オーベルシュタインの娘
その9

 すぐれた業績をあげ、皇帝の手から勲章を授かる至上の名誉にあずかることとなった人間が、感極まるあまり涙をこぼした。

 照明の光を受け、太陽そのものの如く光り輝く黄金のたてがみと、射貫くような美しい蒼氷色の瞳、そして、神の意匠による彫刻が如き麗しい顔(かんばせ)と白皙の肌を持つ至高の存在が、今、自分の目の前にいる。

「前へ」

 皇帝のそばに控えた国務尚書ミッターマイヤー元帥に命じられ、受賞者は、ゆっくりとひな壇の足元まで歩み寄った。侍従が、盆に載せた勲章を皇帝に差し出し、皇帝アレクサンデルがそれを手に取る。

「汝、ルカス・ベッカーの帝国への貢献を称える。銀河帝国皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム」

 凛とした青年の声が玉座の間に響き、指の先まで余さず美しい手に乗せられた勲章が差し出される。金の勲章が、両の手ですくうように支えられていた。
 皇帝陛下が、両の手を使って自分に勲章をくださっている! 受賞者は、むせび泣きを洩らしつつ、震える手で勲章を頂戴した。

「今後ともよく尽くすように」
「はい……! 必ず。本日の恩寵を片時も忘れず、死力を尽くして陛下にお仕えいたします」

 式典を終え、退室する皇帝に、室内にいた人々すべてが頭を垂れた。受賞者に至っては、ふたたび床に膝をつき、いましがた賜った勲章を高く掲げ、額が床につくほど深く頭を下げて咽び泣いていた。

***

「ずいぶん大袈裟だったな?」

 自室に戻ったあと、近しい侍従と、報告のため控えていた軍務尚書だけがいることを確認したのち、儀礼用の重たい外套を脱がされながらアレクサンデルが言った。この年の少年らしい、軽い口調である。

「よろこんで貰えて良かったですねぇ~」

 若い侍従が同じく気楽な調子で応じた。そういう態度の者が世話人であるほうがアレクの調子がよいので、やや不敬な態度でも、軍務尚書も目をつぶることにしていた。

「そうだな。休暇をすべて、式典につぐ式典に費やしている甲斐がある」

 若干うらみがましげに言う皇帝に、侍従は困ったような笑みを返した。

「重要度の低い業績の者は、皇太后殿下や国務尚書にお任せになってもよろしいかと」

 軍務尚書が、感情のこもらない声でアレクに応じると、アレクは首を横に振って否と示した。同時に、父ラインハルトのように伸ばさせられている長い金髪が揺れる。

「すぐれた貢献をした者が、余の手からぜひ渡されたいと思っているのなら、落胆させたくない」
「ごりっぱにございます、陛下」

 オーベルシュタインが淡々と賞賛する。彼を忌み嫌う者からみれば無礼な皮肉ともとれたが、付き合いの長いアレクは、この言い方のときは悪意を含んでいないと知っていた。

「……ああ~~! つまらん! あとたった1年しかない学生生活を終えたら、毎日このような退屈な仕事をせねばならんのか!? ああ嫌だ嫌だ卒業したくないずっと学校にいたい」
「ダメですよ陛下~~。皇帝陛下が留年になったりしたら、先生がたが責任を感じて自害してしまわれますよ~」
「だから、彼らの責任にならぬよう絶妙な回避策を講じたというのに! 何故だ。『試験では名前を書き忘れると0点になる』と、確かに聞いていたのに」
「名前が空欄の答案が各科目1枚のみで、陛下の答案のみ行方不明であったため、陛下のものと判断し、1点の減点で済ませたそうです。ようございましたな」
「答えだって!全部ひとつずつ解答欄をズラしてやったのに、元の順番で採点されていた!」
「ひとつズラせば全問正解でしたので、こちらも1点の減点で済ませたそうです。択一問題用の1文字ぶんの記入欄に80文字記述の回答を書き込む執念には、呆れを通り越して感服いたしました」
「ちくしょう! 皇帝だからといって特別扱いをしおって!」
「そのような台詞を当の本人がおっしゃるとは、さすがは陛下」
「首席になんかなりたくなかった……」
「贅沢なお悩みですな。それにしても、点数を下げたいのであれば、白紙でお出しになればよろしかったのでは?」
「試験時間が終わるまで出られんのだ。点数は取りたくないが、退屈なのはもっと嫌だ。それに、あのような簡単な問いを解けぬと思われたくない」
「さようですか」
「体力測定は思い切りやりたくなるし、射撃が苦手のように見せると格好悪いし、戦術戦略は……対戦相手がいるので、どうしても勝ちたくなる……」
「はあ」
「頼みの綱は座学だった。万策尽きた」

 成績不振に悩む学生たちが内心『この野郎……』と思っている様子が、オーベルシュタインの脳裏に浮かんだ。

「今は、子供でもできる仕事だけをやって頂いておりますので、退屈であるのは無理なきことかと存じます。ご卒業あそばされた暁には、本格的に仕事を学んで頂く予定です。そうなれば、やりがいもございましょう」
「本当か? それは、余にできることか?」
「貴方にできないのであれば、他の誰にも務まりますまい」
「……それは、おもしろい仕事か」
「そう小官は愚考します」
「ほう。卿にも、おもしろいと思うものがあるのか」
「ええ。職務に励むことが小官の数少ない『おもしろいと思うもの』のひとつです」
「…………ふうん。興味がでてきたな……」
「ようございました。それでは、陛下が仕事に興味を持たれた記念に、さっそく何かひとつやって頂きましょう」

 アレクが振り向いた。蒼氷色の瞳が好奇心にきらめいている。

「陛下は、幼年学校を経て、士官学校に通っておいでですから、学校に関することをひとつ、決めては如何でしょう」
「学校に関すること……?」
「はい。子供たちの学びを助け、我が国の益になるようなことを」
「……授業をサボ」
「駄目です」
「まだ言い終えていない」
「『サボッてもよいようにする』でしょう。駄目です。規律を乱すようなことを教えれば、帝国の損害となります。軍務尚書として断固反対いたします」
「…………チッ。では他のことにする」

 アレクが首をひねる。子供たちのためになること……ベアテやヴィクトールのためになること……。ハッ、と、アレクが何かを思いついた。

「こういうのはどうだ?」

 アレクが説明する。それを聞いた侍従はみるみる青ざめ、身震いした。だが、オーベルシュタインは感心した様子を(ほんの僅かに)示した。

「よろしいかと存じます」
「だろう? よし、さっそく取りかかれ」
「御意。できるだけ早めに実行いたします」

 その後、用事を済ませた軍務尚書が立ち去る。アレクサンデルは、さきほどとは打って変わって上機嫌であった。

「なるほど、皇帝の仕事はそう悪くないかもしれぬ」
「大丈夫なのでしょうか」
「なに、心配ない!」

 青ざめたままの侍従に、アレクサンデルはまばゆい美しさの笑顔を返した。

***

「……これは」
「んなあああっ!!!?」

 教師から配布された通知書を見て、ベアテは静かに驚きを示し、ヴィクトールは大きく全身で驚きを表現しながら呻き声をあげた。幼年学校4年生の彼らは、学生がとんと現場に駆り出されなくなった現在において、軍務がどのようなものか先に経験するという目的で、それぞれ決められた場所で現場に赴き、一定期間軍務にはげむことを今日とつぜん命ぜられたのである。

 ベアテの通知書には、『黒色槍騎兵艦隊所属、オイゲン大佐付き参謀官』と記されている。
 ヴィクトールの通知書には、『軍務省所属、フェルナー准将付き護衛武官』と記されている。

「……勉強になりそうだ」
「……!!? オーベルシュタイン、貴様っ…黒色槍騎兵艦隊だと!? なぜっ…逆ではないのかこれはァ!?」

「逆ではない。君たちについては、皇帝アレクサンデル陛下から直々に賜った指定によるものである」

 ひどく狼狽した様子のヴィクトールに、教師は冷ややかに釘をさす。

 若き皇帝の策により、銀河帝国に小さな革命が巻き起こりつつあった。