オーベルシュタインの娘
その22

 義眼に不調をきたした過去の父親を伴い、ベアテは過去のオーディンの街を突き進んだ。彼女の記憶が正しければ、タクシー乗り場まで同行せずとも、まもなく、盲人を導くための凹凸がある、誘導ブロックの並ぶ道に着けるはずだった。
 記憶は正しいはずだった。だが、それが未来に限って正しいものであることを、彼女は自らの目でもって確認することとなった。
「…………」
 ベアテが無言で立ち止まる。すると、視界をなくしたオーベルシュタイン(父)が不思議そうに声をかけた。
「どうかなさいましたか」
「……ここに、その……誘導ブロックがあったと、思ったのですが」
 ベアテがそう言うと、盲目の大佐は嘲笑めいた声をあげた。
「〝誘導ブロック〟? よくご存知ですね。たしか、負傷兵の収容――いえ――療養地、として知られる、どこぞの地方惑星には在ると聞きますが。そんなものが、ルドルフ大帝の膝元たる首都星にあると思いますか」
 そう皮肉めいて言った後、「失礼、今のは忘れて下さい」と続ける。ベアテは「……はい」と応じた。
(しまった……。私としたことが。未来とさほど地形が異ならないからといって、油断はならぬと確認したばかりだというのに)
 ベアテはそう自分を叱咤しつつ、深呼吸した。そして、気を取り直して過去の父を再び引き、タクシー乗り場まで歩いて行く。
 ベアテは、まず先に無人タクシーの扉を開き、それから、後部座席の入り口に父の手を触れさせた。
「ここです」
「ありがとうございます」
 座席、天井の位置を手で確認したオーベルシュタインは、するりと乗車を果たし、シートベルトもとめた。
 彼の乗車を確認したのち、ベアテは助手席の扉を開いた。
「心配ですので、念のため、ご自宅まで同行いたしますね」
 そのように声をかける。
「これはご親切に……。おそれいります」
 オーベルシュタインは、意外そうに頭を下げ、そのように礼をのべた。

 未来の娘と、過去の父親を乗せたタクシーが動き出し、二人を過去のオーベルシュタイン邸へと連れて行った。

      *

 タクシーがオーベルシュタイン邸に着くと、ベアテは先に助手席を下り、オーベルシュタインに声をかけ、また先導を担った。彼を連れた少女は、あたりを見回しながら屋敷玄関に向かう。
 チャイムを鳴らす。ほどなくして、高齢男性のものらしい声が応じた。それに、オーベルシュタインが答える。
「私だ」
『おや、おかえりなさいませ、旦那様』
「道中、義眼が故障してな。親切なお嬢さんに助けて頂いた。丁重におもてなししてくれ」
『かしこまりました』
 少しして、玄関の扉が開かれる。中では、年老いた執事が待っていた。
(これが、ラーベナルトの父君……)
 ベアテは感慨深いような気持ちで彼を眺めた。父を育て上げたこの老執事は、彼女が物心つくまえに既に他界していた。
 ラーベナルト(父)は、ベアテに向かって深々と頭をさげた。
「これは、かわいらしいお嬢様。わが主人の窮地を救って下さり、こころより感謝もうしあげます」
「いえ。帝国臣民として、当然のことをしたまでで……」
 ベアテがそう言うと、「フッ」とオーベルシュタインが鼻で笑う。すると、ラーベナルトが「旦那様」と鋭く窘めるような声をあげた。
「…………うん。そうだな。申し訳ありません、お嬢さん。決して、あなたの親切心を笑った訳ではないのです。本当に感謝しております。よろしければ、御礼にお茶など差し上げさせては貰えませんか」
「? ……はい」
 ベアテは、過去の父が笑った理由をすぐには思いつかず、丁度喉も渇いていたこともあり、誘いを受けることにした。案内されている途中、その理由に思い至り、彼女は再び自らの油断を恥じた。
(気を張れ! 彼は私の父になる男だが、今はそうではないのだぞ)
 これ以上ボロを出さないためにも、彼女はいますぐこの旧・オーベルシュタイン邸を飛び出したい気持ちで一杯になった。だが、いまさら断る訳にもいかなかった。

 ベアテは、旧オーベルシュタイン邸のサンルームに通され、オーベルシュタインは、義眼を取り替えるために離席した。彼を待つ間、ベアテはラーベナルト夫人に紅茶と茶菓子を出された。老婦長の面差しは、ベアテの知るラーベナルトJr.の顔とよく似ていた。
 ベアテが紅茶を飲み、茶菓子を食んでいると、義眼を付け替え終えた屋敷の主人が戻ってきた。新品の義眼がキュイキュイと稼働し、若き聡明な少女の姿を捉える。
「……これは、これは。私が思っていたよりもずっとお若く、可憐なお嬢さんだ。落ち着きのある声でしたので、もっと大人のお嬢さんかと」
 オーベルシュタインが意外そうにそう感想を述べつつ、ベアテの向かいのソファに自らも腰掛ける。ほどなくして、ラーベナルト夫人が、主人の紅茶と茶菓子も携えて戻ってきた。
「ありがとう、夫人(フラウ)
 夫人に礼を言いつつ、オーベルシュタインも茶を口にする。
「……いかがです、お嬢さん。我が家の紅茶はお口にあいましたかな」
「ええ。美味しいです」
「それはよかった。お嬢さんのような良家のご令嬢のお口に合うか、懸念していたものですから……」
 その言葉に、ベアテはビクリと背筋を凍らせた。まだ名乗ってもいないし、貴族だなどとは一言も言っていない。しかし、ここまでの行動で既に彼はそうと見抜いているのだ。今の服装も、いちおうは平民を装ったものであるのに。
 とはいえ、仕草にいたるまで徹底して擬態したとは言えない。あの父ともあろうものが、ベアテたちの雑な擬態に騙されるはずもないのだ。
 ベアテは、カチャリと軽い音を立て、上等なティー・カップをソーサーに戻した。
「……私、友人を待たせておりますので、そろそろ戻ります」
「おや、そうでしたか。ご友人と一緒のところ、ご親切に誠にありがとうございました」
「いいえ、どうということはございません。おいしい紅茶とお菓子をありがとうございます」
「とんでもございません。お嬢さんのご厚意に比べれば。……戻りのタクシーの代金は、よろしければ差し上げさせてくださいませんか」
「では、頂戴させて頂きます。失礼いたしますね」
「はい」
 その後すぐ、ラーベナルトが帰りの無人タクシーを呼び、運賃を上回る金子をベアテに渡した。ベアテは、それを大人しく受け取り、タクシーに乗り込んだ。トモコとヴィクトールとの連絡手段がなかったため、拠点としているホテルを行き先に指定し、旧オーベルシュタイン邸を後にする。

 残されたオーベルシュタインは、ひとりサンルームで考え事にふけっていた。
「どうなさいました、旦那様」
「……ラーベナルト。私の話し方は、不適切だったろうか……? お嬢さんを怯えさせてしまった。……親切に報いたかったのだが」
 ラーベナルトは、やさしく微笑んで応じた。
「きっと、恥ずかしがり屋のご令嬢なのでございますよ。次に出会えたとき、存分に親切になさいませ」
「そうか……。ならば、そうしよう」