持ち主を幸せにする人形
その3

 賞金はひとまず、大部分を定期預金に預けておくことにした。かせぐ力もないのに贅沢癖がつくのは良くない気がする。本当なら、運用ってやつが出来るといいのだが、おれには知識がない。卒業までは一旦、置いておくとしよう。
 何にせよ、実家の仕送りがいらなくなったし、学費も賄える。それに、新しい家族の家具も買ってやれた。
「あの店主の言うことは、本当だったのだなぁ」
 パウルのためのドール専用整髪料を買い、髪を手入れしてやりながらおれは呟いた。
 しかし、そうだとすると、ますますあの値段の意図がわからない。このドールが『持ち主を幸せにする』と知っていたら、何億つまれた所で手放したくないだろうに。
「仲が悪かったのか?」
 返事などある筈もないが聞いてみる。やはり、返事はない。何となく、『さあ』といった雰囲気の溜め息をつかれた気がした。
「まあ、お陰でおれはお前を引き取れた訳だな」
 髪に櫛をいれる。そもそも綺麗ではあったが、なんとなく、こうしてやる事自体がパウルの為になるような気がする。
「剥き出しのままじゃ、ホコリがつくよな。扉つきの飾り棚を買うなら、引っ越さないとか……うーん。迷うな。来たばかりだが、荷物が少ない今のうちかもしれん……」
 おれは、独り言をためらわなくなってきていた。返事などあるはずないのに、パウルが何らかの応答をしてくれている気がするのだ。
「うん? このままがいいのか?」
 応答もないのに、おれはパウルに聞き返した。
 なぜだか、『飾り棚に入れられるのは嫌だ』『おれとの生活に仕切りがない、今の状態が良い』と言われたように感じる。
「なら、このままでいいか」
 そう独り言を言うと、なぜか、パウルが笑ってくれたような気がした。

 しばらく経ったある日、アダルト動画を見てヌいたが物足りないと感じつつ眠ったとき、淫夢を見た。
 白くて美しい男が、おれの上に裸で跨がっている夢だ。入れるところではない所でおれは咥えられていたが、不快感はなかった。
 むしろ、すごくよかった。
 彼の顔に見覚えはない。いや、あるといえばあるのだが、夢でしか会ったことがない。現実世界に、こんな知り合いはいないはずだ。
 彼は、こちらを愛おしげに見つめていた。すっかり夢中な様子で腰を上下させている。
 呼吸を荒らげることも、声を上げることもない。無言のまま身を揺らす。結合部だけが、湿った音を立てていた。
「うっ……!」
 刺激に耐えられなくなり、おれは射精した。彼の中に出した。

「……うわっ!」
 目が覚めた。汗をびっしょりかいていた。
 慌てて布団を持ち上げて確認したが、さいわい、股間は乾いていた。
「よかった……」
 ひどく生々しい感触だったので、夢精したに違いないと思っていた。
「……欲求不満なのか?」
 まだ真夜中であるのを時計で確認しつつ、おれはぼやいた。
(せっかく大学生になったのだし、彼女の一人も欲しいものだ……)
 そう考えた。
 その後は、汗が気持ち悪かったのでシャワーを浴び、おれは寝直した。

 その後、彼女はすぐできた。同年のロイエンタールに誘われ、はじめての合コンに参加し、そこで一人の女子学生と仲良くなったのである。
 参加に誘われた理由は『数合わせ』が主で、女子たちは最初から露骨にロイエンタール狙いだった。一緒に来ていたワーレン共々、おれたちは諦めて飲み交わしていた。
 帰る段になると、漁色家とはいえ一度に一人しか相手しない主義のロイエンタールは、一人だけを連れて去った。あとには、あぶれた女子たちがふてくされて残っている。
 おれは、残り二人のうち、気に入った方に声をかけてみることにした。
「なあ。よかったら、飲み直さないか? ……おごるからさ。な? せっかく会ったのに、大して話していないし……」
 すると、彼女はのってくれた。
 飲むうちに、元々酒に弱いおれは酔ってしまい、つい、宝くじのことを口にしてしまったように記憶している。それから露骨に彼女は優しくなった。
 印象はよくないが、分かりやすいぶん、そうでないよりはマシともいえるだろう。
 おれは、彼女と連絡先を交換し、翌週また食事した。今度はもっと雰囲気のいいところで、おれはまたおごった。
 その翌々週、もっとゆっくりできる所にも一緒に行ってもらえた。
 そうして、どんどん仲良くなったのである。

「ねえ、ビッテンフェルトくんの家に行きたいな」
 彼女からそう言い出してくれた。
 おれの脳裏に一瞬、パウルの姿が浮かんだ。あれを見られたら、せっかく初めてできた彼女に引かれるかもしれない。
 直後、おれはブルブルと頭をふった。
 問題ない。パウルには、布でも被せて隠せばいいだろう。
「わかった」
 おれは、彼女を家に招待した。

 部屋を片付け、掃除し、厚手の布でパウルとドール家具をすっぽり覆い隠す。
「ごめんな」
 思わず謝ったとき、パウルが不安そうな表情を浮かべた――気がした。

「きゃっ!」
 台所で飲み物を用意していると、彼女の悲鳴が聞こえた。
 おれが慌てて向かうと、彼女は、いぶかしげに何か――80 cmのドール・パウルを取り上げているところだった。
「それは、」
「ねえ、ビッテンフェルトくん。このキモいの、なあに?」
「わ、わるい。しまっておいたはずなんだが」
 家具ともども布を被せた、パウルの定位置に目を走らせる。布が床に落ちていた。ずれて、落ちてしまったようだ。
「返してくれ」
 彼女に手を伸ばす。彼女は、顔をしかめたまま、一応パウルを返した。
「ねえ。それなに?」
「なにって――その――人形だ。見ての通り」
「なんでそんなキモい人形持ってんの?」
「あー――えっと――それは……。ほら。縁起担ぎだ。おれの家に伝わる、幸運をもたらす人形でさ」
「絶対迷信だよ。むしろ呪われそう」
「そんなことねえって。ほら、隠しておくからさ」
 そう言いつつ、おれはパウルを元の場所に戻し、布が落ちないよう位置を調整して、また布を被せておいた。
「供養とかしたほうがいいんじゃない?」
「そんなことしたら、かわいそうだろ」
「感覚やばいね? 絶対、呪いかかってるよアレ」
「なんでそんなこと言うんだ」
「だって、そんな感じするもん。ね、あたしがそういうお寺探してあげるからさ、燃やして供養したら?」
「しない! 酷いことを言うなよ」
 おれは、思わず声を荒らげた。『ほしい』と言われても困るが、おれがどう扱うかをどうこう言われる筋合いもないではないか。
 すると、彼女は、あからさまに気分を害した様子をみせた。
「なによ。教えてあげてるのに」
「この人形のことは、放っておいてくれよ」
「……もういい。帰るね! バイバイ!」
「あっ、おい」
 彼女がさっと立ち上がり、玄関に向かう。おれは追いかけた。
「帰るのかよ」
「じゃーねー」
 おれにヒラヒラ手を振り、彼女は玄関扉をあけ、あっさりと出て行ってしまった。
 後に残されたおれは、溜め息をついた。

(ふふん、やったわ)
 ビッテンフェルトと仲違いした派手な彼女は、帰り際の態度とは裏腹に勝ち誇っていた。
 これは、彼女の常套手段だった。わざとワガママを言い、相手を振り回し、罪悪感を抱かせることで従わせる。
(欲しいバッグあるのよね。今度、『仲直りの印に』ってねだっちゃおっと)
 そのとき、彼女の前から『ゴリゴリ……ゴリゴリ……』という、奇妙な音が響いてきた。石と石がこすれあうような、聞き慣れない音である。
「なに……?」
 音は、前からやってくる。道が暗いせいで、音源は見えない。彼女は、前に目をこらした。
 すると、前の街灯の下に、音源らしき人影がぬるりと入ってきた。はじめに細い足、それから胴体と両手、それから両肩、そして最後に頭が浮かび上がる。
 長身痩躯の男だった。肌が病的に白く、死体が歩いているようだった。異様な服装をしていた。古いレースがたっぷりの、中世貴族風の出で立ちだった。
『ゴリゴリ』という奇妙な音は、彼の体のあちこちから響いていた。その正体が球体関節の摩擦音であることを、彼女は知らなかった。
 光を反射し、彼の目がギラリと光る。人とは思えない、死人めいた奇妙な目には、しかし、明確な殺気と憎悪がこもっていた。
「きゃああああああ!!!!!」
 夜道に、絹を裂くような女の悲鳴が響き渡った。