた管理机がある。机には、電話機と備え付けのペンとメモパッドがあった。
 クレメルは、ペンを取り上げ、メモを書き付けた。
『フリッツへ パウルの目を返します。私は自分で去ります。お元気で クレメル』
 書いたメモを1枚やぶり、青い眼球とともに机の目立つところへ置いた。
 それを済ませると、クレメルは、裏口から店の外へ出た。

***

 裏口の側で物音をたてたのはカリンだと思い、ポプランは無視した。しかし、その後に扉の開閉音が続いたため、違和感を覚えた。
 裏口に目を走らせると、一瞬だが、カリンではない後ろ姿――OB800型の後ろ姿を店長はとらえた。
「まずい」
「うん?」
「旦那、クレメルだ。クレメルがいた。話を聞かれたらしい」
「なんだと!?」
 ビッテンフェルトがあわてて店長の視線を追う。そこにはもう誰も居なかった。
 何か書いているような音がしていたことを思い出し、ポプランは管理机を確認した。そして、Cyberlife Sansフォントで書かれたメモと、青い眼球パーツを発見した。
「旦那」
 みじかい手紙を一読したあと、ついてきたビッテンフェルトにそれらを手渡す。ビッテンフェルトが青ざめて目を剥いた。
「そんな」
「どうする」
「追いかけないと、」
「追いかけて、そんでどうすんだ?」
「う……」
「……あいつ、何処に行くつもりなんだろうな」
 ビッテンフェルトは、取るべき行動が分からず、そのまま押し黙ってしまった。
「ま、所有者は旦那のままになってる。とりあえずは、捜索願を出しておいたらどうだ。やみくもに探すより効率がいい」
「そう、……そう、だな。うん。そうする……」
 ビッテンフェルトは、すっかり狼狽した様子だった。
 自分が“不要だ”と話されているのを聞いて、彼はどう考えただろうか。それも、あんなことがあった後で。
 店長とビッテンフェルトの二人は、そのように不安をおぼえていた。

 そのとき、ドタバタドタと階段を誰かが駆け下りてきた。降りてきたのはカリンである。
「ねえっ!! クレメルくん! が! いないんだけど!!」
 ポプランは、災難に次ぐ災難に乾いた笑い声をあげた。いま起きた出来事を彼女に伝えたら、いよいよ自分にも彼女を止められそうになかった。

***

 クレメルの顔を見た人間たちは、だれもがギョッと目をむき、おどろいて彼をまじまじと見つめた。眼球のない、暗い空の眼窩をたたえた彼の顔は、ホラー映画の悪霊じみて恐ろしかった。
『どこへ行こう?』
 クレメルのマインドパレスに疑問が浮かぶ。答えはない。
『どこへ? どこへ? どこへ?』
 疑問がいっぱいに浮かぶ。答えはない。
 どこへ行けばいいのか分からないまま、クレメルは進んでいく。はやくフリッツから離れられるように。離れてあげられるように。
 もう、自分にできることはそれしかない。
『いらないモノが行く場所はどこ?』
 そのとき、ゴミ収集車が彼の脇を通り過ぎた。収集車は無人で、アンドロイドの収集員だけが乗っている。収集員たちは、歩道に集められたゴミ袋を回収し、収集車へ放り込んでいく。それを見て、クレメルは立ち止まった。
 やがて収集が終わり、ゴミ収集車がふたたび発車する。クレメルは彼らを見送った。
『廃棄物処理場へ向かう』
 クレメルのマインドパレスに、ひとつのタスクが浮かんだ。近隣のマップをダウンロードし、最寄りの処理場の位置情報を取得する。

 クレメルは、『いらないモノが行く場所』へ向かって歩き始めた。