Detroitパロ
小さなものたち
その5

 ビッテンフェルトが家に帰ると、パウルは変わらずソファの上に座ったまま、微動だにしていなかった。目を取られてしまい、代わりに標準の焦げ茶色の目をはめ込まれていた彼に、片方だけになってしまった青い目をつける。
 焦げ茶と青のオッド・アイとなった物言わぬパウルは、何故か自分を責めている気がした。
「おれが悪いって言うのか?」
 パウルは何も応えなかった。
「そうだな、クレメルにあんな真似をすべきじゃなかった。それでもお前の代替なんか嫌だったんだ」
 パウルは何も応えない。
「……おれはどうすればよかった?」
 ビッテンフェルトが問いかけるも、彼の家に応える者はいない。
「あいつに新しく、なるべく親切な主人を見つけてやる。それがおれの出来る一番のことだ、そうだろう?」
 パウルはピクリとも動かない。なのに、ビッテンフェルトには、彼が責めるような眼差しで自分を見ているような気がした。
「なんだよ……」
 ビッテンフェルトはクシャリと顔を歪め、パウルの膝に突っ伏した。
「睨まないでくれよ」
 パウルは無言のままだった。

***

「よお! コーネフさん、久しぶりだな。奴隷販売業は順調か? ……うん? ……女性アダルトユニットぉ? なんだコーネフさん、フルオーダーのマイ・ダッチワイフ作ろうってのか? ……うん? へえ。変異体か。……おう。○○ドルでどうだ? ……わかった。待ってるぜ」
 ピッと終話音が鳴り、ジャンク屋ポプランは受話器を下ろした。
 サイバーライフに勤めていた頃の同期で、今もそこで働く友人コーネフからの奇妙な依頼があった。『女性アダルトユニットのパーツはないか』というものだ。なんでも、それを欲しがっている変異体がいて、取り付けてやろうとしているのだという。
 コーネフは、サイバーライフに属する人間ではあるが、変異体を直ちに廃棄すべしとする全社方針に疑問を感じ、変異体を擁護する派閥に属している。それに、奴隷販売業と罵られようとも、手塩にかけて作ったアンドロイドたちの運命をより良いものにしたい気持ちがあった。
 ほどなくして、コーネフがポプランのジャンク屋を訪ねてきた。
「よう、コーネフさん。つましい我が店へようこそ」
「これで良く商売ができている」
「なに。売り払っておしまい! て訳じゃねえ。修理や診断で金をもらえば、何とか食べていけるのさ」
「そいつは結構。今は己の信念に従って生きている、か?」
「……ああ」
 意味深なコーネフの質問に、ポプランは少々間を開けて応えた。
「ところで、コーネフさんよ。行方不明のアンドロイドがいてな、OB800型だ」
 ポプランは画像データを表示させ、コーネフの前に示した。
「見かけなかったか?」
「探しているのは、こいつの持ち主か?」
「おう」
「見つけたら、どうすると?」
「うん? なんだコーネフさん、もしかして匿ってんのか」
「ああ。主人に嫌われて自ら出て行ったらしいんだが、女性アダルトユニットをつけたら帰って主人を喜ばせると言っていてな。戻って仲良く暮らしたいと思っているらしい」
「ユニットが欲しいのはそいつか。健気だねえ」
「どうする。持ち主に渡すか、ユニットをつけてやってから渡すか」
「あるいは、他の主人のもとにやるか、だな」
「他?」
「そのOB800――クレメルの所有者は、アンドロイドを大事にするやつではあったんだが、大事にしすぎて、前任アンドロイドのシャットダウンが深いトラウマになっちまってるみてぇでよ。同じモデルのそいつが新しく来たら、色々あって壊して連れてきてな、『他の主人を見つけてやってくれ』ときたもんだ」
「なるほど。では、新しい主人が見つかっているなら、そちらに連れて行ってしまって問題ない……ってことでいいか?」
「いいんじゃねえかな。まあ、クレメルには悪いけどよ。どっかアテがあんのかい?」
「『ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ』だ」
「ああ……あの変態野郎か」
 ポプランが渋い顔をする。アンドロイドの創始者たる天才技術者の実力を認めているが、好きにはなれなかった。
「OB800型が大のお気に入りらしいからな。リコールされた機体すら回収して、彼のコテージで仲良く暮らしているのだとか。おまけに、変異体に興味津々だ」
「ま、あいつは変態だが、アンドロイドをそこまで酷く扱わんだろう。持ち主にはそれ、伝えておくよ。クレメルをよろしく」
「承知した」

 ポプランのジャンク屋で手に入ったアダルトユニットを希望通り取り付けてやると、クレメルは期待と喜びに満ちた顔で自身の下腹部をなでた。
『ありがとうございます。これでフリッツを喜ばせてあげられる』
「いや、君の所有者を変更する。新しい所有者は、ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒだ」
 これで、通常のアンドロイドであれば所有者の変更が完了するはずだった。しかし、クレメルは首をかしげた。
『私の所有者はフリッツです』
 コーネフはさほど驚かなかった。変異したアンドロイドには、よく見られる兆候だ。
「そうか。まあいいだろう。車に乗りなさい」
『はい』
 クレメルを車に乗せ、コーネフが運転席に座る。自動操縦の行き先は、シルヴァーベルヒが隠居しているコテージだった。

***

 シルヴァーベルヒ邸の呼び鈴を鳴らすと、ガチャリと扉が開いた。中には、別のOB800型アンドロイドが待っていた。
「シルヴァーベルヒ殿にお会いしたいのだが」
『どうぞこちらへ』
 コーネフとクレメルが玄関ホールへ通される。ホールには美術品がいくつも置かれ、待機用のソファも用意されていた。
『呼んで参ります。お掛けになってお待ち下さい』
 OB800が応対し、シルヴァーベルヒへの報告へ向かう。
 ほどなくして、シルヴァーベルヒ本人が登場した。室内プールで泳いでいたらしく、湿った水着にガウンを羽織った姿で出てきた。その後ろに、彼の水気をとったり、髪を整えたりと世話を焼いているOB800が2体したがっている。
「やあ、コーネフ。久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」
「そのOB800型は?」
「他の持ち主に引き渡す算段を主人がしているのを立ち聞きし、自分で逃げ出していた個体です。良ければ、シルヴァーベルヒさんに引き取って頂こうかと」
「おお、そいつは素晴らしい。是非とも引き取りたい。世間にはヒットしなかったが、この子達は私の一番のお気に入りでな。おまけに……」
 シルヴァーベルヒがにじり寄り、クレメルの眼前に立つ。その顔に手を添え、顔をじっくり見つめた。クレメルは、空の眼窩で不思議そうにシルヴァーベルヒを見つめ返した。
「聞く限り、この子は変異しているな」
「ええ。通常の方法では、所有者情報の書き換えもできなくなりました」
「実に面白い。君、私が誰かわかるか?」
『ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ。サイバーライフ社名誉役員、デトロイト最優秀技術者、人工知能学博士、……アンドロイドの創始者』
「ご名答。君の名前は?」
『私はクレメル』
「クレメル君か。この目はどうしたんだ、可哀想に」
 シルヴァーベルヒが親指でクレメルの目元を撫でる。クレメルは悲しげに顔を歪めた。
『……私の、せ、い』
 LEDを点滅させ、音声にノイズを混ぜながらクレメルは応えた。つらいメモリーを反芻して、ストレスレベルが上昇したらしい。
「わかった、説明しなくていい。後で新しい目をあげよう。ところでクレメル君、元の所有者のもとへ帰りたいのか?」
『はい』
「なぜ?」
『フリッツの役に立ちたい。人間の男性を喜ばせる方法を学びましたから、フリッツを喜ばせることができるかもしれない』
「だが、フリッツはお前に居て欲しくないようだぞ?」
『…………』
「私が新しい所有者になる。私を喜ばせてはくれないか?」
『…………』
「嫌かね?」
『……はい』
 クレメルは、ばつの悪そうな顔を微かに浮かべつつ応じた。それを聞き、ポプランから事の次第を聞いて、こちらへ直で連れてきてしまったコーネフは罪悪感をおぼえた。
 一方、シルヴァーベルヒの方はますます楽しそうな笑みを浮かべた。
「実に面白い。気に入ったよ、コーネフ君」
「あ、ああ……。それは良かった。ですが、帰してやった方が」
 コーネフが続けようとすると、シルヴァーベルヒは手を上げて制した。
「居場所は元所有者へ伝えてもらって構わない。迎えに来たら大人しく引き渡す。それでいいだろう?」
「え、ええ。まあ、はい」
「クレメル君、フリッツが迎えに来てくれるまではここにいなさい。それでどうだね?」
『承知しました』
 クレメルは頷いた。

***

「さて。まずは、君に新しい目をあげよう」
 クレメルを工作台に寝かせ、シルヴァーベルヒがガサゴソと戸棚を漁った。世界屈指の技術者である彼のプライベート工房には、最高レベルの器具が取りそろえられている。アンドロイドの予備部品については、自宅に大勢囲っているOB800型用のものは全て揃っていた。
 クレメルが、シルヴァーベルヒの漁っている辺りに目線を向ける。眼球はあくまで飾りであり、視覚ユニットそのものは無事だったため、彼には周りが見えていた。
『待って下さい』
「うん?」
 シルヴァーベルヒが振り向く。彼の手には、焦げ茶色の眼球があった。
『青い目はありませんか?』
「青い目? あるぞ」
『私に青い目を頂けませんか、シルヴァーベルヒ博士』
「……ふふ。ブルーノと呼んでくれ。いいとも」
『ありがとうございます、ブルーノ』
 シルヴァーベルヒは焦げ茶色の目を引き出しに戻し、代わりに青い目をふたつ取りだした。クレメルにそれらを取り付ける。
「さあ、起きて良いぞ」
 クレメルが起き上がる。シルヴァーベルヒが鏡を掲げてくれたため、それを覗き込んだ。彼は、再び青い瞳を手に入れていた。クレメルがにっこり微笑む。
「……面白い」
 シルヴァーベルヒが呟く。クレメルは首をかしげた。彼は何かと面白がっているので、クレメルは不思議だった。

 シルヴァーベルヒが居間でくつろいでいる間、クレメルは辺りを見回した。部屋は片付いており、やることがない。あっても、他のOB800型が片付けてしまう。たった一人、さほど広くもない家に暮らしているだけなのに、アンドロイドの数が多すぎて仕事がないのだ。
『ブルーノ』
「うん?」
『私は何をしたらいいですか?』
「とりあえずそこに居てくれ」
『はい、ブルーノ』
 そこに居ろ、と言われたので、クレメルはそのままシルヴァーベルヒの隣に腰掛けていた。テレビでは、シルヴァーベルヒのお気に入りらしいスポーツ番組が流れている。他のOB800型は、酒やツマミを持ってくるか、掃除などをしに行くのに時折通り過ぎるか、主人の後ろに待機するなどしていた。
 クレメルと異なり、他のOB800型は非常に機械的で、仕事以外には視線すら向けようとしなかった。
『ねえ』
 クレメルが不意に言葉を発した。シルヴァーベルヒが振り向く。しかしそれは自分に向けられた言葉ではないと気づき、シルヴァーベルヒはますます面白そうに笑った。テレビへの興味をすっかりなくし、ソファの背後に立つOB800型へ話しかけるクレメルをじっと見守る。
 OB800型――オドと名付けている個体は最初、クレメルに反応しなかった。しかし、クレメルが腕を掴むと、オドは目線をクレメルへ向けた。その表情は無のままである。
『君の名前は?』
『…………』
『ブルーノのこと、好き?』
『…………』
 だが、オドは返事をしなかった。アンドロイドは、人間から特別に指示されない限り、アンドロイドに対して反応することはない。これは、サイバーライフ社が想定した通りの動作である。間もなく、オドはクレメルから視線を外し、先ほどと同じく前面を見つめた。意思なき人形そのものである。
 その様子を見てクレメルは諦めたのか、相手の腕を放し、自分も元通りテレビへ視線を戻した。
(実に面白い)
 変異の兆候がまったくないのはオドだけではなく、シルヴァーベルヒ家にいるOB800型はすべてそうだった。変異体を欲し、アンドロイドの変異を自ら作り込もうとすらシルヴァーベルヒはしていたが、変異するのは余所へ売られたものばかりで、自分の手元にいるOB800型はちっとも変異の気配を見せなかった。
 フリッツとやらが迎えに来たとき、大人しくクレメルを引き渡せるかどうか、シルヴァーベルヒは自信がなくなってきていた。