フロイライン・ビッテンフェルト
その4

 オーベルシュタインとビッテンフェルトのデートは、牛肉3キロ事件から1ヶ月弱程、日を開けることとなった。直後こそ、海鷲で愚痴ったようにビッテンフェルトは影でくだを巻いていたが、それでも日があくと、気がかりになってきた。
(オーベルシュタインも、あたしに幻滅したのだろうか。あたしが不満がっていることが、あの軍務尚書の耳に……入っているだろうな、確実に。うう……。い、いや。何を不満に思うことがある? 元より、気が進まぬ付き合いだったのだ。これでよかっただろう?)
 そう思い込もうとすればするほど、彼女の酒量は増えることとなり、ミュラーの気苦労も増える結果になっていた。

 しかし、ビッテンフェルトにとって意外だったことに、オーベルシュタインは何事もなかったかのように再び声をかけてきた。ある日の会議後、次のデートに誘われたビッテンフェルトは目を丸くしたのち、「お、……おお、お。いいぞ」と承諾した。その傍にいたミュラーが盛大に安堵の溜め息をついたことには、ビッテンフェルトは気づかなかった。
 今度のデートは、週末に映画館に行き、それから景色のよい公園を回るものであった。待ち合わせ場所にビッテンフェルトが向かうと、オーベルシュタインは既に待機していた。プライベートのため軍服ではなく、カジュアルだが貴族らしい風格のあるジャケット姿だった。
 ビッテンフェルトはというと、この日のために用意したワンピース姿である。着てきたのはいいものの、「変ではないか」「おかしくないか」と、鏡や窓硝子を十か二十は確認しながらやってきていた。
「お、おう」ビッテンフェルトがモゴモゴと声を掛けた。
 彼方を眺めていたオーベルシュタインが、義眼の焦点をビッテンフェルトに合わせる。
「ごきげんよう、提督」
「ま、またせてすまんな」
「いや、大して待っていない。行こう」
「あ、ああ」
 二人は連れ添い、まずは映画館に向かった。映画館に着くと、上映中作品一覧に近づき、オーベルシュタインが作品のひとつを指さした。
「……これを観ようと思うのだが、よいか」
「ほう?」ビッテンフェルトがそれに視線を向ける。
 それは、典型的な恋愛物作品といった印象のポスターであった。デートのチョイスとしては妥当そうではあったが、派手なアクション物を好むビッテンフェルトには退屈そうな印象である。
「……これを……観たいのか? 卿は」
「いや、他がよければそちらにするが。評判がよいらしい」
「ふうん……」
「それと」オーベルシュタインが意味深に付け加える。ビッテンフェルトは彼に視線を向けた。
「私にはどうも、デートがどうあるべきか、恋仲の相手にどう対応すべきかの知見が足りぬらしい。参考になるか、とも期待している」
 そのように、どこか申し訳なさそうな口調で続けられる。それを聞いて、ビッテンフェルトはウッと呻いた。今更ながら、あれほど遠慮なく不満を表明してしまっていたことに、彼女は罪悪感をおぼえてきていた。
「……わかった。それは、その……あたしも知りたいところだ。観よう、ぜひ」
「ああ。では、チケットを買ってくる。座席はどのあたりがよいか」
「中央より前! で、真ん中!」
「わかった」
 間もなく、チケットを二人分、オーベルシュタインが買って戻ってくる。その間、ビッテンフェルトはカップルサイズのポップコーンと飲み物を買っておいた。
「では、ゆこうか」
「うん」
 二人は、シアター内部へと向かった。
      *
「す゛ごく゛よ゛か゛っ゛た゛」
 ズズウ、ズビッと派手に涙と鼻水をすすり、オーベルシュタインが渡したティッシュで鼻をかみ、ビッテンフェルトはおいおいと泣きながらシアターを後にしていた。空のポップコーンカップ(※ほぼビッテンフェルトが食べた)とドリンクカップがのったトレーは、オーベルシュタインが運んでいる。その表情には相変わらず感情がないが、不満そうな様子はない。
「よく練られ、魅せてくる作品であったな」
 満足げな響きを声に交え、オーベルシュタインもそのように応じる。
 ズビッ、ズズズ、と鼻を啜るビッテンフェルトを横目にみつつ、空になったトレーを返却口に返す。「ありがとうございましたー!」というスタッフの声に見送られ、二人は映画館を後にした。

「……落ち着いたか?」
 次の行き先の公園に着き、ベンチにビッテンフェルトを座らせ、オーベルシュタインが尋ねる。
「ああ。すまん……取り乱してしまって」
 ビッテンフェルトがそう詫びると、オーベルシュタインは「よい」と短く応じた。
「観に行った甲斐があるというものだ」
「ああ……。いやはや、舐めていた。あんな、つまらなさそうなポスターだったというのに、いや、まさかまさか……。恩に着る。今日の機会がなければ、一生観なかったかもしれん」
「どういたしまして。これで、先日の非礼の詫びになればよいのだが」
 オーベルシュタインがそう言うと、ビッテンフェルトが申し訳なさそうに顔を伏せる。
「あれは……いや……あたしが悪いのだ。卿は、その……あたしが喜ぶように考えて贈ってくれたというのに。……美味かったよ」
「そうか。では、詫び代わりにといってはなんだが、少々ここで待っていて欲しい」
「? それは、かまわんが」
「ありがとう」
 そのようにやりとりしたのち、オーベルシュタインはスタスタと去って行った。あとには、頭上に疑問符を浮かべたビッテンフェルトが残される。
(どうしたのだろう? トイレならそうと言えばよかろうに)
 トイレではなかったらしく、オーベルシュタインが戻るまでには少々時間がかかった。戻ってきた彼の手には、大きな花束と、小振りの軽そうな紙袋が携えられていた。
 ビッテンフェルトが両目を真ん丸に見開く。彼女の前に、オーベルシュタインは花束をまず差し出した。それは、真っ赤な大輪のバラをメインにあしらった、見事な『愛の花束』であった。
「これは……!?」
「出会い頭に渡したら邪魔になると思ってな。気に入って貰えたか」
「お、おお! あ、いや……はい! 気に入っ……入りました!」
 ビッテンフェルトが頬を染め、目をオーベルシュタインと花束とに往復させつつ、うれしそうに花束を受け取る。花束にはバラだけでなく、ピンクのガーベラ、白く小さなカスミソウなども添えられており、乙女心をくすぐる見栄えに仕上げられていた。
 ビッテンフェルトは、それをぎゅっと抱きしめた。
「うれしい……あたしに花なんて……よ、よく贈ろうと思ったな? こんな女に……」
「よく似合っている」
 オーベルシュタインが淡々と応じると、ビッテンフェルトの顔はボッ! と赤くなり、蒸気をあげているかの様相をみせた。
「お、おおお、お前、お前っ、ロイエンタールみたいな、いや、ロイエンタールのような不実さがなくてその……ううう……」
 ビッテンフェルトが真っ赤になったまま賞賛しようとするも、発言をうまくまとめることができない。もごもごと何か応じようとしていると、オーベルシュタインは小振りの紙袋のほうを彼女に示した。ビッテンフェルトの目もそれに反応する。
「もうひとつ、贈り物がある。今度は気に入って貰えるといいのだが」
「こ、今度はなんだ……!?」
 突然のギャップ責めで心臓をフル稼働させられたビッテンフェルトは、これ以上の意外性がぶつけられるのだろうかとドキドキしながら見つめた。その眼前で、オーベルシュタインが自ら包みをといていく。
「………!!? あ、え……!? うそ……!」
 ビッテンフェルトが驚きに声を失う。彼女の目の前にぶら下げられたものは、小さな愛らしいネックレスであった。それも、ただのネックレスではない。彼女の通勤ルートに存在する、とある宝石チェーン店の店頭に展示されていた、『こんなものを贈られるような女性になれたらいいのに』と憧れていた商品それそのものであったのだ。
「く、くれるのか」
「私がつけるように見えるか?」からかうようにオーベルシュタインが言う。ビッテンフェルトはブンブンと顔を横に振った。
「つけてさしあげる。首を出してくれ」
 オーベルシュタインがそう促す。ビッテンフェルトは、あわてて花束を脇に置き、自身の髪をたくしあげ、首元を晒した。そこに、オーベルシュタインがネックレスを巻き付け、後ろで留め金をとめる。
 髪を手放したビッテンフェルトは、首元にさがっているチャームをまじまじと見下ろした。大粒の青い宝石がついた、あこがれのペンダントがそこにある。
「よく似合っている」
 オーベルシュタインが繰り返す。ビッテンフェルトの鳶色の目からブワと涙が溢れた。それを、オーベルシュタインはハンカチを取り出し、せっせと拭った。
「……おお……うおお……お前ぇ……」
 ボロボロと涙をこぼし、ヒックと嗚咽をもらしながらビッテンフェルトが言う。
「ありがとぉぉ……」
「どういたしまして。喜んで貰えて何よりだ」
 その日のデートはそこまでとなり、オーベルシュタインはビッテンフェルトをタクシーで送った。帰る間、ビッテンフェルトは感動でずっと啜り泣いていた。

 それは、デートより二週間前ほどの出来事である。きちんと当日の業務を終えたオーベルシュタインとフェルナーの両名は、執務室にしばし留まり、オーベルシュタインの私的な相談事について協議を交わしていた。
「……この映画はいいですよ。小官もデートで観てきたのですが、アタリです。たいていの人にはウケますし、気まずくなるような描写もありません」
「ふむ。念のため先に観ておく」
「それもよろしいでしょうな。で、プレゼントですが、これは食品は避けましょう」
「だが栄養を……」
「栄養をお与えになりたいのでしたら、外食という形で召し上がって頂くほうが無難です。また、食べ放題でも高級ステーキハウスにでもお連れになってください」
「ふむ……」
「いいですか。ビッテンフェルト提督のような方には、ダンベルや肉やプロテインを喜びそうな印象こそございますが、だからこそ、そういった贈り物には飽き飽きしています。むしろここは、オーソドックスに女性向けを狙った方が効果的かと愚考します。花束とか、アクセサリーとか。……ただし、アクセサリーはやや鬼門です。好みのデザインかどうか、人によって千差万別ですからな。本人に選んで貰うのが間違いないでしょうが」
「それならば、問題はない」
「と、いいますと?」
「この約一年間ほどの間、彼女の行動をおおむね把握してきたのだが……」
「一年」フェルナーが復唱した。
「うむ。その結果、あきらかに最近、長時間ながめていたネックレスが存在する。それならば間違いなかろう」
「ロイエンタール提督とは別方向にヤバいその感じ、小官は好きですよ閣下。それでいきましょう」
「分かった」
 こうして、デートの当日に至る。
      *
 その後、何度かデートを重ねたのちのある日、御前会議のあと、オーベルシュタインはまたビッテンフェルトを呼び止めた。
「ビッテンフェルト提督」
「ん? なんだ?」
「少々よろしいか」
「……ああ、またか」
「そうだ」
「わかった。では、こちらにこい」
 そのように会話し、二人は空き部屋に向かった。それに興味をいだいたミュラーがこっそりと追跡し、さらにラインハルト、メックリンガーやワーレン、ルッツなども面白いネタ欲しさについてゆく。
 空き部屋に入った二人がぱたんと扉を閉める。それを、ミュラーは音もなくうっすらと開いた。彼の上下の隙間から、後ろにいた他の野次馬も覗き込む。
 中では、オーベルシュタインが、ビッテンフェルトの巨乳にボフン、と頭を埋めていた。ビッテンフェルトは僅かに頬を染め、はずかしげにそれを見下ろしている。
 彼はしばらくそのままでいた。ビッテンフェルトも、特に文句を言う様子はない。顔をつっこんだままのオーベルシュタインの肩が僅かに上下しており、大きく深呼吸をしていることが分かる。
「…………」
「…………」二人はしばし無言のままだった。
 やがて、むくりとオーベルシュタインが顔をあげる。
「満足したか?」
「うむ。ありがとう」
「なに。午後も仕事、がんばれよ?」
「うん」
 それから二人が扉に向かう。彼らがやってくるのを見て、野次馬たちは慌てて扉から離れた。幸い、ビッテンフェルトは気づかなかった様子であった。

 通路の角に隠れた野次馬たちに気づかぬ様子で、ビッテンフェルトはニッと笑みをひとつオーベルシュタインに残し、自身の執務室へと戻っていく。オーベルシュタインは、ちらりと義眼で野次馬たちを一瞥したあと、何も言わずに自分も帰っていった。