オーベルシュタインの娘
その4

「…でもさ、本当に私なんかが獅子の泉ルーヴェン・ブルンの王宮の舞踏会になんて行っていいのかな。私みたいな貧乏人の田舎娘が行ったら、場違いじゃない?」

 首都星フェザーンに向かうシャトルの中で、ベアテ・フォン・オーベルシュタインの友人・オノヤマ・トモコは元帥令嬢フロイラインに問いかけた。

「そんなことはない。お前は誉れある獅子幼年学校の優秀な学生だし、私の友人でもある。親の金で余計に着飾ることは出来ても、頭の中がケーキで出来ている令嬢達などより、余程あの場に来るに相応しいだろう」
「だけど私、ドレス1枚も持ってないよ」
「それなら、私も父も承知している。舞踏会まで少し日があるから、それまでにドレスを誂える」
「えええっ?そこまでお世話になるわけには…高いだろうし。まあ、ウチあんまりお金ないのだけど…」
「父の希望で──正確にはアレク兄様の希望で、だろうが──ともかく此方の都合で来て貰うのだ。気にするな。交通費の支給だと思えばいい」
「交通費…そっか、王宮を通るための、交通費か…」

 トモコは頭を上へ向け、座席に背を預けた。内壁ほとんど全てが船外ディスプレイの其のシャトルからは、航路から見える宇宙の無数の星々を見るが出来た。星の大海を征く船。

「アレク先輩、お元気にしてらっしゃるかなあ」
「相変わらず、士官学校でも元気に周りの者たちを振り回しておいでだろう」
「そうだね~……」

「……ってか、あれ?もしかして私、舞踏会で皇帝陛下にお目通り奉ることになるの?」
「何を今更」
「うん、今更なんだけど。うわあ~…皇帝カイザーのアレク先輩ぜんぜん想像つかない…。本当に中庭のラインハルト様みたいに見えるの?」
「仕着せ衣装を着て、大人しく黙って立っていれば、それなりに」
「へえ~…」

 2人は目線を満天の星々へ向けた。幼年学校4年目のクリスマス休暇を迎えた彼女達は、そろって首都星フェザーンのオーベルシュタイン邸へ向かっている。トモコは、彼女と共に王宮での舞踏会に参列すべく、休暇の前半をオーベルシュタイン邸で過ごし、後半からは家族と共にハイネセンの親戚を訪ねる予定になっていた。
 長きに渡る戦乱を終え、平和な時代を迎えた銀河帝国では、戦争に注ぎ込まれていた資金と技術が民衆に還元されるようになり、あらゆる分野で技術革新が沸き起こっていた。主要な惑星間の交通網も発達し、今では片道1日と掛からずフェザーン─オーディン間・フェザーン─ハイネセン間などを行き来できるようになっている。

『本日も、銀河帝国スペース・ラインをご利用いただき、ありがとうございます。間もなく終点・首都星フェザーンに到着します。お忘れ物をなさいませんよう御注意ください。またの御利用をお待ちしております』

──────────

 地面から僅かに浮遊した黒塗りの車が音もなく進み、荘厳たる獅子の泉ルーヴェン・ブルンの宮殿正面のロータリーに止まった。車の扉が開くと、白髪交じりのセミロングの髪を美しく結い上げ、開きかけた花の蕾のようにうら若く美しく、見る者を威圧する鋭い眼光を持つ少女が降り立った。

 彼女のドレスは上品で高級があり、少女らしい可愛らしさを感じさせながらも、年に似合わぬ禁欲的さと威厳を醸し出していた。上流階級の若い女性が好んで社交界に身に着けてくるような華美なレース・宝石類や装飾品といった代物を、彼女は殆ど身に着けていない。その違いだけでも、彼女は凡庸な令嬢との間に一線を画していた。
 そのような自己顕示に頼らずとも、生まれの身分が仮に無かったとしても、ひとたび口を開けば、誰もが簡単には忘れられない強烈な印象を彼女は残すのである。それは、強い尊敬を伴う場合もあれば、激しい憎悪を伴う場合もあった。いずれにせよ、『ドライアイスの剣』の父親に名を恥じぬ令嬢であることには、社交界で同意しない者は居なかった。
 その後ろから、黒い髪と焦げ茶色の瞳を持つ、宮廷の社交界では見慣れない亡命者の一族の少女が躊躇いがちに降り立った。たっぷりとした長い裾に苦労しながら歩く姿は、まだドレスを着ているというより、ドレスに着られている様子である。彼女自体は、上流階級の人間という印象を見る者に抱かせなかったが、彼女の身につけているものは、掛け値なしに上等なドレスであることは見て取れた。彼女を先導する元帥令嬢と比較すると、禁欲的さや威厳を感じさせるものではなく、蕾開く年頃の少女に相応しい、彼女に似合いの可愛らしいドレスであった。
 軍務尚書オーベルシュタイン元帥の令嬢フロイラインベアテ、および彼女の友人オノヤマ・トモコの2人が王宮に降り立ち、ずらりと並んだ衛兵達から敬礼を受けつつ、長いベルベットの絨毯の上を通って舞踏会の会場へと歩みを進めていった。

 王宮のクリスタル・シャンデリアの下では、華麗な舞踏会が催されていた。ビュッフェ・テーブルには、極上のシャンペン、赤ワインに着けた鹿肉のロースト、チョコレート・ババロアも用意されている。舞踏会に参加する貴婦人方は、青真珠のヘアピン・黒貂の毛皮・無数の宝石を散りばめたロングドレス等で着飾っていた。会場の内装は、琥珀の壁飾り・数世紀を経た白磁の花瓶・色彩と虹彩ゆたかなステンドグラス等で絢爛豪華に飾られていた。
 脇にあったカウチソファの上を見ると、真っ白なペルシャ猫が寝そべっていた。ベアテとトモコは猫を見て近づいていき、白く長い毛の猫を順番に撫でさすった。猫は、やや不満そうに喉を鳴らしながらも彼女らの愛撫に応じた。

「全宇宙の支配者、偉大なる銀河帝国皇帝、アレクサンデル様の御入来──!」

 その声を聞き、ベアテとトモコは振り返り、会場の正面にある階段の上の扉に注目した。やがて扉が開き、中から金色の髪を持ち、白い外套を身にまとった、世にも美しい若い青年が颯爽と歩み出てきた。始皇帝ラインハルトの唯一の子にして、現在の銀河帝国支配者・皇帝カイザーアレクサンデルである。

「アレク先輩だ…!」
「ふむ。今日は妙に大人しくしておられる」

 その違和感の理由は、すぐに提示された。彼女たちの学校のOBにして皇帝カイザーであるアレクサンデルの後ろから、ベアテの父・軍務尚書オーベルシュタイン元帥が出てきていた。

「ベアテちゃんのお父さんも一緒だ。…お家で会った時と全然違う」
「うむ。冷徹氷のごとし、『ドライアイスの剣』等と称されていて、帝国の八元帥の中でも特に厳しい…らしい。今日の陛下が大人しいのは、父上が背後に控えているからかもしれん」

「そうなんだあ」とトモコは小声で応じた。2人は互いから視線を外し、正面の皇帝カイザーへと向き直ると、ドレスの裾を持ち上げ、ビロードを美しく魅せながら優雅にお辞儀した。姿勢を保ったまま、トモコは先日まで泊まっていたオーベルシュタイン邸で見た、ベアテの父パウル・フォン・オーベルシュタインを思い出していた。義眼は確かに奇妙な印象を彼女に与えたが、多く語らないものの優しい雰囲気の人に彼女には思えた。
 やがて「面を上げよ」との耳に心地よく響く皇帝カイザーアレクサンデルの声が通り、2人はドレスの裾を下ろして目を上げた。美貌の金髪の皇帝カイザーが会場より数段高い正面踊り場まで下り立ち、悠然と立って会場を見下ろした。その佇まいは、見る人に生前の獅子帝ラインハルトの姿を想起させる。

「今日はよく来てくれた。今日まで続くローエングラム王朝の平和と繁栄は、勤勉にして従順なる臣民の皆の働きにより成り立っている。予は、この帝国の平和と繁栄を祈る人間の1人として、心より感謝したい。ささやかではあるが、皆に報いたいと思い、このような宴の場を用意させてもらった。大いに楽しんで欲しい。以上だ」

 短く定型的ではあるが、真摯な暖かさと威厳に満ちた皇帝カイザーの開催の言葉を聞き、会場は万雷の拍手と「皇帝ばんざいジーク・カイザー」の声に包まれた。拍手と歓声が収まると、飲み物が配られ始めた。「曲が始まるまで御自由に歓談をお楽しみください」とアナウンスが響く。皇帝カイザーも近侍からノンアルコール・シャンパンを受け取り、近くの者と乾杯プロージットを交わした。
 ベアテとトモコの2人も皇帝カイザーにお目通りすべく、人の波を掻き分け、階段の前まで辿り着いた。白髪混じりの髪の少女が近づいてくるのを見て、皇帝カイザーアレクサンデルは、皇帝カイザーらしからぬ、16歳の少年らしい笑顔を浮かべてみせた。

「ベアテ!」
「お久しゅうございます。アレクサンデル陛下。お元気そうで、何よりです」
「そなたも元気そうだな。もう予を『アレク兄様』とは呼んでくれんのか」
「公の場でそのような発言はできません。私的な場でよろしければ、いくらでも」
「そうか。そうだな。どうだ、学校は楽しいかな。いじめられていないか」
「相変わらずです。何も問題はございません」
「後ろに居るのは、オノヤマ・トモコ殿か」
「ご機嫌麗しゅう、陛下」
「来てくれたということは、今でも交友が続いているということか。良かった。ベアテはとても良い子なのだが、人当たりが少々キツい所がある。友達と仲良くできているかどうか、いつも心配なのだ」
「ご心配をおかけし、申し訳ございません、陛下」
「いや。予が勝手を言っているに過ぎぬ。ともかく、今日会えて良かった。幼年学校を出てからというもの、そなたの様子を見る機会がない。息災で何よりだ」

 その時、「もうすぐ演奏が始まります」というアナウンスが響いた。ベアテとトモコは、皇帝陛下が踊る相手を選ぶ邪魔にならないよう、皇帝に今一度お辞儀し、その場を離れて会場の隅に寄った。ノンアルコール・シャンパン、ジュースのグラスを2人は手に取り、乾杯を交わして喉を潤した。
 辺りを見回すと、見慣れたオレンジ色の頭の少年──彼女たちの馴染みのクラスメート、ヴィクトール・リュディガー・ビッテンフェルトがいた。今日は元帥の子息らしく、カッツリとした軍服のような黒い礼装を着ている。ヴィクトールは2人の姿に気付くと、彼女達に近寄ってきた。彼は決して友人が少ないタイプの人間ではなかったが、このような場に居る者となると限られているようで、家族か父親の知り合い、あるいは皇帝カイザーアレクサンデルの他では、彼女たち位しか見知った者がいなかったようである。

「よう。お前ら」
「わあ、ビッテンフェルトくん。今日はちゃんと元帥様のご子息みたいだね」
「いつも元帥の息子だ!何だと思って接していた!?」
「ご、ごめん」
「無理もない感想だな」
「ぐっ…オーベルシュタイン、貴様の方こそ、…ドレスなんぞ、似合っておらんからな!」
「ふむ。皮肉と呼ぶにも事欠く間の抜けた評価だな。貴重なご意見にお礼を言うべきか?」
「クッ…そういえば、オノヤマ。お前はどうしてここに?確か、奨学生じゃなかったか?いいドレスを着ているが、そんな金を工面できたのか?」
「…ビッテンフェルト家ではデリカシーという概念を教えないらしい」
「なっ…!気になったことを聞いて何が悪いというのだ!?」
「あはは、いいよいいよ。大丈夫。これはね…妖精のゴッド・マザーに会って、魔法のドレスを貰ったの。今日はカボチャの馬車に乗って来たのよ」
「……!?」
「では、0時の鐘が鳴り終わる前に帰らねばならないな」
「未成年なんだから、もっと早くに帰らなきゃだめだよ」
「それもそうか」

 ベアテとトモコはクスクスと笑いあい、少女らしい無邪気な笑顔を見せた。なんだか置いてけぼりにされたように感じたヴィクトールは、肩を落とし、「それじゃあな」と言うと、踵を返して彼の父親が居る場所に戻っていった。『よく似た父親だ』と初めて彼の父親を見たトモコは感じた。

 やがて、会場のあちらこちらでダンス・パートナーがまとまっていった。

「…どうしよう。私、踊り方わからないよ」
「最初から踊る必要はない。誘う男が居るなら仕方がないが、壁際で様子を見るというのも初心者ならよいだろう。もし踊りたければ、ビッテンフェルトを誘うと良い」
「え、どうしてビッテンフェルトくんなの」
「足を踏んでも踊り間違えても気兼ねせんだろう?どうせ奴は空いている。喜ばれるぞ」
「その扱いは本当にどうなの…」

 2人はまた、クスクスと笑った。ちょうどその時、向こうでヴィクトールが大きくクシャミをしていた。

 ベアテはふと、正面階段下、皇帝カイザーアレクサンデルが居る方向を見てみた。そして、絶句した。

 なんということだろう。
 この場において最も高貴で、美しく、華麗で、きらびやかな存在である、全宇宙の支配者、皇帝アレクサンデルが。
 彼の王宮の舞踏会の中心で、人々に遠巻きに置かれ、ぼっちになっておられる……。

 始皇帝ラインハルトの手によって、腐りきった貴族社会の構成物……ゴールデンバウム王朝の門閥貴族たちは、実力のある者たちを除き、そのほとんどが一掃された。権謀術数を巡らせ、お互いに毒を盛り、令嬢の結婚が権力獲得の道具になる。そういう門閥貴族の社会は、一族郎党追い払われた。今は実力をもって上り詰めた貴族たち、および貴族相当の人々で上流階級は構成されている。
 皇帝に娘を嫁がせたり、あるいは媚びへつらうことで権力を得ようとする者は、勿論今でも居るには居るのだろう。しかし、それを表立って主張するような図々しい輩はいない。そのようなやり方は、実力主義のローエングラム王朝の信条に反するものであり、白眼視されるためだ。

 その結果……なのだろうか。誰も、皇帝アレクサンデルへの接し方が分からず、遠巻きにしている様子だった。
 獅子帝ラインハルトによく似た、美の女神の寵愛を一身に受けたような美しい金髪と白皙の肌、薄氷色アイス・ブルーの瞳と整った顔立ちを持つ、皇帝カイザーアレクサンデルが……舞踏会の中心で、ぼっちで立っている。少し悲しげな顔をして、やや、そわそわと所在なげにしている。

 とんだ悲劇だ。

 こちらを見た。ああ、こちらを見ている。とりあえず、つなぎ程度で構わないから、ダンスの相手をしてもらえないかな、という顔でこちらを見ている…。

 さて、どうしようか。
 もちろんアレク兄様と踊るのは嫌ではない。とても楽しい。ただし、周りに誰も居ないか、身内しか居なければの話だ。
 相手は、ただの、実の兄も同然の優しい年上の男性ではない。銀河帝国の皇帝である。毎度自分が踊って、親しい様子を公然とさらせば、彼に取り入って権力を得ようと欲する人々に目をつけられかねない。
 どうしたものか。考えあぐね、ベアテは振り返って自分の友人を見た。

「なあ、トモコ、物は相談なのだが」
「え、なに?」
「お前、陛下と踊ってはくれんか」
「えっ!?」
「少しだけだ。つなぎ程度の感覚でいい」
「…………つらい」
「…そうか、つらいか…」

 2人は、揃って、広間の前方にいる見目麗しい金髪の若き皇帝を見た。美貌の皇帝は、助けてほしそうにこちらを見ている。

「1曲踊って、ついでに靴を片方忘れていってもよいのだぞ?」
「え。え。ないよ。ないよ?踊らないよ?だいたい靴いらないでしょ。靴なくても特定できるでしょ、私が誰かなんて」
「だめか」
「うん…」
「そうか…どうしたものか」
「どうして、誰も陛下と踊ろうとしないのかな」
「お前と同じで『つらい』からかもな」
「ベアテちゃんは踊らないの?」
「踊りすぎた。そろそろ、権力を狙う者たちに目をつけられかねん。大きな問題にはならないだろうが、面倒の種だ」
「…うわあ。大変だね」
「他に誰も居ないか、身内しか居なければ良いのだがな…」

 2人の少女達は、再びアレクサンデルの方を見た。悲しげな薄氷色アイス・ブルーの瞳が此方を見つめ返している。

「……仕方がない。父上にどうにかしてもらえば良いだろう。行ってくる」
「頑張って」
「うむ」

 決意を固めたベアテは、ドレスの裾をしっかと両手で持ち上げた。令嬢が履くにしては少々踵の低い靴で、きらめく王宮のダンス・ホールの床をカツンカツンと高らかに響かせ、5歩・6歩と決然とした歩みを進める。まっすぐ前を見据えた彼女の視線の先で、どこか安心したような笑みをアレクサンデルは浮かべた。
 その瞬間、スラリとした長身の人影が彼女の行く手を遮った。ベアテが見上げると、整えられた短い黒髪に、青い瞳をもつ美男子の顔があった。士官学校2年生・17歳の皇帝の親友、フェリックス・ミッターマイヤーが彼女の行く手を塞いでいた。
 彼は、ニコリと女性殺しの麗しい微笑を浮かべ、スッと上品に片手をベアテへ差し出してきた。

「フロイライン・オーベルシュタイン。私と踊って頂けますか」

 常に彼に群がってくる無数の女性たちにとっては天にも登るような嬉しい申し出を受け、ベアテは思い切り眉をひそめて彼に睨みを効かせた。