オーベルシュタインの娘
その3

 新帝国暦19年、首都星フェザーン。
 
 この星には、現在皇帝が不在である。まだ余りに若く、支配者の任に当たるには力不足である皇帝アレクサンデルが、父・始皇帝ラインハルトに倣い、都市惑星オーディンで学業に励んでいる為だ。
 彼は、座学・実技ともに父親に劣らぬ優秀な成績を残して、幼年学校を主席で卒業し、そのあと士官学校へ進学した。現在は、士官学校1年生として、引き続き自己研鑽に励んでいる。
 したがって、いま、首都星フェザーンに在り、広大な銀河帝国を支配しているのは、摂政皇太后ヒルデガルド・獅子の泉の八元帥・その他の国務上級官僚たちである。終わらぬ戦乱・始皇帝の早すぎる崩御と、動乱の絶えなかったローエングラム王朝は、今では一定の落ち着きを得て、平和な時代を迎えている。
 
 首都星フェザーンの中枢部・軍務省の最上階にある執務室では、軍務尚書オーベルシュタイン元帥、そして彼の腹心の部下・フェルナー中将が、それぞれデスクに向かい、業務に励んでいた。

 三十代前半の時点で半白だったオーベルシュタインの頭髪は、今では大部分が白髪に支配されている。フェルナー中将の方は、洒落たメガネを掛けて電子資料や連絡を確認し、各種申請の決済を進めていた。
 若々しいデザインのフレームではあったが、そのメガネは老眼鏡である。何時からか、目を細めて資料を顔に近づけたり、遠ざけたりするようになった部下にオーベルシュタインが命じて誂えさせた物だ。
 その時、どんな命令にでも工夫を凝らして応えてきた彼が「それだけは嫌だ」と強く反発し、頑なに老眼鏡を誂える事を拒絶した。挙句の果てには、「老眼にならないなんて、義眼はずるい」などと筋違いな発言まで部下の口から出てきたことが、オーベルシュタインの記憶に印象強く残っている。
 とはいえ、老眼鏡に対する彼の嫌悪感も、生活の不便に伴う不快感には勝てなかったようである。

「閣下、そろそろ休憩にいたしませんか」

 フェルナーがそう言うのを聞くと、オーベルシュタインは目を上げて時計を見た。時刻は21時を回っていた。
「ああ」と上官から答えが返ってきたのを確認すると、フェルナーはデバイスを操作し、従卒に連絡を入れた。ほどなくして、クリームたっぷりのコーヒーと、軽食が乗ったワゴンが執務室に運ばれてきた。
 軍務尚書と彼の副官は、各々コーヒーを手に取り、啜りながら軽食をつまんだ。疲れた頭に糖分が染み渡る。

「…そういえば、閣下。ベアテお嬢さんは今おいくつに成られました?」
「今、14だ」
「はぁ──…早いものだ。小官が老けるわけですね…。次のクリスマス休暇、ベアテお嬢さんは家に戻られるのですか」
「その予定だ」
「きっと益々お綺麗になっておられるのでしょうね。お嬢さんが御心配なのではございませんか? 閣下」
「心配などしていない」
「ええっ、本当ですか? 意外ですね。確かに気丈なお嬢さんでもありますし、悪い遊び仲間とも縁遠そうですが。あのように美しいお嬢さんが、家からも、星すらも遠く離れ、同世代の男達に囲まれて過ごしているというのに、御心配ではないと?」
「幼年学校には隙間無く監視カメラが備わっているし、警備も豊富に巡回している。外に比べれば、安全だし目も届く。
 それに、娘の生活パターンは、自律的に、極めて正確なスケジュールで営まれている。異変があれば、5分と掛からず此方からでも分かるだろう。
 さらに、私同様、交友はほとんど無く、タチの悪い連中と自ら関わることも無い。夜中に抜け出そうとする様子も見せた事が無い。
 残りの懸念は、逆恨みした成績不振のグループか何かが襲ってくる場合だが、これは3~4人程度であれば娘1人でも対処できる。なんなら、証拠もキッチリ押さえ、私に代わって学校の“草刈り”をしてくれることだろう。
 それ以上の規模になると、さすがに娘だけで対処する事は難しい。だが、それ程の動きであれば、此方からでも見てとれる。もしそうなれば直ちに対処できるよう、手筈は整えてある」
「なるほど! 心配の種は、根こそぎ対処済みというわけですね。流石は閣下でございます」
「この程度、心配な内にも入らぬ。アレクサンデル様のご在学中は、お過ごし方に予想がつかず、肝を冷やすこともあったが」

「左様でございますか」と答えつつ、フェルナーは、クリーム入りのコーヒーをもう一口啜った。この軍務尚書が結婚する・娘ができると聞いた時も、十分に度肝を抜かれるほど驚かされたが、彼の子煩悩ぶりにも全く驚かされる。人生、何が起きるか分からないものだ。

「……閣下、ベアテお嬢さんが恋人を紹介してきたら如何なさいます?」

 ゲホッ、と、軍務尚書がムせた。わずかに飛沫をあげながら、コーヒーカップをデスクの上に置き、口元を押さえ、ゴホゴホと咳き込み、気管に入ったコーヒーの雫を追い出そうとする。近くの棚からティッシュ箱をサッと取り上げ、それを、軍務尚書の手元へフェルナーは置いた。オーベルシュタインは、紙を1枚・2枚と手に取り、口元に当ててゲホンゲホンと咳を続けた。その様子を、肩を震わせ、笑いを堪えながらフェルナーは見つめた。

「……どうもせん。娘の人生だ」

 ようやく咳が落ち着くと、軍務尚書はそう答えた。
 絶対、どうもしないでは済まない。そうフェルナーは思ったが、口を閉ざしておいた。