殺人鬼のフェルナーとオーベルシュタインの話
その3

「ねえ…最近、フェルナー局長の様子がおかしいと思わない?」

 軍務省の休憩ロビーで、そんな会話が交わされていた。話題をふられた調査局員は、同僚の言葉に力強く頷いてみせた。

「最近、すごく怖い。報告のときも、にこりともされなくなったし、それに、物言いもきつい。『殺すぞ』みたいな顔をされる。あんな方じゃなかったのに…」
「尚書閣下に負けない程、態度が冷ややかになられて。まるで、軍務省の氷河期ね…。それに、近頃ずっと席にいらっしゃる。尚書閣下の副官のお仕事はどうされたのかしら」
「それが、尚書閣下のご命令で、主席副官を外されたと」
「えっ、どうして?尚書閣下と喧嘩?」
「わからない…ハウプトマン大佐は、何か聞いておられます?」

 ゴールデンバウム王朝の折よりフェルナーの部下を務めてきた、黒髪の目立たぬ風貌の大佐は、彼女の問いに首を振って応えた。

「私も何も聞いていない。ただ、オーベルシュタイン閣下の副官となってから、フェルナー閣下は以前より楽しそうに働かれるようになっていた。急に主席副官を外された理由はわからないが、相当気落ちしておられるのではないかな…」

 そんな会話が交わされるロビーの近くに、建築上の欠陥か意匠の結果か、階段と壁の隙間にできた隠れ場所のような空間があった。そこで椅子に腰掛け、オーベルシュタインが1人、フタ付きの紙コップに入ったコーヒーを飲んでいた。盗み聞くつもりのなかった彼らの会話が、静かな軍務省の空気を震わせ、よく通って彼の耳に届いた。

 自分が未だ「閣下」と呼ばれる身でもなく、どこへ行っても煙たがられ、重用される身には程遠かった頃。統帥本部の情報処理課で、自分のような貴族の子弟が割り当てられがちな、後方勤務の、これといって面白くもないデータの分析を延々続けていた頃。真面目に取り組むつもりなど1ミリもありはしない、その他大勢の貴族の子弟たちの中にあって、唯一、黙々と働き続けていたがために、その面白くもない作業がますます自分の担当に積み上げられる結果になっていた、あの頃。
 働きもせず遊び呆け、ふざけた会話を繰り返す同僚たちで騒がしい職場を出て、よく、統帥本部にあった同じような隙間に1人で座って休んでいた。あのやかましい放蕩息子どもの掃き溜めに留まり、従卒を待つことすらも耐え難く、下級兵士向けの自動提供機から手っ取り早くコーヒーを取って、よく飲んでいたものである。
 普通に過ごしていれば気付かぬ建築構造上の死角であって、しかし閉鎖されているわけでもないその空間にいると、しばしば、彼の存在を知らない人々の話し声が聞こえた。

『おい、今日この後、飲みに行こうぜ』
『いいね。誰を誘う?』
『とりあえず、皆に声かけてこう』
『オーベルシュタインにも?』
『ねーよ、わかって言っているだろう』
『一応、ほら、職場のエース様だからな』
『ははっ。あいつ、誘っても絶対来ないだろ』

 軍務尚書と帝国元帥を兼任し、この軍務省ではトップの立場となっている今では、無論、隙間に座ってこそこそと休む必要は全くない。執務室には自分しかいないし、人を入れたくなければ断る権限もある。従卒に命じ、陶器のカップに挽きたての香り高いコーヒーを淹れさせるのを待つにも、何の苦も感じることはない。
 だが……長年のことで刷り込まれた癖、だろうか。無意識に、軍務省でも構造の隙間を見つけ、必要もないのに、自分だけしかいない執務室を出て、自動提供機のコーヒーを手に取り、そこで休んでいた。
 なぜか隙間に居る、元帥。……我ながら滑稽だ。しかし、今回に関して言えば、この奇妙な癖が功を奏したらしい。

 オーベルシュタインは思案を巡らせ、フェルナーに関する部下たちの会話について考えた。主席副官を外されたことは、どうやら、彼にとってかなり不本意であったようだ。
 意図はきちんと伝えたはずであるし、彼の価値を低く見たわけでも、待遇を落としたわけでもない。むしろ、待遇をそのままに、仕事は減らしてやるというのだから、喜ばれてもいいはずなのだが……。
 軍務省の内部構造の隙間、人目につかぬ死角の影の中に腰掛け、さほど美味しくない自動提供機のコーヒーが半分残った紙コップを両手で持ったまま、オーベルシュタインは無言で思考を巡らせ続けた。その後、彼が決めた休憩の終了時刻きっかりに彼は席を立ち、隙間を出て、彼の執務室へと戻っていった。

──────────

 皇帝と三元帥、および幕僚たちを交えての御前会議を終えた、その後。

 軍務尚書オーベルシュタイン元帥は、すぐに軍務省へ戻ろうとせず、常に何をするにも無駄のない彼には珍しく、高級士官ラウンジで1人、意味もなく留まっていた。銀河帝国最高政府であるその建物の最上階の一室には、彼以外には誰もいなかった。その部屋の窓からは、首都星オーディンの風景を望むことができる。
 今日は天候が荒れ模様であり、激しい雨と風が窓を打ち、けたたましく音を立てていた。時折、雷の閃光が走り、一瞬おいて空気を割る雷鳴が轟く。オーベルシュタインは部屋に背を向け、姿勢を正して腰の後ろで両手を組み、窓の外の、雷雨のオーディンをじっと眺めていた。

 数分後、オレンジの髪に屈強な肉体を持つ上級大将、ビッテンフェルト提督がラウンジに入ってきた。ビッテンフェルトは予想外の先客の姿を目にし、音を隠す様子も見せずに舌打ちした。よりにもよって、この男がいるとは!つい先程終えた御前会議でも、ビッテンフェルトはこの冷徹の軍務尚書を相手に火花を散らしたばかりだった。
 それがなくとも、今日の彼の虫の居所は悪かった。猪突猛進のケが強い彼と、彼の艦隊の中にあって、いわゆる常識人の役割を担う彼の部下、オイゲン副参謀長と口論になり、和解に至らぬまま会議に出席していたためだ。彼は、譲れないという思いを抱えつつも、いずれは自分が折れ、オイゲン大佐に謝罪せねばならないだろう、ということがわかっていた。多分、例によって自分が熱くなりすぎていて、彼の部下のほうが正しい意見を言っているのだろう。だが、今はまだだめだ。まだ、奴を許す気にはなれない。
 そんな思いを抱え、ビッテンフェルトは彼の執務室にすぐ戻る気になれず、少しの間、このラウンジで休んでいこうと思ったのだ。多忙な元帥たちも、諸提督も、会議を終えてすぐに立ち去り、ここには誰もいないだろうとふんだのだが……。

 轟く雷鳴で彼の舌打ちが掻き消され、気付かなかったのか、気付いた上で無視しているだけなのか、半白の頭髪と長身痩躯の身体を持つ帝国元帥は振り返ることなく、窓の外をじっと見つめ続けていた。その後ろ姿を睨み据えているうちに、ふと、ビッテンフェルトの脳裏に疑問がわきあがった。

 こいつは、1人でぐずぐずとここで何をしておるのだ?

 皇帝陛下はすぐに彼の執務室へと戻られてしまったので、陛下との用事があるとは思えない。他の元帥や、諸提督にしても、ラウンジに来る様子はなかったように思われる。常に先を見通し、一挙一動無駄のない、このいけ好かない軍務尚書は、どういう理由で油を売っているのだろう?

「何か悩んでいるのか」

 思わず考えを口に出してしまい、ビッテンフェルトはしまった、と考え、あわてて口を閉ざした。だが、時既に遅く、小声とは言い難い音量で発せられたその発言に、オーベルシュタインは窓から視線を逸らし、肩越しに無機質な義眼の眼光を向けてきた。突然何を言い出すのだ、とばかりに、感情のない表情を貼り付けたまま、義眼の目をまばたきさせる。

「…卿がこんな所で油を売っているなど、珍しいと思ってな?ただでさえ雷雨だというのに、槍まで降ってくるかと思うだろう」

 悔し紛れにそう言い訳する。ああ、なんだっておれは、ほんの少し頭をよぎっただけのことを口に出してしまったのだろう。ビッテンフェルトは、軍務尚書の口から皮肉嫌味の雨あられが降り注ぐことを覚悟した。

「……ほう…卿にわかるほど、私は悩んでいるように見えるのか」

 ビッテンフェルトの予想を裏切り、オーベルシュタインはそれだけしか口にしなかった。他には何も言うことなく、視線をビッテンフェルトから外し、彼はふたたび窓に向き直って外を見つめた。それきり、何も言おうとはしない。
 ほんの数秒前に自分の発言を悔いたにも関わらず、ビッテンフェルトはにわかにオーベルシュタインの悩み事への興味が高まるのを感じた。何事にも動じず、すべてを利用し、自分の生死にすら大した関心を抱いていないかのように見える彼を思い悩ませていることとは、一体全体なんだろうか?
 ふいに、ビッテンフェルトの脳裏に、御前会議の前の情景が思い出された。正面入口前のロータリーで、副官を伴って自動車を降りたときに見た光景。たまたま今日は、オーベルシュタインと同じタイミングで着いたらしく、向こうの方で車を降りる奴の姿を見たのだった。
 彼と共にいた副官は、見慣れた銀髪の副官ではなかった。かつて、恐れ多くもラインハルト、当時元帥閣下の暗殺を目論み、その後ラインハルト陣営へ寝返った、ブラウンシュバイク公の元部下。

「……フェルナー准将、だったか。今日は、いつもの副官を連れていなかったようだが、喧嘩でもしたか?」

 これといって確証があるわけでもなかったが、ビッテンフェルトはそう推論を述べてみた。その言葉を聞くと、オーベルシュタインは先程より素早い動きで振り返って自分を見た。ごく僅かにではあるが、驚いたように、義眼を少々見開いたように思える。
 ……まさか、図星だったのか?私心のないことが取り柄の、妖怪じみた軍務尚書と、自分との間に、『部下との不和に現在悩んでいる』という共通点があることを知り、ビッテンフェルトの方もひどく驚き、大きく両目を見開いた。部下を数多く抱える互いの立場を考えれば、至極ありきたりな共通点ではあるのだが。
 オーベルシュタインの微かな驚愕の表情はすぐに消え去り、常の平静な表情が取って代わった。淡々とした声で、彼の推論に答える。

「…また、“喧嘩”か…。上官と部下の間で争いが起こったとして、それは喧嘩と呼ばれる類のものではなかろう。喧嘩とは、対等な人間同士の間に起きる摩擦を指して言うものではないか」
「軍官の立場としては上下もあろうが、それ以前に、人間と人間という関係がある。我々は皆、共に戦い、銀河帝国、そして我等が皇帝ラインハルト陛下に忠誠を尽くしてきた同志だ。その点からみれば、我々は皆、対等な忠臣同士なのだ。喧嘩だってすることはある」
「ふむ、実に卿らしい考え方だ」
「軍務尚書には、ご理解いただけないかもしれんがな!…して、喧嘩と呼べるか呼べないかはさておき、卿は副官との間に何かいざこざでもあったのか」
「……いや。特に、何もないが」
「では、何故今日は別の副官を連れてきていたのだ。何故、こんな所で油を売っている?」

 詰問するビッテンフェルトの言に、オーベルシュタインは眉を寄せ、僅かに顔を歪めて不快そうな様子を示した。『卿に何の関係があるのか』と言いたげな表情である。
 だが、ふとその表情も消え、何か考え込むかのように義眼の視線を伏せた。数瞬、そのまま無言を保ったのち、オーベルシュタインはふたたびビッテンフェルトへ目を向けた。意を決したかのように口を開き、抑揚のない声で答える。

「……先日、彼を、私の主席副官から外した。彼が不始末をしたわけでもなければ、彼を降格したつもりもない。彼の他にも、私の副官を務められる人員を増やそうと考えたに過ぎぬ。彼からすれば、待遇はそのままに、仕事の量だけが減るのだから、何も不利益はないはず。
 ……しかし、そのことが、彼には不本意だったようで…他の部下たちへの態度も、ひどく、悪くなっているらしい。その対応をどうすべきか、少し、こまっておるのだ…」

 そう述べると、オーベルシュタインは、血の気の失せた顔の上に、どこか物憂げな表情を浮かべてみせた。ビッテンフェルトがこれまで見てきた中で唯一、妙に人間らしい、弱った様子を軍務尚書に認め、ビッテンフェルトは驚愕の思いを禁じ得なかった。この男でも、部下への接し方に悩むなどということがあるのか!

「原因がわかっておるなら、話が早い。なれば、彼を主席副官の任に戻してやればよいのではないか?」
「そういう訳にもいかぬ。軍務省において、フェルナー准将ばかりが私の主たる副官を務め、実質のナンバー2となっている現状は看過できぬ。もしもの事態に備えるためにも、副官を務められる人員は、今のうちに増やしておくべきなのだ」
「…卿は相変わらず、それか…。だが、卿の副官を務めて長い彼は、卿のそうした思考に慣れていてもよさそうなものなのだがな。彼が何を不満に感じているのか、話をきいたのか?」
「いや。副官から外したゆえ、業務中はほとんど話す機会がない」
「なにも業務中に限らんでもよいだろう!勤務後、飲みにでも誘って、腹を割って話をしてみてはどうだ?」
「……飲みに?私が、か?……卿なれば、それも良かろう。だが、私がそのような真似をしたらどうなると思う。何事かと警戒されるだろう。理由をつけて断られるだけかもしれん。それに、私はあまり酒を好かん」
「ええい!ならばいっそ、准将の自宅に押し掛けてしまったらどうだ!他に部下を連れたりせず、卿1人でだ。それであれば、無下に追い返すこともできんだろうし、込み入った話もできるだろう」
「……卿は部下にいつもそんな事をしているのかね?…部下の心労が思いやられるな」
「な…!…フン、気に入らぬというなら、自分で考えればよかろう!」
「……いや。…参考になった。礼を言う、ビッテンフェルト提督」

 冷徹な義眼の軍務尚書にしては驚くほど珍しいことに、すんなりと感謝の意を言葉にすると、まるで皇帝陛下に対するかのようにうやうやしく右手を胸にあて、ビッテンフェルトに向かって一礼してみせた。礼を述べられたビッテンフェルトのほうは、オーベルシュタインが相手でなければ自然な会話の流れだったにも関わらず、相手が相手なので、素直な感謝に驚愕の思いを隠しきれずに目をむいた。

「では、私はこれで失礼する」

 ビッテンフェルトの様子にこれといって反応せず、淡々とそう述べると、オーベルシュタインはラウンジの出口に向かってサッサと歩き去って行き、扉を開け、外へと出ていった。

 後には、いまだ驚愕から抜け出せず、目をむいたまま、軍務尚書が出ていった扉をみつめ続けるビッテンフェルト提督のみが残された。