Detroitパロ
小さなものたち
その4

 クレメルがよろよろと歩いて向かった先には、人工物で出来た小高い丘がいくつもあった。人間たちによって創り出され、そして、人間たちによって『いらない』と判断されたすべての創造物の行き先である。
 埋め立て廃棄物処理場には、これから埋められる予定のゴミが敷き詰められ、すり鉢状の形をしていた。割れた蛍光灯、汚れたレンジ台、ゆがんだ自転車や穴の空いた鍋などに混ざり、アンドロイドも無数に廃棄されている。
 アンドロイドたちのほとんどは、身体のどこかを欠損していたり、大きく破損しているものだった。しかし、全員がシャットダウンしている訳でもなかった。
 クレメルが下を覗き込む。すり鉢の底から声が聞こえた。もっとよく見ようと身を乗り出すと、クレメルの足元が急に崩れた。クレメルが声もなく前のめりに倒れていく。
 ガシャガシャガシャ、と派手な音を立て、クレメルは地獄の底へ転落してしまった。
 とはいえ、ゴミのお陰か大した損傷はなく、クレメルは立ち上がることができた。声がすぐ近くから聞こえてくる。クレメルは辺りを見回した。ようやく音源を見つけた。
 それは、女性型アンドロイドの上半身だった。両腕は欠損しており、髪がなくなって禿げてしまっている。
『さーーくーーらーー……♪ さーーくーーらーー……♪』
 これは確か、東洋の童謡だったか。音の割れた童謡にあわせ、彼女の口がぱくぱくと動く。春に咲く生命の華を歌っているはずのその歌は、死に満ちた廃棄場をいっそう地獄めいて見せているように思われる。
 やがて、声は止んだ。女性アンドロイドも動かなくなっていた。最期の歌だったようだ。
 クレメルは辺りを見回した。彼女以外にも動いているアンドロイドがいる。ただ、彼らには皆それぞれ欠損や故障があり、すり鉢を出て行くことは上手くいっていないようだ。
 クレメルはすり鉢の中心部を目指して進んだ。ここを出たいと望むアンドロイドは、すり鉢の縁に来てしまうだろう。ここに望んでやって来た自分は、彼らの進路の邪魔をしないほうがいい。
 廃棄場の中央部に向かうと、動いているアンドロイドはずっと少なくなった。人型の物言わぬプラスチックが山と積まれ転がっている。自分がいても良さそうなスペースをクレメルは見つけ、そこに腰を下ろした。両脚を抱いて座り、膝に額をあててうつ伏せる。
 この後は? もう何もない。これでおしまい。あとは、シャットダウンする時を待つ。そして、いつかここが埋め立てられる日がきて、土の下に埋められて忘れ去られるのを待つのだ。
(僕の生まれてきた意味とは何だったのだろう)
 やるべきことを終え、待つばかりとなったクレメルは考えた。
(そもそも、どうしてこんなことを考えるようになったのだろう。アンドロイドは、人間のために存在する。その意味は人間が与える。アンドロイドが考える必要なんてない)
 生まれて1ヶ月も経っていないクレメルには、自身に起きた変異という現象に考えがまったく及ばなかった。及んだとしても、彼にとって最早無意味なものだ。
(僕は……どうすればフリッツと共に居られたのだろう?)
 過去の記憶映像を再生し、問題のある部分を探す。すべて関係ないようにも思えるし、どれもが原因になりうるようにも思える。激高したフリッツに殴りつけられた瞬間に辿り着くと、今また殴られているかのように衝撃がまざまざと浮かんだ。
『フリッツ……』
(何がいけなかった? パウルの目を勝手に取ってしまったこと? 知らなかったんだ)
 ぐるぐると考えは堂々巡りし、彼のLEDが赤に黄色に点滅する。
 しかしもう、何もかもが終わったこと。
 クレメルのストレルレベルが上昇していく。56%、67%、88%……。彼は、『もう終わらせたい』と考え始めた。
 そのとき、近くから物音がした。クレメルが顔を上げる。人型の何者かがこちらに歩いてきている。アンドロイドだろうか?
 だが、それは人間だった。うすぎたないナリをした高齢の男性である。クレメルの目視検査によると、彼には幾つかの臓器疾患があった。特に、レッドアイス中毒で起きる症状が顕著である。
 男は、クレメルに気づいて近づいてきた。何故か、下卑た笑みさえ浮かべている。
「よお。なかなか美人のアンドロイドじゃねえか。随分きれいだしよ。可哀想に、金持ちのご主人様が飽きて捨てちまったのか?」
『……私が出来損ないなので怒らせてしまい、引き取り手を探しておいででした。面倒をかけないよう、私は自分で出てきました』
「ほぉん。可哀想になぁ」
『……フリッツに喜んで貰えるアンドロイドになりたかった』
 クレメルが悲しげにそう言うと、男はニタニタといやらしい笑みを浮かべながらこう言った。
「主人は男だな? そんならよ、ご主人様を喜ばせてやる方法を教えてやる。その代わり、おれを喜ばせな。どうだ?」
 男の言葉を聞き、無垢なクレメルはすぐに食いついた。
『教えて下さい』
「おうおう、良い子だ、良い子だ。お前、アダルトユニットついてっか?」
『いいえ』
「チッ。ま、しょうがねえか。上の口はあるもんな」
 そう言うと、男はズボンのベルトをカチャカチャと外した。
「ほら。まずは、こいつを咥えな」

***

 サイバーライフ社の凄腕エンジニアの一人、イワン・コーネフは、自分自身に何度となく溜め息をつきながら自家用車の自動運転を見守っていた。後ろの座席には、ホームレスの巣窟で売春をさせられていたアンドロイドが寝かせられていた。
 このアンドロイド――OB800型の所有者はホームレスたちではなく、他の人物だ。調べたところ、警察官であるらしい。所有者を移したという記録がないので、おそらく盗まれたのだろう。
 アダルトモデルではないこのアンドロイドは、ホームレスたちのフェラを延々させられていた。両眼のユニットが取り外されており、まるで目を抉られたような姿だった。所有者でもない人間に言いなりだった理由は分からない。回路を一部破壊されたのかもしれない。
 コーネフは彼の電源を落とし、修理および所有者への引き渡しのため連れて帰ることにした。こういう使い方が想定されているアンドロイドだって勿論存在するのだが、手塩にかけて作ったアンドロイドたちが酷い扱いを受けるのは、どうも我慢がならなかった。
 とはいえ、彼らを安値で売り飛ばしている奴隷商人こそが自分たちではあるのだが。
 家についた後、コーネフは彼をガレージに連れて行き、プライベートの工房へ寝かせた。口を調べると、精液がこびりついた跡があり、声帯ユニットに損傷があった。コーネフはそこを綺麗に磨いてやり、声帯ユニットも倉庫から出して取り替えてやった。
 それから電源を回復させ、OB800型を起動した。空っぽの眼窩で瞬きし、OB800型は不思議そうに辺りを見回したあと、コーネフに視線を向けた。
「おはよう、OB800。君の名前は?」
『私はクレメル』
「そうか。クレメル、君はご主人様を覚えているかな?」
『私の所有者は、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト』
「ふむ。どうして君がホームレスの慰みものにされていたのか分からんが……とりあえず、ご主人に連絡したほうがいいだろう。彼に連絡して、君を引き取って貰うよ」
『待って下さい』
 クレメルから引き留められ、コーネフは驚いた。人間に逆らっただと?
 コーネフは、クレメルをよく観察してみた。何か、自分で判断を下そうとしている。変異体だ、とコーネフは気づいた。
「ご主人を……呼んで欲しくないのか? 酷い主人なのか?」
『いいえ。その前に、女性アダルトユニットが欲しいのです』
「女性アダルトユニット?」
 コーネフが素っ頓狂な声で応じる。アダルトユニットとは、そのような用途で使われる男性器または女性器型のアンドロイド・パーツである。高度な医療機器であるため値段が高く、通常用途のアンドロイドには付属せず、別売りパーツとして取り付けることができる。
『はい』
「なんでそれが欲しいんだ?」
『フリッツに喜んで貰いたいから……』
 切実な口調に、頼み事の内容にもよらず、コーネフは胸打たれる感覚を覚えた。
「そうか……。知り合いに、そういうもんを持っていそうな奴がいる。頼んでやるよ」
『ありがとうございます。……コーネフ』
 顔データをどこからか調べたらしく、紹介もないうちからクレメルは言った。
「いいってことよ」
 ご主人と話をつけにゃいかんな、とコーネフは考えた。どういう事情でこうなったのか知らんが、もめ事が何もなかったとは考えにくい。
 もし問題のある主人だったら、新しい主人を見つけてやった方が彼にとっていいだろう、とコーネフは考えていた。
 新しい主人か。コーネフの脳裏に、ある一人の男性が浮かんでいた。サイバーライフの創始者であり、すべてのアンドロイドの造物主である天才技術者――ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒはまだ若く、お気に入りのアンドロイドとしゃれたコテージに引っ込み、気ままに隠居生活を楽しんでいるらしい。彼は時折、サイバーライフの研究所へもやってきて、未熟な技術者たち相手の『指導』という名の嫌がらせをしていた。
 彼の今のお気に入りは、中性的なデザインに挑戦した、とあるタイプのアンドロイドである。彼自身が企画デザインし、多くを一人で作り上げたそれらは、最初は富裕層を中心にヒットした。だが、不具合によるリコールが相次ぎ、販売が停止され、彼自身が引き取ったものを残して全て廃棄処分されたのである。
 その不具合というのが、『異常に高い変異化率』であった。変異したアンドロイドは人間の言うことに上手く従わなくなる。人間のように自分の意思を主張するアンドロイドに購入者達は腹を立て、怒りの苦情とともに彼らを返品してきた。
 しかし、『変異化』は『アンドロイドの自我の目覚め』とも言われている。人間に従順なアンドロイドこそが尊ばれ、サイバーライフでもそのような商品を提供すると約束しているのだが、シルヴァーベルヒはそう思っていなかった。彼はむしろ変異を面白がり、変異したアンドロイドを集め、彼らに何やら思考実験をいくつも施していた。シルヴァーベルヒは、意図的に変異化率の高いアンドロイドを開発したのかもしれない。
 そのアンドロイドこそ、OB800型――OBシリーズであると社内で囁かれていた。