オーベルシュタインの娘
その19

 それは、やんちゃ皇帝の一言で始まった。
「過去の探索だ。どうだ、行ってみないか?」
 蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳をらんらんと輝かせ、銀河帝国皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムが尋ねる。
 彼の前には、4人の子供たちが揃っていた。1人は、公認の親友たるフェリックス・ミッターマイヤー、士官学校2年生。1人は、軍務尚書オーベルシュタイン元帥の令嬢ベアテ、幼年学校4年生。1人は、 黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)の名高き提督ビッテンフェルトの嫡男ヴィクトール、同4年生。そして最後は、辺境出身者の同4年生、オノヤマ・トモコであった。
 この会は、身近に同世代がいなかったアレクサンデルの為、かねてより定期的に開催されていたお茶会である。今回同様、天気のよい時には王宮の中庭に集まり、テーブルと椅子を並べ、多忙な皇帝の職務の合間、若者同士で語らい合う会だ。
 今回、ベアテの友人であり、ヴィクトールの同級生でもあり、アレクとも知り合ったトモコが初めて招待されている。最初、本人は相当尻込みしていたが、いざ来てみると「うちの親戚の集まりみたい」とすっかりくつろぎ、王宮御用達の名菓を貪っていた。
 しかしどうやら、茶会は平穏に終わらなさそうである。
 フェリックスが、いたずらっぽくクスリと笑って茶会の席を立ち、アレクの側に立った。いかにも親しげに相手の肩に腕をまわす。そうした振る舞いに、アレクはちっとも不快を感じていないようだった。
「アレク、我が友よ。面白そうだが、どうするつもりだ?」
「うむ。フェリックス、それと皆、これを見て欲しい」
 アレクが、腕時計からモバイル・ディプレイを出現させ、何らかの乗り物らしき立体物を皆に示した。皆が立ち上がって彼を囲み、それを眺める。特にヴィクトールは、身を乗り出してまじまじ見つめた。
「これは何です?」
 ベアテが尋ねた。アレクが『よくぞ聞いてくれた』とばかりに胸をはる。
「これは、タイムマシンというものだ。その名の通り、時間を自由に航行できる船である。まだ公にはされていないが、ようやく実用段階に至ったらしい。こいつを拝借して、皆で過去の探索に赴こうというのだ」
「お待ちください、陛下」
「うむ。なんだ、ベアテ。〝兄様〟と呼んでくれ」
 父と全く同じ表情、同じ物言いで止めたベアテに、アレクは笑顔で応じた。
「アレク兄様。実用段階に入ったとはいえ、十分安全とは限りませんでしょう。兄様の大切な玉体を損ねては、国家の一大事です。まずは、軍務尚書の裁可を……」
「そんなもの、許可されぬに決まっておるだろう?」
 当然とばかりに言い放たれ、ベアテは珍しく、しばし反論できなかった。
「……ならば、中止をご検討ください」
 言うだけ言ってみたものの、やはりアレクは首を横に振った。
 フェリックスも『おれは味方だ』とばかりにアレクの横に立ち、ベアテにひらひらと手を振る。
「なあに、そう堅いことを言うものでもあるまい。人を送る実験は済んでいるわけだし、ちょいと興味のある時代へ行って、何も問題を起こさず帰ってくればいいだけだ」
「アレク兄様に『何も問題を起こさない』ことができると?」
「失敬だな! いくら妹でも失敬だぞベアテ! 私はな、意図的に問題を起こすことはあっても、起こすまいとしていればそう起こさないのだ」
 アレクが口を尖らせてそう反論すると、ベアテは肩をすくめた。
(まず、意図的に起こそうとしないで頂きたい)と、彼女の顔が語っていた。
「ほかに異論はないな?」
「あれば止めてくださいますか?」
「いいや」
 悪びれもせずそう返され、ベアテは大きく溜め息を吐いた。
「わかりました。この上は、陛下の御身を守ることに尽力いたします」
「〝兄様〟だ。ようし、決まりだな。ヴィクトール、それにオノヤマ殿、そなたらも異論はないな?」
「え? あたしも行くんですか?」
 寝耳に水、といった様子で目をまるくし、トモコは麗しの皇帝を見返した。自分はあくまでベアテのおまけと彼女は考え、風景の一部になったつもりでいた。
「もちろん。女の子がベアテひとりでは可哀想だろう?」
「私なら心配には及びませんが……」
 ベアテはそう口を挟んだ。自分のせいで面倒に巻き込みたくはない。
 しかし、当のトモコはあっさりと承諾して頷いた。
「じゃあ行きます」
 ベアテがぎょっと目をむく。
「いいのか?」
「え? うん。だって、大丈夫なんでしょう? その、タイムマシンってやつ」
 のんきにそう言いながら、トモコはクッキーを1枚ぽりぽりと頬張った。そして、ニコニコと幸せそうに微笑む。お菓子が相当気に入ったようだ。
「バッ○・トゥ・ザ・○ューチャーとか好きだよ、あたし」
「これは映画ではないのだぞ」
「うん。楽しみだね」
「そうだろう、そうだろう! オノヤマ殿には、中々見所があるな。妹の友人として、頼もしいことこの上ない」
 アレクが我が意を得たりとばかりに身を乗り出す。クッキーを片手に、トモコは空いている方の手で頭を掻いた。
「えへへー。てれちゃいます」
 ベアテの体から力が抜けた。
 ふとヴィクトールに目を留める。すると、こうした無謀を気にしなさそうな彼が、めずらしく思い悩んだ様子で首をひねっていた。ベアテの目に希望が灯る。
 アレクも彼に気づき、不思議そうな顔をした。
「どうした、ヴィクトール? なにやら、むつかしい顔をして」
「……うーん。おれも兄ちゃんと探検、行きたいんだけど」
「なにかあるのか?」
黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)のオイゲンさんがな。『タイムマシンにだけは絶対かかわっちゃいけませんよ』ってよく言っていたんだ」
「なんだそのピンポイントな警告は」
 ヴィクトールは首を横に振った。
「詳しいことは知らない」
 それを聞くと、アレクは得心したように口元に指を当てた。
「……そういえば、過去に、帝国軍の要人が事故に巻き込まれたとあった。とはいえ、無事に戻ったらしいが」
「その人物がビッテンフェルト元帥だったのでは?」
 ベアテが言った。彼ら親子の性質から察するに、いかにもありそうな話である。
「かもなぁ」
 ヴィクトールにも反論はないようだった。
「ならば、心配あるまい。結果的に、人を無事に行って帰ってこさせられたということだ」
「……ん~。でもなあ。オイゲンさんに苦労をかけちゃなんないって、母ちゃんにもよく……」
 なお、ヴィクトールは渋った。彼と彼の父親には、決して逆らえない人物がごく僅かに存在する。その一人が、彼の母親だった。
 アレクが勢いよく立ち上がった。彼の豪奢な金髪が揺れる。
「ヴィクトール!  黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)の座右の銘を申してみよ!」
 ヴィクトールが目を輝かせた。彼も勢いよく立ち上がる。
「前進、力戦、敢闘、奮励! 猪突猛進こそ我らの本領!」
「よく言った! それでは、こたびの探索にも?」
「参ります!」
 まんまと乗せられ、ヴィクトールはそう宣言した。横でベアテが顔を手で覆った。
 これで、彼女には止める術がなくなった。少なくとも、彼女一人の力では。
 過去への旅は、この一週間後に決行されることとなった。

      ***

「皆の者、準備はよいか?」
「ああ」「おう!」「はーい」
「…………」
 ベアテだけが無言であった。アレクが彼女の方に振り返る。
「ベアテ?」
「……作戦目標を、確認させてください」
 ベアテが低い声で尋ねた。
 過去をほんの少し眺めてすぐ帰るつもりなのか、それとも、何らかの目標を達成するまで戻らぬつもりなのか。
 アレクは頷いた。
「うむ。此度の探索目標は、『ラインハルト・フォン・ミューゼル』だ。彼に会いにゆく」
 ベアテがハッと目を上げた。その瞳に、かすかに関心の輝きが現れていた。
 アレクがそれに気づき、くすりと笑う。ベアテはあわてて頭を振り、関心を隠そうとした。
「……彼に会って、それから?」
「そうだな。通りすがりの赤の他人として、軽く雑談するか。我々が未来から来たことは、できるかぎり明かすな」
「未来が変わっちゃうかも知れませんもんね!」
 興奮した様子でトモコが言った。すると、アレクは苦笑して手を振った。
「残念ながら、そうはならぬ。どう行動したとて、我々のいる今この未来にしか繋がらない……らしい。これまでの実験によれば、だが」
「えー。安心ですけど、つまらないですね」
「そうだ、『安心』だ。この未来は変わらない。しかしまあ、悪名高きゴールデンバウムの悪虐貴族どもだとか、普通の危険はあるだろう。それは、我々にとっての未知の未来だ。みな、心せよ」
「あ。はい!」
「うむ。目指すは平時の元首都星オーディン、勝手知ったる街でもあるので大きな危険はないと思うが、みな、よくよく注意せよ。そなたらを無事に帰すことが、この探索隊の長たる私の責務である」
「……では、危険を避けるため、そもそもこの探索を」
「さあ、皆の者! シートベルトをしっかり締めておくのだぞ」
 ベアテの言葉を遮るようにアレクが宣言し、3人がそれぞれシートベルトを引いて点検し始めた。ベアテも溜め息をひとつこぼし、自分のシートベルトを確認した。
「では、いざ征かん、旧帝国歴○○○年へ!」
 アレクがガションとレバーを押し込む。タイムマシンが稼働し、リープに向けてエンジンの音を立てる。
「き、緊張してきた」
「私はずっとしている……」
 うわずった声で言うトモコに、ベアテは、どちらかといえば呆れた調子の声で応じた。

 研究者たちがドタドタと格納庫へとやってくる。アレクの策略により、絶妙な時間足止めを食った彼らは、今まさに虹色の光に飲まれて消えるタイムマシンを、なすすべなく見送った。

      ***

 ウウ、ン……と、駆動音が低くなり、タイムマシンの動きが止まった。
 アレクが素早く操作盤に手を走らせる。彼が自信ありげに頷いた。
「うむ、完璧だな。目的の時空座標に到着した」
「どちらに?」ベアテが尋ねる。
「深夜の、オーディンの中央公園だ。誰もいないはず」
 5人がシートベルトを外し、手荷物を持って外に出る。
 小型連絡船に似たタイムマシンは、アレクの言った通り、5人のよく見知った中央公園の芝生に着地していた。天には、オーディンの月が高く輝いている。
 しかし、ヴィクトールの足元がふらついていた。
「ヴィクトール、どうした?」
 アレクが心配そうに尋ね、彼に手を貸す。オレンジ髪の下の顔が青い。
「…………酔った……」
 呻くようにそう応じる。
「おやおや。少し休んでいこうか」
「乗り物酔いかい? ぼうや」
「これ、フェリックス。よさぬか」
 芝生にヴィクトールを座らせつつ、アレクは咎めた。フェリックスは、ぺろっと舌を出した。
「すまん。口さがない性分でな」
「そら、水をお飲み」
「うう……」
 アレクが手荷物からミネラルウォーターを1本取り出し、ヴィクトールに与えた。ヴィクトールは大人しく受け取り、それを飲んだ。
 ベアテは、周囲を見渡し、警戒にあたった。アレクの言う通り、都合よく人っ子一人いない。
 ふと振り返って、自分たちの船を見た。少なくとも未来では、ここに自動運転車を停めることもなくはないし、変わったデザインの車と言い張れなくはない見た目だ。しかし、見咎められ破壊されることは避けたい。
「タイムマシンをここに放置して大丈夫でしょうか」
「なに、心配ない。見ておれ」
 ヴィクトールの看病のためしゃがんでいたアレクが立ち上がり、ポケットから何かを取り出した。それは、車の遠隔キーのような機器であった。
 彼がそれを操作すると、タイムマシンの姿が揺らいだ。おどろくベアテの目の前で、タイムマシンは跡形もなく消えた。
 先程まであった場所にベアテが駆け寄り、手を空に走らせる。何にも触れない。
「何をなさいました!?」
「すごいだろう? 目にも見えず、触ることもできぬ。ここにあると知っているのは我々だけ。帰りの足はちゃんと守っておかねばな」
「消えてはいないでしょうね」
「いない。ほれ、少し下がっておれ」
 ベアテが後ずさったあと、もう一度、彼が操作する。空間が揺らぎ、タイムマシンが再び現れた。
 また、彼がボタンを押す。タイムマシンはまた消えた。
「便利だろう」
「……はい」
「念の為、予備の鍵も拝借してきた。こっちは、ベアテ、お前に預ける」
 アレクはそう言い、鞄から同じ鍵を取り出し、ベアテに差し出した。ベアテはそれを両手で受け取り、注意深く自分の鞄に詰めた。
「安心したか?」
「……少し」
「それはよかった。ヴィクトール、歩けるか? 近くに夜間営業の宿がある。そこでまずは休憩しよう」
「うう……わかった……」
 アレクがヴィクトールに肩を貸し、彼を支えて歩き始める。その後ろで、フェリックスが小さく舌打ちした。そして、彼も友の後を追った。
 ベアテが、小走りに彼らを追いかける。アレクとヴィクトールの隣につくと、彼女は口を開いた。
「ひとつ、よろしいですか」
「なんだ?」
「アレク兄様。随分と手慣れておられるようですが、実用化が内定したばかりのタイムマシンの操作を、いったいいつ覚えたのです?」
 アレクはニコッと笑い、腕時計のボタンを押した。一瞬表示された文書データを、ぴんと指で弾いてベアテに送る。
 ベアテは、そのデータを開いてみた。『デルタ式タイムリープマシン参号型取扱説明書』と題されている。
「寝る前の読書がてら、それを読んで覚えた。そう難しくはないから、朝を待つ間に読むといい」
 歩きながら、ベアテが文書をついついと指で撫でる。彼女は顔をしかめた。
「どうしたの?」
 トモコも追いつき、難しい顔をした友人に尋ねる。彼女の前には、なにやら、びっしりと書き込まれた取説が表示されていた。
「……これを見て、すぐに操作がわかるか?」
「無理ー」
 トモコはあっさり応じた。