オーベルシュタインの娘
その16

「やめだ!」

 すこし歩いたところでヴィクトールがそう言い、ベアテはピタリと歩みを止めた。
「やめる?」
「カフェなど退屈だ。こっちにしよう」
 デートの相手とは思えぬ不遜さでそう言うと、ヴィクトールがどこかを指さした。そちらを見ると、大きな観覧車の写真が目に入った。
「遊園地か」
「おう。前にも、このポスターを見かけた。行ってみたかったのだ」
 ベアテが眉を寄せた。
「先に言え」
「忘れていた。行くならここが良い」
「行き当たりばったりだな。まあよかろう」
「よし」
 ヴィクトールはニヤリとした。たしかに、デートの行き先を決めるときに思い出せなかったのは痛手だった。だが、行くとなればこちらのものだ。ベアテを少々、試してやるとしよう。

 あさっての方向を見ながらクックックッと笑うヴィクトールを横目に、『なにかくだらん事を思いついたらしい』とベアテは思った。

***

「こ、工事中だと……!!?」

 遊園地へ入り、いちばん大きなアトラクションの前まで意気揚々と辿り着いたヴィクトールは、『〇月×日までリニューアル工事中 ご迷惑をおかけします』と書かれた大看板の前で両手両膝をつき、失望を全身から発しながらうなだれた。
 あまりに憐れな少年の様子に、「たいへん申し訳ありません」とパーク・スタッフが謝罪する。ベアテは、
「お気になさらず。事前に調べもしなかったこの男が悪いのです」
と冷ややかに応じた。ヴィクトールがますます落ち込んだ。
「はやく立たぬか。迷惑になる」
「うぐぐ……」
「アトラクションなら他にもあるだろう」
「これが……これに乗りたかったのだ!」
 ヴィクトールが未練がましく言う。それは、このパーク最大の絶叫コースターであった。ベアテをこれに乗らせて、顔面蒼白になったところを笑ってやるつもりだったのに!
「仕方がないだろう、工事中だというのだから。……代わりに、これはどうだ?」
 ベアテが言うのを聞き、ヴィクトールは彼女を振り返りみた。相手の指差す先を見ると、『絶叫迷宮・銀河最大のホラーアトラクション』のポスターがあった。
「…………ホラーか」
「いやなら良い」
「いやとは言っていない!」
 ヴィクトールがすっくと立ち上がる。
 そうだ、他にもアトラクションはある。絶叫コースターは残念だったが、オーベルシュタインの奴が震え上がる様を楽しめるかもしれんな。
 ヴィクトールは元気を取り戻し、さきにルートを調べていたベアテの後について『絶叫迷宮』へ向かった。

***

『ガシャーーン!! ギャアアアアアア!!!!!』
「うわあああああああ!!!!!」

 ヴィクトールが飛び上がり絶叫する。音と悲鳴がただの効果音と分かり、ヴィクトールはホッと息をついた。
 最低限の明かりしかない、廃病院をリフォームして作られたというお化け屋敷の真っ暗な通路を歩くと、とびだす仕掛けやビックリ音声が次々と二人に襲いかかる。人間をこわがらせるために多種多様の工夫が施されたアトラクションは、二人にとって新鮮なものだった。
 きゅうに恥ずかしくなりつつ、ベアテの方を見やる。くらくて顔がよく見えない。だが、彼女が悲鳴をあげた様子はない。さっき、一瞬みえた先発のカップルの女のようにひっつくこともなければ、泣き言を言うこともなく、静かに淡々と歩みを進めるのみである。
 くそ! おれのほうが余程こわがっているわけか! 情けない。もう離脱したい。だが、ビッテンフェルト家の人間たるもの、敵前逃亡など死んでもする訳にはいかん!
 敵がいる訳でもないのだが、恐怖で混乱したヴィクトールはそう考え、このお化け屋敷を踏破するつもりでいた。

 ふたりが更に先へと進み、ある角を曲がった。そこでは、生身の人間のキャストが二人を驚かせるべく待ち構えていた。
「ヴオオオオオーーーーー!!!」
「ぎゃああああーーーーー!!!」
 ヴィクトールが絶叫し、尻もちをついた。顔を真っ青にして怯えている。いい表情だ。さっきから暗視カメラでタイミングを図っていたが、この男の子はリアクションが良く、こわがらせ甲斐がある。
 ゾンビに扮したキャストは、「オオオーー!!」と呻きながらベアテの方に向き直り、にじり寄った。この子はあまり反応がない。すこしくらい怯えていって貰わねば、絶叫迷宮の名声がすたる。
 だが、それは悪手であった。
 突如、キャストは数メートルふっとび、壁に叩きつけられた。何が起きたか分からなかった。顔を上げると、ズン、ズン、と効果音が聞こえてきそうな足取りで女の子が近づいてきている。
 あ、まずい。
「まって!……ゲホッ、うえっ、待って」
 キャストがむせながら相手を止めた。ベアテの歩みがピタリと止まる。
 パッと通路に明かりがついた。真っ暗だった施設内が、隅々まで明るく照らされる。
「あ……」
 そう呟いたベアテの顔が真っ青に汗ばんでいたことを、その時、ヴィクトールとキャストはようやく見てとることができた。

***

「まことに申し訳ございません」

 育ちのよさそうな少女がふかぶかと頭をさげ、謝罪するのを見て、手当を受けながらキャストは片手を振った。
「大丈夫ですよぉ。びっくりしましたが」
「こんな……こんなつもりは……お怪我を負わせてしまって、本当に……」
「いいからいいから。たまにあるから。次を楽しみに行ってよ。ねっ。せっかくデートなんだから」
 おびえた拍子にキャストを蹴飛ばしてしまい、すっかり狼狽した様子で青ざめ俯くベアテと、どういう顔をして何と言えば良いか分からないヴィクトールとが途中出口から出てきた。
「あーー……えっと……オーベルシュタイン、あまいもの好きか?」
「……きらいではない」
「よし。クレープおごってやる。食え。とりあえず食っとけ」
 ベアテを先に座らせておき、ヴィクトールが屋台に走る。そして、女の子が好きそうな、いちごやクリームやケーキがどっさり挟まったものを1つと、自分の好きなものを1つ選び、それらを持って戻ってきた。
 ベアテが、渡されたクレープを もしゃ……もしゃ…… と食む。ヴィクトールも、自分のクレープをひとくち食べた。
 ま、今回は、引き分けということにしておいてやろう。誰に確認されたわけでもないが、ヴィクトールは一人そう考え、うんうんと頷きながらクレープをかじった。

「……ココナッツとバナナのほうがよかった」
「!? さ、先に言え」
「なぜ聞かないのだ」
 むぐ、と、ヴィクトールが反論の余地を見失う。しかしベアテは、選ばせては貰えなかったが、おごられたクレープを食べ進めた。

「……お化け屋敷、こわかったのですかねえ」
「……なあ、オイゲン。あいつら、仲が良い気がする。気のせいか……?」
「デートしていますから、仲は相当良いと思われます。閣下」
「ううっ……!」
 はなれた席で二人を見守っていたビッテンフェルトがテーブルにゴンと額をぶつける。二人を尾けて入園はしていたが、アトラクションまでは一緒に入ることができず、お化け屋敷での顛末を彼らは把握していなかった。
「オーベルシュタインのやつに『お義父さん』と呼ばれるのかっ……!!」
「気が早いです閣下。それに、あんがい可愛く思えるかもしれませんよ。……式では、小官は、新婦枠で出た方が人数比が良いやも知れませんな。黒色槍騎兵艦隊が揃って新郎側に並ぶでしょうし」
「貴官こそ気が早いぞオイゲンッ……!」
 ビッテンフェルトがテーブルをガンガンと殴る。まわりの客達が眉をひそめた。

「くっっっそ……うり坊、きさまっ……認めん。認めんぞ、きさまなどにお嬢さんを渡すものか……!!」
 みごとな変装で一人客に扮したフェルナーがそう呻いたが、『お前はお嬢さんの何なんだ』とツッコんでくれる人間は誰もいなかった。

***

 ガタァン! とコースターが急停止し、その後、ゆっくりとコースを進む。目の前にそびえ立つ壁のようなものが、悲しいことに、次に進むコースだった。
「……おい、終わりじゃないのか」
「終わりではないだろうな」
 コースターが、ゴンゴンゴン、と音を立てて角度を変えていく。その角度は、ちょうど垂直と見て間違いなさそうだった。
「高い……」
「高いな……」
「これ、落ちるのか」
「落ちるだろうな……コースに沿って」
 ゴンゴンゴンゴン、と、無慈悲にコースターは高く高く上がっていく。その先は、ほとんど落下するような角度を描いて落ちるコースになっていた。
「さっきで終わりだと思ったのに」
「終わりじゃないだろう。121度降下を通っていない」
 121度の円弧を描くコースは、横から見ると、でっぱった腹のように見えた。コースターの上から見ると、位置的に先のコースが見えず、ちょうど、断崖絶壁に面しているようである。
「いやだな……」
「覚悟をきめろ」
 コースターが、乗客の恐怖を煽るべく少々てっぺんで停車する。二人は、たまたま最前列にご案内されてしまったため、これから落下する高さをよくよく見ることができた。
 ヴィクトールが『ベアテはどんな顔をしているか』と思い、隣を見やる。だが、いかつい安全ハーネスの死角となっていたせいで、彼女を見ることは叶わなかった。
 コースターが落下する。「キャーーーー!!」という乗客たちの悲鳴を引き連れ、コースターがルートを走っていく。落下だけでは飽き足らず、コースターは一回転ぐるりとループを描き、減速して、発着場へ戻っていった。
「お疲れ様でーす!」
 パチパチパチ、と、キャストの拍手に迎えられ、青ざめ、涙をぬぐう者も含めた乗客が戻ってくる。安全ハーネスが外れ、ヴィクトールとベアテはフラフラとコースターから降りた。
「やすむぞ」
「ああ」
 口数すくなく二人が合意する。二人ともハーネスを強くにぎるあまり、両腕が震え、わなないていた。
 ヴィクトールが呻く。このパークの二番手三番手にすぎないジェット・コースターでこれとは! ヴィクトールは、父親と黒色槍騎兵艦隊に連れられ、宇宙空間までよく出ていたので、てっきり、この程度の乗り物は平気だと思っていた。だが、人間をこわがらせる為に設計されたコースターは、軍人を安全に艦まで運ぶために設計されたシャトルと大きく異なっていた。

 降りた後、ベアテとヴィクトールは、写真コーナーに一瞥もくれずに通り過ぎた。ベアテは、そもそも興味がなかったし、ヴィクトールは、なさけない自分の姿をわざわざ見たいと思わなかった。
 あとに続いて降りてきたビッテンフェルト達は違った。
「…………そういえば、最近、ヴィクトールの奴を撮っていなかった」
「お買い上げになられては」
「そうする」

 ビッテンフェルトとオイゲンが去ったあと、銀髪の一人客も同じ写真を買っていった。

***

「あー、楽しかった!」

 ヴィクトールが笑顔で言う。ベアテも、無表情のままではあったが、合意した様子で頷いた。
 はた、と、ヴィクトールは『なにか忘れているような気がする』と思った。なんであったか……?
 そこで、ようやく思い出した。そうだ。これは、罰ゲームのデートだったのだ。ベアテに、そのことをきちんと伝えなければならない。
 だが、せっかく楽しかったのに水を差すようで気が引ける。でも、言わない訳にはいかない。真実を隠して逡巡するなど、ビッテンフェルト家にとっても黒色槍騎兵艦隊にとっても恥ずべきことだ。
「あー。オーベルシュタイン。その。これはな、ほんとうは罰ゲームで誘ったデートだ。だが、その、おれは今日こられて良かったと思っている」
 言ってしまってから、ヴィクトールはカアッと顔を赤く染めた。おれは何を言っているのだ!? これではまるで告白ではないか!
 だが、ベアテの反応は、父親に負けぬ永久凍土ぶりを思わせた。
「知っている」
「知っている!?」
「気づいていないとでも? おまえ達の会話はようく聞こえていたし、今日だって、ずっと後を尾けられていた」
「なに!? あいつら、尾けていたのか!?」
「誰かまでは分からなかったが、尾けられていたことは間違いない。これで、お前の罰ゲームは完了だな」
 ベアテが白髪交じりの髪を振らし、ヴィクトールの方を振り返る。ヴィクトールの胸には、羞恥と同時に疑問も沸き起こっていた。
「なら、どうして来た?」
 ヴィクトールの質問を受け、ベアテは、片方の手の指を顎に添え、しかめつらしく考えた後、「借りがあったから……」とだけ答えた。ヴィクトールが困惑の表情を浮かべる。
「借り?」
「小さい頃、舞踏会でのことだ。覚えているか?」
「まったく思い出せん」
「そうか。なら良い」
「まて! 教えろ。気になるだろう」
「いやだ。自分で思い出せ」
「おい、教えろ!」
 ヴィクトールは詰め寄ったが、結局、ベアテは理由を明かさなかった。

***

「ラーベナルト」
「はい。どうなさいました、お嬢様」
「ビッテンフェルトていとくの息子にダンスにさそわれて、おどった。お前や、お父様としかおどったことがなかったから、『下手だな』と思って、そう言った。そうしたら、とてもおこって走っていってしまった。『二度とさそわない』と言って」
 父の後を継ぎ、オーベルシュタイン邸の新しい執事となったラーベナルトJr.は、それを聞いて頭を抱えた。
「それは、ビッテンフェルト提督の息子殿は、とても傷ついて悲しまれたことでございましょうな」
「きずついた? なぜ?」
 Jr.はますます頭を抱えた。
「お嬢様、よくお聞きになってください。人間は、皆が皆、旦那様やお嬢様のように、常日頃からみずからを厳しく律して生きている訳ではないのです」
「そうなの?」
「そうでございます。ですから、誘ってくださった殿方が、すこしくらい下手でも『お上手でした』ですとか『楽しかった』ですとか言って差し上げませねば」
「そうなの」
「ええ。お嬢様、みずからがみずからに厳しく在るのは御自由になさってよろしいが、他人には甘すぎる位で丁度よろしいのですよ」
「でも、お父様は」
「ええ。旦那様はお厳しくなされますね。ですが、旦那様は、そうと分かったうえでそうなさっておられます。お嬢様にはまだお早いかと」
「そう……」
「お嬢様、その息子殿はおきらいですか?」
「きらいなわけではない」
「それでは、どうぞ、今度の機会に謝罪なさりませ。つい、自分に厳しく接するように、あなたにも厳しく言ってしまったのです、と、そう仰ってください。それと、下手だと思ったのは、大人である旦那様や私と比べてのことであるとも」
「わかった」

 だが、それから、ヴィクトールはベアテと口をきかなくなってしまったのである。

***

「ん」
「え? ……わっ。かーわーいー! オーディンジャーのキーホルダーだ!」
「土産だ」
「ベアテちゃん、遊園地いったの?」
「ああ」
「えー! あたしも行ってみたああい」
「行くか」
「行くううう」
 トモコは興奮して、両腕をわきわきと上下させた。

***

「土産はいらんと思って買わなかったぞ」
「いらんと思って?」
「おまえら、尾けてきていただろう? オーベルシュタインの奴は気づいていたぞ」
「そんなことしねえよ!?」
「えっ!?」
「えっ!? しねえだろ。なあ?」
「そうだよ。お前ら、やっとくっつくかも知れねえってのに、そんな野暮なことしねえし!」
「えっ? はっ? ……で、では、おれたちを尾けていたのは誰だったのだ?」
「怖ァ!!」
「知らねえよ!?」
 ビッテンフェルトと友人たちは、正体不明の尾行者をおのおの勝手に思い描き、ふるえあがった。

***

「フェルナー、減給」
「えっ!!!?」
 出勤早々、オーベルシュタインに宣告され、フェルナーは困惑した様子で目をむいた。