オーベルシュタインの娘
その20

 アレクの先導で向かった先には、彼の宣言通り、明かりのついた宿があった。何やら、いかがわしい雰囲気ではあるが。
「……ここ、ですか」ベアテが心配そうに言った。
 フェリックスすらやや渋い顔をしている。しかし、アレクは頷いた。
「うむ。ここは現存する場所で、内部構造も調査済みだ。防音構造で、快適そうだぞ」
「大丈夫なのか?」フェリックスが尋ねる。
「なにがだ?」
「青少年健全育成ナントカ的に」
「それはローエングラム王朝で制定された法だ。問題ない」
「いいのか? お前の解釈はそれでいいのか?」
「え、駄目なんですか? どうして?」
 トモコが首をかしげる。
「知らなくて良い」ベアテが応じた。
 うう、と、アレクに半ば引きずられ、ぐったりと顔を伏せたヴィクトールが呻く。
「横になりたい……」
「おお、すまんなヴィクトール。今、部屋を借りる」
 アレクが詫びつつ、いかがわしいホテルに入っていく。残されたフェリックス、ベアテは互いに視線を交わし、一緒に溜め息をひとつつくと、諦めて入店した。その後ろを、不思議そうにキョロキョロしながらトモコが続く。
 受付は無人で、部屋の内装が一覧に表示されている。アレクは、そのうち一番値の張る広い部屋を借り、鍵を受け取った。彼らは、きちんと旧紙幣を携えていた。
 部屋は、リビングスペースがあり、ソファがあり、キングサイズよりも大きいベッドがあり、広い浴室も備えていた。ついでに、瑞々しいバラの生けられた花瓶や、豪華なシャンデリアなども下がっている。5人が滞在するのにも不自由しなさそうであった。
「ほう。案外いい部屋じゃあないか」フェリックスが感想を述べた。
「うわっ。このお部屋、浴室の壁が透明だよ。へんなの。落ち着かないね」
「湯浴みが必要になる前に帰るだろうから、問題ない」
 いぶかしむトモコに、ベアテはピシャリと応じた。彼女の希望的観測も、そこには含まれていた。
 アレクは、まず、ヴィクトールをベッドに横たわらせた。冷蔵庫からルームサービスのソフトドリンクを発見し、いくつか出してサイドボードに置く。
「さあ、ヴィクトールはしばらく休んでおれ」
「うう……ありがと、兄ちゃん……」
「なに、兄として当然のことだ。さて、残りの皆は」
 アレクが3人に振り返る。
「作戦会議といこう」

 アレクの作戦は簡潔を極めた。
 5人は、アレクサンデル・フェリックス組と、ベアテ・ヴィクトール・トモコ組の二手に分かれる。前者は、リンベルグ通り(シユトラーゼ)のクーリヒ未亡人邸――ラインハルトとキルヒアイスの下宿先近辺を、後者は、二人が出入りしていた軍関係施設近辺をあたる。
 理由は2つある。1つめは、赤の他人として接触する以上、クーリヒ邸に直接乗り込む訳にはいかないということ。2つめは、二人はクーリヒ邸に常にいるとは限らず、軍務のため動き回っている可能性も高いということである。
 明け方、回復したヴィクトールも含めた5人はホテルを出た。何かあれば、この拠点にふたたび戻り、残りの皆を待つこととした。
      ***
 アレクサンデルとフェリックスは、ホテルから近いリンベルグ通り(シユトラーゼ)へすぐ着いた。
 彼らの時代に始皇帝記念館として保存されているクーリヒ邸は、この時点では、まだ生活感いっぱいの住居に過ぎない。物陰から覗いていると、人のよさそうな老婦人が玄関から出て行く姿が見えた。アレクサンデルが受けた歴史教育によれば、その夫人は、偉大なる始皇帝と、その無二の親友の世話をした、フーバー夫人(フラウ・フーバー)である。
「二人は在宅しているのだろうか……」
 その問いに答えるように、朝の喧噪でも一際目立つ金髪と赤毛が見えた。アレクサンデルの瞳孔が、興奮にキュウッと開く。
「あれが……未来の始皇帝、ラインハルト様か……」
 フェリックスが、彼の横で感慨深げに呟いた。
 ラインハルトとキルヒアイスは、ちょうど帰ってきた所らしかった。早朝に、内側からではなく、外からクーリヒ邸の玄関をくぐっていく。扉の奥から、かすかに「おかえりなさい」という老女の声も聞こえた。
「…………しまった。話しかけそびれた」
 彼らの姿が見えなくなってから数分後、アレクはそのように呻いた。軍務から帰宅したのであれば、しかも朝帰りとなれば、しばらくは家を出てこないだろう。
「そういえばそうだったな。すまん、おれとしたことが」
「いいや、フェリックス。私もつい、見るのに夢中になっていた。なあ、見たか?」
「穴があくほど見つめたぞ、友よ」
「そうか。そうだよな。なあ、信じられるか、彼、」

「髪が短かったぞ?????」

「……お、おう。そうだな」
「なんだ。なんだあれ。すごく楽そうだ。ドライヤーすぐ終わるぞ、あれ」
「あ、ああ……。うん。そうだな」
「ちくしょう。なんだあれ、ずるいぞ。いったい誰のせいで、私がこんなに長い髪をぶら下げさせられていると思う?」
 アレクサンデルが憤然として自身の金髪をつまみ上げた。日光を受けてキラキラ輝く豪奢な金髪は、彼の背の中程まで伸ばされている。
「嫌だったのか、それ……」
「ああ、嫌だ。邪魔で仕方がない。だが、『皇帝らしいイメージを保つため』と、こうして一定の長さにさせられているのだ」
「綺麗だと思うが」
「ああ、綺麗だろうさ。毎日丁寧に、最上級のトリートメントをされているからな? 乾かすときも神経を使う。この髪に1日3時間は取られている」
「そんなにか」
「短かったんじゃないか、父上……。くそっ、皆だまっておったな。決めたぞ。帰ったらまず、この髪を切ってやる。あの父上と同じくらいに短くしてやるのだ」
「よし。よかったな、過去探索の成果が1つ得られた。好きにするといい」
 そう応じた後、ふと思いついたようにフェリックスが付け足した。
「切った髪をとっておいて、おれにくれないか?」
「うん? それは構わんが、どうするのだ」
「そうだな。ロケットに入れて首から提げるか」
「縁起でもないから止めろ。私はまだ生きている」
「チッ……。わかった。じゃあ、大事にしまっておくさ」
 その会話を最後に、二人はふたたび監視に戻った。

 なお、後日、アレクサンデルがこの言を実行した際、髪を欲しがる者が本数よりも多く殺到したという。

      ***

「……ラインハルト様」
「気づいたか、キルヒアイス」
「はい。……何者かが、こちらを監視しているようですね」
 物陰でクーリヒ邸を見守るアレクサンデルとフェリックスを、ラインハルトとキルヒアイスはとうに発見していた。
「先程、コーヒーを持ってきて下さったフーバー夫人も、『きれいな男の子が二人、こちらをずっと見ている』と教えて下さいました」
「はっ。フラウに見つかるほどの杜撰な監視とはな。一体、どこの低能だ?」
 ラインハルトに問われ、キルヒアイスはもう一度、窓から下を見下ろした。二階からとてもよく見える位置にいる二人は、何やら、仲良さげに会話している。
 人物像は、正直よく分からなかった。雇いの監視にしては余りに隙がありすぎるし、何より、貴族以外に見えない輝く美男子たちである。当人達はまるで気づいていないが、今もなお、ずっと道行く人の注目を浴びている。しかし、ラインハルトに仇をなそうとする貴族と考えるには、従者の一人も車もなく、高級だが庶民の装いで市街をうろついている。
 何より、市井の人たちへの態度がマトモだった。
 一度、空腹を覚えたのか、金髪の少年だけが近くの売店カートに向かい、リンゴを数個買っていた。笑顔で挨拶、財布を自ら取り出し、必要な貨幣を普通に支払い、商品を受け取り、笑顔で会釈。
 どれも、傲慢な貴族たちには出来ない芸当だった。こんなことが出来る貴族を、キルヒアイスは、生涯に二人しか見知っていない。そのうちの一人は、自分の横に憮然として座っていた。
 それになぜか、あの金髪の少年は、この一人によく似ている気がした。
「少々楽観的かもしれませんが、あの二人、私たちへ害意を持っている訳ではなさそうです」
「どうかな」
 ふん、と鼻息を鳴らすラインハルトに、キルヒアイスが向き直った。
「私が確かめて参りましょう」

 そして、キルヒアイスは裏口から外に出て、『監視』している二人の少年の背後に回った。